そんな三浦さんも、もういない

おれが三浦和義事件に関するもののコレクターであることは、世間に広く知られるところであろう。事件関係者による出版物や映像、果ては一美さん狙撃現場の“砂”まで、その収集物は多岐に渡る。

本書『叫べ!一美よ、真実を』も、そうしたコレクションのひとつとして、長いあいだ我が魔窟の隅に奉納されていたものだ。三浦事件に関する本は数がありすぎて、いちいち全部読んでらんないのよね。でも、3月の震災で仕事がなくなっちゃったりしてヒマな時間ができたので、気まぐれにこいつを引っ張り出して読んでみた。

いやー、重いよねえ。

「三浦事件の本」っていうと、どうしてもあの三浦さんのエキセントリックな人柄が頭に浮かぶので、スットコおもしろ事件簿のような気がしてしまうけど、全然そんなもんじゃない。犯人が誰だったのかはさておき、実際に一美さんは殺されてるんだもんな。その遺族の想いは計り知れない。

タレントの風見慎吾は4年前に当時10歳だった娘を交通事故で亡くしていて、その悲しみを『えみるの赤いランドセル』という手記に綴っている。ブックオフでその本の背表紙を見かけるだけで泣きそうになる。うちにも同じ年の娘がいるから、余計に手が出せない。そして、一美さんの本も、それと同種の悲しみが詰まった本なわけだ。

ただ、ところどころに救いもある(といっても一美さんの遺族にとっての救いではなく、野次馬的にこの本を読む読者にとっての救いでしかないんだけど)。その救いとは、三浦和義という人物が無意識に繰り出す奇妙な言動から醸し出されるおかしさだ。

一美さんを口説くときに「君のワーゲンが過ぎ去っていった後のテールランプが印象に残って……」なんて歯の浮くようなセリフを言ってみたり、それほど愛してるはずの一美さんとの挙式の前夜に「金髪の女を買って遊んで」いたり、昏睡状態の一美さんが“植物人間”と呼ばれることに拒否反応を示す家族の前で平然と「一美は植物人間ですよ」と言い放ってみたりと、なんだか天真爛漫すぎるのだ。

その、悪い意味で自由奔放な性格は、三浦の兄が一美さんの見舞いに来ないことを責めて口論になったときのエピソードにもあらわれている。三浦は、自分だってあんまり見舞いに来ていないのを棚に上げて、兄をなじりながらカレーライスを投げつけたのだ。当然、お兄さんは全身まっ黄色だ。どんなに怒ったって、普通はカレーライスなんて投げないよね。

叫べ!一美よ、真実を (1984年)

叫べ!一美よ、真実を (1984年)