最後のゲーム超人

いまでは仕事でもプライベートでもすっかりゲーム雑誌とはご無沙汰しているおれだけど、かつては複数のペンネームを使い分けて、あっちゃこっちゃのゲーム雑誌で原稿を書いていた。とはいえ、ゲーム攻略はヘタッピだったし、ゲーム文化論をエラそうに語れるような柄でもない。じゃあ何をやってたのかといえば、これが「ゲーム業界にいる謎なキャラクターの研究」だったりするんだな。

少年ジャンプの『ファミコン神拳』で“カルロスとみさわ”なんてのをやっていた自分を棚にあげて言うけど、昔のゲーム業界って変なキャラが多かったよね。わかりやすいところでは、“高橋名人”をはじめとする一連のゲーム名人が挙げられる。橋本名人、神谷名人、河野名人、中本名人、尾花名人、辻名人、菅野名人、菊地名人、服部名人……。彼らはだいたいメーカーの広報さんで、自社の製品を売り込むために名人を名乗っている、というケースがほとんどだった。


▲ダントツの人気を誇った高橋名人。いまはスキンヘッド。右は「ファミコンクィーンコンテスト 〜高橋名人の妹大募集〜」でデビューしたはるな友香さん。受賞者発表のときはまだ本名の「内八重友賀」さんだった。名人の妹でデビューするにあたって「はるな友香」になり、いまはまた本名に戻して歌手活動をしている。とてもどうでもいい豆知識だ。

高橋名人に次いで人気があったのが、バンダイの“橋本名人”だ。
当時の出来事で忘れられないのは、ある仕事で橋本名人を取材したときのこと。現場には、株式会社バンダイ玩具事業部営業企画係の橋本真司さんが普通にスーツで現れて、「どーもどーも」なんつってユルい感じで名刺交換とかしてたんだけど、いつのまにか橋本さんはバッグのなかから名人の衣装を出して着替えていて、最後にあの赤いメガネを装着した途端、「ドモーっ! ハシモト名人でーす!」と異常なハイテンションで挨拶されて、その豹変ぶりに唖然とした。営業マンのプロフェッショナルを見た瞬間だったな。


▲グリーンのポロシャツ、レジメンタルストライプの蝶ネクタイ、オレンジのスタジャン、胸には「Hashimoto」のワッペン、そして真っ赤な伊達メガネが揃えば橋本名人の出来上がり。

高橋名人や橋本名人のようなメーカー発ではない、フリーの名人っていうのも当時はたくさんいたね。高橋名人と死闘を繰り広げたことで知られる“毛利名人”もそのひとりだ。ただ、彼はゲームの腕はいいんだけど、自分から積極的に何かを発言していったりしないので、イマイチつかみどころのない存在だった。といっても彼は過去のキャラではなくて、まだ現役なんだけどね。去年ぐらいまでは 『ファミ通』のスタッフかなんかやってたでしょう。いまはどうしてるか知らないけど。

都内の有名大学の学生らが自主的に名人を演じていた“ファミコン4超人”なんてのもいたな。
ミスターX(慶応)、プロフェッサー来宮(東大)、テクノロジー木村(早稲田)、クッパ河島(明治)という4人によって結成されたファミコン4超人は、1983年*1、東大の五月祭でデビューした。以後、様々なゲームイベントで引っ張りだこになり、ピーク時には『週刊ヤングジャンプ』の表紙を飾ったことさえある。よく考えたらそれってすごいことだな。
彼らにも4超人を解散後に取材したことがあるけど、さすがにみんな頭のいいひとたちだった。当時からゲーム名人業をしっかりビジネスとして捉え、将来への展望を持って活動していたそうで、昔も今も行き当たりばったりなおれはすっかり感心した覚えがあるよ。


ファミコン4超人のプロモビデオからの映像。4人きっちりキャラが立っていたので、営業がやりやすかったんじゃないかと思う。

ファミコン4超人解散後にミスターXが結成した「ゲーム虎の穴」という悪役ゲーマーの巣窟からやってきた*2のが、カレーを食いながら『ファミスタ』をプレイするという意味のない特技でちびっ子を震え上がらせた“インドマン”だった。悪役っつーかバカキャラだったけどね。彼は根っからのシモネタ好きで、ゲーム業界的には非常に浮いてたけど、おれもわりと浮いてたので仲が良かった。
あまり知られてないけど、インドマンって本当は某大手建設機械メーカーの御曹司なんだよね。床暖房の利いた逗子の高級マンションに一人暮らししていて、頭にターバン巻きながら「来月また親族会議で実家帰んなきゃなんねーんだよ」とかボヤいてたっけな。


▲彼はインドマンの他にも小我恋次郎という名前でライターもやっていた。本当は小芽恋次郎(おめこいじろう)にしたかったそうだけど、担当編集者に「やめとけ」って言われたらしい。そりゃそうだ。

あと、ゲーム業界の謎キャラといって忘れちゃいけないのが、某CB社の阿迦手観屋夢之助先生だろうね。このひとのことは皮肉でもなんでもなくて本当に大好きだった。夢之助先生が登場してる自社広告は全部切り抜いてスクラップしてたほどだし*3

そんで、最近のゲーム業界を見渡してみると、もうこういうキャラはほとんど消滅してしまった。名人という職業自体が必要とされていないんだろうなあ。それに代わって、いまはスター・ゲームクリエイターみたいなひとが何人も出てきて、ゲーム業界はすっかりお洒落で格好のいいものになってしまった。それは産業としてはいいことなんだろうけど、カルチャーとしてはもう面白味はなくなってしまったね。

そんななかで、必死にゲーム業界を下世話ワールドへ引き戻そう努力しているひとが二人いる。そのひとりは、『龍が如く』でお馴染み、セガ名越稔洋氏だ。


▲作品のプロモーションとして意識的に露悪キャラを演じてるのだとは思うけど、もしかしたら本当にそういうひとなのかもしれない、と思わせる魅力があるよね。肝臓、大切にしてください。

さて、長々と前ふりをしてきてようやく本題に入るのだが、いまのゲーム名人界でもうひとり、報われない戦いに挑み続けているのが、夢幻超人ゲイムマンである。
もうね、はじめて存在を知った瞬間から惚れたな。だって覆面してるゲーム評論家だよ? おれが注目しなかったら誰が注目するっていうのさ!

何年か前、友達と三軒茶屋のクラブでDJイベントをやったとき、ゲイムマンも遊びに来てくれたんだよね。おれが自分の出番を終えてひと休みしていると、見覚えのない青年が寄ってきて挨拶してくれるわけ。
「えーと、どなたでしたっけ?」って尋ねたら、提げていたバッグから折り畳んだ覆面を出して見せてくれたんだ。思わず「あっ、ゲイムマン!」 って叫びそうになったよ。でも、彼はそっと人差し指を唇に当てて言ったね。

「しっ! ぼくがゲイムマンだということは、みんなに内緒だよ」

って。かっこよかったなあ。

そんなゲイムマンが立て続けに二冊も本を出したので、露骨に宣伝させてもらいます。

レトロゲームが大好きだ (昭和編)

レトロゲームが大好きだ (昭和編)

レトロゲームが大好きだ ~平成編~

レトロゲームが大好きだ ~平成編~

本文が意外に行儀よくて、インパクトのある表紙に負けてる感じはするけど、真摯にゲームと向き合う気持ちの伝わってくる良書だと思う。彼は基本的に真面目なひとなんだよね。そんなひとが誰に勧められたわけでもなく、自主的に覆面をかぶっているところに、何か止むに止まれぬ心の闇を感じてしまう。だってさあ、ゲームマンはヒーローであるはずなのに、所属事務所は“悪役商会”なんだよ!? まるでダークナイトそのものじゃんか!
この本は持ってると絶対10年後に自慢できるから、みんなもいまのうちに買っておくといいねえ。

16SHOT高橋名人オフィシャルサイト)
とりあえず乾杯デショ。名越稔洋オフィシャルブログ)
ゲイムマンのtv-game.com(ゲイムマン公式サイト)

*1:ブクマコメントで「1983年の五月祭でデビューはおかしくないっすか?」とのご指摘が。たしかに83年はファミコン発売の年なので、その5月にファミコン4超人のデビューは早すぎます。これ、自分が昔『ハイパープレイステーション』誌に書いたコラムを元にしてるんだけど、その時点でおれは83年デビューって書いてるんだよな。単なる誤記なのか、資料が間違っていたのか、いまとなってはわからなくなってます。すいません!

*2:という設定を渡辺浩弐が考えた。

*3:その切り抜きは、つい数ヶ月前、おれ以上に阿迦手観屋夢之助先生が好きな人に譲り渡してしまった。