子供は児童三輪車、大人は自動三輪車

ライターになる前は製図の会社に勤めていた。ヤマハの下請けの会社だったので、おれはバイク担当になってスクーターやオフロードバイクの分解組立図をひたすら描いていた。毎日たのしかったねえ。天職だと思ってた。ロットリングの線の“抜き”だったら誰にも負けないと思ってた。

ところが、技術が進歩するにしたがって、機械製図の現場にCADの波がやってくる。当然、おれが勤務していた会社もCADを導入することになった。電算室なんて名前の部署もできた。すぐに配属されることはなかったけど、線の美しさに職能のすべてを賭けていたおれは、もう手描きの時代じゃないんだなと思って、会社を辞めた。

……と言ったらかっこいいんだけどね。理由の半分は本当だけど、もう半分は「ライターになりたかったから」だ。製図を描くのがつまんなくなってきちゃったのと入れ替わるように、『よい子の歌謡曲』で文章を書くことのおもしろさを知ってしまった。だから、すぐにでもライターになりたくてたまらなくなった。そういうわけなので、まあ、そんなに未練もなく製図の世界から身を引いたのだった。

でも、まだ身体の中には図面欲みたいなものがあって、古本屋めぐりをしているときに製図の本とか機械の操作マニュアルみたいなものを見つけると、つい買ってしまう。この『自動三輪車の運転と整備/宮本晃男編』(1957年/オーム社)も、そうした収穫のひとつだ。
自動三輪車ってわかりますか? 別名をオート三輪といって、前1輪、後2輪の三輪トラックのこと。積載性がよくて小回りも利くという使い勝手のいい車輛で、昭和初期から中期にかけて普及した。おれが子供の頃はあっちこっちに停まっていた。

そういう時代の古い本にしては、濃紺の地にオート三輪のスケッチがミントグリーンで印刷されていて、なんだかお洒落。中身はまあ操作マニュアルなので特筆するようなものはないが、ところどころに出てくる分解図をみると、あの頃*1を思い出して胸がちょっと熱くなる。

裏表紙を見ると、定価表示のところにはこんな表記がある。
「定価220円」の下に「地方価225円」。
独禁法に関連して制定された再販制度と関係するのかもしれないけど、あれって1953年だっけ? だとしたらちょっと時期が合わないね。ただ単に地方へは配本費用が余計にかかるので、そのぶん上乗せしていただけなのかもしれない。

*1:おれにとっては、横町にオート三輪が停まっていた子供時代と、製図士として分解図を描いていた青年時代という、二重の意味での“あの頃”だ。