2014年10月マ日
神保町の事務所に出勤したら、気持ちは原稿を書きはじめたいのだけど、まずはその前に前日までに仕入れておいた本のデータを帳簿に入力する作業を始めて、ウォーミングアップする。程よく指先と頭脳が暖まったところで店を開店し、自分はパソコンの前ん陣取って原稿作業に集中する。
古本屋とライターの兼業は、相互がまったく違う仕事なので、どちらかの仕事をすること自体が他方の仕事へのリフレッシュになり、とても効率がいいことが、開業から2年経過してようやくわかってきた。古本屋とライターの兼業はとても相性がいいので、ライターの皆さんはみんな自分の店を持てばいいと思うの。
2014年10月ニ日
開業時に友人たちからカンパ(開業祝い)でもらった本のうち、大判のものがずっと売れずに残っていた。サイズのデカさと本の価値には因果関係はないのだけど、貴重な棚スペースを占有するデカい本は、不良在庫とまでは言わないまでも狭い店のお荷物にはなっていた。
それが約1年半を経過した本日、あっさりと買われていった。ドナドナー!
売り上げにすればたかだか300円のものだけど、その本が鎮座していたスペースがポッカリ空いたのがうれしい。
そこに同様のデカい本を置くか、棚を細分化してもう少し小さい本を複数置けるようにするか、閉店後に考えよう。ああ、古本屋っておもしろい仕事だなあ。
2014年10月タ日
うむむむむ。今日は我がマニタ書房の形容詞である「特殊古書店」の、“特殊”の部分をエロ方面に都合よく解釈したお客様ばかりが続々とやってきて、店内を睥睨してはものの10秒で帰っていくことが続いた。そのせいか気が散って原稿が書けやしない。
やはり外には看板を出さない営業形態に変えるべきだろうか?
あるお客様がSNSでこんなことをつぶやいていた。
「普段は本屋へ行って棚をぼんやり見ていると、気になる本がピカー! っと光って見えるんですよ。だけどマニタ書房へ行くと、全部の本が光って見えちゃって、クラクラしてしまうんです。まるでビックリマンの「ヘッド」と「天使」のシールしかない感じですよ」
この感想はとても嬉しかった。なぜなら、まさにそうなることを狙って店の棚作りをしているからだ。
ぼくはビックリマン世代ではないので「ヘッドと天使のシールしかない感じ」を正確に理解しているとは言えないが、プロコレクターなので、その気分はわかるつもりだ。
ブックオフで古本の仕入れをする際、100円均一の棚を俯瞰的に眺めて、ピカっと光る本だけをセドリしてマニタ書房に並べる。だから、うちの棚の前に立って「全部の本が光って見える」というのは、そんな感想を抱いた方の感性がぼくと同じだということで、こんな嬉しいことはないのだ。
2014年10月シ日
夜9時まであと少しというところで原稿仕事が終わって、そろそろ店も閉めようか……と思ったタイミングでお客様がご来店してきた。
「何時までやってますか?」
と訊かれるが、今日初めてのお客様だし、せっかく4階まで上がってきてくれたのだから、いちおうそろそろ閉店するつもりだったことは伝えつつも、帰り支度するまでの30分くらいならどうぞと、招き入れる。
結局、30分ほどばっちり棚を見ていかれて、ぼくの『人喰い映画祭』を含む8冊ほど買ってくださった。とてもありがたいことである。
2014年10月ヨ日
赤瀬川原平さんご逝去の報を受ける(10月26日)。
こういうときにこそ、赤瀬川原平関連書籍の在庫を棚に並べ、なんならコーナーも作り、この機会に少しばかり値上げすらしておくのが古書店主としては正しい行動なのかもしれない。でも、ぼくはそんなことをするために古本屋を始めたわけじゃない。訃報によってにわかに注目を浴び、名前を目にする機会が多くなっているいまだからこそ、赤瀬川さんの蔵書を目立つところに並べて、未来の読者の目に触れさせる努力はすべきだろう。それくらいはする。でも、値上げはしたくないなあ。そんな生き方は先生からは習っていない。
ぼくが「これは集めたらおもしろそうだぞ」と収集テーマを見つける際の考え方は、間違いなく赤瀬川原平さん(とそのお仲間)の活動から影響を受けている。それくらい「トマソン」と出会ったときの衝撃は大きかった。ぼくは赤瀬川さんから「常に新しい視点を持ち続けよ」ということを教わったのだと思っている。
2014年10月ボ日
今日も午前中からのオープンは叶わず、店を開けたのは夕方になってからだった。どうにも店主自らが「特殊古書店」という言葉に甘えているような気がする。そんなことではいけないのだ。
昼よりも夕方以降の方が開いてる率が高いマニタ書房。今後は「特殊古書店」ではなく「夜の古本屋」を名乗ってはどうか? なーんてことを考えたりもするが、そんなことしたら「“特殊”の部分をエロ方面に都合よく解釈したお客様」たちの誤解を深めるだけなので、やらないのです。