中古盤屋で語る自分史 その4

【4】数寄屋橋ハンターの思い出

中古レコード店の最大手「ハンター」がいつ閉店したのか、残念ながら自分の記憶にはない。おそらく、中古盤屋通いに冷めていた時期だったのかもしれない。ネットで調べてみると、こちらのブログに「2001年の夏に突然消えてしまった」とある。2001年頃はおれは立川に住んでいたので、数寄屋橋からは足が遠のいているのは当然だ。

生まれ育ったのが両国だったこともあって、若い頃の自分にとって盛り場と言ったらまず銀座だった。新宿? 渋谷? 山手線の左半分には行ったことさえなかった。映画も日比谷のスカラ座、有楽町の日劇、銀座の松竹セントラル、東劇……そういうところばかりだった。だから、中古レコードに興味をもつようになってからも、数寄屋橋ハンターをメインの猟場に定めたのは必然だ。ハンターの存在を知ったきっかけは、言うまでもなく深夜のテレビCMでやっていた「ハンタァ〜〜〜!」っていうあれ。

初めて行ったハンターは、数寄屋橋脇の高速道路下にあるショッピングモールの2階にある店舗だった。そこそこ広い店で、在庫もまあまあ多い方だった。なによりも、他店にくらべて割安なのがうれしかった。
当時は田町にある製図の会社に勤めていたので、会社帰りに有楽町で下車してはしょっちゅうハンターに寄り道して、給料のほとんどを歌謡曲のドーナツ盤に注ぎ込んでいた。

ハンターの価格が安いのには理由があって、ハンターグループは中古レコードをレアなお宝として扱うことをせず、どんどん入荷させてどんどん安売りして流通させる“商品”という割り切りがあったのだ。その証拠に、ハンターではドーナツ盤のレコジャケは中袋にホチキスで留めていた。これ、出来る限り美品を求めるマニアからすると噴飯ものの所業だよね。実際、エサ箱(レコード棚)の前で「このホチキスだけは、やめてくんねえかなー」ってつぶやいているコレクターを何人も見た。

と言いながら、おれはこのホチキス、まったく気にしなかったな。おれもマニアックさでは誰にもヒケを取らないと思うが、そういう部分にはまるで頓着しないんだ。
おれの場合はコレクターと言っても、コレクション披露芸人みたいなもんだから、「どんなネタを所有しているか」が重要なんであって、そのネタの状態が美品かどうかは、あんまり関係ない。ひとに見せて(聴かせて)笑ってもらえるのなら、ホチキス穴があいていようが、ジャケが破れていようが、そんなに重要じゃないんだ。逆に言えば、音を聴くのが第一目的ではないから、どんなに安くてもジャケがなかったら買わない。
そんなおれだから、Apple信者でありながら、iTune Music Storeにはあまり興味が持てないのは当然なのだ。

ハンターは、やがて数寄屋橋から銀座交差点のソニービル地下に引っ越した。ここにもよく通ったな。数寄屋橋の頃はまだ自分も闇雲に廃盤歌謡曲を買ってる感じだったけど、ソニービル地下に移ってからは、もう少しターゲットを絞って、笑えそうなネタを探す感じになってきた。「音頭レコ」「芸人レコ」「バカジャケレコ」そういったものを集めはじめていた時期だ。覆面歌手のレコード蒐集に目覚めたのもこの頃だった。