2016年3月マ日
神保町・駿台下の交差点から、マニタ書房につながる路地へ入る角に、商売の神に見放されているとしか思えない物件がある。
ぼくがマニタ書房を開業した2012年の時点で、そこは炭火焼き肉の店だった。どんな営業形態かはわからない。なぜなら、道路に面した角二面の壁を真っ黒に塗り、窓もすべて潰してあったからだ。「うちはシックな高級店ですよ〜」という主張しか感じ取れるものはなかった。いつから営業していたのかは知らないが、あまり客足は伸びなかったのだろう、2013年には閉店してしまった。
次にその物件に入居したのは、ワインバーだ。2014年4月のオープン時には、店頭に開店祝いの花がいくつも置かれていた。
外装は前の焼肉屋のものを受け継ぎ、壁の色は黒から焦茶色へと塗り替えられていた。しかし、相変わらず窓がないままだったので、どんな営業形態の店なのかは外からは伺えない。そして、一年と持たずに閉店した。
2015年になると、その場所は家系ラーメンの店に変わった。いかにも家系らしく赤色のどデカい看板が店頭に掲げられ、「濃厚豚骨ラーメン!!」だの「元気に支度中!!」だの、めんどくさい自己主張を周囲に発散していた。ぼくは麺類大好き人間だが、家系ラーメンは苦手なので滅多に食べない。だからその店にも一度も入店しなかった。さすがにラーメン屋なので窓を大きく取った開放的な店構えではあったが、いつ中を覗いても客席はガラガラだった。
味より何より、ぼくがその店にいい印象を持てなかったのは、店頭に大きく「仙台四郎」の肖像を掲げていたことだ。
仙台四郎とは、幕末から明治にかけて現在の宮城県仙台市に実在した人物である。知的障害のあった四郎は飲食店を訪ねては食べ物を施してもらっていたが、四郎は美味い店にしか行かないという噂が広がり、いつしか「四郎が来た店は繁盛する」という迷信に変わっていった。いまでは、その肖像写真が商売繁盛の縁起物として、グッズ化されているほどだ。
四郎は1902年に亡くなっているので、肖像権もすでに消滅している。したがって、その写真が商品として売られていても法的には問題がないし、全国各地の飲食店が店内に飾るのも自由だ。だけど、それを巨大な(ぼくの記憶では2×2メートルくらいあった)看板にして、外壁に店のアイコンとして掲げるのは道義的にどうなのかと、ぼくは疑問を感じてしまうのだ。
ここまでに紹介してきたどの店もそうだが、新装開店直後はそこそこお客さんが集まる。神保町という、人が集まりやすい町なのだから当然だろう。しかし、どの店も半年ほど経ったところでパタリと客足が途絶える。やはりこの場所に何らかの呪いがかかっているとしか思えない。
2016年現在、まだその店は営業を続けているが、果たしていつまで続くやら──。
2016年3月ニ日
毎度毎度、営業時間の定まらぬ方針でお客様には不便を強いておりますが、とくに反省もせずに今日も何食わぬ顔をして店を開ける。
帳場に座り在庫の整理などをしていると、段ボール箱が届いた。今月22日に発売される新刊『無限の本棚 手放す時代の蒐集論』(アスペクト)の見本誌である。ゲラで何度も見ていたが、いざ現物を手にしてみると、我が本ながらとてもいいカバーデザインに仕上がったと思う。

当初は、ばるぼら氏が自身のブログ用か何かの目的で撮った写真を、ご本人の許可を得て使用する予定だった。雑多な本が積んである様子が「無限の本棚」のイメージにぴったりで、まるでこの本のために撮り下ろされたような写真だった。
ところが、ある程度デザイン作業が進んだ段階で、デザイナーから「解像度が足りない」とNGが出た。それで急遽、マニタ書房の店内で本を積み上げた壁を作り、あらためて撮影し直すことになった。
ばるぼら氏の写真に写っていたのは書物というより薄手のミニコミや小冊子が大半で、それが一層の無限を感じさせていた。だが、マニタ書房には薄手の冊子はそうたくさんはない。だから、なるべく薄い本を選んで積み上げてみる。

▲撮影の舞台裏。これを右方向から撮ったのがカバー写真となった。
何回かテスト撮影してみたところ、あることに気がついた。一般的な書籍というのは背表紙にタイトルが書いてある。これらのタイトルが読めてしまうと、そこに別の意味が生じてしまうと思うのだ。
意味は要らない。ただ、ただ、意味もなく本が無限に積み上がっている光景が欲しい。だからこその「無限の本棚」なのだ。
そこで、ばるぼら氏の写真のような無意味さを出すために、ひと工夫を施した。まずは積み上げる本を一冊おきくらいに小口を向けて、背表紙が読めないようにした。しかし、それだけだとなんだか写真として美しくならなかった。
ならば、いっそのこと見える背表紙に意味を持たせてしまってはどうかと考えた。いかにもマニタ書房らしい珍奇なるタイトルの本を、あえて紛れ込ませておくのだ。そのうえで、くっきりとは見えないけれど、よ〜く目を凝らせば文字が読める程度の解像度になるように距離と画角を調整して、撮影する。
そうすれば、この本を手に取った人がカバーをしげしげと眺め、「うわ、飲尿の本がある!」「『太る健康法』って何じゃそりゃ!」みたいな楽しみ方ができるのだ。
最終的に、ADのこじままさきさんによる処理もピタリとはまって、とても愉快な感じの装丁になったのだった。
2016年3月タ日
終日、確定申告のために領収書の仕分けと、店の台帳の整理に追われる。
フリーライターだけやっていた頃は確定申告も自力で何とかしていたが、古本屋を始めて台帳をつけるようになったら、もうぼくの手には負えない。そこで、元銀行員でいまは会計事務所勤務という経歴を持つ姉からの「青色申告をすべき」とのアドバイスに従って、マニタ開業の翌年からは、姉の勤める事務所に確定申告をお任せしている。担当の税理士さんが「14日までに資料を揃えてくれたら間に合わせます!」と言ってくださったたので、もうひと頑張りしよう。
2016年3月シ日
気になっていた新刊『大韓不法集会』(オークラ出版)を購入。
これは、ラフィンノーズのチャーミー氏が、韓国産のインディロックによる衝撃をコンパイルし、一冊の書物にまとめたものだ。まだ日本では知られぬ韓国のアーティストたちの魅力が、日本のハードコアシーンを切り開いてきたチャーミー目線で、つぶさに紹介してくれている。
ひと通り読んでいくと、チャーミー氏が「不法集会」という言葉にどれだけのこだわりを持っているのかがよくわかる。ぼくが主催した古本ゲリラも、当初は「古本不法集会」にする案があったが、安易にパクらなくてよかった……。
ところでこの本、始めて書影を見たときから既視感を覚えていたんだけど、やっとわかった。マニタ書房の売れ筋商品、前原大輔の『スケバン』である。
2016年3月ヨ日
いま町の新刊書店(東京堂書店を除く)を見てまわると、そのほとんどの平台がビジネス書、ベストセラー小説、自己啓発本の三種に占拠されていることに気づく。それは売り上げを優先していった結果なのだろうけれど、そんな売り上げと引き換えに、町の本屋は本当につまらない場所になってしまった。
とくに神保町の住人としては、数年前に三省堂本店が1階フロアで行ったリニューアルに失望させられたものだ。上階ではまだまだおもしろい棚づくりもやっているが、それはできれば1階でこそやってほしいのだ。よほどの読書家でもない限り、本屋の二階になんて上がっていかないのだから。でも、経営陣は文化の育成より、実益を取ってしまったんだろうな……。
2016年3月ボ日
神保町の町内会が、お祭りのための寄付を求めにやってきた。この方はぼくが大の祭り嫌いだということを知る由もないのだから、これは仕方のないことだ。だからといって、大嫌いな祭りに協力するのも癪だ。なので丁寧にお断り申し上げた。地元の祭りになど協力したところでマニタ書房には何もメリットがないし、むしろ騒音が原稿執筆の妨げになるだけだ。
こんな了見の狭いことを言っていると、いつか神保町から弾き出されてしまうかもしれないな。