08 ちんこ書店とマニタ原人とコンセントピックス

2012年10月マ日

 マニタ書房を開業したとして、1日どれくらいのお客さんが来るだろう?

 そんなこと考えるまでもない。せいぜい一人か二人、おそらく数えるほどでしかない。だとするならば、代金を会計するためにレジスターが必要かと問えば、必要ないよね、と答えよう。

「これ(文庫)ください」
「はい200円ね」
「チャリン、チャリン」
「毎度ありー」

 わざわざレジを打つまでもなく、小銭を受け取って、台帳代わりのノートに売り上げを書き込む。千円札を出されてお釣りを渡さなければならないときは、小さな手提げ金庫から小銭を出して返す。それで十分なはずだ。

 でもさあ、せっかく実店舗をかまえるんだから、やっぱり帳場にレジスターが鎮座していてほしいよね。レジを打つと「店をやってるー」って感じがするじゃん。「古本屋ごっこ」と笑われてもいいんだ。実際、ぼくの開業はごっこみたいなもんだからさ。とりあえず形から入ろうじゃないか。

 というわけで、今日はレジスターと、店頭に立てるための看板を求めて、合羽橋までやって来た。数日前に東急ハンズへ行ってみたのだけど、望むタイプのものはなく、やっぱり店舗用の道具類は合羽橋に限るわいと、こちらへ来てみた次第。

 わかっちゃいたけど合羽橋はヤベぇね。覗く店、覗く店、おもしろいものばかり売ってる。古本屋をやるためにここへ来たはずなのに、いつの間にか飲食店をやりたくなっている!

 まあだからといって寸胴鍋を買ったり刺身包丁を買ったりすることもなく、レジスター(39,950円)とA型看板(5,040円)を購入したのだった。 

 レジスターを買うとき、店員さんに領収書をプリントするときに登録しておく店名を聞かれた。つまり、会計時に領収書を求めるお客さんのために、このレジにはボタンひとつで領収書がプリントアウトできる機能が付いているのだが、そこに店名を登録できるというのだ。

 ならば当然「マニタ書房」とすべきなのだが、それだけじゃつまらないので、「特殊古書店マニタ書房」としてもらった。すると、店のおねえさんに「特殊古書ってどういうことですか!?」と、メチャメチャ食いつかれた。ここまで開業手続きのいろんな局面で、たびたび同様の質問を受けてきたが、これは説明に困るんだよね。「特殊古書店」ではなく「珍古書店」ならわかりやすいのでは、と一瞬思ったが、口に出すと「ちんこ書店」になるので、もっとマズイ。

 

2012年10月ニ日

 ずっとマニタ書房のイメージキャラクターを作りたいと思っていて、それをお願いするなら友人でもある漫画家の堀道広さんしかいないと考えていた。メールでお願いすると二つ返事で引き受けてくれ、この日はそのデザイン案が届いたのである。

 ぼくからの「人骨だの古本だのを集めている原始人」というオーダーに対して、堀さんからはA・B・Cの3案を出してもらい、もっともぼくのイメージに近いB案を正式なキャラクターとして採用させてもらった。

鼻の位置が最高なのだ。

 今後、このデザインをTシャツなどのグッズで展開する可能性も考え、キャラデザインは使用権込みの金額で「○○万円」を提示させてもらった。そう高い金額ではないのだが、この時点でのぼくに支払える上限ギリギリの額だ。すると、堀さんは「開店祝いってことで、その半額でいいですよ」と言ってくださった。堀さん、あなたは神か。眩い光と共に、首が太くて鼻が横にずれた神様が、神保町の上空にボワワ~ンと浮かび上がった。

 マニタ書房のイメージキャラクターに特定の名前を付けることは考えていなかったが、まったくないというのもナンなので、暫定的に「マニタ原人」と呼ぶことにする。

 

2012年10月タ日

 ペヤングソースやきそばで朝食を済ませ、古本を満載したスーツケースを引っ張って駅まで急ぐ。この日は月島にある相生の里で「東京野球ブックフェア」というイベントが開催される。

 東京野球ブックフェアとは、昨年10月に第1回が開催された野球の本のお祭りだ。新刊・古本を問わず野球にまつわる書物の販売と、野球ファンや関係者によるトークイベントなどが行われる、野球が好きな人にはたまらない催しである。

 これに、我がマニタ書房も野球本の販売出店者として声をかけていただき、第1回目からブースを出しているのだ。

 かつてはSNSで「野球カード男」のアカウント名を名乗るほどだったぼくも、野球カード蒐集から足を洗った途端に野球熱は冷め、いまではスター選手の名前すら知らないという体たらくだ。それでも、マニタ書房に「野球」というカテゴリがあるのも悪くはないだろうと考え、こつこつと野球関連の珍本を集めておいた。それを、この機会に並べてみようというわけだ。会場と同時に続々お客さんが詰めかけ、さすがに東京野球ブックフェアというだけあって、持っていった本の半数ほどが買われていった。ありがたい限りである。

 日が暮れ始めた頃、フェア内イベントで「プロ野球×歌謡曲ナイト」というトークライブが始まった。司会はFPM中嶋さん、ゲストは元ジャイアンツの駒田徳広さんだ。ぼくは巨人ファンではないが、会場に遊びに来てくれていた元「よい子の歌謡曲」の上野健彦さんが見に行くというので、ぼくも同行することにした。

 いちおう歌謡曲がテーマで、歌謡曲が大好きだという駒田さんなので、それなりに楽しくお話を聞いていた。すると、中盤に差し掛かったところ駒田さんから驚きの発言が飛び出した。

「ぼくねえ、この曲が大好きなんですよ~」

 といって駒田さんがかけたレコードが、コンセントピックスの『顔』なのだ。

 ぼくは思わず隣の上野さんと顔を見合わせた。なぜなら、いまから28年前(1984年)に上野さんとぼくは渋谷の屋根裏へコンセントピックスのライブを見に行ってるからだ。もちろん彼女ら(コンセントピックスはガールズバンド)の代表曲である『顔』も演っている。そんな曲を、上野さんと一緒にいるときに、よりによってあの駒田がかけるとは! なんだこの奇妙な偶然は……。

 

201210月シ日

 マニタ書房名義の銀行口座を作らなければならない。ぼくはゲームフリークに正社員として入ったとき、会社の主要取引銀行である三井住友(当時は住友銀行)で給与振り込み用の口座を開き、それ以来ずっと個人的にも三井住友を利用してるので、マニタ書房の口座も三井住友にしたいのだが、あいにく神保町には支店がない。仕方ないので手近なところにある三菱東京UFJにするか……と思っていたら、何年か前まで中古レコード屋だったところが三井住友の支店になっていた!

 

201210月ヨ日

 店の入り口ドアの内側にポスターを貼った。貼ったのはブルック・ネヴィン主演の人喰いクワガタ映画『ビッグ・バグズ・パニック』だ。

 普段、営業中はこの鉄製ドアを開け放すつもりでいるが、締め切りなどに追われて接客どころではないときは、きっとドアを閉め切って店内で原稿を書くことになるだろう。そんなときでも訪問客は来るかもしれない。そうしたら、ドアスコープから外を覗き込み、誰が来たのかを確認する。

 ちょうど、ポスターの中央にいるブルックちゃんのヘソ部分がドアスコープと位置が一致したので、丸く穴を開けてみた。ヘソから覗くとインタホンを押したのがお客さんなのか、外回り営業なのかがわかるという仕組みだ。

大好きな人喰い昆虫映画のポスターを貼りました。

 

 ここまでに書き忘れていたことがある。

 マニタ書房を開業するにあたって、帳簿の付け方や確定申告は、会計事務所に勤務している姉にお願いすることにした。ぼくは数字を扱うのがとにかく苦手で、フリーライター業務の確定申告だけならどうにかこうにかやってこれても、兼業で古本屋を始めたとなれば、台帳を付けなければいけないし、青色申告をする必要もあるだろう。その理由は知らない。姉から「そうした方がいい」と言われたからだ。

 それで、そんなこと自分でやるのは絶対ムリー! とサジを投げて、古書店経営に関する事務作業はすべて姉にお任せすることにしたのだ。

 そんな姉から、開業が間近に迫った8月頃、「お前、開業する前に店の全商品の“棚卸し”をやっとけよ」と言われた。

 えええっ? 棚卸し?

 棚卸しという言葉自体は初耳ではない。高校時代にイトーヨーカ堂でアルバイトをしていたときも聞いたことがある。でもそれは、年度末だか期末だかにやることじゃないの? 開業前にやる必要があるの?

 あるのだ。つまり、店にいまどれだけの商品在庫があるのか、それをすべて帳簿につけておかなければ、年度末に決算するとき、どれだけの商品が売れて行ったのか、その差分を把握することができない。だから、お前の店にどの商品がどれだけあるのか、その商品名、販売価格、仕入れ値、日付、それらをすべてエクセルに記入しておけ! と命令されたのだ。

 面倒くせぇぇぇー!

 でも、エクセル大好きー! なぼくは、数日前からコツコツと店内の在庫をエクセルで作った台帳に記入しているのだった。

 開業までもう一週間を切っている。今日もたっぷり棚卸し作業をしたが、まだまだやらなければならない仕事はある。本当に28日の開店に間に合うのだろうか……。

 

2012年10月ボ日

 すでにお気づきの通り、この日記では年と月までは正確に書きつつ、日付は「マ・ニ・タ・シ・ヨ・ボ・ウ」となるように記載している。主な理由は、日付を曖昧にすることで文章量の調整が容易になるからだが、日記に登場する人物のプライバシーを守る意味もある。

 だが、この日だけは正確に書いておいた方がいいだろう。

 先ほど時計の針が深夜0時を回って、いま2012年10月27日になったところ。今日は妻の一周忌であり、そして明日28日は、いよいよマニタ書房の正式なオープン日でもある。

 正式オープンの前に、今日はこのあと昼から友人・知人に集まってもらって、店内でオープニングパーティーをやる。狭い店なので派手なことはできないが、お酒とおつまみを振舞って、ワイワイ雑談でもしようというだけのことだ。

 

 誰が来てくれたかをここに書くことはしないが、一日を終えてみればトータルで60~70人くらいは来てくれたのではないか。いつも飲んでる友達も、久しぶりの顔も、学生時代の同級生も、いろんな人が来てくれた。家族も来た。多くの人に支えられて、ようやく開業に漕ぎ着けた。本当にありがたいことである。

 明日から、ぼくは古本屋のおやじさん、になるのだ。

07 書籍商の標識と札幌ブックオフツアー

2012年9月マ日

 松戸市役所に開業届を提出しにいく。なんというか、ちゃんとした正式の届け出用紙があるのかと思っていたら、藁半紙にコピーを繰り返したようなヘボい感じのものが出てきて、拍子抜けした。昭和の学校かよ。ともあれ、これによって古本屋の店主としてまた一歩前進したわけだ。

 

2012年9月ニ日

 今日は「マニタ書房」のツイッターアカウント(@maneaterbooks)を作った。新しく入荷した本の情報などをお知らせするためのものだが、それよりもっと重要な役割がある。

 フリーライターとの兼業で、なおかつ、たった一人で店を運営するとなると、急な取材や仕入れの都合で、どうしてもマニタ書房は不定休の店にならざるを得ない。だから、今日は店を営業するのかどうか、営業するなら何時から何時までなのか、そうしたことを毎日つぶやくのだ。

 ※この当時、ぼくは世の中のほとんどの人がツイッターをやっていて、しかも、ぼくのように四六時中タイムラインを見ているものだと思っていたから、営業情報はツイッターでつぶやけば確実にみんなに届くと思っていた。だが、そんなわけないことはいまならわかる。せっかくマニタ書房に来てくれたのに営業しておらず、何度も無駄足を踏ませてしまったお客様には本当に申し訳ないことをしました。

 

2012年9月タ日

 古本屋に限らず、いわゆる「古物商」に分類される商店へ行くと、たいてい帳場の背後の壁に青い標識が掲げられている。古本屋の壁にも「書籍商」という標識があるのを見ている人は多いだろう。

 ここ、ちょっとややこしいので説明すると、この青い標識に「古物商」というものはない。あくまでも「古物商」というのは、古物を取り扱う業種すべての総称であって、それらは取り扱う品目によって13種類に分けられている。その内訳は「美術品商」「衣類商」「時計・宝飾品商」「自動車商」「オートバイ商」「自転車商」「写真機商」「事務機器商」「機械工具商」「道具商」「皮革・ゴム製品商」「書籍商」「チケット商」となっており、それぞれ自分が営む業種の標識を掲げることになる。したがって、書籍を中心に扱う古本屋は「書籍商」となる。

 この標識=プレートは、古物商の許可を得たからといって、自動的に支給されるわけではない。ベースとなる専用の素材を購入(4,950円!)し、特定の業者に制作を依頼するか、自分で作るかしなければいけないのだ。そう、自分で作ってもいいというのがポイント。まあ作るといってもプレートの空欄に「許可番号」と「古物商の氏名または名称」を入れるだけだから、シロウトでも問題なくできる。

 じつは、色や寸法などの規定を守ればプレート自体を自作してもいいのだが、さすがにそこまで面倒なことはしたくない。なので、ぼくは書籍商のプレートを購入し、自分で番号と名前をプリントアウトした紙をはめ込んで標識を自作した。

古本好きの人なら見覚えのある青いプレート。

2012年9月シ日

 かねてから計画していた「札幌ブックオフツアー」の始まりだ。

 古本屋なんて、どうしたって利ざやの小さな商売だから、JALANAといったFSC(Full Service Carrier)なんか使っていたら儲けも何もあったもんじゃない。でも、LCC(Low Cost Carrier)を使えば、仕入れ次第では多少の儲けが出せるはず。なにしろ今回購入した成田~新千歳の航空券が、往復で14,000円弱なのだ。これならホテル代と現地でのレンタカー代を足してもギリギリ黒字にもっていけるだろう。仮に黒字までは届かなかったとしても、3泊4日の北海道旅行をプラマイゼロで楽しめたと思えばいいのではないか?(バカの考え)。

 午後4時半、成田空港発のエアアジア便で北海道へ向かう。そして、約2時間ほどのフライトを経て、新千歳空港に到着した。JRで札幌へ出て、ホテルにチェックイン。本格的な活動は明日からなので、今夜は地元の友達と晩ごはんを食べるだけ。

 シャワーを浴びていると、スマホに「いまホテルのロビーに着いたよー」とメッセージが来た。あわてて着替えてロビーに降りていくと、漫画家の三宅乱丈が右手に生牡蠣、左手に白ワインを持って立っていた。大通り公園でフェスをやっていたので、とみさわさんに北海道の激ウマ生牡蠣を食べてもらおうと買ってきたのだと言う。ありがてぇー!

 ……と言いたいところだけど、ぼくは生牡蠣が食べられない。どんなに新鮮でも、食べたら100パーセント腹を壊す。なので、泣く泣く遠慮させてもらう(牡蠣は乱丈さんが美味しくいただきました)。

 タクシーで乱丈さんお薦めのジンギスカン屋へ。そこでラム肉をたらふく食べ、生ビールも飲み、ワインも1本空ける。さらに焼き鳥屋にも行ったりして楽しい旅の夜を過ごす。さて、いよいよ明日から本格的に札幌ブックオフ仕入れツアーのスタートだ。

 

2012年9月ヨ日

 札幌ブックオフツアー2日目。

 札幌市内にはブックオフが21軒ある(当時)。これを2日半でまわらなければならない。単純計算すると、1日あたり8軒チョイまわればなんとかなる。ただ、北海道は広いので、札幌市内とは言っても端から端までは相当な距離がある。都内で7軒まわるのとはスケール感が違うはず。それでいて、信号だらけ渋滞だらけの都内の道とは違って、札幌も市街をはずれれば、かなり快走できるだろう。そこでいかに時間を短縮できるかだ。

 あらかじめ作成しておいたルートマップに従ってクルマを走らせ、峠攻めならぬ、ブックオフ攻めをこなしていく。1軒目「あいの里店」で4冊購入、2軒目「札幌屯田店」で6冊購入、3軒目「札幌前田店」で4冊購入、4軒目「札幌宮の沢店」で13冊購入……というように、順調に買い進んでいった。

 北海道のブックオフにもちゃんと素人セドリ屋さんはやって来ていて、小型バーコードリーダーで書籍データを読み取っては、アマゾンのマーケットプレイス価格を調べたりしている。立ち読み客とは違った意味で本棚の前に長居する彼らは邪魔な存在だけれど、まあ、ぼくだってセドリに来てるわけだから文句を言えた立場じゃない。それに、彼らの獲物はビジネス書が中心なので、サブカルメインで発掘しているぼくとは競合しない。

 さらに言えば、ぼくは本職の端くれに置かせてもらった身だから、自分の目利きこそが勝負となる。そんな機械なんかに頼ってセドリをするような真似はできない。背表紙を見ただけで、“いい本”の匂いを嗅ぎ分けられなければならないのだ。長年の古本集めで培った勘が物を言う。まわりの視線を気にしながらマケプレ相場の高い本を探している人たちを尻目に、背表紙だけ流し見しながらスパスパと本を抜いてはカゴに放り込んでいく。

 5軒目「札幌琴似店」で3冊購入、6軒目「札幌麻生駅前店」で2冊購入、7軒目「北41条店」では6冊を購入。8軒目となる「札幌北店」で1冊購入したところで本日のノルマは達成したことになるのだが、まだ日没まで多少時間がある。そこで明日の予定分だった9軒目の「光星店」まで足をのばし、そこで5冊購入したところで初日の行程を終えた。ここまで9店舗をまわって48冊購入。十分満足のいく結果となった。

 

2012年9月ボ日

 札幌ブックオフツアー3日目。

 昨日は、札幌駅前のトヨタレンタカーから出発し、おもに札幌駅(函館本線)の北側エリアにある9店をまわった。今日は、札幌駅の南側ブックオフを攻めていく予定だ。

 最初に目指すブックオフが開店するのは朝10時。だいたいホテルを9時に出れば、最初のブックオフが開店するタイミングで到着できるだろう。東京都内では道路の混雑状況が読みにくい。予期せぬ渋滞や事故や工事があったりして、思いのほか時間がかかってしまう。カーナビに目的地をセットしても、算出された到着予想時間通りに着けることなど滅多にない。

 でも、平日の札幌は素晴らしい。10時着の予定でスタートしたのに、それより10分も早く10軒目の「伏古店」に到着してしまった。

 開店と同時に入店し、本を3冊購入する。特筆すべき収穫はない。自分のコレクションのためだったらそれじゃダメなんだが、商売だからいいのだ。自分が発見してテンションの上がる本と、店に並べておきたい本は必ずしもイコールではない。店の商品構成として、激レア本ばかりなのがいいのかというと、そうでもないはず。そこそこのオモシロ本がひと通り並んでいて、その中に時折『私の父は食人種』とか、『牛づくり八十年』とか、『リスを捕って売れ!』とかいった劇的な珍本が混じっていることで、棚全体が輝くというものだ。

 さらにクルマを走らせる。

 カーナビがあるから紙の地図なんかなくてもいいのだが、いちおう札幌市内のブックオフをすべて書き込んだ地図を用意しておいた。1軒クリアするごとに、これを蛍光マーカーでチェックしていく。意味はないけど楽しい。古本の仕入れに北海道まで来るという、そもそもがバカみたいな旅ではあるけれど、それを最大限に楽しむためには、こういう無駄なことが大事なのだ。

チェックリストやルートを塗りつぶす快感に勝るものなし。

 続いて11軒目「札幌菊水元町店」に到着。ここでは6冊購入。12軒目「札幌山鼻店」でも6冊購入。13軒目「札幌中の島店」で4冊購入。 14軒目「BOOKOFF PLUS 札幌川沿」で4冊購入。このBOOKOFF PLUSというのは複合店舗のことで、古本の他に、衣服や日用雑貨のリサイクル部門も含まれていたりする営業スタイルだ。東京だと渋谷のセンター街にあるのがやはりこのPLUS店だ(当時)。

 先を急ごう。15軒目「札幌西岡店」で6冊購入。16軒目「月寒東店」で5冊購入。17軒目「札幌川下店」で2冊購入。そして18軒目の「札幌南2条店」で7冊購入したところで日没となり、この日の行程を終了させた。

 なぜ日暮れでやめてしまうのか? ブックオフはたいていの店が夜10時くらいまでやっているのだから、もっとまわればいいのに、と不思議に思われる皆さんもおありでしょう。答えは簡単。「写真が撮れなくなる」から。

 ぼくは自分が行ったブックオフの外観を必ず写真におさめるようにしていて、できればそれは陽の射す明るい状態のものでありたい。だから、日没後にはブックオフには行かないようにしているのだ。これもまた、ぼくの中にいろいろとある謎のこだわりのひとつ。というわけで、この日も9軒のブックオフをまわって本を43冊購入した。昨日と併せると91冊になる。

 それにしても、せっかく北海道まで来て、名所も、旧跡も、大自然も見ず、何ひとつ観光らしいことをせずに帰るのはいかがなものかと思われるだろう。だが、放っといてほしい。ぼくにはどんな観光名所よりも、古本の背表紙がズラリと並んでいる本棚の方が、よっぽど絶景なのだから。

 

2012年9月ウ日

 札幌ブックオフツアー4日目、最終日である。

 今日まわるべきブックオフは残すところ3軒だけとなった。かなり前倒しでスケジュールをこなしてきたので、ここまで来ればもう余裕だ。しかも、ちゃんと札幌から千歳方面へ向かうルート上の店だけを残してある。ドライブ気分でブックオフをたどりながら、新千歳空港へ向かっていけばいいのだ。

 すでに書いているように、北海道の道は非常に走りやすい。予定より早く、最初のブックオフ「札幌南郷20丁目店」に着いてしまった。まだ9時47分。道路以上に広い駐車場にクルマを停め、ツイッターを見たりして時間をつぶす。ほどなくして店がオープンすると、広い店内を早足で見て歩く。

 皆さんはブックオフに行ったとき、どういうところを見るだろうか? すべての棚をまんべんなく見るのだろうか? ぼくの場合は、いつも時間との勝負でブックオフを巡回しているので、当然、すべての棚を見てまわるなんて無駄なことはしない。

 店に入り、まず最初にチェックするのは、「実用書やノンフィクションの105円均一棚(当時。現在は税込200円均一が主流になってますね)」。ここでマニタ書房に置きたくなるような本を探す。うちの在庫の約半数はこうして仕入れている。

 次に見るのは、「ノベルスや新書の105円均一棚」。といっても小説は一切見ないで、ここでも実用書に類するものだけをチェックする。そうして『お嬢さまと呼ばれたい!! 3LDKのプリンセス 川嶋紀子さんの魅力のすべて』(1990年/ブレーン出版)なんて本を掘り出すわけだ。

 最後に見るのは、「文庫の105円均一棚」の中の「新潮文庫」のコーナー。なぜそんなピンポイントな場所をチェックするのかといえば、商売の仕入れとは別に、書きかけで売られた『マイブック』を集めているからだ。これについては詳しく紹介したいのだが、他人のプライバシーに触れる恐れが多大にあるので、公の場所では難しいのが悩ましいところだ。

 というわけで、ここで購入したのは2冊。数は少なくとも、いい買い物ができた。

 続いて20軒目「札幌平岡店」では収穫がたくさんあり、13冊購入。そして、ついに最後の店「36号札幌美しが丘店」で9冊購入──。

 こうしてぼくは、札幌市内にあるブックオフ21店舗をすべて制覇した。総購入数は119冊。段ボール箱にして2箱と少し。いやー、走った走った、買った買った。

 このあと、新千歳空港そばにあるレンタカーの支店にクルマを返却し、空港内にある温泉で汗を流し、ジンギスカンに生ビールで祝杯をあげ、成田へ向かう機上の人となったのだった。

06 暴走族本とせんべろ古本トリオと委託販売

2012年8月マ日

 かつて暴走族に関する本の出版ブームがあった。『俺たちには土曜しかない』(二見書房)、『止められるか、俺たちを』(第三書館)、『ザ・暴走族』(第三書館)などなど。ぼくが高校生の頃だから、1979~1980年頃のことだろうか。ぼくが通っていた高校は、まあはっきり言ってBE-BOP-HIGH SCHOOLだったので、クラスの7割くらいは不良もしくは暴走族で、彼らはこぞってそういう暴走族の本を買い求め、憧れの眼差しで見ていた。なんなら地元の先輩とかが載っていたのかもしれない。

 これらの本はけっこうな部数が刷られ、全国的に売れたと思うのだが、これをいま古書店の店頭で見かけることは、ほとんどない。いざ探すと、当時あんなに出回っていたはずの暴走族関連本が、まったく見当たらないのだ。そして、市場に出ないということは、たまに出てくると必然的に高値がつく。たとえば『止められるか、俺たちを』をネットオークションで検索すると、スタート価格が軒並み5,000円以上だったりする。

 つまり、最初の出版ブームから30年以上の時を経て、いまふたたび暴走族本はブームが来ているのだ。

 なんでこんなことになっているかというと、綺麗な状態のモノがほとんど残っていないからだ。暴走族本っていうのは、そもそもが「本を粗末にする人たち」がメインの購買者だったからね。大半は読み捨てられて消えてしまった。わずかに残っているものも、カバーがないのは当たり前。折れや破れだらけのものばかりなのだ。だからカバーがあり、状態の良いものには高値が付く。

 古本屋の店主は、市場で希少になっているものを安く仕入れて、それに適正な価格をつけて売る。これが基本だ。暴走族カルチャーが大好きなぼくは、当然マニタ書房でもそうした本を取り扱いジャンルのひとつとして設けたいのだが、いかんせん仕入れができない。ネットで5,000円で買って、店頭に1万円の値札を付けて並べたところで、誰が買うというのか。

 古物商のオヤジが本当にやるべきことは、すでに価値の定まったものに乗っかって、ほんのちょっとの差額を得ることじゃない。いまはまだ価値がないけれど、これから価値が出るかもしれないジャンルを見つけることだ。ブームを作ることだ。

 それで、ぼくがマニタ書房の開店準備をするにあたり、「暴走族本」の次に来るであろうブームの予測として何にターゲットを絞ったかというと、それは「心霊写真集」だ。これらも、ぼくが小・中学生の頃に大量に出版された一大ジャンルだが、いまはほとんど姿を消している。だが、古本市場にはけっこうたくさん残っていて、しかも、安いのだ。だいたい1冊あたり100円前後で手に入る。

 これはやがてブームが来るに違いない。近いうちきっと再評価されるだろう。そうなったら値が上がる……。

 そう思って、ぼくはいまコツコツと集めている。

 

2012年8月ニ日

 本日は、店内に新たに商品陳列用の棚を2台と、在庫収納ボックスを兼ねた椅子を4台搬入した。この棚は作業テーブルの前に置き、店主イチ押しの本や小物などを陳列するスペースにするつもりだ。

 4台入れた椅子というのは、スナックにある四角いスツールみたいなもので、腰を下ろす部分が蓋になっていて開けると中には物が収納できる。本だったら40~50冊は余裕で入るので、いい在庫置場になりそうだ。

 

2012年8月タ日

「古書」と「古本」とは何が違うんだろうか。

 いちおう業界的には、

 古書:絶版になってからの期間が長く、高値が付いているもの

 古本:絶版かどうかは問わず、比較的新しめの古本

 という分け方はあるようなのだが、そこに明確な線引きはない。古書市に朝から行列するような人はともかく、普通の人にはその違いなんてどうでもいいことだ。しかし、古本狂いの人たちは、どちらの言葉にもつい身体が反応してしまう。それどころか、似たような文字列すら古書や古本に空目して、心をざわつかせてしまうのだ。

 以前、せんべろ古本トリオで古書店巡りツアーをやったとき、日が暮れた夜道に煌々と光る「古着」の看板に、一瞬、駆け寄りそうになって笑ったことがある。「古着」と「古書」では、字面は似てるが全然違う。

 それから、地元松戸市の住宅街を運転していたら、唐突に「ヘアーサロン古本」という看板が目に飛び込んできて、急ブレーキを踏んだこともある。美容室と古本屋さんのハイブリッド? そんな素敵な店があるのか!? と、慌てて空き地に車を停めて看板を確認しに行ったら、古本(ふるもと)さんという人が経営している美容室だった。

少し離れた空き地にクルマを停め、写真におさめた。

2012年8月シ日

 本日のミッションは、店で売るレコード(ドーナツ盤)用の仕切り板の分類ラベルを作ることだ。仕切り板は専用のものがディスクユニオンで普通に売っていたので、必要な数だけ買ってきた。これに分類ラベルを自作して挟み込むのだ。

 マニタ書房では、古本こそ変な品揃えであるのをセールスポイントにしているが、レコードはそこまで変なものが仕入れられるわけではない。というか、仕入れたらぼくが自分のものにしちゃうからね。店頭に並ぶレコードは、基本的にはぼくのコレクションから不要になったものを放出する、というスタイルだ。他の中古レコード屋へ持ち込むよりは少しでも高く売れたらいい、そんな感じ。なので分類はざっくりとした感じで十分。

 まず「洋楽」と「邦楽」に分け、「洋楽」は数が少ないので細分化することはしない。「邦楽」はさらに「男性」と「女性」に分ける。そのうえで、歌手名から探しやすいように「あ行」「い行」「う行」……といったように分類する。こうしたラベルをパソコンで作って印刷し、カッターで切り出してプラスチック製の仕切り板に挟み込めば完成だ。レコ屋みたいで気持ちい。

 

2012年8月ヨ日

 この日は「せんべろ古本トリオ」で、東武東上線を攻めるツアーを敢行した。

 せんべろ古本トリオというのは、アダルトメディア研究家の安田理央さん、特殊翻訳・映画評論家の柳下毅一郎さんと組んでいるユニットだ。それぞれややこしい肩書きが付いているが、簡単に言えば三人ともフリーライターだ。執筆業を営んでいて、古本屋に興味のない人間などいないだろう。もちろんぼくらも無類の古本屋好きだ。そして、大の酒好きでもある。そんな三人が、せんべろ──たった千円でべろべろになるまで酔える(比喩として)酒場に朝から集合し、ターゲットを定めた鉄道沿線の古本屋を巡っては、その合間合間にまた酒場に飛び込み、収穫を見せ合いながら飲む。そんな楽しすぎる遊びだ。

 第5回となる東武東上線ツアーの集合は、池袋の「大都会」。ここは24時間営業している酒の不夜城だ。軽いつまみ1品に酎ハイを2杯だけ飲んでエンジンをかけてから出発。池袋駅から東武東上線に乗る。もちろん、車中でも古本トークに花が咲く。

「かつて東京には古書会館が東西南北に4カ所あったんだよね」

「白虎、朱雀、玄武、青龍みたいなもんか」

「でも、この辺(中板橋近辺)にあった北部古書会館はなくなっちゃった」

「まだ会館自体はあるけど一般公開をしてないんだよ」

「それで四神の均衡が崩れたから魔(ブックオフ)が侵入してきた……」

 とかなんとか、そんなドーデモイイ話をしているうちに大山駅に到着。大山では、まず「ブックマート」を軽くチェックし、続いて「ぶっくめいと」へ。しかし、こちらはまだシャッターが開いていなかった。普段は見られないシャッターにはハムスターと思しきキャラクターが描かれていたのだが、その脇に「え・高野文子」の文字が。これって、あの高野文子だろうか?

この絵のタッチから高野文子さんっぽさは感じられない。

 さらに「銀装堂」を訪問するが、またシャッターが降りていた。2軒続けて閉店はきついな~と思ったが、時刻は10時58分。まだ開店前なのだった。11時の開店とともに入店。ぼくはここで人喰い映画のDVDを1枚購入した。

 続いて「大正堂」へ向かうが、こちらもまたシャッターが降りている。張り紙も何もないので状況がわからないが、営業が始まる気配がないので移動。徒歩で「ブックオフ中板橋駅北口店」へ向かう。ブックオフ好きのぼくとしては期待が高まるが、これといった収穫はなかった。そんなもんだ。

 と、こんな感じで一軒一軒のことを克明に書いているといつまでも終わらない。なので店名だけ一気に書き残しておくと、このあと東武練馬で「ブックランド」「和光書店」、下赤塚で「司書房」「ブックオフ下赤塚駅南口店」、みずほ台で「かすみ書房(閉店)」「古本市場」、上板橋で「ネオ書房」「林屋書店」と訪ねて回った。最後は上板橋の「養老の瀧」で、反省会と称する収穫の見せ合いっこをして解散だ。

 しかし、こうして古本屋巡りをしていると、たびたび「閉店」に直面することがある。そう、古本屋というのは、まちがいなく衰退しつつある業種なのだ。そんな商売を、いまからわざわざ始めようとするぼくは、なんと無謀なのだろう。なんと無計画なのだろう。そして、なんと愉快な人生なのだろう。

 

2012年8月ボ日

 本日は『蒐集原人 4号』の配本をする日で、新宿三丁目の「模索舎」、西新宿の「ビデオマーケット」、中野の「タコシェ」をまわって納品してきた。

 この日記に『蒐集原人』の名前が出るのは初めてなので、少し説明が必要だ。そもそも「蒐集原人」というのは、ぼくがやっているコレクションネタを中心としたブログ(皆さんがいま読んでいるここ)のタイトルで、そこに書き溜めた記事をまとめたのが『蒐集原人 ○号』という小雑誌だ。これを、上記のような自費出版物を扱ってくれているショップに、委託もしくは買い切りで置かせてもらっている。

 自費出版物の取り扱い書店への配本という作業は、その昔『よい子の歌謡曲』のスタッフをやっていたときにも経験している。が、ぼくはこうした事務作業が壊滅的にできない性格なので、とにかく苦労の連続だ。

 本当なら、自分がこれから始めるマニタ書房でも、他社の自費出版物をどんどん受け入れ、委託販売をすれば、店に古本だけの商品構成とは違った活気が生まれることはわかっている。でも、それによって生じる帳簿とか伝票とか売掛金とか、これまで自分の人生とは無縁だった言葉がドカーンとのしかかってくることが怖い。そんな作業を自分がこなせるとは到底思えない。

 だから、マニタ書房は原則として委託販売はしないことにする。唯一受け入れるのは「ぼくが気に入った本」を「頒布価格の7掛け」で「こちらの指定した冊数を買い取れる」ときだけだ。

05 仕切板とブックオフ巡りと純粋なコレクター

2012年7月マ日

 古本屋になったらやりたかったことのひとつに「仕切板の製作」がある。店内の在庫をジャンルごとに分類して、お客さんにそれと認識してもらうための板だ。とくに、我がマニタ書房は分類が特殊なことをセールスポイントにしようと思っているので、どんなジャンルを設けるかを考えることは、非常にワクワクする行為だ。

 本棚の仕切り板にプロ仕様のものがあるのかどうかはわからないが、プラ板か何かで代用することはできるだろう。そういうときは、渋谷の東急ハンズへ行けばいい。

 最初に模型用品を扱うフロアへ行き、プラ板を見てみたが、ちょっとお高い。最終的に何枚必要になるかわからないが、10枚や20枚では済まないはず。これをすべてプラ板で賄おうとすると経費がかさむ。

 そこで、ふと思いついて文具のフロアへ行ってみた。そう、プラスチックの下敷きだ。これだってプラ板の一種なのだ。厚みもちょうどいい。この下敷きを半分に切って2枚にすれば、想定している寸法(うちの本棚に挿して4センチほど前に飛び出る)に、ぴったりのサイズであることがわかった。飛び出た部分にジャンル名を書くのだ。

 とりあえず、白い下敷きを20枚購入する。これで40のジャンルを作ることができる。いずれ足りなくなったら、また下敷きを追加購入すればいい。

 店に戻って、さっそく作業を始めよう。

コツコツと運び込んだ本を棚に並べていく。古書マニアにとってたまらん瞬間。

 カッターで下敷きのセンターにスジを入れ、パキッと割る。お客様が怪我をしないようカドも落として、紙やすりで滑らかにする。この程度の作業は、元プラモ少年にはなんの苦労もない。出来上がった仕切板には、ラッカー塗料でジャンル名を書いていく。

「アイドル」「オカルト」「音楽」「格闘技」「ゲーム」……この辺はどこの本屋にもあるジャンルかもしれない。

日本兵」「ハウツー本」「ヤクザ」「UFO」……ちょっとあまり見たことがないジャンルが出てきた。

「極端配偶者」「刑罰」「秘境と裸族」「人喰い」……さすがにこんなジャンルを設けている本屋はないだろう。

 最初「秘境と裸族」は、「秘境」と「裸族」で別ジャンルにしてみたのだが、いざそれに合わせて在庫を振り分けていくと、どうも座りが悪い。富士の樹海に関する本(秘境)とピグミー族の本(裸族)を一緒にするのはおかしいと思って分けていたわけだが、そうした例は思ったほど多くはなく、最終的には合体させることにした。結果的に「秘境と裸族」は語感もいいし、マニタ書房の見所ポイントになる(ような気がする)だろう。

 

2012年7月ニ日

 時間はかかったが、古物商の申請は無事に通ったと連絡が来たので、神田警察署まで許可証を受け取りに行く。店から歩いて行けるのは本当にありがたい。

 受付で要件を告げると、例によって生活安全課へ案内される。廊下の椅子に座って順番待ちをしていると、目の前を捕縄されたおネエさんが通り過ぎていった。そうなのだ、ぼくは古物商の申請でここに来ているが、本来、生活安全課というところは違法風俗の捜査や賭博の摘発などを担当する部署なのだ。

 と、ぼんやり考えているうち、無事に古物商の営業許可証が発行された。これで、今日からぼくは古物商である。

大きさはクレジットカードをひとまわり大きくしたくらい。

 この許可証さえあれば、古本はもちろん、それに類する古物を買い取ることができる。もう少し運転免許証に近いものを予想していたが、ビニール製でペナペナだ。

 中に記載されている項目も、交付番号と日付とぼくの住所氏名くらいで素っ気ない。9,000円も払ったのにこれかー。

 ひとつおもしろいのは「行商」を(する・しない)のチェック欄があることだ。ぼくの場合は、何かの古本市に出店する可能性を考えて、それが行商に値するかどうかはわからないが、いちおう(する)にしておいた。

 

2012年7月タ日

 古本屋をやろうと決めた日から、度々ブックオフ巡りを実行している。そして、次に行きたいのは札幌ブックオフ巡りツアーだ。調べたところ、札幌市内にはブックオフの支店が23店舗あるようだ。これを何日かに分けてレンタカーで回る。移動の合間には、うまい味噌ラーメンやスープカレーを食う。夜はジンギスカンで生ビールだ。どう考えても楽しいに決まってる。

 問題は、どうやって行くかだ。空路で行くか、鉄路で行くか。

 様々なルートを調べてみたところ、茨城の大洗から苫小牧までフェリーで行くという方法があることに気がついた。茨城なら自宅からも行きやすい。マイカーに乗ったまま北海道まで行ければ、現地でレンタカーを借りることもないし、仕入れた本を宅配便で送る必要もない。かなりの経費の節約になるだろう。

 これしかない! と勇んで料金を調べてみて、愕然とした。フェリーに乗用車を載せてもらう料金って、予想していた以上に高いのな。乗用車と人間一人で合計6~7万円くらいする。もちろん、マイカーを北海道まで運んでしまったら、帰りもフェリーで帰ってくるしかない。つまり、交通費だけで14万近くかかってしまうのだ。ありえない……。

 それと、時間もかかり過ぎることがわかった。老いた母と小学生の娘を置いてそう長いこと家を留守にはできない。せいぜい5日間がいいところだ。

 

 最初に考えてみたプランは、以下の3つ。

 

 A案「行きも帰りも海路」

 大洗~苫小牧をフェリーにして、札幌でのブックオフ巡りに3日を費やす。すでに計算したように、この方法だと往復で約140,000円かかる。

 

 B案「行きは陸路、帰りは海路」

 常磐道東北道をたどりつつ3日ほどかけて車で北上(高速代が約15,000円)。津軽海峡だけフェリーを使い(約24,000円)、札幌で1日ブックオフめぐりをしたら、5日目に苫小牧からフェリーで一気に大洗まで帰って来る(約70,000円)。往復を合計すると約110,000円。

 

 C案「行きも帰りも空路」

 我が家は成田空港にも行きやすい。そこで、成田~新千歳をLCCで往復(約12,000円)する。現地ではレンタカーを3日間借りる(約20,000円)。合計すれば32,000円。さすがはLCC、これがいちばん安上がりのルートだ。ただし、この場合は大量に発送することになる宅配便代がプラスされる。でも、箱ひとつ1500円だとして10箱送ったところでせいぜい15,000円だから、上記の2案よりずっと安いのだ。

 

 本心を言えば、一ヶ月くらいかけて千葉から札幌までのブックオフを点々と巡りながら往復してみたいし、もっと言えば丸一年かけて日本中のブックオフを回りたいが、そういうわけにもいかないのだ。

 

2012年7月シ日

 古本屋を始めるのだと言うと、「せっかくコレクションしたものを手放すのは辛くない?」と聞かれることがある。心配してくれてありがとう。でも、全然平気なんだよね。なぜなら、ぼくはコレクターだから。より正確に言うなら、ぼくは“純粋な”コレクターだからだ。

 たとえばカメラが大好きで、年代物の名機を手元に置いてその形状の違いを愛でたりする人がいる。そういう人はカメラのコレクターではない。カメラを愛している人だ。アロハシャツが好きで、気に入った柄を見つけるたびに買い込んで、その日の気分に合わせて着て歩く人。そういう人もアロハコレクターではなくて、アロハを愛している人だ。

 じゃあ、集めたものを使ったりしないで、大切に保管している人がコレクターなのかというと、それも違う。そういう人だってやっぱりその対象物を愛してる人だ。使うか使わないかは関係ない。

 一方、ぼくは古本が大好きで、あちこちの古本屋とか古書市に出掛けていっては、自分のアンテナにビビビと来る本を探し出して集めることをする。だから、他人からは古本コレクターだと思われているだろう。それは間違っていない。でも、手に入れた古本を愛しているかと言うと、とくにそんなことはないんだ。

 ぼくは古本を探すために出掛けることが好きで、古本の山の中からいい本を掘り出す瞬間が好きで、それを分類するのが好きで、棚に並べたりするのが好きだけど、そこまでの過程を味わったら、あとは手放してもいいの。集めたものへの愛着はあんまりないんだよね。ただ、集める過程だけが好きな自分こそ「純粋なコレクター」ではないのかと、ぼくはわりと真剣に思っているんだけど、ここはなかなか理解されにくい。

 若い頃は、まだこういう考えにまでたどり着けていなかったから、集めたものへの愛着があるような錯覚はしていた。でも、いまはハッキリとそうでないことがわかったので、手放すことに躊躇いはない。むしろ、本を手放すことで幾許かのお金になり、その資金でまた本を探しに行ける(=探す楽しみを味わえる)なら、最高じゃないか。これが、古書店の開業を決断するに至った、最大の理由だ。

04 店名決定と業務用本棚とナニワのオッチャン弁護士

2012年6月マ日

 古物商の許可申請をするため、神田警察署の生活安全課防犯課に行く。目についた職員(という言い方でいいのかな?)に声をかけ、要件を告げると個室に通された。少しすると担当の者が来て、申請書類の書き方ををひとつひとつ丁寧に教えてくれる。

 何も悪いことをしていないのだから緊張する必要はないのだが、それでも警察署の中にいて、なおかつ警察官からこんなに親切にされると、背筋がムズムズする。

 お店では何を扱われるんですか? と訊かれたので「おもに古本とレコードですかね」と答える。申請書にそう記入したものしか扱っちゃいけないのかと思ったが、そうではないらしい。ならば、いずれは古着とか吊るしてみるのもおもしろいかもしれない。

 記入項目を見ていくと、店名を書く欄があった。そうか、この段階で決めなければならないのか。候補はふたつ考えてあるが、ここに来た時点ではまだ決定していなかった。

 ひとつは「本古堂」。こう書いて「ポンコ堂」と読む。話すと長くなるのだが、かつてmixiでは自分のアカウントを「野球カード男」としていた。しかし、カード集めの趣味をやめたときに、いつまでもその名前を名乗るのはおかしいと思い、アカウント名も変えることにした。かといって、別の趣味にちなんだ名前にすると、気が変わりやすいぼくはまたアカウント名を変えることになってしまうだろう。それは避けたい。ならば、いっそのこと極端にどうでもいい名前にしておこうと考え、「ポン子」にした。だから、その後に始めたTwitterでも、アカウントは@hitoqui_ponkoとしている。前半のヒトクイは、2010年に上梓した『人喰い映画祭』に由来する。

 もうひとつは「マニタ書房」だ。『人喰い映画祭』なんて本を書いたくらいだから、ぼくは人喰い生物に詳しいというのを自分のアイデンティティにしている。人喰い生物=マンイーター(maneater)、ネイティブの発音に近づければマニタとなる。それにマニタはマニアにも近い響きがあって、やはり古本屋の屋号には似つかわしいのではないか。

 それで、最終的には「マニタ書房」と書類に記入した。店の名前が決まった瞬間である。

 すべての項目を書き終えた書類を提出すると、担当官は目を通しながら「ああ、小川図書ビルですね」とつぶやいた。さすが、濤川社長は神田警察でも顔が利いてるのだ。

 最後に申請料として19,000円を支払って手続きは終わりだ。申請が通るかどうかは、40日以内に判明するという。意外に長い時間がかかるのは、その間に提出者の身辺調査をするからだ。古物商というのは他人から古物を買い取って商売をするものだから、故買屋(盗品などをそれと知りながら売買すること)と背中合わせの立場にある。そういうことをする人物かどうかを、前科の有無や身内に反社がいないかどうかを調べて判断するのだろう。そこで申請が通らなくても、申請料は返金されない。

 

2012年6月ニ日

 本というのは傷みやすい。お客さんは本を大切に扱うことに慣れている人ばかりじゃないから、古本屋をやる以上、ある程度のことは覚悟しておかなければならない。

 とはいえ、よほど乱暴な扱いをしない限り、新品に近い状態の本は、そう簡単には傷まない。だけど、最初から表紙などに破れがある本というのは、ちょっとおかしな持ち方をするだけで、破れが広がってしまうことがある。

 そもそも破れがあるような本は仕入れなければいいのだが、どうしても自分の店の本棚に並べたいような珍本と出会ってしまうこともある。そんなときには、多少の傷みがあっても買うことはある。

 そうやって仕入れた本を、それ以上の破損から守るためにはカバーを掛けるのがよい。実際、半透明な紙(あれをパラフィン紙と呼ぶ人も多いが、正確にはグラシン紙という)でカバーを掛けている古本屋は少なくない。

 ただ、ぼくはあれがあんまり好きではない。なぜなら、グラシン紙でカバーされていると、多少傷んだ本でもそれなりに見えてしまうからだ。いちど、裸族に関する古めの本を買って、家でグラシン紙を剥がしてみたら、中の表紙がかなり傷んでいたことがある。ちゃんと調べてから買えばいいのだが、かといって店頭でグラシン紙を剥がすわけにもいかない。

 それを嫌ってか、透明ビニールでカバーを掛けているところもある。ぼくが店をやるなら、そちらの方法を真似したい。

 ……と、安易に考えていたのだけど、いざ、ビニールカバーを探してみたら、これがなかなか見つからない。市販のビニール製ブックカバーを買ってみたが、サイズの合わない本も多いし、それぞれのサイズに合うものを買っていたらコスト的に高くつくので現実的じゃない。まあ、開業はまだ先なので、この件はゆっくり考えていくとしよう。

 

2012年6月タ日

 Kさんが提供してくれた業務用本棚を、いよいよ組み立てる。

 ぼくが借りた物件の床にはパンチカーペットが敷いてあるので、本棚を直置きしたら嫌な形の跡が付くだろう。いつか退居するときに余計な修繕費を請求されるのも嫌なので、なるべく跡が付きにくいようにしたい。そこで、ホームセンターで本棚の底面と同サイズの板をカットしてもらって、本棚を設置する壁際に敷き詰めた。その上に、本棚をどんどん立てていく。組み立ては簡単だ。最後に、本棚の天辺に耐震用の粘着ヒンジを貼り付ければ完成。

壁面本棚は子供の頃からの憧れ。いくつになっても興奮する。

 鉄筋のビルなんだから天井まで届く本棚にしたいところだが、そういうものが手に入らなかったのだから仕方がない。いずれ、本棚の上にも「新入荷!』とか「注目の本!」といった感じで目玉商品を並べるようにすればいいだろう。

 各棚の高さは、とりあえず店の在庫的にもっとも多くなるであろう四六判が入る高さに組んでおいたが、これは本をどのように並べるかにも影響するので、臨機応変に変えていけばいい。

 さて、ここまでできたら、次は汚れた本を清掃し、値付けをして、取り扱いジャンルを考え、分類の仕切り板を作り、ジャンルごとに並べるという作業が待っている。およそ40年間、ずっと趣味でやってきたようなことが仕事になるのだ。これは夢じゃなかろうか。

 

2012年6月シ日

 古本屋になることを決意した瞬間に、「古本を買う」という行為が趣味から仕事へと変化した。これには予想以上の興奮を感じている。興奮に火がついて止まらなくなり、気がつけばブックオフ巡りのために大阪まで来ていた。

 衝動的に来てしまったような書き方をしたが、本当は綿密な計画を立てている。ぼくは旅に出る場合、訪問したい古本屋と中古盤屋を調べ上げ、食べておきたいご当地ラーメンの営業時間もすべて調べ上げ、乗換案内アプリを駆使して電車の乗り換えルートまでがっちり組み上げるのだ。

 大阪では梅田を出発点に、ブックオフ天王寺駅前店で9冊購入、ブックオフ大阪難波中店で5冊購入、ブックオフなんば駅南口店で2冊購入、弁天町ORC200で開催されている古本祭りで14冊購入、ブックオフ大阪弁天町店で3冊購入したのちに、ホテルにチェックイン。翌日も似たような感じでブックオフを巡りに巡って、二日間の合計は69冊。すげえ買ってるな。これを持って帰るのは無理なので、宅配便で神保町の店へ送ってしまう。

 

 大阪に坂和章平という人物がいる。通称「ナニワのオッチャン弁護士」。本業である弁護士の傍ら、趣味の映画を見ては、その感想をコツコツとブログに書き綴っている。弁護士としてはたいへんなキャリアをお持ちで、それに関する著作もたくさんあり、そっち方面では十分に成功を収めたと言ってよいだろう

 ところが、映画評論家になりたいという夢が忘れられず、書き貯めた映画の感想を『SHOW-HEY シネマルーム1 ~二足のわらじをはきたくて~』というたいそう正直なタイトルで出版してしまった。出版といっても自費出版なんだけど。

 ぼくみたいに全国各地のブックオフを巡っていると、日本の出版文化のいろいろな面が見えてくる。そのうちのひとつが“自費出版の本は薄い”ということだ。そりゃそうだよね。プロだって原稿を書くのは面倒で嫌なもんだ。編集者に尻を叩かれなければ、いつまでたっても書きゃしない。出来ることなら、予定枚数の半分くらい書いたところで本にしたいぐらいだ。だから、担当編集者もついておらず、一刻も早く“自分の著書”を手にする喜びを味わいたいアマチュア著者の自費出版物は、どうしたって薄くなる。

 ……というようなことが、ブックオフ巡りをしていればアリアリとわかってしまう。なぜなら自費出版で有名な文芸社新風舎、日本図書刊行会といった版元の本は、軒並み薄いからだ。

 しかし、坂和章平先生に限ってはこの法則が当てはまらない。たしかに、最初に私家版として上梓した『SHOW-HEY シネマルーム1 ~二足のわらじをはきたくて~』こそ厚さ5ミリ程度のものだったが、先生は映画に対する情熱がハンパないので、1冊本にしたくらいではその情熱が収まらない。書いても書いても書き足りない。本業だって激務であるはずなのに、ヘタなライターよりも執筆活動に力を注いでしまう。そうして書き上げた映画レビューをまとめた続刊は、とても自費出版とは思えない厚さの本なのだ。

 そして、さらに恐ろしいことには、これが2冊や3冊の話ではないということだ。普通、アマチュアの場合は「生涯に1冊でも本を出せれば……」という人生の記念碑的なニュアンスで本を作るので、1冊出したところでだいたい満足する。ところが、坂和先生はまったく飽きることがない。第2巻以降は、書名を『ナニワのオッチャン弁護士、映画を斬る!』という威勢のいいタイトルに改題し、いまも刊行され続けている。これらの「SHOW-HEY シネマルーム」シリーズは、2021年12月の時点ですでに49冊も刊行されているのだ!

集めたら楽しそうな気がするが、本がデカいので絶対邪魔になる。

 これを都内のブックオフで見かけることはあまりないが、オッチャンの地元である大阪では、どこのブックオフにもある。この背表紙を見ると、ぼくは「ああ、大阪へ来たんだなあ~」と実感するのだった。

03 古本ゲリラと古物商許可申請と小野悦男事件

2012年5月マ日

 先月末、「古本ゲリラ」というイベントをやった。簡単にいえばひと箱古本市だ。古書店主ではない一般の人たちが、不要になった古本を持ち寄り、路上にビニールシートなどを敷いて売る。すなわち古本のフリーマーケット。最初に誰が企画したのかはわからないが、いまは編集者でありライターでもある南陀楼綾繁さんが各地で一箱古本市をプロデュースしており、ミスターひと箱古本市とも呼ばれていたりする。

 一般的なひと箱古本市と「古本ゲリラ」の違いは、出展者を業界人に限定していることだ。業界人というのも雑な表現だが、主催者であるぼくの友人知人のライター、作家、漫画家、デザイナー、ミュージシャンといった人たちに限定して声をかけ、彼らの蔵書を売りに出してもらう。当然、そこに並ぶ本はかなり特殊なものが多くなる。お客さんは、商品の希少性に惹かれて来る人もいるだろうし、あるいはその出店者のファンが蔵書を求めて来る場合もあるだろう。

 最初に「古本ゲリラ」のことを発案したときは、まだ自分で古本屋の実店舗を開業しようなどとは思っていなかった。ただ、昔から古本と古本屋が好きで、自分でも古本屋的なことをしてみたいという気持ちが強かった。それで、フリーマーケット形式で古本屋ごっこをすることを思いついた。

 最初に声をかけたのは、ぼくと一緒に「せんべろ古本トリオ」として活動している安田理央(アダルトメディア研究家)と柳下毅一郎特殊翻訳家、映画評論家)の二人。準備段階のときは「サブカル古本市」なんて身も蓋もない名称を付けていたけれど、さすがにそれじゃあんまりなので、3人でネーミング会議という名の飲み会をやった。ひとしきり案が出たあとに柳下さんが「古本ゲリラはどう?」と言って、それに即決した。

 出店メンバーは先の二人の他に、大森望掟ポルシェ小野島大加藤賢崇喜国雅彦渋谷直角常盤響豊崎由美(他にもたくさんいるが書ききれない。省略された皆さんごめん)といった人たちが参加してくれた。我が人選ながら錚々たるメンバーだったと思う。

第1回古本ゲリラの会場前に出したホワイトボードに、イベントタイトルとイラストを描いてくれている喜国さん。

 印象的だったのは豊崎由美さんの売り方だ。自分の売り物(読み終えた小説)のことをきちんと理解して、その商品がいかにいいものであるか、読みどころはどこなのかを積極的にアピールする。そのおかげで完売一番乗りをしていた。誰かが「ラジオを聴いてるようだ」と言っていたけど、本当にその通り。古本界のバナナの叩き売り

 古本ゲリラにおいて、主催者の自分は古本を漁る場というよりも、仲のいい友達や、久しぶりの友達に会えるという側面が大きかった。で、このときに実感したのが「古本を売ったり買ったりするのはやっぱり楽しいなあ」ということだった。この体験が、自分で古本屋を開業するという厄介な行動の背中をぐんと押してくれたのは言うまでもない。

 

2012年5月ニ日

 神保町・小川図書ビルの契約を済ませ、仲介不動産屋からビルの鍵を受け取る。いよいよこの物件が自分のものになったのだ(借りただけですが)。

 ビルの2階に入居しているアイドル写真集専門古書店「ファンタジー」のHさんにご挨拶。すると、驚いたことに彼はぼくの住まいがある駅と同じところに住んでいるという。そんなことがあるのか。ぼくは赤瀬川原平さんの影響で自分が遭遇した偶然な出来事はすべて「偶然日記」に記録しているので、早速このことも書き込んだ。

 その後、不動産屋の案内でビルのオーナーのところまで挨拶に行く。靖国通りの九段下寄りにある、洋書専門店「小川図書」の店主、濤川(なみかわ)社長だ。

 この濤川さん、名刺をいただいたら神田古書店連盟の会長でもあって、ようするに神保町の顔役なのだ。副業気分で古本屋に手を出した自分が、いきなり凄い人の店子になってしまい、ビビるしかないのだった。

 しかし、古本屋としてどうこうする以前に、まずは空っぽの事務所に机を入れて原稿仕事ができるようにするのが先決だ。店舗を構築していくのはそのあとの作業。開業目標は、年内の予定である。

 

2012年5月タ日

 店のために借りた部屋をどのようにレイアウトするかを考えるため、空いた時間を使って採寸に行く。売り物である本の搬入を兼ねて、家にある本の山をクルマに積む。家から神保町までは、道が空いていれば1時間ほどで着く。

 店の側にあるコインパーキングをアテにしていたのだが、あいにく満車だった。周辺をウロウロして空いているパーキングを探すが、なかなか見つからない。神保町にはパーキングがたくさんあるが、そのぶん利用者も多いのだ。

 白山通りのかなり水道橋寄りのところにやっと空いているのを見つけた。積んできた本の段ボールを持って歩くにはちと遠いが仕方ない。二往復して搬入は完了。

 そのあと、持ってきた巻尺で部屋のあらゆるところを測る。だいたいの部屋の形を俯瞰図にして、そこへ測った寸法を記入していく。図面なんかフリーハンドでいい。数字さえ正確なら問題はない。この辺のさじ加減は、元製図屋なのでお手の物である。壁面の寸法がわかれば、本棚を何台入れられるかの概算が立つ。

製図をやっていたおかげでこういう作業は屁の河童(妹尾河童とかけてある)なのだ。

 すべて終わって何もない床の中央に大の字に寝っ転がる。誰しもやったことあるでしょう?「今日からここがオレの城かぁ」ってやつ。

 気がついたら床で2時間くらい寝てた。いけねえ、いけねえ。あわてて車に戻ったら、駐車料金は2500円を超えていた。都心の駐車料金おそるべし! 次回からの搬入作業は、終わり次第とっとと引き上げるようにしなければ。

 

2012年5月シ日

 ネットで古物商の許可申請に必要な書類を調べる。あまりにたくさんの書類が必要で、事務作業が苦手な自分は頭がクラクラする。

 松戸市役所の市民課へ行き、「住民票(300円)」と「戸籍の身分証明書(300円)」を入手する。

 続いて、市役所の少し先にある法務局松戸支局へ「登記されていないことの証明」という哲学的な名前の書類をもらいにいくが、この支局では発行していないと言われる。申請用の書類だけもらって、記入したものは千葉市の法務局か、東京都の法務局」へ提出しなければならないのだという。同じ千葉県でも松戸市千葉市は遠いんだよね。でも、 東京都の法務局は九段下にあるというからラッキーだ。明日も神保町に行くつもりなので、そのついでに九段下の法務局へ行こう。

 

2012年5月ヨ日

 いざ、店をやるということになって、本棚の問題が急浮上してきた。借りた物件は白山通り側が一面の窓になっていて、そんなに広い面から直射日光が入ってきたら本が日焼けしてしまう。これを防ぐためには、この窓を潰す必要がある。いちばんいいのは、よく書店などが使っている背板付きの巨大な本棚を導入することだ。しかし、これがどこにも売っていないのだ。ネットで検索すれば、すぐに業者向けのサイトが見つかると思ったのだけど、どうにもうまくヒットしない。

 というようなことをツイッターでつぶやいていたら、フォロワーのKさんという方が連絡をくれた。曰く、「いまは実店舗を閉めて通販だけだが、以前は古書店をやっていた。そのときの本棚が余っているので、中古でもよければもらってくれないか」というのだ。これはありがたい。

 詳しく聞いてみると「背板はない」ということなので窓際対策には使えないが、ならば横の壁一面に設置するつもりだった本棚として使えばいいだろう。これだけでも、本棚導入の予算を半分に節約できる。

 Kさんの事務所は神保町からクルマで30分もかからない場所なので、さっそく見に行ってみた。縦板、天板、底部、棚板がすべて分解できるタイプなので、これならぼくのクルマ(常用の小型車)でも積むことができる。ただし、量が多いので1回では無理だ。後日、何度かに分けて運び込むことにしよう。

 他に、商品の陳列用とは別に、一般的なスチール製の本棚をネットで2台注文した。これは作業机(店主=ぼくの定位置)の背後に置いて、自分の蔵書や資料を並べておくためのものだ。

 ただし、こちらも分解できるタイプのスチール棚で、やはり背板はない。そしてこれを置く側の壁には小さいながらも窓がある。ということは、その窓から入ってきた日光が本棚に並べた本の小口側を日焼けさせてしまう。これは困る。窓にカーテンをかけることも考えたが、市販のカーテンでは紫外線を100パーセント防ぐことはできないだろう。どうしたもんかなあと考えて、いいことを思いついた。厚手の黒い紙を買ってきて、本棚の背に貼ってしまうのだ。何も背“板”でなくても、紙でかまわないのだ。これならずっと安上がりで済む。

ぼくは昔からこのスチール製の本棚を愛用し続けている。

2012年5月ボ日

 ニトリで購入しておいた作業机が届く。机というか幅1200ミリ×奥行き600ミリの単なるテーブルだが、それでいいのだ。これを2台横並びに配置する。右側のテーブルは古書店用のスペースとして、開業時に導入するつもりのレジスターなどを置く。左側はライターとみさわ昭仁の仕事スペースなので、パソコンや書類入れなどを置こう。これを機にデスクトップパソコン(iMac)を新調するつもりでいるが、とりあえずは外で仕事する用のMacBookを置いておけば、今後、立ち寄ったついでに仕事もできていい。

 食事ついでに合羽橋まで行ってみた。店の入り口に敷く足拭きマットを探しに来たのだが、全然ない。なぜだろうと不思議に思ったが、そうか、ああいうものは定期的にクリーニングする必要があるから、レンタルなのかもしれない。でもなー、レンタルするほど来客あるわけじゃないしなあー。

 と、ぶつくさ言いながら歩いていたら、普通に売っていた。

 神保町に戻ってきて某古書店の前を通りかかったら、店頭ワゴンに「雨の日特価でどれでも200円」との張り紙が。なんとなくピンと来たので覗いてみたところ、小野悦男の『でっちあげ』が並んでいるではないか!

 小野悦男は、首都圏連続女性殺人事件の犯人として1974年に逮捕され、一審で無期懲役の判決が下されるも、警察のでっちあげだと冤罪を主張。最終的に、捜査機関による自白の強要が問題となって17年後の二審で無罪となって釈放された。つまり冤罪事件のヒーローだ。この本は拘置所への収監中に出版されたもので、小野さんを支援する人々の証言を読んでいると「こんな心優しい人が連続殺人なんてするわけがないよなあ」という気持ちが湧いてくる。

 ところが、釈放から5年後に小野は別件の殺人事件で逮捕され、そちらは動かぬ証拠を突きつけられて無期懲役が確定。結局、人殺しなんじゃねえかよ! と、これまで冤罪運動に尽力してくれた皆さんの期待を盛大に裏切ってくれたのだ。それを知ってから読むと、なんとも言えない気持ちになる珍書なのだ。古書価はだいたい4000~5000円くらいはする。そんないい本が200円。しかも新品同様だった!

 犯罪本のコーナーは作るつもりだから、開店したらそこの目玉商品にしよう。

02 古本酒場とコピー機の悪夢とまさかの神保町

2012年4月マ日

 住居のためのアパートを借りるのとは違って、店舗用の物件は敷金・礼金がすげえ高いというイメージがある。神保町のあのメインストリートにある古本屋なんて、いったい家賃いくらなんだろう。月100万とか、200万とかするのかな。

 ぼくが店舗を借りるとして、家賃はいくらまでなら出せるだろうか。100万? 全然無理。100万の家賃を払ってもやっていけるようなビジネスモデルは、ぼくの中にはまったくない。せいぜい10万以内がいいところ。家賃と管理費込みで月に10万。その枠組みの中で、趣味の古本を売りさばいて月に20万円くらいの売り上げがあれば、なんとか店は維持していけるのではないか。自分の生活はライター業の稼ぎで賄う。これなら生きていけそうだ。

 ハナっから儲けることを諦めた事業計画だが、ぼくにできるのはその程度のことだ。家賃10万、可能ならなるべくそれより安いところを求めて、ぼくの物件探しは始まった。

 最初に内見に行ったのは、西日暮里の駅から徒歩5分ほどのところにある路面店だった。そこは家賃9万円で、駅近なのにずいぶん安いなと思ったら、内装を全部剥がしてあって、壁の骨組みとかムキ出し。ドアも電灯もシンクも全部取り外され、便器さえも無いところだった。これじゃ、いくら家賃と管理費が安くても、店として使うための内装工事で200万くらいかかってしまうだろう。それじゃダメだ。

 次に見たのは、千駄木の物件。ここは木造二階建ての建物で、上も下も使用可能で10万円。1階を店舗にして、2階を自分の仕事場にすることができるのはちょっといいなと思ったのだけど、木造というのが引っかかった。1階はともかく、2階にだって本をたくさん搬入することになるはずので、強度が心配なのだ。それに、内見したらトイレが和式だった。ぼくは和式トイレが本当に苦手なので、ここも却下となった。

 

2012年4月ニ日

 ネットでいろいろな物件を見ていたら、町屋によさそうなのを見つけた。駅からも近く、飲食店が集まるビルの地下1階。つまり、そこも飲食店用の物件なのだ。

 実は密かに、自分の店は古本酒場にするのがいいんじゃないか、と思っていた。当時、ぼくはもつ焼きにハマっていたので、それと古本を組み合わせたらおもしろいかもしれないと思ったのだ。高円寺に古本酒場「コクテイル」という店もある。

「ジュースとか甘酒とか並べてね」

「ついでに石も置いて多角経営してみようと思う」

 これは、つげ義春無能の人』の中で、主人公の助川助三がつぶやく台詞である。古本屋をやろうと決めたときから、ぼくの頭の中には何度となくこのセリフが浮遊していた。古本だけでは魅力に乏しい。ならばお酒も置いてみよう。つまみはどうしようかな。さすがにもつ焼きなんかやったら本が煙臭くなってしまう。うま~い煮込みだけならいいんじゃないか。看板には「煮込みと古本の店」と書く。ホッピーかチュウハイを飲りながら背後の本棚にある本を手にとってパラパラとめくり、気に入ったら買って帰ることもできる。うん、これは最高かもしれない。

 飲食店で修行などしたこともないくせに、そんなことを夢見ていた。まあ、夢を見るだけならいいだろうと、さっそく不動産屋に連絡を取り、町屋の物件を見に行った。

 だが、実際に内見してみると、こりゃ無理だと悟った。見に行ったのは明るい時間だから周囲の店はシャッターが降りていたが、見事に全部酒場。そのうち2軒ほどはカラオケありのスナックだった。つまり騒音問題だ。自分の店も酒場営業しているときはいいが、例えば店を閉めて原稿を書かなければいけないこともあるだろう。そんなときでも遠慮なく聞こえてくるカラオケの歌声……。気が散りやすい性格のぼくは、そんな環境ではとても原稿に集中できない。

 早々にぼくは古本酒場構想を諦めた。

 

2012年4月タ日

 物件選びの重要な条件として、ぼくは「近所にコンビニがあること」というのを決めていた。これは以前フリーライターの友達と三人で事務所を運営していたときの苦い経験に基づいている。

 いまでこそコピー機やファックスは安く買えるようになったが、1980年台半ばはまだまだ高価で、リース契約するのが一般的だった。ぼくらも事務所を開設するにあたって、大型のコピー機とファックスをリースした。コピー機が月額15,000円、ファックスが7,000円。これらは三人でお金を出し合って払うのだが、リース契約の名義は三人のうち年長だったぼくが引き受けた。これが、後々になってぼくの経済を苦しめることになる。

 三年後、それぞれが独立して仕事をするようになり事務所は解散したのだが、そのときコピー機とファックスは名義人であるぼくが引き取り、一人でお金を払い続けた。これがかなりの負担となった。毎月毎月少ない稼ぎの中から22,000円は悪夢のようだった。もう二度と自分でコピー機なんか所有するもんかと思った。

 電子メールが登場したことで、もはやファックスを使うことはなくなった。その代わり、パソコンで仕事をするようになるとプリンターが必要になる。でも、ぼくはあのプリンター業界のインクカートリッジで儲けるやり方が気にくわないので、プリンターを買うつもりもない。そこでコンビニの登場だ。

 いまの大手コンビニはコピーとプリンターが一体化した総合機が置いてある。だから、そうしたコンビニのすぐそばに自分の店(兼事務所)を構えればいいのだ。都内であればどこの町にもコンビニはあるので、この条件はそう難しいことじゃない。

 

2012年4月シ日

 世話になっている不動産屋のYさんから「水道橋にいい物件が出ました」という連絡が入った。見に行ってみると、駅から3分ほどの人通りが多い場所で、やや古いビルの4階だった。3階にはプロレスグッズの店が入居しており、マニアショップが入っているビルで古本屋をやるというのは悪くない。

 家賃は9万。部屋の広さもそれなりにあって、瞬間的に「ここだ!」と思ったのだが、問題はエレベーターがないことだ。しかも、よく見てみるとエアコンが付いていない。つまり、ここを借りた場合、自費で業務用サイズのエアコンを設置しなければならないのだ。これは悩ましいところである。

 そして決定的に「ここは無理」と感じたのは、やはりトイレが和式だったことだ。エレベーターがないことよりも、エアコン代の負担よりも、和式トイレが引き金となって、この物件も諦めざるをえなかった。

 ビルの外へ出ると、Yさんが「もう一軒あるんですけど見ます?」と言う。場所は神保町。まさか! 神保町で古本屋がやれる……? でも、どうせ古本街からは離れた裏通りなんだろうなあ。

 あまり期待しないでいると、それは神保町の交差点から白山通りを北へ30メートルほど歩いたところにある小川図書ビルの4階だった。えっ、一等地じゃん!

 このビルにもエレベータは付いていないが、実際に4階まで上がってみると、不思議と辛さを感じなかった。何度か昇り降りしてみて、その秘密がわかった。それは、このビルの階段が変則的な形をしているからだ。

 たとえば、同じ形状の階段を4階まで延々と登らされると、その変化の無さがそのまま疲労となってのしかかる。しかし、このビルの階段は1階から3階の手前までは真っ直ぐの階段で、そこから螺旋状に構造を変える。そのおかげで、4階まで上がってきたのにまだ3階までしか上がっていないような錯覚を覚えるのだ。

 また、2階には「ファンタジー」という名のアイドル写真集を専門に扱う古本屋が入居している。これも嬉しい偶然だ。ひとつのビルに古本屋が2軒あったら、お客さんにとっても好都合だろう。

 そして、いちばん嬉しかったのはトイレどころか、ユニットバスが付いていたことだ。聞けば、元はオーナーのお嬢さんが住居として住んでいたときに付けたものらしい。もちろんエアコンもある。店舗にするには若干狭いが、そもそも古本を大量に売りさばくビジネスモデルを想定してはいないので、十分な広さに感じられた。

 気になる賃料は、家賃と管理費を併せて10万円弱。もうここに決めるしかない。

 

2012年4月ヨ日

 最高の物件が見つかったので、賃貸申込書を提出しなければならない。神田にある不動産屋へ行き、小川図書ビルの賃貸申し込み用紙を記入する。

 ついでに、担当者が保証金の値下げ交渉をしてくれるという。ぼくは買い物をするときに値切るのは好きじゃないのだが、向こうが勝手にやってくれるなら大歓迎だ。保証金は家賃8ヶ月となっているところを6ヶ月にできないか、オーナーに持ちかけてくれるそうだ。なるといいね。

 さて、結果は週明けに!

 

2012年4月ボ日

 オーナーから賃貸OKの許可が出た。もうあとには引けないぞ。心が引き締まる。

 これまで書店、古書店で働いた経験はない。アルバイトではイトーヨーカ堂のインテリア売り場、塗装屋、ケンタッキーフライドチキンマツモトキヨシ、小料理屋と、いろいろな業種でバイトをしてきたが、仕入れをして接客して帳簿をつけて棚卸しをするというような、商人の基礎はまるでわかっていない。そんな自分に古本屋などつと(務)まるのだろうか?

 いや、つと(勤)めるのではないからいいのだ。自分が思うような店を作り、自分が思うように仕事をすればいい。誰も怒る上司はいない。ぼくがこの店のオーナーなのだ。

 正直いって不安感がないわけではないが、それ以上に新しい何かの始まりに、ぼくはワクワクしていた。