天才の文章でつづる国際結婚

東京で貿易関係の仕事に従事していたごく普通の青年が、大好きなフィリピンパブ通いから日本で働くフィリピン女性に惚れこみ、何人かとの恋愛経験を積み重ねたのち、ついにひとりのハートを射止めて結婚するに至るまでの顛末記。

『フィリピーナと結婚すること/玉垣洋一』(乃木坂出版/1995)
こうしたテーマの本は“配偶者は外国人シリーズ”と勝手に呼んで、最近のおれのマイブームになっている。以前、『私の夫はマサイ戦士』を採り上げたときは“配偶者は意外なものシリーズ”なんて呼んでいたけど、さすがにモノ呼ばわりは失礼だったね。ごめんマサイ。
本書を読んでみると、著者のフィリピンという国に対する好意と、生涯の伴侶として選んだクリスティさんへの愛情が本物であることはよくわかる。ところがこの著者、筆がノってくるとこんなことを書いちゃうんだな。

 豪勢な式を挙げる資金がない。結婚式など本来は必要ない。その浮いたぶんを生活費に当てた(原文ママ)ほうが得策だ。もともと日本人と結婚するつもりはなかった。外人と結婚したかった。処女と結婚するのは男の夢だ。本当に処女かどうか確かめたい。結婚しないと処女をくれない。もう遊び疲れた。考えればもう30歳だ。仕事がらまわりに女がいない。
 日本の女は年収と結婚しやがる。日本の女は同棲していても、タダの喧嘩で実家に帰るし……。国際結婚は単なる夫婦喧嘩では、そう簡単には実家には帰れない。日本の女に処女はいない。日本の女はすぐ男を作る。日本の女は私の車を見ると乗ろうとしない。祖母の遺言は“嫁は下から貰え”だった。

どうだい? 素人とは思えない歯切れのいい文体で、きっと本人は無意識だと思うけど、行間からビンビンに差別意識が伝わってくる名文じゃないか。とても全部は紹介できないが、この著者の書く文章はホントにいいんだ。なかでも味わい深いところを最後に引用してみようね。身持ちの堅い彼女が、いよいよ結婚目前になって身体を許そうかという場面。

 店を出て我が家に誘うと、なんと彼女のほうから、
「結婚前だけど私をあげる」
 と言うではないか! おろろいちゃった私は、興奮、しまくらちよこであったが、結局ベッドのなかまではOKでも、最後の段階でやっぱりダメで、はらたつのり。彼女は、あくまでも“処女喪失=結婚”の方程式を崩さなかった。

おろろいちゃったなあ。ひょっとすると天才じゃないか、このひと。