排便芸術

 うちの娘はもう9歳(2009年当時)なので、トイレは自分でちゃんと出来るようになったが、まだオムツをしていた5歳くらいの頃は、それはもう大変な日々だった。

 乳幼児というのは、みんなそういうもんなのか知らないが、とにかく常に便秘気味で、3日に1回ぐらいしか大便が出ない。しかもカチカチになっているので、その度にひどい難産を強いられていたのだ。

 5歳というと、ちょうどトイレ・トレーニングをはじめた時期で、昼間はオムツを外して生活していた。幸い、オシッコはすぐにひとりで出来るようになったのだが、ウンチだけはまだ便座に座ってリキむ、という行為に慣れなかったためか、どうしてもトイレでは出来なかった。

 だから、便意を催すと自分でオムツに履き替えて、誰もいない部屋の隅にいき、壁に手をつき「ふン!ぬぅ……」ってな感じでリキんでいたのだ。

 あるとき、一緒に積み木で遊んでいたところ、突然「おとうさん、あっち行って」と言い放ち、おれを部屋から追い出したことがあった。

 なんだろうと思ったおれは、部屋の外からこっそり覗いてみた。すると娘は、おもむろにパンツを脱いで、オムツに履き替えはじめるではないか。なーるほど、またウンチがしたくなったわけか。遊んでいた積み木は、床にバラバラと散乱したままだ。

 それからおよそ15分ほどすると、娘がふすまを開けて「出た」と言う。このあとはオヤジの仕事だ。オムツを脱がせて、おしり拭きでケツを拭いてやらなければならない。

 と、そのとき。

 床に散乱していた積み木に、変化があることに気がついた。さっきまでバラバラだったはずの積み木が、いつの間にか何らかの秩序をもって並べ替えられていたのだ。


(2004年8月1日撮影)

 これは、ひたすら腸内を便が下りてくるのを待っている娘が、無意識のうちに積み木で描いたアートだった。

 そう思って見てみると、何やら固いものが狭いところにフン詰まっている苦しみの心象風景を表しているようで、なんだかとても興味深いではないか。

 こうした現象が1回だけしか起こらなかったのなら、それは偶然のひと言で片付けられもしよう。ところが、2ヶ月ほど経った頃に、ふたたび同様の現象が観測された。

 お絵かきをして遊んでいた娘は、ふいに空間のある一点を見つめたかと思いきや、無言でペンを置くとタンスに駆け寄った。引き出しを開けて中から紙オムツを取り出すと、すごいスピードでパンツを脱いでオムツに履き替え、元いた場所に戻ってきた。

 今度は、以前のときのように部屋に閉じこもることはなかったが、やはり「ふン!ぬぅ……」ってな感じでリキみだした。

 そうして、リキみながらも新しいお絵描き用紙を手元に引き寄せると、おもむろに何かの絵を描きはじめたのだ。

 やがて出来上がったのが、この絵である。


(2004年10月15日撮影)

 どうだろうか。これを見て何かを感じられないだろうか。何者か(それはおそらく自分)が、コブシを突き上げ、強固な障害物を粉砕してるように見えないだろうか。頭上にある三角形は、水分を補給する漏斗に見えないだろうか。右下にあるカタカナのような文字は、ウンコの“コ”だったりしないだろうか?

 さすがにこのような行動を二度も目撃することになり、親馬鹿のおれは俄然コーフンし、色めき立った。

 これは排便芸術だ! と。

 二度あることは三度ある。可愛い我が子はウンコする。今後もこうやって様々なアートが生み出され(ウンコも生み出され)ていくのだとしたら、それを毎回記録に残して、「排便芸術写真集」とでもいうべきものが作れてしまうのではないか。父の夢はふくらむのである。

 ……だがしかし、こうした現象はこの2回だけで終わってしまった。いまや、9歳になってすっかりおしゃまな小学生になった我が娘は、排便の力を借りずとも、日々、様々なアートを普通に生み出している。