番号は謎

2020年09月29日

 数字と番号は違う。ぼくは数字を見ると頭痛がしてくるタイプだが、番号だけは昔から大好きだった。初めて買ってもらったミニカーのボンネットに、大きな白い丸と黒い数字で「09」なんて番号が書いてあると、いつまでもそれを指でなぞっていた。このクルマの前に8台あって、このクルマの後には何台あるんだろう。

 ぼくをコレクターにしたのは番号かもしれない。子供の頃から何かを集めるのが好きで、ミニカーだの、映画のチラシだの、カップ麺のフタだのと、手当たり次第にいろんな物を集めてきたが、それで大きなコレクションを築くまでには至らなかった。なんというか、コレクションの全体像がぼんやりしていて、どうにも集めていて興奮しないのだ。

 なぜ興奮しないかというと、それらには番号がなかったからだ。

 のちに、トレーディングカードを集めるようになって、番号の重要さを実感した。番号があることによって、自分の手にしているアイテムが、コレクション全体のどの位置にあるかがわかる。それは、とりもなおさず、そのコレクションにおける自分自身の立ち位置を示すことにもなる。

 ぼくにとってのコレクションとは、好きな物を集めることではない。“集めたら楽しそうな物を集める”のが、ぼくのコレクションスタイルだ。だから、集めてゆく途中で楽しさを感じられなくなったら、あっさり集めることを放棄する。優先順位が「愛着」より「楽しさ」のほうが上なので、未練はない。そして、その楽しさを下支えしてくれるのが番号だ。

 『番号は謎』という本を読んだ。電話番号、郵便番号、国道番号、背番号、原子番号など、世の中の様々なものに秩序を与えている番号というものが持つ不思議な側面にスポットを当てた本だ。

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 試しに「郵便番号」の項を開いてみると、「電話の市外局番に比べて、郵便番号はどうにも不可解な順序に並んでいるのだ。郵便番号の上二桁を見ると、00の札幌市から始まり、01が秋田、02が岩手、03が青森だが、04から09は北海道へ戻る。そして10番台は、いきなり東京へと飛ぶ」なんて刺激的な話が展開されている。ぼくは郵趣オタでも鉄オタでもないけれど、こうした話にはやはり興奮を覚えてしまう。

 国民全員に固有の識別番号を付与する考え方、いわゆる「国民総背番号制」というものがある。ぼくだってオーウェルの『1984』くらい読んでいるので、国家が国民を番号で管理する個人監視システムの危険性はよくわかっている。ましてや、その政府が信用のならない人間ばかりで構成されているなら、なおのことだ。

 すでに、日本では年金手帳や健康保険証、住民票、運転免許証など、個人を識別するための番号はいくらでもある。住基カードなんてものもあった。満を持してマイナンバーカードも登場した。「マイ・ナンバー」つまり「わたしの番号」だと愛着を感じさせんとする姑息なネーミングだが、個人監視システムへの第一歩であるのは明白だ。おまけに、それを銀行口座と紐付けようとしてくるのだから、油断も隙もあったもんじゃない。

 だが、その一方で、自分がトレカの1枚のように管理されることへの(コレクター的)憧れもある。我ながら変な感情だ。まったくもって番号は謎である。