人喰い人種の夜這い棒

『人喰い人種の国/風見武秀』(1961/二見書房)

 戦時中、ニューギニアに配属されていた著者が、終戦後にカメラマンとなってから、ふたたびニューギニアの地を訪れ、現地の人喰い人種の暮らしぶりをレポートした本。

 ニューギニアに限らず、戦争中はどこの任地でもあったことだと思うが、この著者の部隊でも、現地で行方不明になってしまい帰国できなかった戦友が何人もいたのだという。その人達、気の毒だとは思うけど、もう生きてないよね。敵の弾丸に当たったのかもしれないし、猛獣か人喰い人種に喰われちゃったのかもしれない。あるいはマラリアとかで命を落としたのかもしれない。戦争の悲劇というのは、敵だけがもたらすものではないんだな。

 いずれにせよ、戦争で無理矢理に連れていかれたそんな恐ろしいところには、普通は二度と戻りたくないと思うものだ。ところが、この著者は躊躇せずにニューギニアの地を再訪してしまう。この感じはなんだろう。そういえば、水木しげる先生も二言目には「南方へ」帰りたがったのは有名な話だね。あちらには、人を魅了する何かがあるのかもしれない。

 というわけで、懐かしいニューギニア再訪の旅に出た著者が最初に目指したのは、ニューギニア北部マノクワリだ。ここにはマネキョン族という人喰い人種が住んでいる。現地に詳しい者は「マネキョン族はあぶない、やめたほうがいい」と警告するが、そんなことを聞く著者ではない。むしろ「人喰い人種といっても、わりあいに素朴で涙もろいようで」などと呑気なことを言いながら、ずんずん奥地へ踏み込んでいってしまうのだ。うーむ、フィールドワーカーはこうでなければいけない。

 大昔ならいざ知らず、いまは日常の空腹を満たす目的で人間に襲い掛かるような人喰い人種はほとんどいないという。かすかに残る食人習慣は、あくまでも非常時の手段であったり、あるいは呪術的な意味のものでしかない。実際、著者が訪ねたマネキョン族も、本書が執筆された1961年頃にはネズミが主食となっていたようで、人間はたまにしか食べないという。なにしろ“涙もろい”人喰い人種なのだから。

 戦時中の仲間の死、人喰い人種の家に転がっている人骨、野生の人喰いワニの生態などなど、本書に綴られているのはどれもこれも悲惨な話ばかりだ。けれど、読んでいてもまったく嫌な気持ちならず、ときには笑いさえ誘われてしまうのは、ひとえにこの著者のあっけらかんとした水木しげる的性格によるところが大きい。
 たとえば、ニューギニアのある現地人(彼らは人喰いではない)が、せっかくワニを捕っても、皮を剥ぐだけで、その肉は絶対に食べないというエピソードからもそれは伺える。

彼らは、けっしてワニの肉を食べようとはしない。なぜなのか私には分からなかったが、あるいはワニは皮だけいただくというような生活信条のようなものがあるのかも知れない(P.141-142)

 それは生活信条じゃなくて、人肉を喰ってるワニなんか食べたくないだけだよ!
 でも、そんなこと著者はおかまいなしだ。

ここで私はワニの肉をたべてみた。土人もたべないというので、他の仲間はいやがっていたが、私は土人にたのみ棄てるワニのヒレ(?)の部分を串に刺して焼いてたべてみた

 そして、こうも言う。

うん、なかなかいけるぞ

 この筆者の剛胆さには心底恐れ入ってしまう。

 他にも、彼の地に伝わる「夜這い棒」に関する記述が興味深い。ニューギニアでは夜這いが盛んに行なわれており、その際に夜這い棒と呼ばれる道具を使うというのだ。パプアの家は高床式なので、床下にはラクに入り込むことができる。おまけに床は木板ではなく、ヤシの樹皮を葺いてあるだけなので、あちこちに隙間が空いている。ニューギニアの男は、深夜、意中の女の家の床下に入り込むと、女が寝ていると思われるところへ、床下から夜這い棒をずぶりと突き出すのだ。もうこの時点ですでにエロチックだ。

 棒の先端には、犬や鳥や人間など、それぞれの持ち主が好みで選んだ模様が刻み込まれている。棒を突き出された女は、暗闇の中でその彫刻部分を握り、誰が夜這って来たのかを知るというわけだ。それが自分の好みの相手であれば、家から抜け出して男と逢引するという。
 こうした夜這いが現在でも行なわれているかどうかはわからないが、いまミクロネシア・チューク(トラック)諸島などへ行くと、観光客用のお土産として夜這い棒を売っていたりはするらしい。なかなか行くチャンスはないけど、男なら1本は持っていたいものだ。

 あと、どうでもいいけど、風邪ひいて鼻が詰まってるときに「うまい棒」って言うと「よばいぼう」に聞こえるかもしれない。