中古盤屋で語る自分史 その5

【5】江川光さんの思い出

時系列的に、ここには葛飾区の某所にあった中古レコード店に通い詰めていた頃の話が入るのだが、それは以前「江川光さんの思い出」として、ブログにアップしてしまった。なので、まだ読んでないという方は、以下のリンク先のエントリーを読んでほしい。

レコードコレクター・江川光さんの思い出 前編
レコードコレクター・江川光さんの思い出 後編


【6】よい子の歌謡曲の時代

話を少しもどす。「えとせとらレコード」に出入りしたことで廃盤歌謡の世界に目覚めてしまったおれは、一気にコレクターの坂を転げ落ちていく。たった1枚だと思ったから1300円のレコードも安く感じられたけど、何枚も買うようになると、そう高いものは買っていられない。サラリーマンとはいえ、まだ若かったし、安月給なのだ。

それでも、ピーク時には毎月100枚ぐらいドーナツ盤を買ってたな。1枚500円としても5万円。実際には1000円、2000円のもちょこちょこ買ってたから、月に10万円ぐらいはレコードに使っていたことになる。そりゃ貯金も出来ないわけだ。最初は本棚の脇にちょろっと置いてあったレコードがものすごい勢いで増殖し、どんどん棚を浸食しはじめた。
やがて、目的のレコードが探せないほどの量になってきたので、思い切って整理することにした。整理ったって処分するわけじゃない。歌手名のあいうえお順で並べ替えたのだ。そういうの昔から大好きだった。おまけにボール紙を切って、所持枚数の多い歌手名の仕切り版まで作った。レコード屋みたいで楽しかった。

「えとせとらレコード」を初訪問したときに、『白い蝶のサンバ』の他に買ったものがある。それが『よい子の歌謡曲 8号』だった。一読してこの雑誌に夢中になったおれは、レコードレビューを書いて投稿するようになる。そこから編集スタッフになり、やがて会社を辞めてライターになるのだが、その話はまた別の機会に。

それまでは廃盤歌謡曲を専門に集めていたけれど、「よい子〜」編集部に出入りするようになってからは、現役のアイドルも聴くようになり、彼女らのレコードも集め始めた。
編集部が中野にあったので、しょっちゅう自宅の松戸と中野を往復した。その流れで沿線と、その周辺の中古盤屋には行きまくった。中野オールディーズ、東中野えるえる、青山パイドパイパーハウス、上野蓄晃堂、新宿トガワ、神保町トニイ、ササキ、富士レコード社、恵比寿パテ書房、池袋サンレコ社、あとは名前も覚えてないような店がたくさん……。

そんな生活で、毎日のように出かけていっては、両手に紙袋をさげて帰ってきた。最盛期はどれぐらいコレクションがあったかな。とくに数えはしなかったけど、廃盤歌謡とアイドル歌謡とを合わせて、2000枚近くはあったと思う。でも、のちに会社を辞めて金がなくなったときに、ほとんど売ってしまった。もちろん「えとせとらレコード」に。高く買ってくれてずいぶん助かったなあ。

このあたりで時代はレコードからCDに移り変わり、一旦、自分はレコードコレクションの世界からは足を洗う。あとは、純粋に聴きたいアルバムをCDで買う生活になるのだった。