37 店主一人営業の苦悩と万歩書店と大馬鹿者

2013年5月マ日

 切実に店員さんが欲しいなあと思う。

 店の営業は店員さんに任せて、自分は「セドリ」という名の買い付け旅行だけをして暮らす。それで店の維持費と自分の生活費を賄う。その合間に行うライター仕事による収入は余録として貯蓄に回す。そんな調和水槽的サイクルができたら最高なのだが、どう考えてもマニタ書房のコンセプトでは不可能だ。

 開業以来、一冊も売れていない「極端配偶者」「大家族」「特殊辞典」「珍健康法」といった不人気コーナーをリストラして、もっと動きのいい商品を充実させるべきなのだろうけれど、そうなったらマニタ書房がマニタ書房ではなくなる。

 そもそも、マニタ書房はお金のために始めた店ではない。日がな一日、店の帳場にほげら~っと座っていて、たいして儲かりもしないけれど、ごく一部の人に愛されることでなんとなく続いている、そんな店の主人になりたくて始めたことなのだ。

 その行き着く先がどうなるかは助川助三を見ればわかりそうなもんだが、もう引き返せないのである。

 

2013年5月ニ日

「買い付け」と言えばかっこいいのに、「セドリ」と言われると、なんだかヒト聞きが悪い。やってることに何ら変わりはないのに。

「買い付け」には、目利きが海外の蚤の市でアンティーク家具などを仕入れてくるイメージがある。一方「セドリ」には、ロクに古本の知識もない者がスマホとビーム端末を片手にブックオフでバーコードを読み取っているイメージがある。そりゃあどっちがモテるかと言ったら答えるまでもない。でも、セドリは古書業界に昔からある言葉なので、ぼくは臆せず使っていこうと思う。

 

2013年5月タ日

 友人のミュージシャンが大麻所持で逮捕されたというニュースにショックを受ける。メジャーデビューも果たし、さあこれからガンガン行くぞというときに何をやっているのだ。まあ、それも含めての彼という人間なので、逮捕されたくらいで今後の付き合いを変えるつもりもない。まずは自分のやらかしたことにきちんと向き合い、素直に罰を受け、もういちどやり直してくれることを願わずにはおれない。

前科おじさん

前科おじさん

Amazon

 

2013年5月シ日

 今日はお台場のカルカルにてトークイベント「ヘンな本ナイト」がある。いろいろと準備をして会場入りしたのだが、開演直前に盟友である成澤大輔の訃報が届き、全身から力が抜ける。数年前から闘病していることは耳にしていたが、ついにその日がやってきてしまった。

 成澤が死んだという実感がなく、心ここに在らずの状態でイベントを終えて帰路に着く。しかし、電車を待つ有楽町駅のホームでベンチに座ったまま動けなくなり、しばらく泣いた。

 

2013年5月ヨ日

 今月号の『本の雑誌』に、岡山の巨大古書店万歩書店」についての座談会(岡崎武志さん、北原尚彦さん、ご一緒)が掲載されている。

 古本亡者なら一度は行っておかなきゃならない万歩書店に、ぼくは今年の1月に岡山~倉敷ツアーで行っている。とにかく店の規模がデカく、1時間やそこらの滞在では到底すべての本を見ることなどできない。いくらレンタカーで来ているとはいえ、欲しい本を全部買っていたら大変なことになるので、厳選に厳選を重ねて本店で9冊、エンタメ店で2冊、倉敷店で4冊だけ買い込んだ。

 いまはマニアに荒らされていい本が減ったらしいが、いち早くこの店に通っていた吉田豪氏によると「以前はこんなものではなかった」ということだ。古書販売は分母のデカさこそ正義であるからして、こうした大型古書店は貴重である。

 

2013年5月ボ日

 このところ続いていた怒涛の出張買取が終わった。喜久盛酒造の藤村社長、デザイナーの植地毅さん、ゲームフリーク杉森建さん(こちらは郵送で)という、明らかに濃厚なコレクションをお持ちであろう方々の蔵書を買い取らせていただいたのだ。全部で段ボールにして7箱。うちのような小さい店にとってはかなりの量だ。査定額も皆さん満足していただけたようで、ありがたい限り。

 マニタ書房は、店主が「これは!」と思った本しか買い取らないわがまま経営ではあるが、そのかわり、いい本は相場以上の高値で買い取るようにしている。それでいて店に並べるときは相場より一割ぐらい安い価格にしているので、それじゃあ儲かるわけないよ。

 

 一般の方は、古本屋の看板に「高価買取」とあると、その店の店頭に並んでいる本の価格を思い浮かべるだろう。つまり、その店で3,000円の値札がついているのと同じ本を持ってきたら、3,000円はあり得ないにしても、2,000円くらいで買い取ってもらえるのではないか、と。

 でも、さすがにそれは無理な相談だ。せいぜいが200~300円。査定の高いところでも500円がいいところ。

 日常の消耗品や食材と違って、古本は仕入れてもすぐに右から左へ売れるわけではない。いつ売れるかわからないということは、その日が来るまで店舗の家賃がズシズシかかってくるし、光熱費や人件費もかかる。それを見越して、買取り金額はギリギリまで下げざるをえない。

 ブックオフに本を持ち込んだことのある人ならわかると思うが、あそこはだいたい買い取り金額が1冊あたり10円とか100円でしょう。激安だけど、店舗規模や人件費を考えたら当然そうなる。古本屋としては何も間違っていない。

 ただ、マニタ書房のような個人店がブックオフのような大型古書店と同じことをやっていたのでは太刀打ちできないので、様々な場面においてシステムを極端化して個性を出すしかない。だから買取りできる本を厳選するかわりに、本当にいい本であれば最低でも100円、あるいは500円でも1000円でも値付けをして買い取るわけだ。

 

 今日、いちばん高く買い取ったのはオウム事件のときに話題をさらった横山弁護士の『大馬鹿者』で、600円の値をつけた。自分のコレクションに加えるためなら2,000円は出してもいい本だが、店の仕入れとしてそんな値段でセドったら売値は6,000円くらいつけなければ利益が出ない。

 しかし、マニタ書房をそんな店にはしたくないので、1800円~2000円ぐらいで店頭に置くことをイメージして、600円という買い取り価格を提示させていただいた。自分用としてすでに一冊持っているので、ようやく店頭に並べることができた。

36 珍書とシーナとナスカジャン

2015年2月マ日

 自分で古本屋をやっていて嬉しいことのひとつに、仕事やプライベートで読み終えた本を自分の店で売れるというのがある。

 読み終えた本をよその古本屋に持ち込んだら、せいぜいが定価の1割くらい(2,000円の本なら200円。なんならもっと低い金額)でしか買ってもらえないものが、自分の店ならば定価の3割で並べておいても売れてしまう。書評のために読んだ新刊や話題の本なら、定価の半額でもすぐに売れる。これは本当にありがたい。

 また、ぼくのフリーライターという副業の観点から見ても、読み終えた本を即座に売ることができる利点は大きい。

 仕事柄、新刊チェックは日課のようにしている。連載している新刊紹介のコーナーのために話題の本はなるべく目を通しておきたいが、気になる本をすべて買うわけにはいかない。だから取捨選択をする。

 しかし、これまでは「いま新刊で買わなくてもいいかなあ」と迷ったような本も、読み終えたあとに自分の店に並べれば買い値の半額は回収できるのだと思えば、わりと躊躇せずに買ってしまえるのだ。

 

2015年2月ニ日

 今日は「珍書ビブリオバトル」に出演する日。ビブリオバトルとは何かというと、出演者が各自おすすめの本を持ち寄り、順番に壇上で持参の本の何がいいのか、読みどころはどこかなのをアピールする。それを観客による投票で順位を決めるという、本好きたちによる本好きたちのための素晴らしい遊びである。

 そもそものビブリオバトルは話題の小説や新刊などで行われることが多いが、今回のは「珍書」とあるくらいで、書籍のジャンルも新刊かどうかも問わない。たとえ古い本でも、珍なる書物で、それを面白おかしくアピールしたものが勝ち、というルールだ。出演者はハマザキカク氏(社会評論社、珍書プロデューサー)どどいつ文庫イトー氏(海外書籍販売員)、ひだまい氏(暗黒通信団)、それにとみさわ昭仁(マニタ書房)という面々。

 これだけの強者を相手に果たして勝てるのか……と思ったら、優勝してしまった。

▲優勝賞品は人参焼酎「珍(めずらし)」。お酒をもらって超嬉しそう
(写真提供:Tokyo Biblio)。

 ぼくが紹介したのは『よーいドン! スターター30年』(佐々木吉蔵著/1966年/報知新聞社)という本で、陸上競技のスタートラインでピストルを空に向け、ドンと号砲を鳴らす役目を30年もやってきた人の自伝だ。そんな本、どう考えてもおもしろいに決まってる! 60年近く前に刊行された本なので入手するのは簡単ではないと思うが、機会あればぜひ読んでみてほしい。

▲店に飾るのに一升瓶のままでは味気ないかと思い、
近所の徽章屋で優勝リボンを買ってきて付けてみた。

2015年2月タ日

 シーナ&ザ・ロケッツのシーナさんの訃報あり。六本木にあるハドソンでの定例会議を終え、乃木坂駅へ向かって歩いているときにスマホでそのニュースを目にした。息が詰まった。友人でも知人でもなく、一方的に好きなだけの人なのに、涙が溢れてきて止まらない。シーナさんの死そのものよりも、愛する妻を亡くした鮎川さんに感情移入しているのかもしれない。帰りの電車の中でいい大人がめそめそと泣いていて恥ずかしい。

 信じたくないニュースではあるが、この世の信じたくない出来事の大半はいつでも起こりうる出来事であるのをぼくは知っている。いまは手を合わせ、その眠りが安らかなるものであることを祈ろう。

 パンクロッカー、シーナ。数え切れないほどのロックンロールをありがとう。日本工学院ホールの最前列で見た、スタンドマイクにしがみついて歌うあなたの全身から放たれるロックの官能は、一生忘れることができない。

 いまから20数年前、ぼくが下北沢に住んでいたとき。茶沢通りの横断歩道で赤信号を待っていたら、道路を挟んだ向こう側に鮎川パパが幼い娘二人を両手に従え信号を待っていた。ほどなくして信号が変わり、すれ違う瞬間に父娘の会話が聞こえた。

「早くお家に帰ってママとケーキ食べようねー」

 幸福な家庭とロックンロールの両立はあり得るのだと、ぼくが理解した瞬間だ。

▲45年前、TVK『ファイティング80's』の公開録画ライブの際にもらったサイン。

▲中袋にはシーナさんにもサインしてもらい、ぼくの名前まで入れてくれた。

2015年2月シ日

 自分ではその番組を見ていなかったのだが、女優の二階堂ふみさんがナスカジャンを愛用しているというのを、Twitterを通じて知った。何かのテレビ番組でその名を挙げ、現物をスタジオに持ち込んで紹介してくれたらしい。しかも、私物のそれを嵐の大野智さんが羽織るという場面もあったようだ。とてもありがたいことである。

 悲しい出来事がひとつあれば、それを少しでも薄めてくれるように喜びの知らせもやって来る。4年前に妻を亡くしたときにも感じたことだが、こうして人生は泣き笑いを繰り返しながら少しずつ前へと進んでいく。

 

2015年2月ヨ日

 営業中、店内の本を5~6冊抱えたお客さんが「値段はいくらなんですか?」とおっしゃる。ほとんどの古本屋は、値札を最終ページに貼り付けるか、最終ページの上の角に鉛筆書き(マニタ書房もそうしている)ものだ。古本好きなら当たり前のことだが、あまり古本屋に行かない人にはその常識が通用しないのだろう。

 最終ページに書いてありますよ、と教えてさしあげたところ、手に持った本を一冊ずつ確認している。そうしてひと通り確認が終わったと思ったら……全部棚に戻して帰っていかれた。うちはそんなに高い値付けをしていないつもりだけど、1冊108円だとでも思っていたのだろうか。

35 ソウルじじいと岡山のローカルスターとBAWDIES

2015年1月マ日

 新年明けましておめでとうございます。

 昨年の前半は相変わらずの「いつ開いてるかよくわかんないわがまま営業」をしていたけれど、後半になって突然「このままじゃいけないのではないか?」と思い直して、わりとちゃんと店を開けるようにした。おかげで、売上げも少しは上昇してきた感じがする。

 実際のところは、原稿依頼が増えたことで必然的に仕事場に常駐している時間が長くなり、ついでに店を開けるようにもなった、ということなのだが。

 以前は、締め切りに追われているときはお客さんの相手ができないので、店を閉めることも多かったんだけど、最近は古本屋であることにも慣れてきたのか、お客さんの出入りがあっても気にせず原稿が書けるようになってきた。

 この、ほどほどの忙しさの古本屋と、ほどほどの忙しさの物書き稼業の両立が、いつまでも続いてくれることを願う。

 

2015年1月ニ日

 今日は仕事を少し早めに切り上げて、武道館までダイアナ・ロスの来日公演を見に行く。ダイアナ姐さんも御年70歳。もうこれが最後の来日となるかもしれない。

 マニタ書房から武道館までは徒歩15分ほど。九段下を上がっていくにつれ、若い頃はさぞ遊んでいたであろうソウルじじいとディスコばばあの数が増えていく。今夜の武道館、平均年齢が高い。

 開演直前に2階席正面がざわついたので何事かと思ったら、たくさんのSPを引き連れた安倍晋三総理(当時)が来ていたのだった。税金使っていい席取りやがってコンチクショー。

 ぼくが取れた席は2階の左翼の端の方なので、ダイアナの右側面しか見えなかったけど、やはり生の迫力はすごかった。何度も退場したのは、おばあちゃんトイレが近いんだろうなあというところだろうけれど、ボーカルの衰えは感じさせることなく、"Stop! In the Name of Love"も"You Can't Hurry Love"も"Ain't No Mountain High Enough"も、あとタイトル知らないけどぼくでも知ってるヒット曲を片っ端からやってくれた。

 

2015年1月タ日

 いまから5年くらい前までは中古盤屋へ行っても、あんまり歌謡曲のいいレコがなくて掘り甲斐がなかったが、ここ数年でザクザクいいものが出てくるようになった。不謹慎な言い方だが、おそらく第一次廃盤歌謡ブームを支えた世代のコレクターが死にはじめて、遺族が処分しているのだろう。ということは、いまから10年くらいは中古市場がすごくおもしろくなるはずだ。

 なぜそんなことを思ったかというと、今日はディスクユニオンの柏店で「うわっ、このレコがこんな値段で!?」みたいな掘り出し物がざくざく出てきたからだ。勢い込んで14枚も買ってしまった。

 そして、いつかは自分も死んで、娘にレコードコレクションを叩き売られ、どこかの歌謡曲コレクターを喜ばせることになるのだろう。それもまたよし。

 

2015年1月シ日

 この日より3日間、岡山かた倉敷にかけての仕入れツアーに出かけるのだ。いちばんの目的は古本マニアなら知らぬ者はない万歩書店に行くことだが、ついでに中古盤屋も可能な限りチェックしたい。

 で、怒涛の3日間を過ごしたわけだが、日記ではその釣果だけをまとめておく。

 

 1日目 5冊購入@ブックオフ山東古松店

     1冊購入@南天荘書店

     2枚購入@GROOVIN' 岡山表町店

     自分が欲しいものはなし@キングビスケットレコード

     1冊購入@古書隠書泊(オニショハク)

 2日目 9冊購入@万歩書店本店

     8冊購入@ブックオフ岡山西長瀬店

     16枚購入@グリーンハウス岡山店

     6冊購入@ブックオフ岡山妹尾店

     6枚購入@レコード屋(という名前の中古盤屋)

     4冊購入@ブックオフ倉敷浜店

     13枚購入@グリーンハウス倉敷店

     4冊購入@ブックオフ倉敷笹沖店

 3日目 4冊購入@万歩書店倉敷店

 

 他にブックスフロンティアもいい店っぽいので覗いてみたかったのだが、営業時間が未定らしく、あいにくぼくが訪問したタイミングに合わなかった。名残惜しかったがワケありで早く帰京しなければならず、予定より2時間も早い新幹線に乗車して帰京した。

 ※当時、SNSには「ワケありで」なんて言い方でつぶやいていたが、この年の1月7日に親父が死んでいて、その葬儀のために早く戻る必要があったのだ。親が死んでも古本仕入れツアーの予定はキャンセルしたくないので、親父の死体は葬儀屋さんの冷蔵庫に突っ込んで岡山まで遊びに行っていた酷い息子。古物商の業である。

 

 結局、岡山~倉敷ツアーの成果は、古本42冊、ドーナツ盤36枚、LP1枚というまずまずのものだった。駆け足な旅にしてはいい収穫だったのではないかと思う。岡山のブックオフは北部を残しているので、いつかまた来なければなるまい。

 今回の旅では古本も中古盤もいいものがたくさん買えたが、実はいちばんの収穫は「うちだよしはる」というナイスなローカルシンガーを知れたことかもしれない。

岡山の街の随所でこの方のポスターを見かけた。

 どのポスターにもことごとくこのような落書きがされていて、れが第三者によるイタズラではなく、どうも本人の手によるものらしいのだ。スナックもやっているようなので、いつか飲みに行ってみたい。あと、この方の新曲『東京スカイツリー・ラブリー・ロンリー・ナイト』も手に入れないとね。

 

2015年1月ヨ日

 これは、岡山のブックオフで買ってきたとある本のカバー裏。貼ってある値札シールが、ちょっと珍しいパターンだった。

▲お馴染みブックオフの値札シールの下に、見慣れないシールが見える。

 ブックオフでは一定期間売れずにいた本は値下げをして値札シールを重ね貼りするが、その際にシールの色が変わる。だから、いつまでも売れない本は何度も値下げを繰り返して、3色のシールが重なっているようなものもたまに見かける。ところが、これは他店で売っていたときのシールがそのまま残っているのだ。これを剥がしてみると……。

 

前の店では93円で売られていたことがわかった。

 93円でも売れなかったものを108円で売ろうとしているわけだが、ブックオフは最低価格が108円(当時)なのだから、こればかりは仕方がない。

 次に、この93円シールを剥がしてみると、その下は105円だった。

 

▲また別のデザインのシールが出てきた。

 これもブックオフのシールではないし、その前の店のものでもないようだ。どこのものかはわからない。もしかすると、店名が入っていないだけで、ブックオフの古いシールという可能性もあるのかな。

 そして、3層になっていたシールを並べてみるとこんな感じになる。

▲お客さん来なさすぎて暇なので、こんなことしかやることがない。

 

2015年1月ボ日

 スペースシャワーTVの番組「THE BAWDIES A GO-GO!!」から取材依頼があった。彼らが街歩きをするコーナーでマニタ書房を訪問したいのだけどいいですか? という問い合わせである。

 マニタ書房は原則としてテレビ取材は受けない(店主がテレビ嫌いなので)のだけど、BAWDIESはわざわざアナログ盤を所有している程度には好きなバンドなので、例外的に快諾した。

 ところが、それっきり連絡ナシでロケは実現しなかった。最終的に会議を通らなかったのかもしれないのでバンドに罪はないが、テレビはこういうことが多いので、ますます取材拒否の気持ちが高まるのである。

34 TRAと子供歌手と特殊辞典

2014年12月マ日

 20代から30代の後半くらいまで家を出て一人暮らしをしていたので、若い頃に買い集めたレコードコレクションは、母が物置の奥に突っ込んでいた。

 結婚して、娘が生まれて実家に帰ってきてからも、子育てとゲーム開発の仕事に追われて、音楽を聴く機会は極端に減った。まして世はCDの全盛期から音楽配信に移行しようという時代。物置の奥で眠るレコードのことなど思い出しもしなかった。

 それが、DJフクタケさんと出会ったことでレコードのおもしろさを再認識し、「そういえば昔集めたレコードはどこへやったっけ?」と物置を漁ったところ、いまではプレミア価格がついているようなレコードがゴロゴロと出てきた。昔のおれ、目が高いなー! という自画自賛はさておき、レコードと一緒に出てきたのが、カセットマガジン「TRA」だった。

 TRAって、わかりますかね? 毎号アートディレクションがバリバリに施された小冊子と、当時最先端の音源が収録されたカセットテープが同梱されたマガジンで、スペシャルイシューも含めればトータルで11号までリリースされたはず。

 収録されているミュージシャンは立花ハジメ、横山忠正(スポイル)、メロン、サロンミュージック、鈴木慶一かの香織(ショコラータ)といった顔ぶれで、あの頃のニューウェーブ野郎ならマストバイだった。もちろん、ぼくも小遣いをやりくりして毎号買っていた。

▲ダイモテープでラベルを作り、当時愛用していたTDKのカセットケースに収納。毎号カセットと凝った小冊子が特殊なケースに入っていたんだけど、それは捨てちゃってカセットしか残ってない。

 ということをTwitterでつぶやいたら、掟ポルシェが「とみさわさんがカセットブックのブックレットを捨てるって! 一体どういう状態だったんでしょう」とコメントしてくれた。

 ぼくは自分を「プロ・コレクター」と自称しているし、自著の記述からも世間的には「コレクションの鬼」と認識されているかもしれない。だから掟さんも、おそらくブックレットがボロボロになったから捨てたのではないかと思ったのでしょう。

 でも、事実は違う。

 ぼくはTRAの新作が発売されるとすぐに購入し、家でカセットを再生しながらブックレットを読み、読み終えたらそのまま捨てていた。カセットはその後も通勤の往復にウォークマンで繰り返し聴いたけど、ブックレットは一回読んだらもう用済み。

 上のキャプションにも書いたけど、TRAは毎号、判型の違う小冊子が特殊なデザインのケースに収納されていて、それがいわゆる“アート”でもあったんだけど、ぼくはそれが好きじゃなかった。シリーズ作品なのに規格が統一されていないものは、“テクノじゃない”から嫌いだったんですね。当時のぼくはクラフトワークの影響で「ミニマルなものほど美しい」と思っていたから、TRAも毎回TDKのケースに移し替えていた。写真を見てもらえればわかると思うけど、ピアノの鍵盤のようで、最先端のアートディレクターたちがデザインしたケースよりもこっちの方が断然美しいと思っていた。

 ケース付きで完品のTRAが全号揃っていたら、いまはオークションでもけっこうな値段がつくと思うけど、こればっかりはどうしようもないのだ。

 

2014年12月ニ日

 マニタ書房は古書店である。レコードもそれなりに在庫があるが、そのことを強くアピールしているわけでないので、レコードコレクターが来店することはあまり多くはない。

 今日は珍しく、レコードを探しているお客様がご来店された。その方曰く、集めているのは「子供歌手モノ」だとのこと。あいにく店頭のレコ箱には出していなかったが、そういう特定ジャンルのコレクターは応援したくなっちゃうので、マイコレクションの箱から「子供歌手」コーナーを見せ、まだ持っていなかったというレコードを5枚ほど買っていただいた。

 いい買い物ができたことも喜んでくださったが、それ以前にレコ箱に「子供歌手」という仕切り板があること自体にウケていた。

 

2014年12月タ日

 今日も物置の奥から出てきたレコードをひとつご紹介。

 ペレス・プラード楽団『タブー』の日本版シングルである。『8時だョ!全員集合』のコントBGMに使用されて人気が爆発し、リリースされた。ある時期まで「日本一のドリフグッズ・コレクター」を目指していたので、当然のように持っている。

 しかし、このレコードにはジャケットが2種類あるのをご存知だろうか。

▲イラストは、少年ジャンプで『漫画ドリフターズ』を連載していた榎本有也先生によるカトちゃんバージョンと、それが黒塗りされたバージョンがある。

 真っ黒に塗りつぶすなどという、レコジャケとしては不穏でしかないバージョンがなぜ存在するのだろうか?

 ペレス・プラードが「おれの曲(原曲はマルガリータレクオーナ)をストリップ扱いするのは許さん!」と怒ったのか、はたまた無断で絵を使って榎本有也先生に怒られたのか、その真相はわからない。『漫画ドリフターズ』は一度も単行本になっていないので、その辺に答えがありそうではあるのだけど。

 

2014年12月シ日

 今日から片平なぎさが「渚ガブトラ」に改名し、ヴァイキングメタルのヴォーカルで再デビューするというニュースを見て、そんなバカなっ! と絶叫したところで目が覚めた。

 ヴァイキングメタルはともかく、渚ガブトラって名前はどこから出てきたのか謎である。

 

 マニタ書房には「特殊辞典」というコーナーがある。どんな本が並んでいるかというと、たとえば「江戸時代役職事典」「給食用語辞典」「ペンパル辞典」「幕末明治見世物事典」などである。

 マニタ書房名物「極端配偶者」コーナーと同様に、開業以来まあ売れないんだけど、古書市などで変な事典/辞典を見つけると、つい仕入れてしまう。たとえ日々の売り上げに貢献しなかったとしても、こういう本の在庫が充実している古書店が、日本にひとつくらいはあってもいいじゃないですか!

 

2014年12月ヨ日

 今日も飽きもせず店を開ける。

 開店前のルーチンワークは、まずは入口ドアと窓を全開にして、空気を入れ替える。その後、壁面のすべての本棚にハタキをかけ、ホコリを飛ばす。無言でハタハタハタ……と本棚にハタキをかけていると、自分は「古本屋っぽいなぁ」と感じる。

 その後、床に掃除機をかけ、ゴミをまとめ、レジに電源を入れ、看板を出し、開店したことをTwitterでつぶやく。そしてお客様を待ちながら、締め切りがあるときは原稿を書き、締め切りがないときは在庫に値付けをしたりして過ごす。この生活がいつまでも続きますように、と願いながら。

 

2014年12月ボ日

 今日は1人もお客さんが来なかった。なんたること!

 でも、そのおかげで原稿の方はびゅんびゅん捗って、予定より2時間も早く書き上げることができた。

 お客さんがたくさん来れば売上げが増えるし、来なければ原稿料が稼げる。「マニタ書房」と「とみさわ昭仁事務所」の並行稼業、無敵なのかもしれませんね。

 

2014年12月ウ日

 今年も年内最後の営業日を迎える。

 このところ何度か主催している「ゲーム系のトークライブ」によく来てくれるお客様がご来店し、ゲーム雑誌やパソコン雑誌をごっそり買って行ってくださった。ゲーム雑誌は利鞘がそれなりに大きいので、非常にありがたい。これで正月の餅のランクを上げられる。

 毎年大掃除らしいことはしないので、最終日も通常営業。なんとなくデスク周りを片付けながら、ぼんやりと考え事をする。

 

 たけし軍団は、玉袋筋太郎を筆頭に狂った芸名(とくにエロ寄り)の人物が多い。あの水道橋博士だって、最初は亀頭白乃介になるはずだったという。

 心から尊敬する師匠に命名されるのだから、どんな芸名でも胸を張って名乗るだろう。むしろ、生半可な芸名よりも、〆さばアタルとか、大阪百万円とか、佐竹チョイナチョイナなんて名前をもらったら、大喜びで親に報告するはずだ。親御さんは頭を抱えるかもしれないけれど。

 芸人と違って、作家は自分でペンネームをつける。ぼくは本名を少し変えただけで、とくに面白味はないペンネームだけれど、同業者には北尾トロ、下関マグロ、武田砂鉄、鮫肌文殊、加藤ジャンプ、山下メロ、玉置標本といった珍妙ペンネームの人たちも少なくない。

 そんな彼らはかろうじて人間の名前の体を保っているし、仮にもっとエロ方面に振ったとしても、男ならまあそれも有りだろう。

 しかし、女性作家がよりにもよって山崎ナオコーラとか、辛酸なめ子とか、ろくでなし子とか、たけし軍団もかくやというペンネームを自ら名乗るのはどういう心理によるものだろうか。あまつさえ、まんしゅうきつこに至っては、なぜそれを選んだのかまったく意味がわからない。

 さすがに彼女は数年前に「まんきつ」に改名したが、元ネタの「マン臭がキツい」から離れることができていないところに、なんらかの闇を感じる。

 

 というわけで、来年もマニタ書房をよろしくお願いします。

33 ターンテーブルとプノンペンそばとマドモアゼル朱鷺

2014年11月マ日

 朝からあいにくの雨。だからというわけではないが、開業3年目にしてとうとうマニタ書房にも傘立てが導入された。といっても、標準的な傘を2本も挿せば一杯になってしまうごくコンパクトなものだ。もう少し大きなものにすることも考えたが、どうせうちは2人以上のお客さんが同時に来店することは稀なので、これでいいのだ。

 そして、夕方からはマニタ書房の開業2周年記念パーティーの準備。例年は開業日である10月28日にやるのだが、今年は10月24~26日までしりあがり寿隊長の岩手復興ボランティアに参加していたので準備がままならず、11月に延期したというわけ。

 最近DJ活動に目覚めてせっかくターンテーブル2台とミキサーを買ったのだから、それもパーティーで活躍させたい。だが、そのセッティングに大変苦労している。なぜなら、タンテを設置すべき場所にも古本の在庫やら本業の資料やら溜め込んだレコードが堆積しているからだ。汗をかきかき本とレコードを退けて場所を作る。

 

2014年11月ニ日

 パーティーの翌日は店休し、2日ぶりに店を開けに来た。去年は飲んだアルコール類の缶を潰して山盛り状態のまま放っぽらかして帰ったから、翌日店のドア空けたら酒臭いのなんのでたまらなかった。あのときの反省を活かして、今回はひとつ空き缶が出る度に水でゆすいでから潰しておいたので、まったく嫌な匂いはしなかった。片付けがきっちりできる人にとっては当たり前のことだが、ゴミ屋敷マンは強く意識しないとこういうことができない。

 

2014年11月タ日

 朝イチの新幹線で大阪へ向かう。いつもお世話になってるなんば味園のトークライブハウス「紅鶴」で「たのしいたべもの」と題するイベントに出るので、そのついでにブックオフめぐり&レコ屋めぐり&ご当地ラーメンめぐりをする3日間である。

 いちばんの目的はブックオフ大阪千島ガーデンモール店を訪ねること。6月に来阪したときは地理の事情がわからず、千島ガーデンモールに向かうための渡し船に乗れずに行くことができなかった。今回はそのリベンジなのだ。

 ブックオフのあとは堺へ移動して、プノンペンそばを食べる。豚肉と杓子菜とセロリがザクザク入って栄養満点。スープは鶏ガラ醤油だろうか。化学調味料たっぷりなので、どことなく大阪神座のラーメンにも似た味。ただしこちらは辛味が足してあってピリ辛。非常にぼく好みの味だ。近所にあったらかなり通ってしまいそう。

 基本はプノンペン(麺なしの野菜スープということか)で、それにそば(中華麺)を入れるかライスをつけるかを選ぶ仕組み。チャーシューのトッピングもある。遠くから食べに来てるのはぼく一人で、店内は近所の人たちだけで普通に繁盛していた。

▲にんにくもかなり効いている。また食べたい。

 結局、今回の大阪ツアーでは古本屋めぐりはそこそこに、ほとんどの時間をレコ屋めぐりに費やしてしまった。MINT Record、サウンドパックアナログ店、サウンドパック日本橋四丁目店、ワイルドワン、サウンドパック本店、ナカレコ、ForeverRecord、DISC J.J.をまわってトータル35枚購入。古本は2冊のみ。

 

2014年11月シ日

 ブラッド・ピットの戦車映画『フューリー』の試写状を頂いたので試写室へ。

 しかし、入場列に並んでいたら直前になって「もう座席が埋まってしまったので」と追い返されてしまった。試写室なんて席数がいくつあるかわかっているだろうに、ずっと並ばせておいて寸前になって「ここまでです」はないよ。おまけに、後から来た人が何人も入っていったということは、客に優劣があるのかもしれない。まあ、ぼくは見せてもたいして宣伝効果のない存在だから仕方ないのだろう。

 試写会では嫌な思いをすることが度々ある。それでしばらく試写会からは足が遠のいていたんだけど、『メタルマックス』の作者として『フューリー』は非常に楽しみなので、久しぶりに行ってみたらこの仕打ちだ。

 いまから4年前はほとんど仕事がなく、映画代を捻出するにも窮していた。だから試写状がもらえるのは本当にありがたかった。映画好きとして、いつかは試写会に呼ばれるようになりたいとはずっと思っていて、『人喰い映画祭』を出版したのを機にポツポツと試写状が届くようになった。それから4年、いろいろな試写会に行った。いい思いをしたこともあるけど、どちらかといえば嫌な思いをすることの方が多かった。詳しくは書かないけれど、映画業界の嫌な面をいろいろ見た。

 4年間タダで見せてくれて感謝している。でも、もういいや。おかげさまで最近は仕事も増えて、映画代くらいは払えるようになった。

 

2014年11月ヨ日

 マドモアゼル朱鷺が謎の失踪をしていた、というニュースが目に入ってきた。彼女は、小学生の頃から自分を女性であると性自認しており、どういういきさつを経て「マドモアゼル朱鷺」になったのかはわからないが、人気占い師として雑誌でも連載を持つなど、一時は各方面で活躍していた。失踪自体は2006年のことらしく、なぜそれがいまごろ話題に上がってきたのかは報道では語られなかった。

 朱鷺ちゃんとは、ぼくが下北沢に住んでいた頃によく通っていたバー「旬亭」の常連仲間で、何度か一緒に飲んだことがある。

 あるとき、彼女は買ってきたばかりの12色のサインペンと小さなスケッチブックを出して、カウンターに飾ってある花の絵をうれしそうに描きはじめた。この感性。ああ、彼女は心から女の子なんだなあと感じ入ったものだ。

 花を描いたから「女の子だ」と思ったのではない。買ってきたばかりのサインペンを家に帰るまで待てずに、寄り道したバーで広げてそのまま絵を描いてしまう、というピュアな感性。仕事の帰りに酒場に寄り道する大人の女性と、買ったばかりのペンが使いたくて我慢できない幼児性。このふたつが同居している彼女の姿に、とても豊かなものを感じたのだ。

 

2014年11月ボ日

 古本屋の店主はヒマそうに見えて、実際のところはやるべき仕事は多い。でも、本当にな~んにもやることがない日もあったりするわけで、そんな日は終始SNSを眺めて過ごしたりする。

 Twitterを見ていたら、誰かの「店でレコードを買うだけなのに“掘る”なんて(笑)」というつぶやきが流れてきた。

 ……わはは、言う言う。ぼくもよくレコードを探しに行くとき「レコ掘り」って言いますわ。たいていのレコ屋はまず「洋楽/邦楽」で大別され、さらに「ロック/歌謡曲/クラシック/民謡/ジャズ」などのジャンルごとに分類され、さらに在庫枚数が多いものは「男性/女性」の性別や「あいうえお順」などに分類して、目当てのレコードが探しやすいようにしてある。そんな至れり尽くせりのエサ箱を探って「掘る」も何ないもんだよ。

 でもね、たとえばレコファンの新入荷コーナー(あそこは男女はおろか、洋邦の区別すらしない)なんかを見ると、あそこは「掘る」としか言いようがないんだよね。

 で、マニタ書房はどうかというと、ご存じのようにきっちり分類しまくっているわけだけれど、でも、その棚にどんな本が何が並んでいるのかは、実際に店まで来て棚の本を見てもらわないとわからない。あなた好みの変な本を「掘る」店であろうとしているのだ。

 レコファンの「掘る」は、否応なしに掘らざるを得ない消極的な「掘る」。マニタ書房の「掘る」は喜びをともなう積極的な「掘る」。そのことは常に意識している。

 

2014年11月ウ日

 今日も朝から大雨だというのに、お客様が途切れず来てくださる。今日は1人目のお客様が秋元文庫光瀬龍『SF その花を見るな!』を手にして、「これ子供の頃から探してたんです!」と、なんとも嬉しそうな表情を浮かべて買っていかれた。思えば、あれが今日の縁起の良さの始まりだったのだろう。

 ひとつひとつの売り上げは小さいものでも、その積み重ねで古本屋は日々のおまんまを食わせていただけるわけで、とてもありがたいことである。こうした商人の喜びを実感しながら、毎日を過ごしている。

30 ファンコットとナスカジャンとドグラマグラ

※過去ログを遡っていただくとわかりますが、第30回(2014年8月分)が抜け落ちていたので、今月はそれをアップしておきます。

 

2014年8月マ日

 白石晃士監督の新作『ある優しき殺人者の記録』を見に、日比谷シャンテ内にある東映試写室まで出かけていく。刃物を持った殺人鬼に部屋に閉じ込められるというサスペンスを、86分ワンカット(で撮ったように見せる編集)で、一気に駆け抜ける。ビビりなので普段ホラーやサスペンスは積極的には見ないのだが、監督と共通の友人ら──深谷陽川崎タカオ、鮪オーケストラ、羽生生純、小出健(敬称略)に誘われ、ハンカチ握りしめて拝見した。

 鑑賞後は、試写会に居合わせた宮崎吐夢さんもお誘いして、有楽町のガード下まで歩いて行き、もつ焼き「登運とん」で一杯。

 

2014年8月ニ日

 ぼくがクラブカルチャーに疎いので知らないだけかもしれないが、DJ JET BARON(高野政所)氏は、インドネシアのダンスミュージックであるFUNKOTを見つけた瞬間のことを、どこかで語っているのだろうか? もし語っていないなら、ぼくが取材して「宝の鉱脈を発見したときの高揚感」を言葉にしたい。どこかの媒体で書かせてくれないものだろうか。

 彼がFUNKOTを発見して、現地まで体験しに行った話も訊きたいけれど、ぼくがもっとも興味あるのは、“それ”を見つけた瞬間なのだ。推測するに、ネット(おもにYouTube?)で様々な国の最新の音楽を漁っていて、あるとき偶然耳にFUNKOTが飛び込んできたのではないか。そのときどんな感情を抱いたか? 世界が変わる瞬間が見えたのではないか? そんなことを聞き出したいのである。

 FUNKOTだけでなく、他にも新しいカルチャーが生まれた瞬間、新しい技術を思いついた瞬間、誰も注目していない概念に気がついた瞬間、そういうものを取材していき、いつかは一冊の本にまとめたい。

 

2014年8月タ日

 今月の『UOMO』誌で、犬山紙子が連載中のコラムにぼくのことを取り上げてくれた。犬山さんは文章だけでなく絵も描く人なので、似顔絵付きである。街角の似顔絵描きとは別に、プロの絵描きに描いてもらった似顔絵も集めているので、またひとつコレクションが増えた。

▲どことなくパリッコくんにも見える。

2014年8月シ日

 今日からハードコアチョコレートのサイトにて、「ナスカジャン」の予約受付が始まった。皆さんにはぜひともたくさんの予約をお願いしたい。

 これまでマニタ書房には店名のロゴがなかったのだけど、ナスカジャンの背中に店名を入れる関係で、友人のデザイナー侍功夫@samurai_kung_fu)氏にロゴデザインを作ってもらった。コアチョコさん、月刊ムーさんにも負けないナイスなロゴだと思う。

 

 ※この日(正確には14日)こそが、10年後のいまでも新色がリリースされ続けているナスカジャンの歴史がスタートした日だと言える。つまり、毎年「肌寒みィでさァねえと君が言ったから八月十四日はナスカジャン記念日」なのである。目指せ280万着。

 

2014年8月ヨ日

 米倉斉加年(まさかね)氏訃報あり。彼のことはずいぶん長いこと斉加年(さかとし)と読むのだとばかり思っていた。もちろんいまはちゃんと読めるのだが。むしろ、有線などでKiroroの『長い間』が流れてきて「♪愛してる、まさかね~」という歌詞を耳にすると、必ず米倉斉加年の顔が浮かんでしまうようになった。

 俳優としての彼のことは『男はつらいよ』の巡査さんや、モランボンのCMくらいでしか認識できていないが、その何倍も印象に残っているのは、角川文庫の『ドグラマグラ』に代表される装画家としての顔だった。

 

32 ヘッドと天使と超芸術トマソン

2014年10月マ日

 神保町の事務所に出勤したら、気持ちは原稿を書きはじめたいのだけど、まずはその前に前日までに仕入れておいた本のデータを帳簿に入力する作業を始めて、ウォーミングアップする。程よく指先と頭脳が暖まったところで店を開店し、自分はパソコンの前ん陣取って原稿作業に集中する。

 古本屋とライターの兼業は、相互がまったく違う仕事なので、どちらかの仕事をすること自体が他方の仕事へのリフレッシュになり、とても効率がいいことが、開業から2年経過してようやくわかってきた。古本屋とライターの兼業はとても相性がいいので、ライターの皆さんはみんな自分の店を持てばいいと思うの。

 

2014年10月ニ日

 開業時に友人たちからカンパ(開業祝い)でもらった本のうち、大判のものがずっと売れずに残っていた。サイズのデカさと本の価値には因果関係はないのだけど、貴重な棚スペースを占有するデカい本は、不良在庫とまでは言わないまでも狭い店のお荷物にはなっていた。

 それが約1年半を経過した本日、あっさりと買われていった。ドナドナー!

 売り上げにすればたかだか300円のものだけど、その本が鎮座していたスペースがポッカリ空いたのがうれしい。

 そこに同様のデカい本を置くか、棚を細分化してもう少し小さい本を複数置けるようにするか、閉店後に考えよう。ああ、古本屋っておもしろい仕事だなあ。

 

2014年10月タ日

 うむむむむ。今日は我がマニタ書房の形容詞である「特殊古書店」の、“特殊”の部分をエロ方面に都合よく解釈したお客様ばかりが続々とやってきて、店内を睥睨してはものの10秒で帰っていくことが続いた。そのせいか気が散って原稿が書けやしない。

 やはり外には看板を出さない営業形態に変えるべきだろうか?

 

 あるお客様がSNSでこんなことをつぶやいていた。

「普段は本屋へ行って棚をぼんやり見ていると、気になる本がピカー! っと光って見えるんですよ。だけどマニタ書房へ行くと、全部の本が光って見えちゃって、クラクラしてしまうんです。まるでビックリマンの「ヘッド」と「天使」のシールしかない感じですよ」

 この感想はとても嬉しかった。なぜなら、まさにそうなることを狙って店の棚作りをしているからだ。

 ぼくはビックリマン世代ではないので「ヘッドと天使のシールしかない感じ」を正確に理解しているとは言えないが、プロコレクターなので、その気分はわかるつもりだ。

 ブックオフで古本の仕入れをする際、100円均一の棚を俯瞰的に眺めて、ピカっと光る本だけをセドリしてマニタ書房に並べる。だから、うちの棚の前に立って「全部の本が光って見える」というのは、そんな感想を抱いた方の感性がぼくと同じだということで、こんな嬉しいことはないのだ。

 

2014年10月シ日

 夜9時まであと少しというところで原稿仕事が終わって、そろそろ店も閉めようか……と思ったタイミングでお客様がご来店してきた。

「何時までやってますか?」

 と訊かれるが、今日初めてのお客様だし、せっかく4階まで上がってきてくれたのだから、いちおうそろそろ閉店するつもりだったことは伝えつつも、帰り支度するまでの30分くらいならどうぞと、招き入れる。

 結局、30分ほどばっちり棚を見ていかれて、ぼくの『人喰い映画祭』を含む8冊ほど買ってくださった。とてもありがたいことである。

 

2014年10月ヨ日

 赤瀬川原平さんご逝去の報を受ける(10月26日)。

 こういうときにこそ、赤瀬川原平関連書籍の在庫を棚に並べ、なんならコーナーも作り、この機会に少しばかり値上げすらしておくのが古書店主としては正しい行動なのかもしれない。でも、ぼくはそんなことをするために古本屋を始めたわけじゃない。訃報によってにわかに注目を浴び、名前を目にする機会が多くなっているいまだからこそ、赤瀬川さんの蔵書を目立つところに並べて、未来の読者の目に触れさせる努力はすべきだろう。それくらいはする。でも、値上げはしたくないなあ。そんな生き方は先生からは習っていない。

 ぼくが「これは集めたらおもしろそうだぞ」と収集テーマを見つける際の考え方は、間違いなく赤瀬川原平さん(とそのお仲間)の活動から影響を受けている。それくらい「トマソン」と出会ったときの衝撃は大きかった。ぼくは赤瀬川さんから「常に新しい視点を持ち続けよ」ということを教わったのだと思っている。

 

2014年10月ボ日

 今日も午前中からのオープンは叶わず、店を開けたのは夕方になってからだった。どうにも店主自らが「特殊古書店」という言葉に甘えているような気がする。そんなことではいけないのだ。

 昼よりも夕方以降の方が開いてる率が高いマニタ書房。今後は「特殊古書店」ではなく「夜の古本屋」を名乗ってはどうか? なーんてことを考えたりもするが、そんなことしたら「“特殊”の部分をエロ方面に都合よく解釈したお客様」たちの誤解を深めるだけなので、やらないのです。