10 痕跡本と竹内力とマニタ書房の壁面メディア

2012年12月マ日

 古本の世界に「痕跡本」というものがある。これは愛知県で古書店「五っ葉文庫」を営んでおられる古沢和宏さんが提唱している概念だ。

 前の持ち主によって落書きなどが施された本は、一般的に「汚れ」や「キズ物」扱いとなって商品価値が下がってしまうものだが、稀に単なる汚れとして切り捨てるには惜しいものもある。それを集めて「なぜ前の持ち主はそんな落書きをしたのか?」「なぜそんな複雑な傷がついたのか?」といった理由を勝手に想像したり、考察したりするのである。古沢さんは『痕跡本のすすめ』(太田出版)、『痕跡本の世界』(ちくま文庫)といった著書で、その魅力を解説してくれている。ぼくも古沢さんの著書を書評で取り上げたり、ご本人とトークイベントをやるなどして、微力ながらそのおもしろさを広めるお手伝いをしている。

 で、ある日のことだ。ふらりとうちの店にやってきたお客様が、「あの……痕跡本ってないですか?」と言うのだ。一瞬どういうことかわからなかったが、ようするに古沢さんが著書で紹介しているようなおもしろい痕跡本が欲しいのだろう。

 いやしかし、それを店主に問い合わせますかね? 痕跡本に興味を持つ人が増えるのは同志として嬉しいことだけど、そういうものは人に教えてもらうのではなく、自分で見つけることに意味があるんです。なんなら、痕跡本の価値の半分は「発見するという行為」の方にあると言ってもいい。

 実は、帳場に座るぼくの背後には個人的に集めた痕跡本が何冊もあったのだけど、そのお客様には「うちの在庫にはないですねえ……」と応えるしかなかった。

 

2012年12月ニ日

 今日は店を開ける前に午前中から所沢へ行き、彩の国古本まつりを堪能してきた。ここは所沢駅前に立つビルの大ホールに複数の古本屋さんが集まって行われるかなり大規模な古本市で、年に3~4回は開催されている。古本屋になる前からたびたびに足を運んでいたが、いざ自分が古本屋になってみると、今度はこれがいいセドリ場所にもなってくれる。

 およそ2時間くらいかけて端から端までチェックし、マニタ書房の棚が似合いそうな珍書やバカな実用書、ムシのいい健康法の本などを数冊購入した。ここの古本市では手ぶらで帰ったことがない。それくらい自分と相性がいい。

 今回、いちばんの収穫といえるのが『竹内力セーターブック』だった。

 爽やか青春スターのイメージで売り出していた頃の竹内力が、セーターの編み方を指南する手芸本のモデルを務めている。そのこと自体にはなんの面白味もないはずなのだが、後の萬田銀次郎や岸和田のカオルちゃん役のイメージを知っていると、そのギャップのデカさがたまらない魅力となる。この時点では市場価値なんてないも同然の本だから、売値は250円だった。でも、こういうのってマニタ書房的には3,000円くらいの価値はあるだろう。

 素晴らしい収穫を抱え、店を開けるために神保町へ来たら、ドアの前でお客様が開店を待っていてくれた。いつもいつも営業時間が不規則で申し訳ないことだ。

「今日は所沢へセドリに行って来たんですよ~」などと言い訳をしながら、買ってきたばかりの『竹内力セーターブック』を見せしたら、そのお客様が爆笑して「売って欲しい」とおっしゃる。仕入れから間をおかずに売れてしまうなんて、こんな効率のいいことはないのだが、さて、いくらにしよう。さすがにセドったときの価格が書かれたままのものを3,000円で売るのは気が引ける。かといって、500円くらいでは手放す気になれない。2,000円……と言いたいところだったが、お初のお客様でもあるのでもうちょい値を下げ、1,000円でお買い上げいただいた。

これは翌年に沖縄のブックオフ仕入れたやつ。このときは105円だった。

 その後は、閉店までずっと仕入れた本の値付けと本棚の整理をして過ごす。本の配置を少し変更して、新たに「毛」「刑罰」「皇室」「ギャンブル」「政治家」「水商売」というジャンルが増えた。「毛」って。我ながら「毛」って。

 

2012年12月タ日

 本日発売の雑誌「BRUTUS 746号」は「男を知る本、女の知る本。」という特集。その中に〈個性派本屋がつくった「男棚」「女棚」〉というコーナーがあり、マニタ書房も男棚として参加させてもらっている。

 マニタ書房の男棚は「女性に読んでもらいたい、男ってバカだけどカワイイがわかる本」というテーマである。わざわざ選書しなくてもマニタ書房にはバカな男が選んだ本しか並んでいないのだから、在庫のすべてがそうだとも言えるわけだが、それじゃ収拾がつかない。なので「格闘技」「発明」「人喰い人種」「冒険家」「埋蔵金」「野球」といったジャンルから、いかにも男ってバカね~と思わせる本をセレクト。

 で、せっかくだから「BRUTUS」の発売に合わせて、誌上で紹介している本の現物を集めたコーナーを店内にも作ってみた。

清原の顔面力が目を引くコーナーができました。

2012年12月シ日

 漫画『サザエさん』にまつわるあれこれを研究した『磯野家の謎』という本がある。1992年の12月に発売されるや、たちまち初版の2万部を売り尽くし、半年後には180万部を超える大ヒットとなった。以後、続々と有名作品を研究した類書が刊行され、いわゆる「謎本」と呼ばれるジャンルが形成されていった。

 ぼく自身は、書物としての謎本にはまったく食指を動かされないのだが、その一方で「これを集めたら蒐集の遊びとしてはいいバゲームランスだろうなあ」という気持ちにもなる。そのため、ブックオフ巡りをしているときに謎本を見かけると、つい手を出してしまいそうになる。だが、もちろん集めたりはしない。マニタ書房にそんなコーナーを設けたところで、いまさら誰も買ってくれるはずがないからだ。

 マニタ書房の経営は、そんなギリギリの判断によって成立している。

 

2012年12月ヨ日

 ふと、店のブログでも始めようかと思う。仕入れた本の書影に簡単な紹介文をつけて並べる。通販はしない方針だけど、ブログで見て興味を覚えた本は、実際に店に来れば買える。これはいい販売促進になるのではないか? そう考えたのだ。

 でも、やっぱりダメかと諦める。ブログといえども、入荷情報(商品データ)を掲載すると、それは営業用のウェブサイトと見做されるので、警察にURLを届け出ないとならないのだ。通販取引のための窓口にしていなければセーフのような気もするが、ちゃんと調べるのも面倒なので、結局ブログはやらないことにした。

 古書ビビビさんがやっているように、オススメの本や新入荷した本をTwitterでつぶやく程度にしておくのが、マニタ書房にもちょうどいいのかもしれない。

 

2012年12月ボ日

 特殊古書店マニタ書房を開業して、早くも2ヶ月が経った。

 かつて根本敬が登場したとき、その独自すぎる作風で漫画ファンの間に衝撃が走った。もちろんぼくもビックリして、そして大ファンになった。やがて、根本さんは「特殊漫画大統領」を自称するようになる。プリミティブな画力で人間の因果を浮き彫りにする作風は、まさしく特殊漫画の名にふさわしい。

 世界の殺人鬼に詳しい柳下毅一郎は、あまり普通の人が手掛けないタイプの本ばかり翻訳することから「特殊翻訳家」と自称している。彼もまた特殊漫画の登場に衝撃を受けた一人なのだろう。特殊翻訳家という肩書きが、根本敬からの影響であることは想像に難くない。

 で、彼らのそんな肩書きが、ぼくはずっと羨ましかった。人から肩書きを尋ねられて「ライターです」「ゲームデザイナーです」と答えるたびに、内心では「ぼくも“特殊なんとか”って名乗りたいなあ」と思っていた。

 でも、そういうわけにはいかなかった。だって、そう名乗るには自分の書いてきた原稿は少しも特殊じゃなかったし、自分が制作に携わってきたゲームはメジャー過ぎたから。

 メジャーなことは別にイヤじゃない。むしろ、あれほどの世界的大ヒット作に関われたことを誇らしいとさえ思う。思うけれど、いまとなっては「……もういいか」という気持ちでもある。この部分は我ながら複雑な心理だ。

 まあ、とにかくそれで、メジャー感というものとはまるで正反対のところにある商売を始めることにした。それが古本屋だった。これまで好きでコツコツと集めてきた変な本専門の古本屋を。

 店を始める準備をしているときに、人から「どういうお店なんですか?」と幾度となく訊かれた。しかし、自分の店で取り扱う本のジャンルはひと言では答えようがない。だからアバウトに「サブカルがメインの古本屋ですよ」と答えることが多かった。そうすると相手は余計にわかんなくなって、みんな首をかしげていた。そんなとき、ハッと思いついたのが例の肩書きだ。

 うちは「特殊古書店」だ! いいぞいいぞ、特殊古書店は口にしたときの響きもいい。これから積極的に使っていこう。

 特殊古書店は、特殊な本を扱っている古書店でもあるが、店主である自分の特殊な趣味を手掛かりにして本が集められた場所でもある。本を集めて分類するというのは、言い換えれば「編集」だ。すなわちそれは「メディア」と言うこともできる。

 

 先日、編集者の赤田祐一さんが店に来てくれた。そう、彼こそが『磯野家の謎』を企画してベストセラーにした張本人であり、角川ホラー大賞で審査員に「不快だ」と言われて受賞を逃していた『バトルロワイヤル』を拾い上げて100万部超のベストセラーにしたり、私財を投じて雑誌「Quick Japan」を創刊したり、とにかく日本のサブカル界にこの人あり、と言われる名編集者だ。

 もちろん、ぼくも赤田さんの大ファンで、ずっとその仕事を追いかけてきた。同じ業界にいるのだからいずれ会うことがあるだろうと思ってはいたが、これまでご本人と会う機会は訪れなかった。そうしたら、ちゃんとマニタ書房という特殊な古本屋が出現したことを嗅ぎ付けて、わざわざあちらから店に足を運んでくれた。自分で言うのもなんだけど「さすが」だと思った。そして、ここには深い意味がある。

 優れた編集者は、世の中に埋もれているおもしろいものを独自の嗅覚で探し出し、それらを編集して雑誌や書籍、すなわちメディアに載せる。そこに読者は吸い寄せられる。赤田さんが編集するメディアに、ぼくも吸い寄せられてきたわけだ。

 そしてぼく自身も、日本中の古書店の棚に埋もれているおもしろい本を集めてきては、それを独自のジャンルに組み替えて、棚に並べている。つまり、マニタ書房の壁面本棚は、ぼくが編集したメディアだ。だから来店してくれるお客さんは、ぼくのメディアの読者である。そこに赤田さんが吸い寄せられてきてくれたということは、なんだか彼とぼくとの間で目に見えないリングがつながった感じがするじゃないか。

 ああ、自分は間違ってなかった、と思う。

 店が開いていない日も多い不誠実な営業スタイルで、お客様にはご不便ばかりおかけしている特殊古書店マニタ書房だけど、来年はもっと真面目に店を開けようと思う。別に本を買わなくても、棚を見に来てくださるだけでも大歓迎ですよ。

 

2012年12月ウ日

 このあいだ、電車の中でふと自分の着てるダウンジャケットの胸元を見たら、ブックオフの値札シールが張り付いていた。よく、漫画家の肘にスクリーントーンの切れ端が付いていたなんて笑い話があるけれど、マニタ書房の店主には値札シールがついていたか。

 しかし、スクリーントーンならいいけれど、ブックオフの値札だとぼく自身が「105円」みたいでなんか嫌だ。