04 店名決定と業務用本棚とナニワのオッチャン弁護士

2012年6月マ日

 古物商の許可申請をするため、神田警察署の生活安全課防犯課に行く。目についた職員(という言い方でいいのかな?)に声をかけ、要件を告げると個室に通された。少しすると担当の者が来て、申請書類の書き方ををひとつひとつ丁寧に教えてくれる。

 何も悪いことをしていないのだから緊張する必要はないのだが、それでも警察署の中にいて、なおかつ警察官からこんなに親切にされると、背筋がムズムズする。

 お店では何を扱われるんですか? と訊かれたので「おもに古本とレコードですかね」と答える。申請書にそう記入したものしか扱っちゃいけないのかと思ったが、そうではないらしい。ならば、いずれは古着とか吊るしてみるのもおもしろいかもしれない。

 記入項目を見ていくと、店名を書く欄があった。そうか、この段階で決めなければならないのか。候補はふたつ考えてあるが、ここに来た時点ではまだ決定していなかった。

 ひとつは「本古堂」。こう書いて「ポンコ堂」と読む。話すと長くなるのだが、かつてmixiでは自分のアカウントを「野球カード男」としていた。しかし、カード集めの趣味をやめたときに、いつまでもその名前を名乗るのはおかしいと思い、アカウント名も変えることにした。かといって、別の趣味にちなんだ名前にすると、気が変わりやすいぼくはまたアカウント名を変えることになってしまうだろう。それは避けたい。ならば、いっそのこと極端にどうでもいい名前にしておこうと考え、「ポン子」にした。だから、その後に始めたTwitterでも、アカウントは@hitoqui_ponkoとしている。前半のヒトクイは、2010年に上梓した『人喰い映画祭』に由来する。

 もうひとつは「マニタ書房」だ。『人喰い映画祭』なんて本を書いたくらいだから、ぼくは人喰い生物に詳しいというのを自分のアイデンティティにしている。人喰い生物=マンイーター(maneater)、ネイティブの発音に近づければマニタとなる。それにマニタはマニアにも近い響きがあって、やはり古本屋の屋号には似つかわしいのではないか。

 それで、最終的には「マニタ書房」と書類に記入した。店の名前が決まった瞬間である。

 すべての項目を書き終えた書類を提出すると、担当官は目を通しながら「ああ、小川図書ビルですね」とつぶやいた。さすが、濤川社長は神田警察でも顔が利いてるのだ。

 最後に申請料として19,000円を支払って手続きは終わりだ。申請が通るかどうかは、40日以内に判明するという。意外に長い時間がかかるのは、その間に提出者の身辺調査をするからだ。古物商というのは他人から古物を買い取って商売をするものだから、故買屋(盗品などをそれと知りながら売買すること)と背中合わせの立場にある。そういうことをする人物かどうかを、前科の有無や身内に反社がいないかどうかを調べて判断するのだろう。そこで申請が通らなくても、申請料は返金されない。

 

2012年6月ニ日

 本というのは傷みやすい。お客さんは本を大切に扱うことに慣れている人ばかりじゃないから、古本屋をやる以上、ある程度のことは覚悟しておかなければならない。

 とはいえ、よほど乱暴な扱いをしない限り、新品に近い状態の本は、そう簡単には傷まない。だけど、最初から表紙などに破れがある本というのは、ちょっとおかしな持ち方をするだけで、破れが広がってしまうことがある。

 そもそも破れがあるような本は仕入れなければいいのだが、どうしても自分の店の本棚に並べたいような珍本と出会ってしまうこともある。そんなときには、多少の傷みがあっても買うことはある。

 そうやって仕入れた本を、それ以上の破損から守るためにはカバーを掛けるのがよい。実際、半透明な紙(あれをパラフィン紙と呼ぶ人も多いが、正確にはグラシン紙という)でカバーを掛けている古本屋は少なくない。

 ただ、ぼくはあれがあんまり好きではない。なぜなら、グラシン紙でカバーされていると、多少傷んだ本でもそれなりに見えてしまうからだ。いちど、裸族に関する古めの本を買って、家でグラシン紙を剥がしてみたら、中の表紙がかなり傷んでいたことがある。ちゃんと調べてから買えばいいのだが、かといって店頭でグラシン紙を剥がすわけにもいかない。

 それを嫌ってか、透明ビニールでカバーを掛けているところもある。ぼくが店をやるなら、そちらの方法を真似したい。

 ……と、安易に考えていたのだけど、いざ、ビニールカバーを探してみたら、これがなかなか見つからない。市販のビニール製ブックカバーを買ってみたが、サイズの合わない本も多いし、それぞれのサイズに合うものを買っていたらコスト的に高くつくので現実的じゃない。まあ、開業はまだ先なので、この件はゆっくり考えていくとしよう。

 

2012年6月タ日

 Kさんが提供してくれた業務用本棚を、いよいよ組み立てる。

 ぼくが借りた物件の床にはパンチカーペットが敷いてあるので、本棚を直置きしたら嫌な形の跡が付くだろう。いつか退居するときに余計な修繕費を請求されるのも嫌なので、なるべく跡が付きにくいようにしたい。そこで、ホームセンターで本棚の底面と同サイズの板をカットしてもらって、本棚を設置する壁際に敷き詰めた。その上に、本棚をどんどん立てていく。組み立ては簡単だ。最後に、本棚の天辺に耐震用の粘着ヒンジを貼り付ければ完成。

壁面本棚は子供の頃からの憧れ。いくつになっても興奮する。

 鉄筋のビルなんだから天井まで届く本棚にしたいところだが、そういうものが手に入らなかったのだから仕方がない。いずれ、本棚の上にも「新入荷!』とか「注目の本!」といった感じで目玉商品を並べるようにすればいいだろう。

 各棚の高さは、とりあえず店の在庫的にもっとも多くなるであろう四六判が入る高さに組んでおいたが、これは本をどのように並べるかにも影響するので、臨機応変に変えていけばいい。

 さて、ここまでできたら、次は汚れた本を清掃し、値付けをして、取り扱いジャンルを考え、分類の仕切り板を作り、ジャンルごとに並べるという作業が待っている。およそ40年間、ずっと趣味でやってきたようなことが仕事になるのだ。これは夢じゃなかろうか。

 

2012年6月シ日

 古本屋になることを決意した瞬間に、「古本を買う」という行為が趣味から仕事へと変化した。これには予想以上の興奮を感じている。興奮に火がついて止まらなくなり、気がつけばブックオフ巡りのために大阪まで来ていた。

 衝動的に来てしまったような書き方をしたが、本当は綿密な計画を立てている。ぼくは旅に出る場合、訪問したい古本屋と中古盤屋を調べ上げ、食べておきたいご当地ラーメンの営業時間もすべて調べ上げ、乗換案内アプリを駆使して電車の乗り換えルートまでがっちり組み上げるのだ。

 大阪では梅田を出発点に、ブックオフ天王寺駅前店で9冊購入、ブックオフ大阪難波中店で5冊購入、ブックオフなんば駅南口店で2冊購入、弁天町ORC200で開催されている古本祭りで14冊購入、ブックオフ大阪弁天町店で3冊購入したのちに、ホテルにチェックイン。翌日も似たような感じでブックオフを巡りに巡って、二日間の合計は69冊。すげえ買ってるな。これを持って帰るのは無理なので、宅配便で神保町の店へ送ってしまう。

 

 大阪に坂和章平という人物がいる。通称「ナニワのオッチャン弁護士」。本業である弁護士の傍ら、趣味の映画を見ては、その感想をコツコツとブログに書き綴っている。弁護士としてはたいへんなキャリアをお持ちで、それに関する著作もたくさんあり、そっち方面では十分に成功を収めたと言ってよいだろう

 ところが、映画評論家になりたいという夢が忘れられず、書き貯めた映画の感想を『SHOW-HEY シネマルーム1 ~二足のわらじをはきたくて~』というたいそう正直なタイトルで出版してしまった。出版といっても自費出版なんだけど。

 ぼくみたいに全国各地のブックオフを巡っていると、日本の出版文化のいろいろな面が見えてくる。そのうちのひとつが“自費出版の本は薄い”ということだ。そりゃそうだよね。プロだって原稿を書くのは面倒で嫌なもんだ。編集者に尻を叩かれなければ、いつまでたっても書きゃしない。出来ることなら、予定枚数の半分くらい書いたところで本にしたいぐらいだ。だから、担当編集者もついておらず、一刻も早く“自分の著書”を手にする喜びを味わいたいアマチュア著者の自費出版物は、どうしたって薄くなる。

 ……というようなことが、ブックオフ巡りをしていればアリアリとわかってしまう。なぜなら自費出版で有名な文芸社新風舎、日本図書刊行会といった版元の本は、軒並み薄いからだ。

 しかし、坂和章平先生に限ってはこの法則が当てはまらない。たしかに、最初に私家版として上梓した『SHOW-HEY シネマルーム1 ~二足のわらじをはきたくて~』こそ厚さ5ミリ程度のものだったが、先生は映画に対する情熱がハンパないので、1冊本にしたくらいではその情熱が収まらない。書いても書いても書き足りない。本業だって激務であるはずなのに、ヘタなライターよりも執筆活動に力を注いでしまう。そうして書き上げた映画レビューをまとめた続刊は、とても自費出版とは思えない厚さの本なのだ。

 そして、さらに恐ろしいことには、これが2冊や3冊の話ではないということだ。普通、アマチュアの場合は「生涯に1冊でも本を出せれば……」という人生の記念碑的なニュアンスで本を作るので、1冊出したところでだいたい満足する。ところが、坂和先生はまったく飽きることがない。第2巻以降は、書名を『ナニワのオッチャン弁護士、映画を斬る!』という威勢のいいタイトルに改題し、いまも刊行され続けている。これらの「SHOW-HEY シネマルーム」シリーズは、2021年12月の時点ですでに49冊も刊行されているのだ!

集めたら楽しそうな気がするが、本がデカいので絶対邪魔になる。

 これを都内のブックオフで見かけることはあまりないが、オッチャンの地元である大阪では、どこのブックオフにもある。この背表紙を見ると、ぼくは「ああ、大阪へ来たんだなあ~」と実感するのだった。

03 古本ゲリラと古物商許可申請と小野悦男事件

2012年5月マ日

 先月末、「古本ゲリラ」というイベントをやった。簡単にいえばひと箱古本市だ。古書店主ではない一般の人たちが、不要になった古本を持ち寄り、路上にビニールシートなどを敷いて売る。すなわち古本のフリーマーケット。最初に誰が企画したのかはわからないが、いまは編集者でありライターでもある南陀楼綾繁さんが各地で一箱古本市をプロデュースしており、ミスターひと箱古本市とも呼ばれていたりする。

 一般的なひと箱古本市と「古本ゲリラ」の違いは、出展者を業界人に限定していることだ。業界人というのも雑な表現だが、主催者であるぼくの友人知人のライター、作家、漫画家、デザイナー、ミュージシャンといった人たちに限定して声をかけ、彼らの蔵書を売りに出してもらう。当然、そこに並ぶ本はかなり特殊なものが多くなる。お客さんは、商品の希少性に惹かれて来る人もいるだろうし、あるいはその出店者のファンが蔵書を求めて来る場合もあるだろう。

 最初に「古本ゲリラ」のことを発案したときは、まだ自分で古本屋の実店舗を開業しようなどとは思っていなかった。ただ、昔から古本と古本屋が好きで、自分でも古本屋的なことをしてみたいという気持ちが強かった。それで、フリーマーケット形式で古本屋ごっこをすることを思いついた。

 最初に声をかけたのは、ぼくと一緒に「せんべろ古本トリオ」として活動している安田理央(アダルトメディア研究家)と柳下毅一郎特殊翻訳家、映画評論家)の二人。準備段階のときは「サブカル古本市」なんて身も蓋もない名称を付けていたけれど、さすがにそれじゃあんまりなので、3人でネーミング会議という名の飲み会をやった。ひとしきり案が出たあとに柳下さんが「古本ゲリラはどう?」と言って、それに即決した。

 出店メンバーは先の二人の他に、大森望掟ポルシェ小野島大加藤賢崇喜国雅彦渋谷直角常盤響豊崎由美(他にもたくさんいるが書ききれない。省略された皆さんごめん)といった人たちが参加してくれた。我が人選ながら錚々たるメンバーだったと思う。

第1回古本ゲリラの会場前に出したホワイトボードに、イベントタイトルとイラストを描いてくれている喜国さん。

 印象的だったのは豊崎由美さんの売り方だ。自分の売り物(読み終えた小説)のことをきちんと理解して、その商品がいかにいいものであるか、読みどころはどこなのかを積極的にアピールする。そのおかげで完売一番乗りをしていた。誰かが「ラジオを聴いてるようだ」と言っていたけど、本当にその通り。古本界のバナナの叩き売り

 古本ゲリラにおいて、主催者の自分は古本を漁る場というよりも、仲のいい友達や、久しぶりの友達に会えるという側面が大きかった。で、このときに実感したのが「古本を売ったり買ったりするのはやっぱり楽しいなあ」ということだった。この体験が、自分で古本屋を開業するという厄介な行動の背中をぐんと押してくれたのは言うまでもない。

 

2012年5月ニ日

 神保町・小川図書ビルの契約を済ませ、仲介不動産屋からビルの鍵を受け取る。いよいよこの物件が自分のものになったのだ(借りただけですが)。

 ビルの2階に入居しているアイドル写真集専門古書店「ファンタジー」のHさんにご挨拶。すると、驚いたことに彼はぼくの住まいがある駅と同じところに住んでいるという。そんなことがあるのか。ぼくは赤瀬川原平さんの影響で自分が遭遇した偶然な出来事はすべて「偶然日記」に記録しているので、早速このことも書き込んだ。

 その後、不動産屋の案内でビルのオーナーのところまで挨拶に行く。靖国通りの九段下寄りにある、洋書専門店「小川図書」の店主、濤川(なみかわ)社長だ。

 この濤川さん、名刺をいただいたら神田古書店連盟の会長でもあって、ようするに神保町の顔役なのだ。副業気分で古本屋に手を出した自分が、いきなり凄い人の店子になってしまい、ビビるしかないのだった。

 しかし、古本屋としてどうこうする以前に、まずは空っぽの事務所に机を入れて原稿仕事ができるようにするのが先決だ。店舗を構築していくのはそのあとの作業。開業目標は、年内の予定である。

 

2012年5月タ日

 店のために借りた部屋をどのようにレイアウトするかを考えるため、空いた時間を使って採寸に行く。売り物である本の搬入を兼ねて、家にある本の山をクルマに積む。家から神保町までは、道が空いていれば1時間ほどで着く。

 店の側にあるコインパーキングをアテにしていたのだが、あいにく満車だった。周辺をウロウロして空いているパーキングを探すが、なかなか見つからない。神保町にはパーキングがたくさんあるが、そのぶん利用者も多いのだ。

 白山通りのかなり水道橋寄りのところにやっと空いているのを見つけた。積んできた本の段ボールを持って歩くにはちと遠いが仕方ない。二往復して搬入は完了。

 そのあと、持ってきた巻尺で部屋のあらゆるところを測る。だいたいの部屋の形を俯瞰図にして、そこへ測った寸法を記入していく。図面なんかフリーハンドでいい。数字さえ正確なら問題はない。この辺のさじ加減は、元製図屋なのでお手の物である。壁面の寸法がわかれば、本棚を何台入れられるかの概算が立つ。

製図をやっていたおかげでこういう作業は屁の河童(妹尾河童とかけてある)なのだ。

 すべて終わって何もない床の中央に大の字に寝っ転がる。誰しもやったことあるでしょう?「今日からここがオレの城かぁ」ってやつ。

 気がついたら床で2時間くらい寝てた。いけねえ、いけねえ。あわてて車に戻ったら、駐車料金は2500円を超えていた。都心の駐車料金おそるべし! 次回からの搬入作業は、終わり次第とっとと引き上げるようにしなければ。

 

2012年5月シ日

 ネットで古物商の許可申請に必要な書類を調べる。あまりにたくさんの書類が必要で、事務作業が苦手な自分は頭がクラクラする。

 松戸市役所の市民課へ行き、「住民票(300円)」と「戸籍の身分証明書(300円)」を入手する。

 続いて、市役所の少し先にある法務局松戸支局へ「登記されていないことの証明」という哲学的な名前の書類をもらいにいくが、この支局では発行していないと言われる。申請用の書類だけもらって、記入したものは千葉市の法務局か、東京都の法務局」へ提出しなければならないのだという。同じ千葉県でも松戸市千葉市は遠いんだよね。でも、 東京都の法務局は九段下にあるというからラッキーだ。明日も神保町に行くつもりなので、そのついでに九段下の法務局へ行こう。

 

2012年5月ヨ日

 いざ、店をやるということになって、本棚の問題が急浮上してきた。借りた物件は白山通り側が一面の窓になっていて、そんなに広い面から直射日光が入ってきたら本が日焼けしてしまう。これを防ぐためには、この窓を潰す必要がある。いちばんいいのは、よく書店などが使っている背板付きの巨大な本棚を導入することだ。しかし、これがどこにも売っていないのだ。ネットで検索すれば、すぐに業者向けのサイトが見つかると思ったのだけど、どうにもうまくヒットしない。

 というようなことをツイッターでつぶやいていたら、フォロワーのKさんという方が連絡をくれた。曰く、「いまは実店舗を閉めて通販だけだが、以前は古書店をやっていた。そのときの本棚が余っているので、中古でもよければもらってくれないか」というのだ。これはありがたい。

 詳しく聞いてみると「背板はない」ということなので窓際対策には使えないが、ならば横の壁一面に設置するつもりだった本棚として使えばいいだろう。これだけでも、本棚導入の予算を半分に節約できる。

 Kさんの事務所は神保町からクルマで30分もかからない場所なので、さっそく見に行ってみた。縦板、天板、底部、棚板がすべて分解できるタイプなので、これならぼくのクルマ(常用の小型車)でも積むことができる。ただし、量が多いので1回では無理だ。後日、何度かに分けて運び込むことにしよう。

 他に、商品の陳列用とは別に、一般的なスチール製の本棚をネットで2台注文した。これは作業机(店主=ぼくの定位置)の背後に置いて、自分の蔵書や資料を並べておくためのものだ。

 ただし、こちらも分解できるタイプのスチール棚で、やはり背板はない。そしてこれを置く側の壁には小さいながらも窓がある。ということは、その窓から入ってきた日光が本棚に並べた本の小口側を日焼けさせてしまう。これは困る。窓にカーテンをかけることも考えたが、市販のカーテンでは紫外線を100パーセント防ぐことはできないだろう。どうしたもんかなあと考えて、いいことを思いついた。厚手の黒い紙を買ってきて、本棚の背に貼ってしまうのだ。何も背“板”でなくても、紙でかまわないのだ。これならずっと安上がりで済む。

ぼくは昔からこのスチール製の本棚を愛用し続けている。

2012年5月ボ日

 ニトリで購入しておいた作業机が届く。机というか幅1200ミリ×奥行き600ミリの単なるテーブルだが、それでいいのだ。これを2台横並びに配置する。右側のテーブルは古書店用のスペースとして、開業時に導入するつもりのレジスターなどを置く。左側はライターとみさわ昭仁の仕事スペースなので、パソコンや書類入れなどを置こう。これを機にデスクトップパソコン(iMac)を新調するつもりでいるが、とりあえずは外で仕事する用のMacBookを置いておけば、今後、立ち寄ったついでに仕事もできていい。

 食事ついでに合羽橋まで行ってみた。店の入り口に敷く足拭きマットを探しに来たのだが、全然ない。なぜだろうと不思議に思ったが、そうか、ああいうものは定期的にクリーニングする必要があるから、レンタルなのかもしれない。でもなー、レンタルするほど来客あるわけじゃないしなあー。

 と、ぶつくさ言いながら歩いていたら、普通に売っていた。

 神保町に戻ってきて某古書店の前を通りかかったら、店頭ワゴンに「雨の日特価でどれでも200円」との張り紙が。なんとなくピンと来たので覗いてみたところ、小野悦男の『でっちあげ』が並んでいるではないか!

 小野悦男は、首都圏連続女性殺人事件の犯人として1974年に逮捕され、一審で無期懲役の判決が下されるも、警察のでっちあげだと冤罪を主張。最終的に、捜査機関による自白の強要が問題となって17年後の二審で無罪となって釈放された。つまり冤罪事件のヒーローだ。この本は拘置所への収監中に出版されたもので、小野さんを支援する人々の証言を読んでいると「こんな心優しい人が連続殺人なんてするわけがないよなあ」という気持ちが湧いてくる。

 ところが、釈放から5年後に小野は別件の殺人事件で逮捕され、そちらは動かぬ証拠を突きつけられて無期懲役が確定。結局、人殺しなんじゃねえかよ! と、これまで冤罪運動に尽力してくれた皆さんの期待を盛大に裏切ってくれたのだ。それを知ってから読むと、なんとも言えない気持ちになる珍書なのだ。古書価はだいたい4000~5000円くらいはする。そんないい本が200円。しかも新品同様だった!

 犯罪本のコーナーは作るつもりだから、開店したらそこの目玉商品にしよう。

02 古本酒場とコピー機の悪夢とまさかの神保町

2012年4月マ日

 住居のためのアパートを借りるのとは違って、店舗用の物件は敷金・礼金がすげえ高いというイメージがある。神保町のあのメインストリートにある古本屋なんて、いったい家賃いくらなんだろう。月100万とか、200万とかするのかな。

 ぼくが店舗を借りるとして、家賃はいくらまでなら出せるだろうか。100万? 全然無理。100万の家賃を払ってもやっていけるようなビジネスモデルは、ぼくの中にはまったくない。せいぜい10万以内がいいところ。家賃と管理費込みで月に10万。その枠組みの中で、趣味の古本を売りさばいて月に20万円くらいの売り上げがあれば、なんとか店は維持していけるのではないか。自分の生活はライター業の稼ぎで賄う。これなら生きていけそうだ。

 ハナっから儲けることを諦めた事業計画だが、ぼくにできるのはその程度のことだ。家賃10万、可能ならなるべくそれより安いところを求めて、ぼくの物件探しは始まった。

 最初に内見に行ったのは、西日暮里の駅から徒歩5分ほどのところにある路面店だった。そこは家賃9万円で、駅近なのにずいぶん安いなと思ったら、内装を全部剥がしてあって、壁の骨組みとかムキ出し。ドアも電灯もシンクも全部取り外され、便器さえも無いところだった。これじゃ、いくら家賃と管理費が安くても、店として使うための内装工事で200万くらいかかってしまうだろう。それじゃダメだ。

 次に見たのは、千駄木の物件。ここは木造二階建ての建物で、上も下も使用可能で10万円。1階を店舗にして、2階を自分の仕事場にすることができるのはちょっといいなと思ったのだけど、木造というのが引っかかった。1階はともかく、2階にだって本をたくさん搬入することになるはずので、強度が心配なのだ。それに、内見したらトイレが和式だった。ぼくは和式トイレが本当に苦手なので、ここも却下となった。

 

2012年4月ニ日

 ネットでいろいろな物件を見ていたら、町屋によさそうなのを見つけた。駅からも近く、飲食店が集まるビルの地下1階。つまり、そこも飲食店用の物件なのだ。

 実は密かに、自分の店は古本酒場にするのがいいんじゃないか、と思っていた。当時、ぼくはもつ焼きにハマっていたので、それと古本を組み合わせたらおもしろいかもしれないと思ったのだ。高円寺に古本酒場「コクテイル」という店もある。

「ジュースとか甘酒とか並べてね」

「ついでに石も置いて多角経営してみようと思う」

 これは、つげ義春無能の人』の中で、主人公の助川助三がつぶやく台詞である。古本屋をやろうと決めたときから、ぼくの頭の中には何度となくこのセリフが浮遊していた。古本だけでは魅力に乏しい。ならばお酒も置いてみよう。つまみはどうしようかな。さすがにもつ焼きなんかやったら本が煙臭くなってしまう。うま~い煮込みだけならいいんじゃないか。看板には「煮込みと古本の店」と書く。ホッピーかチュウハイを飲りながら背後の本棚にある本を手にとってパラパラとめくり、気に入ったら買って帰ることもできる。うん、これは最高かもしれない。

 飲食店で修行などしたこともないくせに、そんなことを夢見ていた。まあ、夢を見るだけならいいだろうと、さっそく不動産屋に連絡を取り、町屋の物件を見に行った。

 だが、実際に内見してみると、こりゃ無理だと悟った。見に行ったのは明るい時間だから周囲の店はシャッターが降りていたが、見事に全部酒場。そのうち2軒ほどはカラオケありのスナックだった。つまり騒音問題だ。自分の店も酒場営業しているときはいいが、例えば店を閉めて原稿を書かなければいけないこともあるだろう。そんなときでも遠慮なく聞こえてくるカラオケの歌声……。気が散りやすい性格のぼくは、そんな環境ではとても原稿に集中できない。

 早々にぼくは古本酒場構想を諦めた。

 

2012年4月タ日

 物件選びの重要な条件として、ぼくは「近所にコンビニがあること」というのを決めていた。これは以前フリーライターの友達と三人で事務所を運営していたときの苦い経験に基づいている。

 いまでこそコピー機やファックスは安く買えるようになったが、1980年台半ばはまだまだ高価で、リース契約するのが一般的だった。ぼくらも事務所を開設するにあたって、大型のコピー機とファックスをリースした。コピー機が月額15,000円、ファックスが7,000円。これらは三人でお金を出し合って払うのだが、リース契約の名義は三人のうち年長だったぼくが引き受けた。これが、後々になってぼくの経済を苦しめることになる。

 三年後、それぞれが独立して仕事をするようになり事務所は解散したのだが、そのときコピー機とファックスは名義人であるぼくが引き取り、一人でお金を払い続けた。これがかなりの負担となった。毎月毎月少ない稼ぎの中から22,000円は悪夢のようだった。もう二度と自分でコピー機なんか所有するもんかと思った。

 電子メールが登場したことで、もはやファックスを使うことはなくなった。その代わり、パソコンで仕事をするようになるとプリンターが必要になる。でも、ぼくはあのプリンター業界のインクカートリッジで儲けるやり方が気にくわないので、プリンターを買うつもりもない。そこでコンビニの登場だ。

 いまの大手コンビニはコピーとプリンターが一体化した総合機が置いてある。だから、そうしたコンビニのすぐそばに自分の店(兼事務所)を構えればいいのだ。都内であればどこの町にもコンビニはあるので、この条件はそう難しいことじゃない。

 

2012年4月シ日

 世話になっている不動産屋のYさんから「水道橋にいい物件が出ました」という連絡が入った。見に行ってみると、駅から3分ほどの人通りが多い場所で、やや古いビルの4階だった。3階にはプロレスグッズの店が入居しており、マニアショップが入っているビルで古本屋をやるというのは悪くない。

 家賃は9万。部屋の広さもそれなりにあって、瞬間的に「ここだ!」と思ったのだが、問題はエレベーターがないことだ。しかも、よく見てみるとエアコンが付いていない。つまり、ここを借りた場合、自費で業務用サイズのエアコンを設置しなければならないのだ。これは悩ましいところである。

 そして決定的に「ここは無理」と感じたのは、やはりトイレが和式だったことだ。エレベーターがないことよりも、エアコン代の負担よりも、和式トイレが引き金となって、この物件も諦めざるをえなかった。

 ビルの外へ出ると、Yさんが「もう一軒あるんですけど見ます?」と言う。場所は神保町。まさか! 神保町で古本屋がやれる……? でも、どうせ古本街からは離れた裏通りなんだろうなあ。

 あまり期待しないでいると、それは神保町の交差点から白山通りを北へ30メートルほど歩いたところにある小川図書ビルの4階だった。えっ、一等地じゃん!

 このビルにもエレベータは付いていないが、実際に4階まで上がってみると、不思議と辛さを感じなかった。何度か昇り降りしてみて、その秘密がわかった。それは、このビルの階段が変則的な形をしているからだ。

 たとえば、同じ形状の階段を4階まで延々と登らされると、その変化の無さがそのまま疲労となってのしかかる。しかし、このビルの階段は1階から3階の手前までは真っ直ぐの階段で、そこから螺旋状に構造を変える。そのおかげで、4階まで上がってきたのにまだ3階までしか上がっていないような錯覚を覚えるのだ。

 また、2階には「ファンタジー」という名のアイドル写真集を専門に扱う古本屋が入居している。これも嬉しい偶然だ。ひとつのビルに古本屋が2軒あったら、お客さんにとっても好都合だろう。

 そして、いちばん嬉しかったのはトイレどころか、ユニットバスが付いていたことだ。聞けば、元はオーナーのお嬢さんが住居として住んでいたときに付けたものらしい。もちろんエアコンもある。店舗にするには若干狭いが、そもそも古本を大量に売りさばくビジネスモデルを想定してはいないので、十分な広さに感じられた。

 気になる賃料は、家賃と管理費を併せて10万円弱。もうここに決めるしかない。

 

2012年4月ヨ日

 最高の物件が見つかったので、賃貸申込書を提出しなければならない。神田にある不動産屋へ行き、小川図書ビルの賃貸申し込み用紙を記入する。

 ついでに、担当者が保証金の値下げ交渉をしてくれるという。ぼくは買い物をするときに値切るのは好きじゃないのだが、向こうが勝手にやってくれるなら大歓迎だ。保証金は家賃8ヶ月となっているところを6ヶ月にできないか、オーナーに持ちかけてくれるそうだ。なるといいね。

 さて、結果は週明けに!

 

2012年4月ボ日

 オーナーから賃貸OKの許可が出た。もうあとには引けないぞ。心が引き締まる。

 これまで書店、古書店で働いた経験はない。アルバイトではイトーヨーカ堂のインテリア売り場、塗装屋、ケンタッキーフライドチキンマツモトキヨシ、小料理屋と、いろいろな業種でバイトをしてきたが、仕入れをして接客して帳簿をつけて棚卸しをするというような、商人の基礎はまるでわかっていない。そんな自分に古本屋などつと(務)まるのだろうか?

 いや、つと(勤)めるのではないからいいのだ。自分が思うような店を作り、自分が思うように仕事をすればいい。誰も怒る上司はいない。ぼくがこの店のオーナーなのだ。

 正直いって不安感がないわけではないが、それ以上に新しい何かの始まりに、ぼくはワクワクしていた。

01 実店舗へのこだわりと値付け方法と蟲文庫

2012年3月マ日

 正確な日付までは覚えていないが、3月のある日、唐突に古本屋を開業することを思いついた。昔から古本屋が好きだったぼくが、自ら、古本屋に、なるのだ。

 最初に古本屋という場所に足を踏み入れたのは、いつ、どこの、何という店だっただろう。さすがに覚えてはいないが、ひとたびその魅力を知ってからは、神保町を皮切りにあらゆるところへ行った。

 古本(というか古本屋)が好きな人間は、だいたい一度は古本屋になることを夢見る。ぼくも例外ではない。だが、実際になってしまう人はほとんどいない。客として訪れるのが楽しいからといって、そこで働くことまで楽しいとは限らないからだ。それに、古本屋稼業は重労働であることも、古本マニアなら知っている。そのくせ賃金は安い。もっと言えば、昭和の時代ならいざ知らず、いまや古本屋なんて社会から消滅しつつある業界だ。明るい未来なんて見えそうにない。

 ぼくは長いことゲーム業界で働いてきた。こちらは古本屋とは正反対で、常に未来を見据えていく業界だった。幸いなことに、ぼくは『ポケットモンスター』シリーズという、数多あるゲームコンテンツの中でも特大級のヒット作に関わることができた。自分の人生の意味のうち、半分くらいはそれで成し遂げたような気がしている。

 そんなぼくも、もう50歳(当時)だ。そろそろ人生でやり残したことをやってもいいんじゃないのか。昨年、妻と死別した。少額ながらも保険金が下り、手元に多少の資金はある。

 蕎麦打ちでも始めてみる?

 いや、ぼくは江戸っ子だけど蕎麦ッ食いじゃない。

 ゴルフはどう?

 スポーツ全般ぜーんぜん興味ないね。

 世界一周クルーズの旅とかは?

 妻と一緒だったらいいんだけどねえ……。

 というわけで、若い頃にちょっと夢見た古本屋を開業するというのが、自然な選択肢として浮上してきた。

 古本屋をやるには、店舗を借りなければならない。いまはネット通販をメインにしたオンライン古書店という方法もあるが、それは最初から選択肢になかった。やるからには実店舗を構える。店の棚に、ぼくが自分の審美眼でセレクトした本だけを並べ、それを直接お客様に見ていただいて、対面販売する。それがぼくにとっての古本屋だ。

 

2012年3月ニ日

 鬼子母神通りの「みちくさ市」へ遊びに行った。ここで一箱古本市をやっているのだ。一箱古本市というのは、業者による古本市とは違って、一般の参加者が自分の読み終えた古本を箱に詰め、各自で適当に値段を付けて即売する古本のフリーマーケットのようなものだ。だから、意外にいい本が格安で並んでいたりして、掘り出し物と出会えることがあるのが魅力だ。

 これまでも、デパートの古本市や、こうした一箱古本市に顔を出したりはしてきたが、いざ自分で古本屋を開業することを決めると、ちょっと見る目が変わる。

 たとえば並べ方。

 畳一帖くらいの敷物を地べたの上にひろげ、その上に無造作に本を並べている人。まさしくフリーマーケット感覚だ。あるいは、旅行用のスーツケースに本を詰めてきて、それをパカっと全オープンにしている人もいる。ごろごろ引っ張ってきて、開けるだけでそのまま店になる。なるほどなあ。

 小さめの折りたたみテーブルを組み立て、その上に本を並べるスタイルはとてもスマートだ。お客さんも屈まずに本が選べるので、腰に優しい。ただ、ご近所さんか車で来れる人じゃなければテーブルを持ち込むのは難しい。

 売り物の本は、数が少なければ表紙が見えるように並べればいいけれど、数が多くあるなら並べ方にも工夫がいる。瓦屋根のように半分ずつ重ねて並べるか、あるいはブックエンドを持ってきて立てて並べるか。プラケースや木箱に入れて並べている人もいるが、これは業者の古本市でもよく見かけるやり方だ。

 値段の付け方はどうだろう。栞サイズの紙に値段を書いて本の中ほどに挟み込むスタイル。本の最終ページに鉛筆で値段を書き込むスタイル。バイト先のものを借りたのか、ラベラーで値段シールを打ち出して貼り付けている人もいる。まあいちばん手っ取り早いのは鉛筆書きだから、ぼくが自分で店をやるときはその方法をとることになるだろう。

 どこに店を出すかはまだ決めていないが、この一箱古本市を見終えたら、帰りに根津~西日暮里の不動産屋で店舗用物件でも探してみようか。あのあたりの、いわゆる谷根千エリアにはいま古本屋が多く存在するからそのグループに混ぜてもらうのもいいし、千代田線の乗り換えなしで家にも帰れる。いいことづくめじゃないか。

 

2012年3月タ日

ブックオフ池袋サンシャイン60通り店」へ行き、大量に仕入れ(セドリ)をする。いままでは、古本屋やブックオフに行っても買うのは自分が読みたい本だけだったけれど、もういまは完全に仕入れ目線で本を見ている。もちろん「自分好みの本だけを置く」というのがぼくの店の基本コンセプトだから、自分が読みたい本、という部分から大きく外れはしないんだが、それだけじゃない要素もある。お客さんはみんながみんな濃いマニアとは限らないので、そこそこの本も置いておかなければならない。濃い本ばかりだと疲れてしまうでしょう? 緩めの本もそれなりにあって、その中に『私の父は食人種』みたいな狂った本が混じっているから、店の個性が光を放つのだ。

 ブッックオフにこうした人喰い人種系の本が並んでいることはまずないが、それを引き立てるようなやや緩めの変な本ならたくさんある。それがどういうものかはうまく言えないし、仮に言語化できたとしてもそれは企業秘密である。

 池袋から根津へ出て「Booksアイ根津店」を訪問。町によくある漫画や雑貨に力を入れた店で、ぼくにはあまり用のない感じの品揃えだった(※2015年に閉店)。

 このあと仕事の打ち合わせが一件あるので、千代田線に乗って下北沢へ。約束より少し早めに着いたので「ほん吉」さんを訪問。ここは品揃えのいい店で、値付けもそれなりだからセドリには向かないが、来るたびに勉強になる。店頭に本棚が出してあり、そこにもうじゃーっと本が詰まってるのは本当にいいビジュアルで真似してみたいが、こういう物件を借りられるかどうかはわからない。路面店なんて家賃高いんだろうなあ。本腰入れて古本屋をやるならこれもありだが、ぼくはフリーライターと兼業でやろうとしてるので、あまり古本の売上げを重視した経営はできそうにない。

 打ち合わせは次に出す本のことで、担当は酒友でもあるモギさん。なので打ち合わせは会社の会議室とかではなく、酒場で、飲みながら。

 

2012年3月シ日

 一箱古本市では、みんな適当に値付けをしていた。そりゃそうだ。自分が読み終えた本を手放すことが目的の人が大半なので、儲けなんか度外視してる。なんならタダでもいいから持って行ってくれ、という気分の人もいるだろう。たいていの人は定価の半額。あるいは100円均一。レジがあるわけでもないし、こうした一箱古本市では釣り銭の手間を考えたら500円均一、100円均一というのが適しているのだろう。

 自分が店をやるとしたら、その辺も考慮したい。さすがにレジは置くと思うが、とにかく数字が苦手なので、値付けはすべて100円単位にしておきたい。10円以下は切り捨て。消費税も計算がめんどくさいので取るつもりはない。だって古本屋の値付けなんて店主の懐ひとつで決まるんだから、消費税なんて面倒なものを取るくらいなら、最初から「込み」で値付けをすればいい。

 ぼくの店でもっとも多い商品の価格帯は600円~800円ってところかな。珍本、変な本をメインに置くといっても、レア本という意味ではないのだ。古書的な価値はないけれど、そこらの本屋ではあんまり見かけない本。何でもない本にとみさわが意味付けすることによって急に変な本に思えてくるもの。そういう本を並べたい。

 これは誰かに習ったわけではなくて、何となく感覚的に考えた方法だけど、ぼくは「三分の一理論」で仕入れをし、値付けをする。どういうことかというと、例えばぼくの店のラインナップにぜひとも加えたい本を、ある古本屋で見つけたとする。もしそれを仕入れたら、うちの店ではいくらなら売れるだろうか? 400円? いや600円でも売れるかも。ならば、その3分の1の価格なら仕入れとして買ってもいい。で、売値をチラッと見ると200円。よし、買い! ということだ。

 なかなか普通の古本屋では200円の本でぼくが欲しいものはないのだけど、それが頻繁に起こるのがブックオフだ。あそこの105円コーナー(この当時はまだ消費税は5%でした)のおかげで、ぼくの古本屋計画は実行可能になったと言ってもいい。

 

2012年3月ヨ日

 エキサイトレビューに、倉敷で「蟲文庫」という古本屋を営む田中美穂さんの著書『わたしの小さな古本屋』の書評を書いた。ぼくは古本屋さんが書いた本というのも大好物で、これもその一環で読んだ本だ。

 田中さんは若干21歳のときに突然、古本屋を開業した。それまでどこの古本屋でも修行したことがなく、なけなしの貯金100万円を資金にしてのスタートだ。不動産屋をまわり、格安の物件を見つけ、古物商の資格をとり、本棚を自作して、開業にこぎつけた。古書組合に加入するほどの予算は残っていなかったので、店頭には自分の蔵書を並べ、仕入れはお客様からの買取りをメインにする。この状況は自分が置かれている立場とも非常に似ていて、とても参考になる。

 古書組合に入れば何かと都合がいいんだろうけれど、入会金が高いみたいだし、そもそも自分がやろうとしている店のことを考えると、メリットがあまりないような気もする。ま、店を始めて儲かって儲かって仕方ない、ってなことになったら、そのときにまた考えればいいだろう。

00 少し長いまえがき

『マニタ書房閉店日記』とは、2012年の10月から2019年の4月まで、およそ7年弱の間だけ神保町に存在した「特殊古書店マニタ書房」という風変わりな古本屋の記録である。

 ぼくは2011年の10月に、かねてより闘病中だった妻に先立たれた。後に残されたのは、小学5年生の一人娘と、いくばくかの生命保険。それを開業資金として始めたのが、マニタ書房だ。

 フリーライターという本業はあったが、折からの出版不況で雑誌というものが激減し、仕事は減るばかり。妻の保険金で当分は食いつないでいくこともできるが、まだしばらくは子育てをしなければいけないし、将来的に進学するであろう娘の学費も確保しておかなければならない。それで、古本屋の開業を思いついた。

 フリーライターと古本屋。どちらの商売も「将来性が希薄」という点では大差ない気もするが、そのときに自分にできること、自分がやりたいことを考えたら、それしかないという結論に達した。それに、古本屋だったらフリーライターを辞めなくとも兼業できる。むしろ、たくさんの本に触れること、たくさんの本好きと出会えることは、ライターの仕事にもプラスになる点は多いだろう。

 元々、フリーライターなんて職業を選択するくらいなので、子供の頃から本は好きだった。いや、ここは誤解されそうなので、もう少し説明が必要だ。

 ぼくは「本」が好きだったのであって、「読書」が好きだったわけではない。そう、子供の頃のぼくは、あくまでも書物というアイテムが好きなのであって、あまり本を読む子ではなかった。むしろ読書は苦手で、国語の授業で読書感想文なんて宿題を出されると、絶望感に襲われたものだ。

 でも、本そのものは好きだった。書物というアイテムが好きなのだ。漫画を読むのは普通に大好きだったから、その延長に「本」がある。本がたくさん並んでいる光景が好きだった。だから、買いもしないのに本屋にはよく遊びに行っていた。漫画のコーナーはもちろんのこと、読みもしないのに小説のコーナーもうろついて、いろんな本を眺めていた。それだけでどんどん時間は経っていく。

 なぜ、それほどまでに本が好きになったのか。それには、まだ小学校へ上がるより前に見た、遠い記憶にある三つの本棚が影響している。

 一つめは、「社長の息子の本棚」。

 うちの母は洋裁をする人で、福島の女学校を卒業後に上京し、両国にあった縫製屋に就職する。そこで働くうち、近所の運送会社に勤めるトラック運転手が同郷だということで見合いをして結婚。その運送会社の社長宅に隣接している木造の平家を新居にする。

 やがてぼくが生まれるわけだが、自宅は狭いので、いつも社長宅に行って遊んでいた。社長の奥様とうちの両親は遠いながらも親戚関係で遠慮がいらなかったということもあるし、少し年は離れているけどお兄さんお姉さん(社長の子供たち)が遊んでくれるので、自分の家よりも楽しかったのだ。

 そのお兄さんたちの部屋には、壁一面の大きな本棚があった。それが最初の本棚体験だ。中にどんな本が詰まっていたのかは覚えていないが、ただ「すげー! 本がいっぱいある!」と驚いたことをよく覚えている。

 二つめは、「シライさんの本棚」。

 母が勤める縫製屋は「シライさん」と呼ばれていた。おそらく社長の名前が白井とでも言うのだろう。まだ幼稚園に行く前のぼくを、母はよくシライさんに連れて行った。高度成長期、共働きする女性従業員たちのために、職場が託児所的な役割も果たしてくれていたのだ。

 母が布地の裁断などをしている間、ぼくは別室で絵本や漫画を読んで過ごす。シライさんにはやはり大きな本棚があって、様々な本が詰まっていた。連れてこられた子供たちが退屈しないために用意されていたのだろう。これもまた、大きな本棚をありがたいものと感じるようになった初期の記憶だ。

 三つめは、「みっこんつぁの本棚」。

 みっこんつぁというのは、福島の母の実家の近くに住むおじさんで、名前をミツオ(表記は知らない)という。「おじさん」は福島の訛りで「おんつぁま」だ。つまり「ミツオおんつぁま」がさらに訛って「みっこんつぁ」となるわけだ。

 そのみっこんつぁの家に行くと、やはりものすごく大きな本棚があって、漫画がびっしり詰まっていた。おんつぁまの大学生の息子さんが集めていたものだ。どれでも自由に読んでよいと言われていたので、夏休みなど母が帰省するときはよくおんつぁまのところに連れていってもらった。本棚好きで、かつ漫画好きになったのは、ここの本棚の影響が大きい。

 中学生になったあたりから、ぼくは漫画の蒐集に手を出す。最初は『トイレット博士』が大好きで、ギャグ系のコミックスを買うくらいだったが、同級生の小島くんに借りた『ワイルド7』に衝撃を受けたのをきっかけに、望月三起也作品を本格的に集め始める。

 両国で借家住まいをしていたときは、姉と共有の勉強部屋で、狭い家の生活スペースに漫画を溜め込んでいて迷惑がられた。しかし、高校に入学するとき、父は千葉県の松戸市に二階建ての一軒家を新築する。家が一気に広くなるのだ。それはすなわち自分の部屋が持てるということでもある。

 自分だけの部屋ができ、始めのうちは既成品の本棚やカラーボックスを並べて、そこに集めた漫画を収納していたが、いつかは壁一面の本棚を作りたいと夢見るようになった。

 そして高校を卒業し、製図の専門学校に通っていたとき、ついにそれを実行する。拙著『無限の本棚』(ちくま文庫)にそのときのことを書いているので、引用する。

 

「壁面本棚が作りたい!」

 蔵書家なら誰もが夢見る、壁一面を覆いつくす本棚が、欲しくてたまらなくなってしまった。

 思い込むと止まらなくなるのがぼくの悪い癖だ。このときぼくは機械製図の専門学校に通っていたので、図面を引くことなど朝メシ前だった。巻き尺で壁面の寸法を測り、そこを埋め尽くすような本棚の設計図を作成した。上のほうには文庫を並べ、中段には漫画のコミックスを並べる。最下段にはLPレコードや写真集がぴったり収納できるようにする。最下段は奥行きも深くして、本棚の補強と転倒防止を兼ねることも忘れない。

 図面が完成したら、必要なパーツ数を割り出し、ホームセンターへ材料を買い出しにいく。木材を切り出して作るのは作業難度が高いと予想できたから、ユニット式の棚材を利用することにした。もちろん設計段階でその判断をしていたので、市販の棚材に合わせた寸法配分で棚を分割してある。材料費は、時給の高い割烹料理屋でアルバイトをすることで賄った。

 購入した材料が届いたら、さっそく組み立てる。といっても、ユニット家具なので図面通りに棚材を組み合わせて、ブリキ製のブラケットをはめ込んで釘で留めていくだけだ。完成までに二日もかからなかった。

 

 気持ちよかったねえ~、壁面本棚。壁一面を覆い尽くす本棚に自分の好きなものだけが詰まっている。それを眺めているだけで、幸せな感情で心が満たされた。自分の本棚が好き過ぎて、意味もなく本棚に登ってみたりもした。

 そうやって、しばらくは幸せな日々が続いたのだが、数年後に本棚が満杯になった頃、その重みで家が歪み始め、親父に怒鳴られて本棚は解体せざるを得なくなる。一箇所に集中して本を置くと本棚はおろか、家さえも壊れかねないので、また本を分散して収納することになった。鉄骨の入っていない木造家屋では仕方のないことだ。

 自宅では、そうやって騙し騙し本を集めていたが、その後、フリーライターになって都内に仕事場を借りた際には、スチール製の本棚を何台も導入して、壁面本棚を実現していった。仕事のために必要なのだという大義名分もあるが、本心は子供の頃に見た三つの本棚を再現したいという気持ちの方が強かった。

 さて、そんな本棚好きのぼくが、ついに古本屋を始めるのだ。壁面どころか、部屋中を本棚にしていいのだ。本棚に囲まれた生活。想像するだけで最高じゃないか。古本屋なら、本棚がいっぱいになってしまうことを気にしなくていい。売れるそばから本を補充しなければならないから、いくらでも本が買える。買った本を読むとか、そんなことを考えなくていい。買って並べて、買って並べて、買って並べて、を繰り返す生活。まさしく「無限の本棚」だ。

 そんなわけで、ぼくは2012年の3月に古本屋の開業を決意するのである。もしろん、そのときは7年後に閉店することなど考えてもいないわけで、理想の生活(老後)が手に入ることに胸踊らせる日々が始まった。そこから、家庭の事情で閉店を余儀なくされる2019年の5月までの記録を、これから「マニタ書房閉店日記」として、ゆるゆると書き連ねていくのだ──。

メルマ旬報の終刊に寄せて

 既報の通り「水道橋博士のメルマ旬報」は、2022年9月末で終刊となります。それにともない、現在ぼくが連載中の「マニタ書房閉店日記」も、前号での更新(2012年8月 第6回「暴走族本とせんべろ古本トリオと委託販売」)をもって終了となります。今後は、とりあえずこのブログ「蒐集原人 Pithecanthropus Collectus」に掲載の場を移しつつ、あらためて連載を引き受けてくれる媒体を探そうかと思います。

 ぼくが「メルマ旬報」で連載を開始したのは、2018年8月20日(Vol.147)からでした。当時、構想していた「流行歌を通じて日本の戦後史を語る」という企画を、できれば単行本の書き下ろしではなく、どこかの媒体で連載したいと思っていたところ、縁あって「メルマ旬報」にその場を設けてもらうことができました。

 おかげさまで19回にわたる連載を経て、2019年に『レコード越しの戦後史』(P-VINE)として書籍化されました。その後も、自身のゲーム遍歴を綴った「1978~2008 ☆ ぼくのゲーム30年史」を連載し、これも2021年に『勇者と戦車とモンスター 1978~2018☆ぼくのゲーム40年史』(駒草出版)と改題のうえ、書籍化することができました。

 水道橋博士、そして「メルマ旬報」との出会いがなければ、これら2冊の本は世に出ていなかったかもしれません。あらためて博士とメルマ旬報関係者、そして読者の皆さんにお礼を申し上げます。応援ありがとうございました。

 3つ目の連載となった「マニタ書房閉店日記」は、2012年から2019年までの7年間、ぼくが神保町で経営していた「特殊古書店マニタ書房」の記録です。これまでの連載を見てもわかるように、ぼくは異常なほどの記録魔なので、古本屋として日々遭遇するおもしろい出来事は、すべてメモに残してあります。それをエッセイ仕立ての日記にしたものです。

土佐日記」や「蜻蛉日記」まで遡るまでもなく、日記文学というのは読み物の一形態として、様々な名作が残されてきました。古書店の日常を記録した日記本にもおもしろいものがたくさんあります。古本屋の主人というのは、ぼくみたいに記録魔が多いのでしょう。戸川昌士さんの『猟盤日記』シリーズ、北尾トロさんの『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』、須賀章雅さんの『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』などなど、挙げていったらキリがないです。

「マニタ書房閉店日記」も、それらの諸作群に負けないものになるよう、奮闘しているつもりです。これから先、どこかの媒体で連載が再開できるのか、行くアテもなくブログで書き続けることになるのか、それはまだわかりませんが、どうぞこれからも応援していただければ幸いです。

 まずは明日から一週間ほどかけて、これまで「メルマ旬報」に掲載してきた分を順次こちらのブログでも読めるように転載していきます。どうぞ「無料」でお楽しみください。

これまで書いたり編集したりしてきたゲームの本

 2022年3月5日から4月24日にかけて、小樽文学館で「雑誌・攻略本・同人誌ゲームの本 展」という展示があるという。見に行きたいね。でも北海道か。ちょっといまは行けない。仕事はあるのにお金はないし、北海道のすぐ上にある国は戦争をやってる。

 ぼくはこれまでどれくらい「ゲームの本」を作ってきただろうか? こういうことが気になり始めると仕事どころではなくなる性格なので、リストアップしてみた。雑誌を入れるとキリがないので、書籍形式のものだけだ。これらのうち半分くらいはもうぼくの手元にもない。もしかしたら、仕事をしたことすらすっかり忘れているものもあるかもしれない。

 

■1987

 ゲームフリーク Vol.23 ダライアスゲームフリーク/マップイラスト)

 新明解ナム語辞典ソフトバンク/編集)

 

■1988

 キャプテン翼 栄光へのスーパーシュート!!(ホーム社/編集・共著)

 魁!!男塾 疾風1号生 光芒一閃!! 奥義の書(ホーム社/編集・共著)

 聖闘士星矢 黄金伝説・完結編(ホーム社/編集・共著)

 ドラゴンボール大魔王復活 必勝!! 奥義の書!!(ホーム社/編集・共著)

 桃太郎伝説 日本一周すちゃらかトレイン 大出世!!虎の巻(ホーム社/編集・共著)

 

■1989

 ファミコンジャンプ英雄列伝 夢の大決戦!!(ホーム社/編集・共著)

 ゲームブック 妖怪道中記 たろすけの大冒険(電波新聞社/執筆)

 コミック版 妖怪道中記電波新聞社/原作)

 イース グローバル・ガイドブック(冬樹社/寄稿)

 スーパーマリオブラザーズ3のすべて 完全必勝本PART2(JICC出版局/編集協力)

 

■1991

 ウィザードリィ友の会 総集編 4コマまんがスペシャル(JICC出版局/マンガ

 ファイナルファンタジー竜騎士JICC出版局/編集)

 

1993

 ファイナルファンタジー竜騎士団2JICC出版局/編集)

 ジェリーボーイ徳間書店/杉森建/読み物ページの構成)

 メタルマックス2 サバイバルマニュアルJICC出版局/編集・座談会構成)

 SFC ブレスオブファイア ~竜の戦士~ 完全攻略本(徳間書店/編集)

 マイティファイナルファイト完全攻略本(徳間書店/編集)

 ミッキーのマジカルアドベンチャー 完全攻略本(徳間書店/編集)

 任天堂公式ガイドブック マリオとワリオ 目指せ!5冠王(小学館/編集)

 

■1994

 ごくらくゲーム業界(KOEI/インタビュー掲載)

 ほんとうに面白いゲームソフト(1)スーパーファミコン(ぴあ/寄稿)

 ほんとうに面白いゲームソフト(2)ファミコン(ぴあ/寄稿)

 相原コージのゲームデザイナーへの道双葉社/編集)

 電視遊戯時代(ヴィレッジセンター出版局/編集・寄稿)

 ザ・ナムコ・グラフィティ1 NG総集編&特別編集号(ソフトバンク/寄稿)

 

■1995

 メタルマックス リターンズ ─鋼鉄の掟─ 覇王スペシャル36(講談社/寄稿)

 

■1996

 ポケットモンスター図鑑アスキー/コラム執筆・座談会構成)

 

■1998

 ダイナマイトサッカー98 公式テクニカルガイド(アスペクト/構成)

 別冊宝島359 このゲームがすごい! 任天堂編(宝島社/寄稿)

 

■2000

 ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団(メディアファクトリー/執筆)

 

■2013

 TVドラマ「ノーコン・キッド」から見るゲーム30年史徳間書店/共著)

 

■2014

 杉森建の仕事徳間書店/取材・構成)

 

■2015

 セガ・アーケードヒストリー 復刻版(アンビット/執筆)

 

■2016

 ゲームってなんでおもしろい?角川アスキー総合研究所/寄稿)

 週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!集英社/編集・執筆)

 

■2018

 ゲームドット絵の匠 ピクセルアートのプロフェッショナルたち(ホーム社/執筆)

 

■2020

 こちゲー こち亀とゲーム 上巻ホーム社/執筆)

 こちゲー こち亀とゲーム 下巻ホーム社/執筆)

 

■2021

 勇者と戦車とモンスター 1978~2018☆僕のゲーム40年史(駒草出版/執筆)

 

 41冊あった。ゲームの攻略本をメインに執筆している人からすればそう多くはないかもしれないが、音楽や古本などテーマを横断してあっちこっちに執筆していたり、途中で執筆業から離れてゲーム開発に集中していた時期もあることを考えれば、これはなかなかの数ではないだろうか。

 2000年以降の仕事に関しては、元ファミマガ編集長・山本直人氏のお力添えがあったことが大きい。そのほとんどは彼と一緒に作った本ばかりだ。あらためて御礼を申し上げたい。