2014年12月マ日
20代から30代の後半くらいまで家を出て一人暮らしをしていたので、若い頃に買い集めたレコードコレクションは、母が物置の奥に突っ込んでいた。
結婚して、娘が生まれて実家に帰ってきてからも、子育てとゲーム開発の仕事に追われて、音楽を聴く機会は極端に減った。まして世はCDの全盛期から音楽配信に移行しようという時代。物置の奥で眠るレコードのことなど思い出しもしなかった。
それが、DJフクタケさんと出会ったことでレコードのおもしろさを再認識し、「そういえば昔集めたレコードはどこへやったっけ?」と物置を漁ったところ、いまではプレミア価格がついているようなレコードがゴロゴロと出てきた。昔のおれ、目が高いなー! という自画自賛はさておき、レコードと一緒に出てきたのが、カセットマガジン「TRA」だった。
TRAって、わかりますかね? 毎号アートディレクションがバリバリに施された小冊子と、当時最先端の音源が収録されたカセットテープが同梱されたマガジンで、スペシャルイシューも含めればトータルで11号までリリースされたはず。
収録されているミュージシャンは立花ハジメ、横山忠正(スポイル)、メロン、サロンミュージック、鈴木慶一、かの香織(ショコラータ)といった顔ぶれで、あの頃のニューウェーブ野郎ならマストバイだった。もちろん、ぼくも小遣いをやりくりして毎号買っていた。
ということをTwitterでつぶやいたら、掟ポルシェが「とみさわさんがカセットブックのブックレットを捨てるって! 一体どういう状態だったんでしょう」とコメントしてくれた。
ぼくは自分を「プロ・コレクター」と自称しているし、自著の記述からも世間的には「コレクションの鬼」と認識されているかもしれない。だから掟さんも、おそらくブックレットがボロボロになったから捨てたのではないかと思ったのでしょう。
でも、事実は違う。
ぼくはTRAの新作が発売されるとすぐに購入し、家でカセットを再生しながらブックレットを読み、読み終えたらそのまま捨てていた。カセットはその後も通勤の往復にウォークマンで繰り返し聴いたけど、ブックレットは一回読んだらもう用済み。
上のキャプションにも書いたけど、TRAは毎号、判型の違う小冊子が特殊なデザインのケースに収納されていて、それがいわゆる“アート”でもあったんだけど、ぼくはそれが好きじゃなかった。シリーズ作品なのに規格が統一されていないものは、“テクノじゃない”から嫌いだったんですね。当時のぼくはクラフトワークの影響で「ミニマルなものほど美しい」と思っていたから、TRAも毎回TDKのケースに移し替えていた。写真を見てもらえればわかると思うけど、ピアノの鍵盤のようで、最先端のアートディレクターたちがデザインしたケースよりもこっちの方が断然美しいと思っていた。
ケース付きで完品のTRAが全号揃っていたら、いまはオークションでもけっこうな値段がつくと思うけど、こればっかりはどうしようもないのだ。
2014年12月ニ日
マニタ書房は古書店である。レコードもそれなりに在庫があるが、そのことを強くアピールしているわけでないので、レコードコレクターが来店することはあまり多くはない。
今日は珍しく、レコードを探しているお客様がご来店された。その方曰く、集めているのは「子供歌手モノ」だとのこと。あいにく店頭のレコ箱には出していなかったが、そういう特定ジャンルのコレクターは応援したくなっちゃうので、マイコレクションの箱から「子供歌手」コーナーを見せ、まだ持っていなかったというレコードを5枚ほど買っていただいた。
いい買い物ができたことも喜んでくださったが、それ以前にレコ箱に「子供歌手」という仕切り板があること自体にウケていた。
2014年12月タ日
今日も物置の奥から出てきたレコードをひとつご紹介。
ペレス・プラード楽団『タブー』の日本版シングルである。『8時だョ!全員集合』のコントBGMに使用されて人気が爆発し、リリースされた。ある時期まで「日本一のドリフグッズ・コレクター」を目指していたので、当然のように持っている。
しかし、このレコードにはジャケットが2種類あるのをご存知だろうか。
真っ黒に塗りつぶすなどという、レコジャケとしては不穏でしかないバージョンがなぜ存在するのだろうか?
ペレス・プラードが「おれの曲(原曲はマルガリータ・レクオーナ)をストリップ扱いするのは許さん!」と怒ったのか、はたまた無断で絵を使って榎本有也先生に怒られたのか、その真相はわからない。『漫画ドリフターズ』は一度も単行本になっていないので、その辺に答えがありそうではあるのだけど。
2014年12月シ日
今日から片平なぎさが「渚ガブトラ」に改名し、ヴァイキングメタルのヴォーカルで再デビューするというニュースを見て、そんなバカなっ! と絶叫したところで目が覚めた。
ヴァイキングメタルはともかく、渚ガブトラって名前はどこから出てきたのか謎である。
マニタ書房には「特殊辞典」というコーナーがある。どんな本が並んでいるかというと、たとえば「江戸時代役職事典」「給食用語辞典」「ペンパル辞典」「幕末明治見世物事典」などである。
マニタ書房名物「極端配偶者」コーナーと同様に、開業以来まあ売れないんだけど、古書市などで変な事典/辞典を見つけると、つい仕入れてしまう。たとえ日々の売り上げに貢献しなかったとしても、こういう本の在庫が充実している古書店が、日本にひとつくらいはあってもいいじゃないですか!
2014年12月ヨ日
今日も飽きもせず店を開ける。
開店前のルーチンワークは、まずは入口ドアと窓を全開にして、空気を入れ替える。その後、壁面のすべての本棚にハタキをかけ、ホコリを飛ばす。無言でハタハタハタ……と本棚にハタキをかけていると、自分は「古本屋っぽいなぁ」と感じる。
その後、床に掃除機をかけ、ゴミをまとめ、レジに電源を入れ、看板を出し、開店したことをTwitterでつぶやく。そしてお客様を待ちながら、締め切りがあるときは原稿を書き、締め切りがないときは在庫に値付けをしたりして過ごす。この生活がいつまでも続きますように、と願いながら。
2014年12月ボ日
今日は1人もお客さんが来なかった。なんたること!
でも、そのおかげで原稿の方はびゅんびゅん捗って、予定より2時間も早く書き上げることができた。
お客さんがたくさん来れば売上げが増えるし、来なければ原稿料が稼げる。「マニタ書房」と「とみさわ昭仁事務所」の並行稼業、無敵なのかもしれませんね。
2014年12月ウ日
今年も年内最後の営業日を迎える。
このところ何度か主催している「ゲーム系のトークライブ」によく来てくれるお客様がご来店し、ゲーム雑誌やパソコン雑誌をごっそり買って行ってくださった。ゲーム雑誌は利鞘がそれなりに大きいので、非常にありがたい。これで正月の餅のランクを上げられる。
毎年大掃除らしいことはしないので、最終日も通常営業。なんとなくデスク周りを片付けながら、ぼんやりと考え事をする。
たけし軍団は、玉袋筋太郎を筆頭に狂った芸名(とくにエロ寄り)の人物が多い。あの水道橋博士だって、最初は亀頭白乃介になるはずだったという。
心から尊敬する師匠に命名されるのだから、どんな芸名でも胸を張って名乗るだろう。むしろ、生半可な芸名よりも、〆さばアタルとか、大阪百万円とか、佐竹チョイナチョイナなんて名前をもらったら、大喜びで親に報告するはずだ。親御さんは頭を抱えるかもしれないけれど。
芸人と違って、作家は自分でペンネームをつける。ぼくは本名を少し変えただけで、とくに面白味はないペンネームだけれど、同業者には北尾トロ、下関マグロ、武田砂鉄、鮫肌文殊、加藤ジャンプ、山下メロ、玉置標本といった珍妙ペンネームの人たちも少なくない。
そんな彼らはかろうじて人間の名前の体を保っているし、仮にもっとエロ方面に振ったとしても、男ならまあそれも有りだろう。
しかし、女性作家がよりにもよって山崎ナオコーラとか、辛酸なめ子とか、ろくでなし子とか、たけし軍団もかくやというペンネームを自ら名乗るのはどういう心理によるものだろうか。あまつさえ、まんしゅうきつこに至っては、なぜそれを選んだのかまったく意味がわからない。
さすがに彼女は数年前に「まんきつ」に改名したが、元ネタの「マン臭がキツい」から離れることができていないところに、なんらかの闇を感じる。
というわけで、来年もマニタ書房をよろしくお願いします。