カミングアウトの境界

オカマ……ではなくて、その“一歩手前”のような存在には、昔から妙に惹かれる。

いまはテレビをつけると、はるな愛とかIKKOとかマツコデラックスとかクリス松村とかKABAちゃんとかミッツマングローブとか楽しんごとか尾木ママとかアレとかコレとか、いわゆるオネエキャラっつーんですか? そういう人達を見ない日はない。

ただ、自分が興味あるのはオネエっていうのとも違うのよねー。たしかに、見た目はナヨナヨっとしていて仕種が女性っぽかったりもするんだけど、口調はことさらオネエ言葉を使ったりはしない。テレビに出る場合も、司会者や他の出演者は明らかにそういう目で見てるのに、本人だけはかたくなにカミングアウトしない。というか、そもそも、その人にそういう話題を振るのはタブーになってるみたいな空気がある。結局どっちなの? アナタ何なの? というような存在。

そういう意味で、最初に挙げた人達にはあんまり興味がないし、登場してきた当初はわりと気になっていた假屋崎省吾という人も、いつの間にカミングアウトしたのか周りからオネエ扱いされていて、もうおれの「興味あるリスト」からは落ちてしまった。本人に言わせれば「バカにすんじゃないわよ!」って怒られそうだけどね。

さて、そこにきての広瀬光治だ。

最初に知ったのは何年前だっただろうか。はっきりとは覚えてないが、何の気なしにつけた教育テレビに、この人が出てきたときはビックリした。オネエとかそういうのを超越した、この人ならではの“どっちでもない感”はすごいと思った。

従来、人々の記憶に残るスーパースターには、もれなく“異名”が付けられてきた。人間風車ビル・ロビンソン、東洋の巨人ジャイアント馬場、不沈艦スタン・ハンセン、まだら狼の上田馬之助……。

広瀬光治は「編み物の先生」というとても柔らかい職業でありながら、これらプロレス界の凄玉たちにも負けない異名をもっている。それが「ニット界の貴公子」だ。いったい誰が言いはじめたのかは知らないが、その風貌、物腰ともに、これほどピッタリと馴染んだ異名もないだろう。

おれは誰かを好きになると、すぐその人の本を探して買っちゃうクセがある(好きと言ってるわりには古本で申し訳ないが)。もちろん探しまくったさ、広瀬光治先生の本を。先生はニットの技法を教えるのが仕事だから、当然「セーターの編み方」的な本はたくさん出している。でも、そういう本はおれの好奇心には応えてくれない。やはり、先生ご自身の人物像に焦点を当てた本が欲しいんだよね。

そんなときに見つけたのが、そのまんまのタイトルの『広瀬光治 ─ニット界の貴公子─』だった。もう、これは見つけた瞬間に狂喜乱舞したね。先生のカラー写真はいっぱい載ってるし、ナマの言葉もたくさん書かれてる。

この本を読んでみてビックリさせられたのは、広瀬先生って高校卒業後に水産会社(築地の魚屋さん)に就職していたことがあるという事実だった。いくらなんでもそれは意外すぎるだろう? なんというか、魚河岸の荒くれ男たちの中に可憐な花が一輪咲いてるようで、とても違和感がある。でも、先生はそんなことおかまいなしに、こんないいエピソードを平然と語るんだ。

やっぱりね、水産会社でしたから船員さんのなかには結構編み物をされる方がいらっしゃるんですね。(中略)航海が長いじゃないですか、魚がこないと仕事にならないんですよね。その間に編み物が非常にいいということで。

なんといういいエピソード! これは、煙草パッケージの折り紙の創始者は競輪選手だったというのに匹敵する驚きだ。

でも、言われてみれば、昔から「海軍の水兵や船乗りたちは編み物が上手だ」って言うよね。フィッシャーマンズ・セーターなんてのも漁師が編んだからだというし、もっと言えば、魚を獲るための網がそもそも編み物だもんな。

広瀬先生のいい本は他にもあって、たとえば『羊の気持ち』はどうだろうか。

羊の気持ち

羊の気持ち

これは先生が素顔の自分を綴ったエッセイ集で、ニットとの馴れ初めや、ニット作家として独り立ちするようになったときの話などが、優しい文体で編み込まれている(おれいまうまいこと言った!)。タイトルもいい。写真がないのが残念だけど、そこまで望むのは贅沢というものだろう。

先ほど、先生が本業として出している「セーターの編み方」的な本は、おれの好奇心には応えてくれない……ってなことを書いたけど、実はそうでもなかったりするから油断がならない。

だって広瀬先生ってば、自分のニットの本に自分自身がモデルとして出てきたりするんだもんな。そんなニットの先生(しかも男)なんて、なかなかいないよ!