ブックオフをたちよみ!

2020年06月23日

 2019年の4月いっぱいでマニタ書房を閉めてから、近頃とんとブックオフには行かなくなってしまった。そりゃそうだ。なにせ本を仕入れる必要がなくなってしまったから。

 個人的にはいまも古本を集めるのは好きだし、ブックオフという場所にも愛着はあるので、今後も行くことは行く。だが、綿密にスケジュールを組んで、朝から未踏のブックオフを10軒ハシゴする、みたいな狂った旅をすることはもうないだろう。

 ……と、思っていたら、ブックオフから仕事が来た。ブックオフが公式で運営するサイト「ブックオフをたちよみ!」で、ブックオフ愛についてのエッセイを書いてほしいという依頼だ。そのエッセイはすでに掲載されているので興味のある方は読んでみていただきたいが、そのことを境にまた自分の中でブックオフ愛が再燃した。より正確に言うならば、「スタンプラリーとしてのブックオフ全店巡りへの意欲」が再燃してしまったのだ。

 ブックオフの全店リストは、公式サイトの店舗データからコピペして、独自のものをエクセルで作ってある。しばらくはそのリストを頼りにしていたが、いかんせん作成してからそれなりの時間が経っていて、データが古くなっている。ブックオフは生き物なのだ。売り上げの芳しくない店舗は閉店し、かわりに新しい店舗として統合されたりする。全体的にはトータルの支店数は減っているが、もし新しい支店が都内にできているのなら、それほどの時間と交通費をかけずに踏破数を増やすことができそうだ。

 調べてみると、東京都内に6店舗ほどの新しい支店が出来ていることがわかった。それらは従来の支店とは少し形式の違う「総合買取窓口」と呼ばれる店舗で、名称の通りお客様からの買取のための窓口が主な業務だ。それだけだったら、ぼくのブックオフ巡りに組み込む必要はないのだが、どの窓口も50冊から100冊ばかりの古本を置いている。それがブックオフとしてのアイデンティティなのだろう。

 たとえ少量でも、古本を置いているのなら、それはブックオフだ。ぼくが行かない理由はない。

 締め切りの谷間にポッカリあいた暇な日を利用して、「代々木上原駅前店」「経堂農大通り店」「用賀駅北口店」「中目黒店」「恵比寿南店」「広尾店」と6軒の「総合買取窓口」をまわってみた。これらの店の本棚をひと通りチェックてみて思うことは、「ぼくが欲しいと思うような本はない」ということだ。でも、それは無理もない。総合買取窓口は、あくまでも買取のための窓口なので、店頭の本棚に並んでいるのは小綺麗な写真集だったり、売れ筋のビジネス書だったり、ベストセラーになった文庫本といったものを中心に構成されている。つまり、店の雰囲気を盛り上げるインテリアなのだ。

 それでも古本である限り、その本が値段を付けられて、買える商品として並べられている限り、そこは古本屋であり、ブックオフであるのだから、ぼくは行かなければならない。冒頭では「近頃とんとブックオフには行かなくなってしまった」なんて言っておきながら、いつのまにか「行かなければならない」なんて言ってしまってるよ。懲りない男だおれは。

 ひとつびっくりしたのは、そんなお飾り本しか並んでいないはずのブックオフ買取窓口だったはずなのに、恵比寿南店に行ったら1冊だけ異質な本があったことだ。

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セドラー垂涎の1冊が定価の半額で!

 刊行後、即、絶版になってしまった村田らむさんのマボロシ本『こじき大百科』が、まさかブックオフで拾えるとは! やはり、古本屋に行かない理由なんて、ないのだ。

サタデーナイト怪謡曲

2020年06月13日

 ドーナツ盤が約90枚入ったバッグを肩から提げ、四谷までやってきた。朝からあいにくの雨で、傘をさしながらの移動はなかなかしんどい。アナログでDJをやってる以上、これは避けようがないことなので諦めているが、腰痛持ち&痛風持ち&非力な50代には苦行である。

 新型コロナウィルスの影響により、集客イベントができないライブハウスは、どこも苦境に立たされている。ぼくがお世話になっている四谷アウトブレイクも例外ではない。そもそも名前がマズイよね。アウトブレイクしちゃいかん。

 イベントができなければ、ライブハウスは収益を上げられない。それでも毎月の家賃や光熱費などの維持費はかかる。なんとかして利益を出さなければ、店は潰れてしまうだろう。いや、問題はお金だけじゃない。ただ自粛するだけで何も行動しなければ、アウトブレイクというライブハウスが、そしてその場所から生み出される音楽が、忘れられてしまうのだ。

 アウトブレイクのオーナーである佐藤学、通称:ブンちゃんは、無観客配信という形で、店にゆかりのあるミュージシャンたちのライブを配信してきた。ステージの演者と撮影のスタッフだけに人数を絞り、お客様を入れずにライブの様子をネット配信するのだ。お客様は、それを自宅のパソコンなどで視聴することができる。基本的には無料だが、オンラインを通じて投げ銭やカンパを送ることもできる。それを店の維持費の足しにしようというわけだ。

 で、ぼくも日頃お世話になっているアウトブレイクのために何かできないかと思って、DJプレイの無観客配信をさせてもらうことにしたわけだ。題して「とみさわ昭仁のサタデーナイト怪謡曲 音楽ジャンルの海を渡る3時間」。簡単に言うと、ぼくがこれまで集めてきた変な歌謡曲を、様々なジャンルに分類しながら次から次へとかけていくというスタイルだ。お酒の曲、方言まみれの曲、ヨーデル歌謡、宇宙歌謡、エリマキトカゲ歌謡など、16ジャンルを渡り歩いていく。

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着ているのはレコスケくんTシャツ

 無観客でDJをやるなんて虚しいだろうなあと思っていたが、そんな事前の予想を大きく裏切って、無観客DJは思いのほか楽しかった。だいたいどんなことでも楽しんでいまえる自分の性格ゆえ、である。

 当初は3時間で終える予定だったところを、かけたい曲がたくさん残っていたので、ブンちゃんにお願いして1時間延長。トータル4時間のノンストップDJをやってしまった。その様子はアーカイブとしてYouTubeに残っているので、興味のある方はぜひ見てほしい。

ブックオフツアー銚子編

 7年ほど経営していたマニタ書房を2019年の4月末に閉店して以来、古本の仕入れツアーをすることはなくなっていた。ぼくが古本の仕入れといったら、それは「ブックオフめぐり」であることは、とみさわ昭仁を知る人ならばわかっているはず。

 閉店後も個人的な趣味でブックオフに行くことはあるが、それは仕事で都内を移動している途中にあればちょっと覗く、という程度のものだ。そして、それらの店舗はすでに訪問済みの支店ばかり。だから、日本一ブックオフに行く男の踏破記録は「552店舗」で止まっていた。これが増えることは、今後はそうないだろう。

 と思っていたのだが、ふと思いついたことがあった。

 かつて頻繁にブックオフツアーをやっていたとき、ときどき支店の近隣移動があることに気づいていた。あるブックオフの支店が、これまであった店舗を閉鎖する。それとほぼ同時くらいのタイミングで、少し離れた場所に新店ができる。近隣移動は同じ市内、同じ地区内であることが多いので、店名は以前のものを引き継ぐか、あるいは少し違うが似ているものだったりする。

 ぼくのブックオフ・マイルールでは、店舗が移動しても店名が変わらない場合は同じ店として扱うが、店名が少しでも変わったのなら、それは別の支店としてカウントする。であるならば、訪問しないわけにいかない。

 それが遠方の都市では、「仕入れ」という大義名分がなくなった今、カウント数を稼ぐためだけに旅立つのは気がひけるが、都内、あるいは住まいのある千葉県内なら出かけていってもいいんじゃないか? そんなことを思いついたのである。

 ざっと千葉県のブックオフを調べたところ、2013年1月27日に訪問済みの「BOOKOFF四街道和良比店」が、移転して「BOOKOFF四街道店」となっていた。明確に名前が変わっているので、ここはぼくにとって未踏の地だ。行かなければならない。

 ついでに、と言ってはなんだが、銚子の先っちょの方にいつのまにか「BOOKOFF PLUS 銚子店」という新店がオープンしているのも知ったので、これも訪問しておこう。というか、これこそ第一目標にすべきだろう。

 というわけで、さっそく出かけてきた。自宅のある松戸市から銚子までは、高速を使わず一般道だけで行けば約3時間半。そこで6時に家を出た。ブックオフの開店は10時なのに、なぜ30分も早く着けるように家を出たのかは理由がある。

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寺子屋 吉田書店

 成田街道の途中にあった「吉田書店」という店。看板に「書肆(しょし)」の文字が見えたので古書店だと気付いたのだが、一般営業はしていないようだった。帰宅後に調べたところ、現在は寺子屋として地域資料の展示や勉強会の場に使われているとのことだった。

 さて、最初の目的地に到着。9時半の到着を目指して出発したのは、この銚子駅前にあるリサイクルショップが9時半オープンだからなのだった。途中、数カ所で渋滞にあったので、実際に着いたのは10時頃だった。

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リサイクル・アースマインド

 事前の調査で、ここは地元民のためのごく普通のリサイクルショップで、レコードや古本などは扱ってなさそうなことはわかっていたが、予想通りだった。ガッカリ……と言いたいところだが、この程度のことでいちいち失望していたらコレクターなんかやっていけない。さっさと気持ちを切り替えて次へ進む。

 が、まだブックオフへは行かない。

 6時に出発して車内でサンドイッチなど食ってきたが、さすがに腹がへっている。で、ちょうどこんな時間に店が開くラーメン屋の目星をつけてあるのだ。その名も「中華ソバ 坂本」。「そば」じゃなくて「ソバ」なのがいい。

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ラーメン 450円

 一見、何の変哲もない醤油ラーメンだが、少しだけ変哲がある。

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表面張力

 まず、スープが丼のフチまでギリッギリ入っている。非常にすっきりとした美味しいスープなので、量が多いのはありがたいけれど、こんなに振舞ってくれなくてもよい。あと、ナルトが2枚。これも地味に珍しいと思う。

 そして、思いっきり意表を突かれるのが、スープに浮かんでいた黒くて四角い物体。常識で考えればそれは海苔で決まりなのだが……。

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昆布! コンブ! COMBU!

 昆布なのだ。さすがは港町!(そういう解釈でいいのだろうか)。昆布だしが効いているのか、かなりあっさりながら、何とも深みのあるいいスープだ。麺も関東風の醤油ラーメンのものとしてごく標準的なもの。普通のうまさを再確認させてくれるラーメンだった。値段も良心的で素晴らしい。

 と、なかなかブックオフの話にならないまま、ここまで5枚も写真を費やしてきたが、ようやく本来の目的地である「BOOKOFF PLUS 銚子店」に到着した。

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BOOKOFF PLUS 銚子店

 謎のポーズは「犬吠埼 灯台」のつもりだ。これが普通のレポート記事なら、「では、いよいよ店内に突入してみたいと、思いま〜す!」なんつって店内の様子などをレポートするところだが、そういうことはしないし、店内も別に変わったところなどない。ブックオフはいつだってブックオフだし、それこそがブックオフのいいところでもある。そして、とくに収穫もないまま、ぼくは淡々と次へと向かう。

 いや、収穫はあった。踏破数がひとつ増えて全踏破数553軒という収穫が。

 次に向かうべきは、近隣移動して新店舗扱いとなった「BOOKOFF 四街道店」だが、その途中にある「BOOKOFF PLUS 126号旭店」にも寄っていくことにする。すでに訪問済みの支店ではあるが、好きな造形の店なのでその顔を見に行く、くらいのつもりで寄ってみた。

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BOOKOFF PLUS 126号旭店

 こちらでもまたとくに収穫はなかったが、それでもいい。しばらくの自粛期間を抜けて(万全の対ウィルス防御もしたうえで)再び古本がずらりと並ぶ棚を眺められるのは、とても幸せなことだと実感した。

 途中、回転寿司で軽く寿司をつまんだり、道の駅でソフトクリーム舐めたりしながら、四街道へ向かう。

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ジャガーさんのステッカーを買った

 これまでのブックオフツアーは、1日に8軒とか回ることが多く、大変なハードスケジュールだった。のんびり休憩したり、景色を眺めたりする暇のないのが常だ。もちろん、それを喜びと感じてやってきたわけだが、今回みたいに最初から3軒しか回らないと決めてのんびりドライブするのは、これはこれでいいものだな。

 と言ってるうちに着いた。「BOOKOFF 四街道店」である。

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BOOKOFF 四街道店

 謎のポーズは、四街道のゆるきゃら「よつぼくん」のつもりである。

 こちらでは、以前から読みたかった小説の文庫を数冊購入した。表紙やタイトルをお見せすると、作家の知人関係に差し障りがあったりするので割愛させていただく。なお、最初に書いた通りここも初訪問ということになるので、これにてぼくのブックオフ支店の全踏破数は554店舗になったことをご報告しておく。

 というわけで、急遽、実施してきたブックオフミニツアーだが、やっぱり楽しい。9月に刊行する予定の新刊の準備で今は忙しいけれど、それが終わったらぜひまたブックオフ巡りの旅に出たい。その頃には、もう少しコロナ禍も落ち着いているといいな。

 それまで待てない! もっとブックオフに触れたい! という人は、ブックオフの公式情報サイト「ブックオフをたちよみ!」が出来たので、それを読んで過ごすといいのではないだろうか。

bookoff-tachiyomi.jp

全力で歩く

世界陸上』を盛り上げるための番組を娘と見ていた。その中で「競歩」の映像が映った。

 競歩というのは不思議な競技である。走らず、止まらず、ひたすら歩く。何をもって競歩とするのか、そこには思いのほか複雑なルールがあるようだが、簡単に言えば「常にどちらかの足が地面に接していること」だ。両足が浮いたら反則を取られる。

 スポーツ全般への興味が薄いぼくでも、短距離走長距離走を選ぶ人の気持ちは想像できる。

「人より早く走りたい」

 おそらくそういうことなのだろう。距離が長いか、短いか、の違いだけで、両者の目指すところは同じだ。瞬発力の優れた人は短距離を選び、持久力の優れた人は長距離を選ぶ。

 だが、世の中には競歩を選ぶ人がいる。その気持ちがわからない。短距離か長距離のどちらかではダメなのか。「人より早く歩きたい」のか。ならば走ればいいじゃないか。

 テレビで競歩をやっているのを見かけると、いつもそんなことを考えてしまって心がもやもやするのだが、この“もやもや”の原因はわかっている。それは、この競歩というやつがどういう過程を経て生まれた競技なのか、よくわからないからだ。

 

 大昔、人類と野生動物が共に暮らしていた時代において、足が速いか遅いかは命に関わる問題だった。鋭い牙や爪を持った猛獣から逃げるには瞬発力を伴う足の速さが必要であり、手負いの獲物を追跡するには延々と走り続けられる持久力が必要だ。それらの能力を研ぎ澄ませる過程で生まれたのが、短距離走長距離走という競技なのだろう。しかし、競歩はどうなのか。全力で歩く状況なんて、自然界ではありえないはずだ。

 

 ……と、テレビで競歩を見ながら、娘を相手にそんな話をしていた。すると、娘がふいに「クマだ」と言った。

 父「熊?」
 娘「森で熊と出会ったら、走っちゃダメって言うじゃん」
 父「そうだね。走ったら追いかけてくるね」
 娘「だから、刺激しないようにそーっと立ち去る。走らず、止まらず」

 なるほど、それはありそうだ。

 山道を歩いていたら、いきなり目の前に熊が現れる。ヤバい、相手は仔連れだ。下手な動きをすると襲いかかってくるだろう。背を向けても危ないと聞いた。だから熊から視線を外さずに、そっと後ずさる。急激なアクションは危険だ。身体を躍動させることなく、ゆっくりゆっくり、それでいて一刻も早くその場から離れなければならない。たとえ熊が見えないところまで来ても油断は禁物だ。いきなり駆け出してドタドタ音を立てたら、猛然と追いかけてくるかもしれない。そこで、足を地面から離さず、歩行のスピードだけを早める。そんな歩行が、いつしか競歩の動きになっていく。膝を曲げず、くいっ、くいっと腰を振りながら、全力で歩く男。「クマだー、クマだー」と声にならない叫び声を上げながら。

特別公開『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』第1回

 昨日の『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』の連載第0回「はじめに」の公開に続いて、今日は第1回「見返りのないおもしろさ」を公開します。

 これは第1章「ゲームとの出会い」の、その1に相当する部分で、ぼくが初めてテレビゲームと出会ったときのことです。このあと、その2ではゲームと並行して中学〜高校時代に夢中になったロックのこと、その3ではアナログゲームも含めて子供時代から遊んできたゲームのことを書いていますが、ブログで公開するのは今回のその1までです。

 これ以降の話に興味を持っていただいた方は、ぜひ「メルマ旬報」を購読してみてください。ぼくの連載以外にも、おもしろい連載がぎっしり詰まっていますので、月額500円は絶対にお得だと思います。

水道橋博士のメルマ旬報

 

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01 見返りのないおもしろさ

 ぼくが初めてテレビゲームというものをプレイしたのは、いつだったか。
 それは明確に覚えている。
 1978年のことだ。

 東京の葛飾区にある高校に通っていたぼくは、あるとき授業の一環で水元公園に行かされた。自然観察のためだったのか、美術の写生だったのか、目的までは覚えていないが、とにかく学校から徒歩数十分のところにある水元公園へ行った。

 その園内の休憩所に、『スペースインベーダー』(タイトー)があったのだ。

 1978年に発売された『スペースインベーダー』は、あっという間にブームを巻き起こした。これまで、テレビゲームは「ブロック崩し」や「テニス」のような、小さな正方形(ボール)を細長いパドル(ラケット)で打ち返すタイプの、シンプルなものが主流だった。ところが、『スペースインベーダー』は、異星人の侵略をテーマにしていた。

 画面の上部には何体ものインベーダーが並んでいる。奴らは左右移動を繰り返しながら、ときおりミサイルを撃ってくる。プレイヤーは画面下方に設置されたトーチカの陰に隠れながら、ビーム砲で迎撃する。こうした戦略性の高さが、人びとの興奮を誘ったのだろう。まだゲームセンターなどというものがなかった時代に、インベーダーゲームを遊ぶための施設が町の随所に作られ、それらは「インベーダーハウス」と呼ばれた。

スペースインベーダー』が大流行したのは、そのゲーム性(これは扱いが難しい言葉なのだが、ここでは敢えて使わせてもらう)が豊かだったことが最大の理由ではあるが、それ以外にも、このゲームを遊ぶための筐体(ゲーム機)の形状が重要だったことは忘れずに語っておきたい。

スペースインベーダー』が登場する以前のアーケードゲームは、その名が示す通りアーケード(商店街)に設置することを目的として筐体がデザインされていた。買い物客が、買い物を済ませた帰りにフラリと立ち寄って、お釣りの小銭でゲームを遊ぶ。ゲームはそんなに長時間遊ぶものではなく、ちょっと小銭を消費するための一瞬の享楽でしかなかった。そのため、ゲーム(基板とモニタとコントロールパネル)は縦長のキャビネットに収められ、客は立ったままゲームをするのが当たり前のスタイルだったのだ。

 ところが、『スペースインベーダー』が登場する前後から、テーブル筐体というものが出現した。これは、コーヒーテーブルの中にゲーム基板とモニタを収納し、プレイヤーは椅子に座ってテーブルのガラス面を見下ろしながらゲームがプレイできる。これによって、ゲームに対してじっくりと取り組むことが可能になった。そんな遊びのスタイルに叶うほどの奥深いゲーム性を備えていたのが、『スペースインベーダー』だったというわけだ。

 テーブル筐体がコーヒーテーブルを模していたことからわかるように、ブームとなった『スペースインベーダー』は、インベーダーハウスやゲームセンターはもちろんのこと、全国各地の喫茶店にも設置された。電源が取れるならどこにでも置けるのがテーブル筐体の利点でもある。だからといって、公園の休憩所にまで置かなくてもよさそうなもんだが、しかし、そのおかげでぼくは『スペースインベーダー』──テレビゲームというものと出会うことができた。

 インベーダーブームが来ると、クラスのみんなもゲームに夢中になった。ぼくが通っていた高校は都立の工業高校で、男子校だ。学校中どこを見回しても、先生以外は男しかいない。しかも、生徒の半数以上は不良少年。ヘアスタイルはリーゼントかアイロンパーマ。学校が終わるとパチンコ屋か雀荘に直行するような奴らばかりだ。そんな連中でさえも、インベーダーゲームのおもしろさに魅せられた。

 もちろん、ぼくも『スペースインベーダー』を遊んでみて、一発で大好きになった。真っ黒い宇宙空間に浮かぶカラフルなインベーダー。手(?)を上げ下げしながらこちらへ向かってくる。ドッドッドッド……と断続的に鳴る低音が侵略の恐怖を煽る。ビームを発射した際のピキュン! という電子音も当時は新鮮な響きだった。インベーダーが画面の下まで降りてくると、地球は侵略されたことになり、画面は真っ赤になってゲームオーバー。

スペースインベーダー』に限らず、テレビゲームというものが醸し出す不思議なおもしろさは、これまでの遊びでは感じたことのないものだった。授業中もゲームのことで頭がいっぱいになり、元々勉強には身が入らないクチだったが、ゲームと出会ってからは益々上の空に磨きがかかった。

 学校帰りには、友だち数人でゲームセンターに直行した。行くのはおもに金町駅の近くにあったインベーダーハウスだ。プレハブ小屋のような建物に、10台ほどのテーブル筐体が置かれている。店番はパートで雇われたバーサンが一人だけ。毎日のように通っているうちに、このバーサンともすっかり仲良くなった。バーサンは店番をしながら、さらにLSIチップの組み立てという内職もしていたのだが、ぼくらはちょいちょいそれを手伝ってあげたりもした。

 そんなこんなで楽しいゲームライフを送っていたのだが、あるとき気がつくと、ゲームをやっているのはぼく一人になっていた。他のみんなはゲームセンターには来なくなっている。どうしたんだろう。友人の一人をつかまえて「もうゲームやんないの?」と尋ねると、そいつはこう答えた。

「ゲームって、いくらやっても金になんないじゃん」

 周囲のみんなは、それでまたパチンコや麻雀に戻っていた。ゲームに飽きたと言うこともできるが、彼らにゲームを飽きさせた最大の理由は「ゲームには見返りがない」ということだった。

 そのことを知ってぼくは悲しんだかというと、そんなことはなかった。「なるほどね」と思っただけだ。そもそもがパチンコや賭け麻雀をやっていた連中なのだから、いずれそっちへ戻っていくのはわかりきったことだ。ただ、ぼくはそれでもゲームの楽しさに飽きることはなかった。そして考えた。

 なんで、テレビゲームには現金という見返りがないのに、こんなに楽しいんだろう?

 腕のいいプレイヤーなら、たった百円だけでいつまでもゲームを遊び続けることができる。ぼくはゲームが下手だから、『スペースインベーダー』を攻略するにしても百円硬貨がたくさん必要になる。見返りどころか、お金が出ていくばかりだ。それなのに、ゲームは楽しい。

 なぜだ?

 見返りがないのにおもしろく、見返りがないのにやめられない。「ゲーム性」という言葉を当時はまだ知らなかったが、ぼくがゲームのおもしろさの秘密について考え始めた、それが最初のきっかけだった。

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特別公開『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』第0回

 現在、ぼくが「水道橋博士のメルマ旬報」に連載している『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』は、タイトルが示すように、ぼくがテレビゲームと出会ってからの30年間を振り返る自分史です。現時点で第5回まで掲載されています。

 誰が読んでもおもしろいものになっているかは自分では判断できませんが、少なくとも日本のゲームの黎明期の一側面を記録した重要な文章ではないかと自負しています。

 優れた書き手たちが名前を連ねる「メルマ旬報」に連載を持たせてもらえているのは非常に光栄なことですが、有料のメールマガジンということもあって、会員登録をしなければ読むことはできません。

 おそらく、連載していることは知っていても会員登録はせず、「いずれ単行本になったら読もう」と思っておられる方も多いのではないでしょうか。たしかに、これの前に連載していた『レコード越しの戦後史』は、連載前から書籍化することが決まっていました。けれど、この『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』は、いまのところ書籍化の予定はないのです。

 そこで、新たな読者の獲得を目指すことと、書籍化してくれる版元さんを募集するという二つの意味を込めて、前書きに相当する第0回「はじめに」と、第1回「見返りのないおもしろさ」を、このブログで公開することにしました。

 とりあえず今日は第0回「はじめに」を公開します。

 

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00 はじめに

 これから壮大な“自分語り”をしようと思う。

 とはいえ、ぼくが自分の人生を漫然と綴ってみたところで、とみさわ昭仁に興味のない人(人類のほとんどは興味ないだろう)にとっては、まるで意味のない文章になってしまう。だからテーマを限定する。それは〈ゲーム〉だ。

 ここでいう〈ゲーム〉とは、よりわかりやすく言えば「テレビゲーム」のことだ。一般的に、ファミコンプレイステーションといった家庭用ゲーム機をテレビにつないで遊ぶもののことを「テレビゲーム」と呼ぶ。それに対して、ゲームセンターのゲームは「ビデオゲーム」、パソコンで遊ぶものは「パソコンゲーム」と呼ばれるが、ここでは便宜上、それらすべてをひっくるめて〈ゲーム〉と表現する。また、トランプや花札、麻雀、ボードゲームといった非電化ゲームも登場するが、それもまた〈ゲーム〉に含まれる。

 ぼくがどのようにゲームと出会って、どのように遊び、どのように批評し、どのように作ってきたか。これからそれを書いていくわけだが、ご存知ない方のために手前味噌ながらぼくの経歴を簡単に説明しておきたい。

 フリーライターのぼくが、仕事で取り扱う分野のひとつに〈ゲーム〉を加えたのは、1986年のことだった。ちょうどファミコンブームが起こり始めた頃で、ゲーム専門誌というものが乱立しつつあった。そこでゲームライターとしてたくさんのゲームの紹介記事を書いた。自分に才能があったなどと言うつもりはない。ただ、幸福なことに人脈に恵まれたので、いろいろな媒体から声をかけてもらった。当時出版されていたほとんどすべてのゲーム雑誌で、原稿を書いたと言ってもいいだろう。つまり、ぼくはゲームマスコミが誕生し、成熟していく過程を見てきたわけだ。

 ゲームライターとして仕事をしていくうちに、いまのゲーム界を支える重要な人物たちとも出会うことになった。『スーパーマリオブラザーズ』の宮本茂氏、ゲームボーイを作った横井軍平氏、若くして亡くなられた任天堂元社長の岩田聡氏、『ドラゴンクエスト』の堀井雄二氏、『桃太郎電鉄』のさくまあきら氏、そして『ポケットモンスター』の田尻智氏──。

 一介のゲームライターだったぼくは、やがてゲームの開発者にもなっていくのだが、上に挙げた人たち(偉人といってもいい!)の全員と一緒にモノ作りをしたことのある人間なんて、おそらく世界でもぼくだけではないかと思う。ぼく自身は天才でもなんでもない凡人だが、天才と出会ってしまう才能だけはあったようだ。

 さて、そんなぼくが見てきたゲームの歴史。これから書くものは、ぼくの自分語りでありながら、それが図らずも日本のゲーム業界の、かなり重要な一部分を記録したものになるだろうとの予感がある。

 

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 明日は第1回「見返りのないおもしろさ」をアップする予定です。今回、快くブログへの転載を許可してくれたメルマ旬報編集部には心より感謝します。ありがとうございました。

水道橋博士のメルマ旬報

住宅地のロック魂

その店は、自宅と最寄駅の中間あたりにある。郊外の住宅地にたたずむ、これといって特徴のないブティック。

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いや、ブティックというほどお洒落でもないか。ご婦人向けの洋服と小物を中心に扱う店。チラとのぞいた感じでは、男性に向けた商品はなさそう。そのため、とくに関心を引かれることもなく、ぼくは毎日の通勤でその前を通過するだけだった。

 ところが、ある日のこと。いつものように通り過ぎようとしたとき、視界の隅に何か違和感を覚えた。

何かがおかしい。

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あれ? なんかストーンズのベロT、売ってね?

ロックTシャツというのは、そのバンドのファンが着るというのが基本ではあるが、まったくそのバンドに興味ない人は着ちゃいけない、などという法律はない。誰が何を着たっていいはずだ。ましてや、ストーンズのベロマークほど有名なアイコンとなれば、元の文脈から独立して使われてしまうこともあるだろう。

でも、やっぱり住宅地のご婦人向け洋品店でいきなりのベロTには、妙な居心地のわるさを感じてしまうのも仕方ない。

ところが、これだけでは済まなかった。数日後、またこの店の前を通りかかったら、今度はもっと強烈な違和感が飛び込んできた。

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見えますか? そう、キッスの『地獄の軍団』ジャケである。

さすがにこれはどうなのか。主婦が着ますかこれを? 着ないでしょう? いや、でもこのアルバムがリリースされたのは1976年。当時、キッスファンだったティーンネイジャーも、いまはもう50代後半。還暦間近のおばちゃんが「あらキッス! 懐かしいわね。武道館、行ったわよアタシ」なんつって買うのかな。

しかし、スーンズがきて、次にキッスときたからには、これはもう偶然ではない。店のオーナーは絶対にわかって仕入れている。それに気づいてからは、この店の前を通るのが楽しみになってしまった。いいモンが出てたときにはすかさず写真を撮れるように、店の10メートル手前からスマホのカメラをスタンバイしておく癖もついた。

そんなこんなで、また数日後。

ハンガーの吊るし売りではなく、店頭に置かれた木製ベンチの上にたくさんのTシャツが置かれていたのだが、近寄って見て目眩がした。どうしたことだ。ここは原宿でもアメ横でもない、松戸市の住宅地なのだぞ。

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クリームに、ガンズに、ジミヘンに、キッスである。どこのロックフェスだよ!

何度か開店準備をしているところに遭遇して、おそらくは店のオーナーだろう人物を目撃したのだが、ぼく(57歳)とほぼ同年齢の男性だった。となると、この品揃えはオーナーが意図してやっていることに違いあるまい。

地域性を考えて店は婦人向けの洋品店にしているけれど、どうしても自分の趣味を出してみたくなり、売れるかどうかもわからないこれらの商品を仕入れる。うん、気持ちはよくわかる。いや、意外と売れてたりするのかもしれないな。

この店、休みの日には店頭のハンガーやベンチを店内に引き入れて、シャッターを下ろしている。ところが、あるとき通りかかったら、店は休みだったけれどシャッターは上げたままにしていることがあった。

そして、普段はベンチで隠れて見えなかったショーウインドウには、こんなレコードが飾られていた。

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この色褪せ具合は、アレサが亡くなってから飾ったわけではないはずだ。ずーっと長い間、ここに飾られ続けていたのだろう。

今度オーナーを見かけたら、話しかけてみようかな。