全力で歩く

世界陸上』を盛り上げるための番組を娘と見ていた。その中で「競歩」の映像が映った。

 

競歩というのは不思議な競技である。走らず、止まらず、ひたすら歩く。何をもって競歩とするのか、そこには思いのほか複雑なルールがあるようだが、簡単に言えば「常にどちらかの足が地面に接していること」だ。両足が浮いたら反則を取られる。

 

スポーツ全般への興味が薄いぼくでも、短距離走長距離走を選ぶ人の気持ちは想像できる。

 

「人より早く走りたい」

 

おそらくそういうことなのだろう。距離が長いか、短いか、の違いだけで、両者の目指すところは同じだ。瞬発力の優れた人は短距離を選び、持久力の優れた人は長距離を選ぶ。

 

だが、世の中には競歩を選ぶ人がいる。その気持ちがわからない。短距離か長距離のどちらかではダメなのか。「人より早く歩きたい」のか。ならば走ればいいじゃないか。

 

テレビで競歩をやっているのを見かけると、いつもそんなことを考えてしまって心がもやもやするのだが、この“もやもや”の原因はわかっている。それは、この競歩というやつがどういう過程を経て生まれた競技なのか、よくわからないからだ。

 

大昔、人類と野生動物が共に暮らしていた時代において、足が速いか遅いかは命に関わる問題だった。鋭い牙や爪を持った猛獣から逃げるには瞬発力を伴う足の速さが必要であり、手負いの獲物を追跡するには延々と走り続けられる持久力が必要だ。それらの能力を研ぎ澄ませる過程で生まれたのが、短距離走長距離走という競技なのだろう。しかし、競歩はどうなのか。全力で歩く状況なんて、自然界ではありえないはずだ。

 

……と、テレビで競歩を見ながら、娘を相手にそんな話をしていた。すると、娘がふいに「クマだ」と言った。

 

父「熊?」

娘「森で熊と出会ったら、走っちゃダメって言うじゃん」

父「そうだね。走ったら追いかけてくるね」

娘「だから、刺激しないようにそーっと立ち去る。走らず、止まらず」

 

なるほど、それはありそうだ。

 

山道を歩いていたら、いきなり目の前に熊が現れる。ヤバい、相手は仔連れだ。下手な動きをすると襲いかかってくるだろう。背を向けても危ないと聞いた。だから熊から視線を外さずに、そっと後ずさる。急激なアクションは危険だ。身体を躍動させることなく、ゆっくりゆっくり、それでいて一刻も早くその場から離れなければならない。たとえ熊が見えないところまで来ても油断は禁物だ。いきなり駆け出してドタドタ音を立てたら、猛然と追いかけてくるかもしれない。そこで、足を地面から離さず、歩行のスピードだけを早める。そんな歩行が、いつしか競歩の動きになっていく。膝を曲げず、くいっ、くいっと腰を振りながら、全力で歩く男。「クマだー、クマだー」と声にならない叫び声を上げながら。