炬燵の上のオカンアート

冬の記憶といえば、炬燵(こたつ)の天板にのった折り紙のゴミ容れだ。炬燵を見るとすぐにそれを思い出す。折り紙で作られた、蓋すらない単なる四角い箱だけれど、ミカンの皮とか、落花生の殻とか、イナゴの佃煮の足とか、とにかくテレビ見ながら炬燵で飲み食いした際に出るゴミを、なんでも放り込める便利な箱。子供の頃、それが家にたくさんあった。ヒマさえあれば新聞の折り込み広告を利用して母が折っていたのだ。茶箪笥をあけると、そのストックが折り畳まれてビッシリ収納されていたのをよく覚えている。そんな母も三年前の秋、病に……倒れたりはせず、いまも呆れるほど元気なわけだが、さすがにもう折り紙はしていない。たぶん飽きちゃったんだねえ。
なんで世間の母親ってのはすぐに紙を折るんだろう。どうしてナンでもカンでも折り紙で作っちゃうんだろう。炬燵のゴミ入れぐらいなら実用的でいいけれど、調子に乗ってアートに足を踏み入れてしまうのはなぜなんだろう。
それはね、こういう本があるからだよ。

『ユニット折り紙1 箱を楽しむ』『ユニット折り紙5/箱の百面相』(ともに筑摩書房
特定の形状のユニットをいくつも折り、それらを組み合わせて幾何学的なオブジェを作る“ユニット折り紙”の第一人者、布施知子先生の「ユニット折り紙シリーズ」である。全5巻あるうちの1巻と5巻だけ入手した。この本で折り方が解説されている作品は、うちの母が作っていたような箱とは桁違いに高度でびっくりさせられるものばかりだが、だからこそ、世のオカンたちをアートの闇に引きずり込む魔力があるのだろう。
おれ自身は折り紙をする趣味はないので、こういう本を読んだところでたいしておもしろくもない。でも、探書趣味(本が目的なのではなく、本を探す行為自体を目的とする趣味)の対象としては、この「ユニット折り紙シリーズ」は絶妙なゲームバランスを秘めている。一見、ブックオフの105円コーナーに行けば腐るほどありそうに感じられるんだけど、いざ探してみると意外と見つからない。その加減がいいんだなー。探書の難易度がいい本は、つい探したくなっちゃうんだよ。