特別公開『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』第1回

 昨日の『1978〜2008☆ぼくのゲーム30年史』の連載第0回「はじめに」の公開に続いて、今日は第1回「見返りのないおもしろさ」を公開します。

 これは第1章「ゲームとの出会い」の、その1に相当する部分で、ぼくが初めてテレビゲームと出会ったときのことです。このあと、その2ではゲームと並行して中学〜高校時代に夢中になったロックのこと、その3ではアナログゲームも含めて子供時代から遊んできたゲームのことを書いていますが、ブログで公開するのは今回のその1までです。

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水道橋博士のメルマ旬報

 

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01 見返りのないおもしろさ

 ぼくが初めてテレビゲームというものをプレイしたのは、いつだったか。
 それは明確に覚えている。
 1978年のことだ。

 東京の葛飾区にある高校に通っていたぼくは、あるとき授業の一環で水元公園に行かされた。自然観察のためだったのか、美術の写生だったのか、目的までは覚えていないが、とにかく学校から徒歩数十分のところにある水元公園へ行った。

 その園内の休憩所に、『スペースインベーダー』(タイトー)があったのだ。

 1978年に発売された『スペースインベーダー』は、あっという間にブームを巻き起こした。これまで、テレビゲームは「ブロック崩し」や「テニス」のような、小さな正方形(ボール)を細長いパドル(ラケット)で打ち返すタイプの、シンプルなものが主流だった。ところが、『スペースインベーダー』は、異星人の侵略をテーマにしていた。

 画面の上部には何体ものインベーダーが並んでいる。奴らは左右移動を繰り返しながら、ときおりミサイルを撃ってくる。プレイヤーは画面下方に設置されたトーチカの陰に隠れながら、ビーム砲で迎撃する。こうした戦略性の高さが、人びとの興奮を誘ったのだろう。まだゲームセンターなどというものがなかった時代に、インベーダーゲームを遊ぶための施設が町の随所に作られ、それらは「インベーダーハウス」と呼ばれた。

スペースインベーダー』が大流行したのは、そのゲーム性(これは扱いが難しい言葉なのだが、ここでは敢えて使わせてもらう)が豊かだったことが最大の理由ではあるが、それ以外にも、このゲームを遊ぶための筐体(ゲーム機)の形状が重要だったことは忘れずに語っておきたい。

スペースインベーダー』が登場する以前のアーケードゲームは、その名が示す通りアーケード(商店街)に設置することを目的として筐体がデザインされていた。買い物客が、買い物を済ませた帰りにフラリと立ち寄って、お釣りの小銭でゲームを遊ぶ。ゲームはそんなに長時間遊ぶものではなく、ちょっと小銭を消費するための一瞬の享楽でしかなかった。そのため、ゲーム(基板とモニタとコントロールパネル)は縦長のキャビネットに収められ、客は立ったままゲームをするのが当たり前のスタイルだったのだ。

 ところが、『スペースインベーダー』が登場する前後から、テーブル筐体というものが出現した。これは、コーヒーテーブルの中にゲーム基板とモニタを収納し、プレイヤーは椅子に座ってテーブルのガラス面を見下ろしながらゲームがプレイできる。これによって、ゲームに対してじっくりと取り組むことが可能になった。そんな遊びのスタイルに叶うほどの奥深いゲーム性を備えていたのが、『スペースインベーダー』だったというわけだ。

 テーブル筐体がコーヒーテーブルを模していたことからわかるように、ブームとなった『スペースインベーダー』は、インベーダーハウスやゲームセンターはもちろんのこと、全国各地の喫茶店にも設置された。電源が取れるならどこにでも置けるのがテーブル筐体の利点でもある。だからといって、公園の休憩所にまで置かなくてもよさそうなもんだが、しかし、そのおかげでぼくは『スペースインベーダー』──テレビゲームというものと出会うことができた。

 インベーダーブームが来ると、クラスのみんなもゲームに夢中になった。ぼくが通っていた高校は都立の工業高校で、男子校だ。学校中どこを見回しても、先生以外は男しかいない。しかも、生徒の半数以上は不良少年。ヘアスタイルはリーゼントかアイロンパーマ。学校が終わるとパチンコ屋か雀荘に直行するような奴らばかりだ。そんな連中でさえも、インベーダーゲームのおもしろさに魅せられた。

 もちろん、ぼくも『スペースインベーダー』を遊んでみて、一発で大好きになった。真っ黒い宇宙空間に浮かぶカラフルなインベーダー。手(?)を上げ下げしながらこちらへ向かってくる。ドッドッドッド……と断続的に鳴る低音が侵略の恐怖を煽る。ビームを発射した際のピキュン! という電子音も当時は新鮮な響きだった。インベーダーが画面の下まで降りてくると、地球は侵略されたことになり、画面は真っ赤になってゲームオーバー。

スペースインベーダー』に限らず、テレビゲームというものが醸し出す不思議なおもしろさは、これまでの遊びでは感じたことのないものだった。授業中もゲームのことで頭がいっぱいになり、元々勉強には身が入らないクチだったが、ゲームと出会ってからは益々上の空に磨きがかかった。

 学校帰りには、友だち数人でゲームセンターに直行した。行くのはおもに金町駅の近くにあったインベーダーハウスだ。プレハブ小屋のような建物に、10台ほどのテーブル筐体が置かれている。店番はパートで雇われたバーサンが一人だけ。毎日のように通っているうちに、このバーサンともすっかり仲良くなった。バーサンは店番をしながら、さらにLSIチップの組み立てという内職もしていたのだが、ぼくらはちょいちょいそれを手伝ってあげたりもした。

 そんなこんなで楽しいゲームライフを送っていたのだが、あるとき気がつくと、ゲームをやっているのはぼく一人になっていた。他のみんなはゲームセンターには来なくなっている。どうしたんだろう。友人の一人をつかまえて「もうゲームやんないの?」と尋ねると、そいつはこう答えた。

「ゲームって、いくらやっても金になんないじゃん」

 周囲のみんなは、それでまたパチンコや麻雀に戻っていた。ゲームに飽きたと言うこともできるが、彼らにゲームを飽きさせた最大の理由は「ゲームには見返りがない」ということだった。

 そのことを知ってぼくは悲しんだかというと、そんなことはなかった。「なるほどね」と思っただけだ。そもそもがパチンコや賭け麻雀をやっていた連中なのだから、いずれそっちへ戻っていくのはわかりきったことだ。ただ、ぼくはそれでもゲームの楽しさに飽きることはなかった。そして考えた。

 なんで、テレビゲームには現金という見返りがないのに、こんなに楽しいんだろう?

 腕のいいプレイヤーなら、たった百円だけでいつまでもゲームを遊び続けることができる。ぼくはゲームが下手だから、『スペースインベーダー』を攻略するにしても百円硬貨がたくさん必要になる。見返りどころか、お金が出ていくばかりだ。それなのに、ゲームは楽しい。

 なぜだ?

 見返りがないのにおもしろく、見返りがないのにやめられない。「ゲーム性」という言葉を当時はまだ知らなかったが、ぼくがゲームのおもしろさの秘密について考え始めた、それが最初のきっかけだった。

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