15 裸で覚える竹熊さんとビッグダディ

2013年5月マ日

 朝から雨降り。こんな日にわざわざ古本屋巡りをする人も少ないだろうから、店は開けずに家でおとなしく原稿でも書いていればいい。だが、池袋の西口公園では今日から古本まつりが始まっている。うちの店にも客は来ないけど、古本まつりの客足も少ないだろう。ということは、売る側ではなくて、買う側の立場になってみると、それはつまり「ライバルが少ない」ということだ。

 現場に着いてみると、古本を満載したワゴンはすべて大型テントとビニールのカーテンで覆われており、商品の本が濡れるようなことはない。でも、やっぱり雨せいで客足が少なく、古本まつりとしての盛り上がりには欠ける。

 このテンションの上がらなさが、背表紙をチェックするぼくのセドリビーム(ハンター視線)に悪影響を与えているのか、どのワゴンを覗いても、いまいち「欲しい!」と思える本が見つからない。せっかく来たんだから何か買って帰らなきゃ、なんて考えが頭の隅をよぎったりもするが、そうやって無理して本を買ってもロクなことにならないのは経験上わかってる。

 いっそ、スッパリ諦めて何も買わずに引き揚げるのもプロの古本屋としては懸命な判断かもしれない。そう考え始めたそのとき。一冊の本のタイトルが目に飛び込んできた。

▲『裸で覚えるゴルフ入門』(1973/土屋書店/弘文エディター編)

 かつて大槻ケンヂが紹介したこともある、ヘンなもの好き界隈では有名な本で、ぼくは初めて現物に遭遇した。

 タイトルからわかるようにゴルフの教則本で、中身も普通にゴルフの入門解説で構成されている。第1章「知識編」から第2章「基本編」、第3章「実技編」、第4章「応用編」と続いていく。それぞれの見出しも、「自分にあうグリップはどれか」とか、「両足とボールの距離」とか、「芝目の性質」とか、「ラフが深い場合」とか、「ぬれたグリーンは曲がらない」とか、いやらしさを感じさせる要素はまったくない。ただし、それぞれの文章に添えられている写真が、いちいち全裸なのだ。 カバーの見返しには、まえがきの抜粋として以下のようなことが書いてある。

 ゴルフのむずかしさは、自分の技術と判断だけが頼りである、という点から出発している。止まっているボールを打つのが、どうしてむずかしいのか、というかもしれないが、実際にやってみるとそれがよくわかるものだ。
 この本は、あくまでも初心者に焦点をあて、とくにヌードを使って形をわかりやすく表現してみた。画期的な試みであるが、ゴルフ入門の一助にしていただきたいと思う。

 

 なるほど、たしかにショットを打つときの筋肉の動きなんかは、裸の方がよりわかりやすい。編集する側にとっても、読者の側にとっても、十分に必然性のある理由だ。ゴルフのためならあたしがひと肌脱ぐわ、である。いやあ、久々にいい本が手に入った。

 

2013年5月ニ日

 竹熊健太郎さんご来店。彼と初めて会ったのは、いまから30年ほど前。ぼくがまだゲームフリークで出版部をやっていた頃のことだ。相原コージさん作のスーパーファミコン用ソフト『イデアの日』の攻略本を作ることになって、前半の攻略記事を我々出版部が、後半の読み物を竹熊さんが執筆することになった。それ以来のご縁である。

 竹熊さんからはちょっとした相談を受け、こちらも前向きに対応することに。その後、要件もそこそこに店内の本棚を興味深そうに眺めておられる。帰りしな、ご自身のデビュー作である『色単』をお買い上げいただいた。

▲いつもながらのいい笑顔。

2013年5月タ日

 乙武洋匡氏が銀座のレストランに「車椅子だから」という理由で入店拒否されたというニュースが流れ、ネットでは賛否が巻き起こっている。ハンディキャップのせいで人間の自由な行動が制限されるのはとても悲しいことだけれど、店が対応できることにも限界はあるわけで、なかなか難しい問題である。

 ぼくの友人や知人にも足腰が不自由な人がおり、マニタ書房に来たがってくれているのだけど、エレベーターのないビルの4階なので、ご来店いただくのが困難であることを心苦しく思っている。

 

2013年5月シ日

 最近、自分の古本打率が素晴らしい。出掛けるたびに“いい本”を掘り出している。これは別に運がいいというわけではなく、ただ単にすごい数の古本を見ているからだ。普通の人が月に1回か、多くても週に1回くらいしか古本屋に行かないところを、ぼくはほぼ毎日行って、しかも何軒もハシゴする。そんだけ打席に立ってればヒットもたくさん打てるわな。

 今日は、自分と相性のいい「新橋駅前古本まつり」に行ってきた。そう、古本市には相性の善し悪しがある。こうした古本市は複数の古本屋が共同で出店しているので、その中に自分の蒐集傾向に合う本を多く扱う店が入っているかどうかで相性が変わってくる。新橋駅前「古本まつり」は相性がいい。新宿サブナードの「古本浪漫洲」はどうも合わない。同じ新宿でも西口地下の「新宿古本まつり」はいい。高田馬場BIG BOXの「古書感謝市」も規模は小さいながら相性がいい。逆に池袋西武リブロの「古本まつり」は規模はデカいのにどうも相性が悪い。難しいものだ。

 というわけで、本日訪問の「新橋駅前古本まつり」は、さすがの相性のよさで今回も収穫はそれなりにあったが、とくに嬉しかったのがこれ。

ビッグダディが盛岡で開業した接骨院のチラシ!

 店を宣伝したくてバラ撒いているチラシの住所にモザイクかける必要があるのか疑問だが、地元で配るのと、インターネット上に公開するのとは意味が違うだろうから、いちおうモザイクかけておいた。

 しかし、古本屋というのは売れそうなものなら何でも売るねえ。ま、これにわざわざお金を払って買うぼくもどうかしてるんだけれど。

 画像だとわかりにくいかもしれないが、このチラシ、おそらくビッグダディが手描き&ワープロ打ちして切り貼りした版下を、白黒コピーで複製したものだ。ということは、これが本物かどうかを問うことには意味がない。そもそもがコピーなんだから。

 もっと言えば、ぼくがこれをさらにコピーして、大量の複製を作って無限に売り続けることもできるわけ。もちろん、そんなことはしないし、原本(といってもコピーだけど)をマニタ書房で売り物にすることもない。あくまでも自分のコレクションである。

 ところで、このチラシを見るとビッグダディがけっこう真面目に長時間働いていることに気づく。盛岡屋、マニタ書房よりよっぽど営業してるな!

 

2013年5月ヨ日

 本の価値をちゃんと勉強して、しっかり値付けをしてる店が、客にとっていい古本屋かというと、そういうわけでもないところが悩ましい。だって、客からすればレアな本が無造作に100円で売られていたりするのが最高の古本屋なわけで。

 いい本を仕入れることができたら、しっかり値付けして利益を出したいという気持ちと、いい本を安く発見して喜んで欲しいという気持ちのせめぎ合い。古本マニアから古本屋になったぼくは、日々そんなことを考えている。

14 アニマル洋子と店内撮影と宮尾登美子

2013年4月マ日

 売り物の本に掛けるビニールに悩んでいる。この件は以前も書いたが、グラシン紙で本を包むのが好きじゃないので、状態の確認がしやすい透明ビニールで本を包みたいのだ。

 店内にあるすべての本をビニール掛けするのは作業量的に現実的ではないから、一部の貴重な本と、少しダメージがある本はそれ以上の被害を食い止めるためにビニール掛けにしたい。

 高円寺にある「アニマル洋子」さん(※古書店の名前です)でビニール掛けしていたので、店の方にどういうビニールを使っているのかお尋ねしてみたら、大きめのPPクリアパックを切りひらいて使っている、とのことだった。

 なるほど~とは思うものの、コストがちょっとかかりそう。

 古書ビビビの馬場さんにも同じことを伺うと、「うちは結局1000円程度の薄いロールを使っています」とのこと。東急ハンズとかでロール状になったやつを買えればいいのか。でも、どういう厚さがちょうどいいのか。薄すぎては切り出したり包んだりの取り扱いに苦労しそうだし、厚すぎるものは包んでもしっかりテープ留めしないと勝手に解けてしまうだろう。

 厚みが違うのを何種か買ってみて、テストをしてみるか。

 

2013年4月ニ日

 世間の常識的には、業種を問わず商店の店内で店主の許可なしにお客さんが勝手に売り物などの写真を撮るのはいけないことだろう。

 だが、マニタ書房はそれを一切問わないことにしている。「こりゃおもしれぇ!」という本があったら、どんどん写真に撮ってSNSに上げてもらっていい。その本を買わなくたってかまわない。マニタ書房みたいな始まったばかり無名な店は、話題にしてもらってナンボだ。

 

2013年4月タ日

 姉から「宮尾登美子『一弦の琴』のハードカバーが欲しいから、次にセドリ旅に行ったら探しといてくんない?」と頼まれた。まあ姉がセドリなんて言葉を知ってるわけはないので、わかりやすくそう書いてみたわけだけど。

 で、仕入れ値より高く買ってくれるわけじゃないし、姉から金取るのも何なので見つけたらタダであげるつもりだけど、こういう頼まれごとっていうのは古本マニアとしては嬉しいもんだ。

 何しろ、ぼくは本を“探すこと”だけが好きなので、仕入れ旅行にミッションが加わるのは楽しみが倍増する。いっそのこと探書代行業でもやろうかなあ、とさえ思うときがある。

 営業を終了して看板を引っ込め、店のドアを閉めて少しだけ原稿を書いてたら、ノックがあってお客様がご来店。10分ほどならいいですよ、と招き入れたら、短時間でサササッと選んで5,000円分くらい買ってくださった。こういうのはありがたいね。

 

2013年4月シ日

 今日はお客様から店名の由来を聞かれた。開業時の日記にも書いたけど、改めて書き記しておくと、「人喰い映画祭」→「人喰い」→「マンイーター」→「マニタ」で「マニタ書房」。もしもぼくが無類のパイナップル好きだったら「パイナポー書房」になってるところだったわけだ。

13 飲尿療法とカンパの古本と謎の鉄パイプ

2013年3月マ日

 かつて「飲尿療法」という民間療法が流行ったことがある。1990年に『奇跡が起きる尿療法』(中尾良一/マキノ出版)という本が刊行されて、広く世間に知られることとなった。飲尿、ようするに自分の尿を飲むことで体内がデトックスされ健康に……とかなんとか。

 常識で考えて、自分の尿を自分で飲むだけで健康になれるなんて、そんなワケあるか、バーカバーカという案件なんだが、なぜか流行ってしまって、けっこうな著名人でも実践している人がいた。

 その昔「伊藤つかさの尿なら飲める!」と言った奴がいた。ぼくは誰の尿なら飲めるかな~? デビュー当時の山瀬まみだったら飲んだかもしれない。でも、せっかくプリン体を排出した自分の尿を、なんでまた自分で飲まなきゃならないのか。

 飲尿療法のような医学的根拠のないものには否定的なぼくではあるが、古書マニアの立場からすると、それらについて書かれた本には俄然興味が出てくる。以前から、古書市などで見かけるたびにコツコツ仕入れをしており、いまでは10冊近くの在庫がある。

 尿の本が日本一揃っていることでお馴染みのマニタ書房、本日もオープンしました。

▲『尿を訪ねて三千里』なんて最高のタイトルじゃないですか!

2013年3月ニ日

 デイリーポータルZの林雄司さんがご来店。「Webやぎの目」の頃から気になっていた書き手であり編集者でもある人物だが、じつはお会いするのは今日が初めて。マニタ書房という店をきっかけにして、会いたかった人に会えたりするのがとてもおもしろい。店を始めてよかった。

 

2013年3月タ日

 高校時代の後輩のムトーが、30数年ぶりに会いに来てくれた。いまはビニール加工をする町工場の社長である。懐かしい話をいろいろ。

 そして、今日は店を閉めたら下北沢へ遊びに行く予定。いよいよ駅前再開発が本格化するにあたって、小田急線の地下化が始まる。あの有名な「開かずの踏切」がなくなるというので、下北沢で出会った仲間たちと集まって踏切の最後の姿を見て、惜別の宴を開催するのだ。

 下北沢は亡き妻と出会った街でもある。今日はいろいろな時間が巻き戻される日だ。

 

2013年3月シ日

 自分のノルマとして予定していた原稿は、1本目を7割ほど書いたところでタイムアップ。でも難所は抜けたからいいのである。それに、今日はお客様も多く、本をたくさん買っていただいた。限りなく赤字に近い店だけど、古本屋とライターという二本立てで商売をしていると、精神的にラクなのだ。

 ツイッターを見ていたら、友人がマニタ書房で買った本の写真を上げている。そして、そのツイートを見た別の友人が「あ、それオレが開店のときにプレゼントした本では?」とコメント。わはは、友人の本が友人間でぐるぐる回ってる。

 マニタ書房は、開業パーティーのとき「お祝いはいらないけど、不要の本があったらカンパして」とお願いしておいたら、集まってくれた友人たちがたくさん本を置いていってくれた。で、当然それらには適当な値段を付けて店頭に出しているわけだが、その気になれば後日来店して、自分が置いていった本にとみさわがいくらの値段を付けたか見ることができてしまうのだ。「オレがただでやった本にそんな値段を付けやがって、あのボッタクリ野郎!」……っていう地獄絵図がぼくを待っている。

 

2013年3月ヨ日

 マニタ書房はとにかくよく揺れる。

 自宅では地震以外では家が揺れることはないので、地震があったときはすぐに「地震だ!」とわかる。ところが、神保町のマニタ書房は白山通りを大型トラックが通るだけでもすごく揺れるので、毎日のように「地震かしら?」となっている。細長いビルの4階だから余計に揺れを感じやすいのだろう。

 うちの物件は、白山通りに面した側の柱に謎の鉄パイプが突き出ている。なんのためにあるのかさっぱりわからない。他にも洗面所の窓にも鉄骨が斜交いで突き出ていたりして、一応の耐震設計はされているようだ。

▲謎の鉄パイプ

12 忍者と豆盆栽と沖縄ブックオフツアー

2013年2月マ日

 以前にも書いたが、つげ義春無能の人』の「石を売る」は自分の中にとても深く食い込んでいて、ゲームデザイナーとして時代の最先端にある仕事をしていたときから、将来、自分はあそこへ行ってしまうんだろうなあ、という怖れのような気持ちと、それに反する期待感とが半分ずつあった。

 結局、このように古本屋のおやじになっちゃったわけで、ぼくはつげ的世界に半身だけ入ってしまった感じがしている。だーれもこない店内で店番をしていると、助川の「ジュースとか甘酒とか並べてね、ついでに石も置いて多角経営してみようと思う」という才覚のかけらも感じさせないセリフが、頭ん中をグルグル回る。

 マニタ書房も、多角形とまでは言わないが古本の他に中古レコードを置いてみたり、変な雑貨を並べてみたりして、本人は楽しんでいるんだけど、なんだか店として経営方針がブレているような気も、少しだけしている。

 

2013年2月ニ日

 店内に「エマニエル椅子」を置いてみたい衝動に駆られる。しかし、冗談で買うにはあまりにも大きいし、たぶん高い。

 

2013年2月タ日

 仕入れのためにブックオフを回っていると、どこにでもありそうなのに意外とそうでもない本というのが見えてくる。そのひとつが忍者に関する本だ。「忍者」というコーナーを作りたくて、ブックオフ巡りの際にはわりと意識して見ているのだけど、なかなか見つからない。なので、現状ではマニタ書房の在庫には2冊しかなく、暫定的に未分類コーナーに置いている。これが5冊になったら仕切り板を作ろうと思っていたのだけど……、本日2冊とも売れてしまった! 残念だけど、経営者としては喜ぶべきなのかな。

 そうだ、先に仕切り板だけは作って棚に挿しておき、そこに「このジャンルの本を売ってください!」と書いたデコイを並べておくといいのかもしれない。

 

2013年2月シ日

 今日は娘と一緒に千葉県の未踏ブックオフを2軒回ってくる予定。大喜びで同行をせがむ娘に、とみさわ遺伝子が着実に伝承されているのを感じる。

 それにしても、古本屋っていうのはどこの誰とも知らない人の人生を追体験する商売だな、と思う。「どこの誰とも知らない人」というのは本の著者のことではなく、その古本の前の持ち主のことだ。日々、古本に触れていると、前オーナーの過ごしてきた人生に触れてしまう瞬間が多々ある。それをとてもわかりやすく教えてくれているのが、古沢和宏さんの『痕跡本のすすめ』だったりもするわけで、あの本が古本業界に刻んだ功績はとても大きい。

 

2013年2月ヨ日

 少し前にある人がツイッターリツイートしているのを見て、長いことカラーブックスの『豆盆栽』を探している人がいるのを知った。べつにその人から探書を依頼されたわけではないが、まあ古本屋の習性というか、心の隅に残っていた。

 その後、仕入れに行った先の古本屋であっさりと『豆盆栽』を見つけ、安かったのでセドリしておいた。だけど、その探している人は自分がフォローしているわけじゃないし、誰のいつ頃のリツイートだったかもわからず、セドった本を届ける方法がない。

 どうせ売るならやっぱり長いこと探している人に買ってほしいなあとは思うのだけど、相手がわからないんじゃどうしようもない。とりあえず値段を付け、心の中で(いつかその人がマニタ書房のことを知って、店で見つけて感激してくれるといいな……)と思いながら店頭に並べておいた。

 そして今日のことだ。

 フラリとやって来たお客様が、しばらく店内の棚を棚を物色している。カラーブックスが置いてあるコーナーもじっくり見ている。その後、あの『豆盆栽』をレジに差し出してきた。それ1冊だけを。もしや、と思って聞いてみた。

 

「以前、ツイッターで『豆盆栽』を探しているという方がいて……」

「それ、わたしです!」

 

 いやあ、願いというのは届くもんだなあとびっくり。もちろん、お客様はとても喜んで帰っていかれた。古本屋冥利に尽きるというのはこのことだ。

 ※この話には後日談もあるのですが、それはまた後日の日記に書きます。

 

2013年2月ボ日

 札幌ブックオフ巡りをした際に、LCCの航空チケットの安さに味を占めたぼくは、こんどは沖縄へ行くことを計画する。暇にあかせてAir Asiaのサイトを見ていたら、タイミングよくバーゲンで成田~那覇が3,900円というのを見つけた。往復しても7,800円だ。すげえな。

 というわけで2月の下旬に4日間、ぼくは古本の仕入れ旅行を敢行した。

 

 出発した日の東京の気温は、7℃くらい。でも、那覇に着いたら19℃。とても暖かくて過ごしやすい気温だ。着ていったダウンジャケットを脱ぎ、アロハに着替える。

 ホテルにチェックインしたときはすでに日が暮れていたけど、沖縄にいられる時間を無駄にしないよう、すぐにブックオフへ向かう。最初に訪ねたのは「ブックオフ沖縄ひめゆり通り店」で、そこでは7冊購入できた。まずまずの収穫。とはいえ、もうこの時点で夜9時を回っていたので、次の店へ向かう余裕はない。だから飲んじゃうよね。沖縄の夜を楽しんじゃうよね。

 国際通りで見つけた適当な居酒屋でほろ酔いになり、ホテルへの道をぶらぶらと歩いていたら、遅い時間なのにまだやっているレコード屋があった。沖縄音楽のレコードは集めているわけじゃないので、とくに期待もせずに見ていたら、『燃えろ! 闘牛!』という沖縄闘牛のCDを発見した。これはいいものだと即購入。

ここで買えます。

 翌日は、レンタカーを借りて本格的にブックオフ巡りを開始する。まあ本格的にと言っても沖縄には6軒しかブックオフがない(当時)のだけど。この日は一般の古本屋も回る予定なので、ブックオフに行けるのは3軒だけ。

 まずは「ブックオフ宜野湾市店」で8冊購入。次に「ブックオフ那覇小禄店」で6冊購入。じつは「那覇小禄店」は日本最南端のブックオフでもあり、仕入れ以上にここへ来ること自体がこの旅の重要な目的でもあった。

 その後、「ブックオフ那覇与儀店」で13冊購入し、ブックオフ巡りは終了。一旦ホテルへ帰ってクルマを置いて、シャワーを浴びたら再度外出。

 国際通りとその周辺をアッチデモナイ、コッチデモナイとうろつき回って「ゆいま~る」という古本屋さんに辿り着いた。ここではアフリカの獣医の本を1冊購入。他に、あと3軒の古本屋を訪ねてみたのだが、すべて閉業してしまっていた。沖縄でも古本ビジネスは風前の灯なのか。

 

 そして3日目。再びクルマを出して、北へ向かう。途中に未踏のブックオフが2軒残っている、帰りに寄ればいいので通り過ぎる。じゃあどこへ向かっているのかというと、「漢那ダム」だ。そう、ダムカードをもらいにきたのである。

▲以前は熱心に集めていたけど、カラーバリエーションや期間限定などの多さに熱意が冷めて集めるのをやめたダムカード。でも、せっかく沖縄まで来たのだから、1枚くらいは欲しかったのだ。

 さて、ダムを満喫したらトンボ返り。那覇方面へクルマを走らせて「ブックオフ具志川店」へ向かう。ここでは6冊購入したのだが、そのうち大物の収穫が1冊あった。『俺たちには土曜しかない』(1975年/二見書房)である。著者は瓜田吉寿。あの悪のカリスマ、瓜田純士のお父ちゃんである。

 以前も書いたが、こうした暴走族本はいま古本業界では非常に高騰している。そんな本が、ブックオフの105円コーナーで発掘できたんだからたまらない。もちろん、うちも商売だからこれを店頭に並べるときはそこそこの値付をすることにはなる。まあ、古本屋というのはそういうもんだからご理解いただきたい。

 その後、やっと最後の店「ブックオフ コザ店」を訪ねて、沖縄のすべてのブックオフを制覇した。ここでは8冊購入して、トータル49冊を仕入れたことになる。日程的にはあと1日残っているが、もう仕事は終えたので、あとは沖縄の酒場を満喫するだけだ。

11 セカンドライフとブックオフとトイレの問題

2013年1月マ日

 マニタ書房を開業して初めての新年である。新年早々ブログを更新。マニタ書房としての公式ブログは作っていないのだが、とみさわ昭仁個人としてのブログ「Pithecanthropus Collectus(蒐集原人)」に、マニタ書房の概要という記事をアップした。ここに「店の地図」と「主な取り扱いジャンル」と「古本以外の商品」と「営業時間」と「買い取りについて」の説明を書き連ねておく。ここを見てもらえばマニタ書房というのがどういうところか一目瞭然、というわけだ。

 ちなみに、初夢は「行きつけのブックオフに行ったら隣の公園で中古レコード市をやっていて、あんまり期待しないでエサ箱を漁ってみたらどこかの覆面歌手コレクターの処分品がごっそり混じっており、見たこともないような覆面歌手とか、バットマン(覆面ヒーロー)のパロディレコードとか、ぼくの知らないレコードがドサドサ出てきて狂ったように買い漁る」という夢だった。「これは夢じゃなかろうか!?」と驚いて目が覚めたわけだが、もちろん夢だ。かなりの重症である。

 

2013年1月ニ日

 いますぐ売り上げにつながるとは思えないが、10年後くらいにいい味が出てくるのではないかと思って密かに集め始めているのが「セカンドライフ」の解説本だ。セカンドライフ、わかりますかね? ウィキペディアには「3DCGで構成されたインターネット上に存在する仮想世界(メタバース」と書かれている。インターネットバブルよ再び!とばかりに、いろんな企業が仮想空間内に店を出したりして、なんとなく話題になったり、ならなかったり、派手にラッパを吹いたはいいものの、実際に聴こえてくるのは閑古鳥の鳴き声だけだったりする、あの空間。

 こういう新しいムーブメントがあると、それの是非や成功の可能性はさておき、まずはガイドブックや攻略本が作られる。そういうものって、時間が経つとどんどん情報が古くなるのは当然で、情報が古くなるだけならまだしも、そのサービスが不発に終わると、それらのガイドブックはまるでオーパーツのような輝きを放ち始める。いま『NIFTY‐Serveイエローページ ’96』とか新品で出てきたら化石でしょ。逆にプレミアが付く。

 で、いま(※2013年)は、ちょうどセカンドライフのガイドブックが、まったくなんの役にも立たず、でも化石になるほどには熟成されておらず、古本市場では二束三文でごろごろしてるという状態。マニタ書房では、そういうものをコツコツと掘っていきたいわけですよ。

 さすがに「セカンドライフ」という仕切り版を作るのは時期尚早だけど、とりあえず集めた5冊ほどのセカンドライフ本は「パソコン」の棚に並べてある。全っ然っ売れる気配はないけどね。

セカンドライフにはブックオフの支店もあった。行っておけばよかったなー。

2013年1月タ日

 ぼくの読者だという方が遠方よりご来店。『よい子の歌謡曲』の頃から読んでくれているそうだから、かなり長いこと応援していただいているようだ。店内をじっくりと眺めた末、厚めの本をまとめ買いしてくださった。これは本当にありがたいこと。金額の高い本が売れるのもいいけれど、たとえ安くても厚みのある本が売れるのもまた嬉しいのだ。ズバッと空いたスペースに、薄い本ならたくさん補充できるからね。新年、もう少し休んでいようかとも思ったが、頑張って出勤して、店を開けておいてよかった。

 

2013年1月シ日

 自分が行ったことのあるブックオフをチェックするために、公式サイトにある支店のリストをExcelに移している。以前はただ既訪店の名前を箇条書きにしておく程度だったが、それだと全貌が把握できない。まず全体がどれだけあるのかをすべて書き出し、すでに踏破した店舗にチェックを入れていく。これがチェックリスト作りの基本だ。そうすることで、自分がいま全ブックオフ踏破旅のどの位置にいるかが把握できる。……って、おれはいつの間に「全ブックオフ踏破旅」なんてものに出発してしまったのか。だが、やり始めてしまったら止められない。

 北は北海道から南は九州・沖縄まで、日本国内すべての支店に番号を付けて上から並べていく。いずれ訪問するときのために住所はもちろん、駐車場の有無、店舗のサイズを書き込む欄も必要だ。営業時間はほぼすべての店舗が午前10時オープンなので、わざわざ欄を作る必要はないだろう。ごく稀にフランチャイズ店で「午前8時開店」とか「午後23時まで営業」などという店があるので、そういうときだけ備考欄に書いておけばよい。

 あとは「初訪問」と「最終訪問」の日付。これは後々になっていろいろ振り返るときのために必要だ。こういうところに自分のマニアックな性格が反映されている。だが、すべての支店の「標高」まで書き込むのはやり過ぎなのではないか。でも、これをやったおかげで日本一高いところにあるブックオフ山梨県の富士吉田店で、日本一低いところにあるのが愛知県の大治店であることが知れた。知ってどうする。

 日がな一日そんな作業に没頭して、日本全国ブックオフのリストが完成。全894店(当時)のうち、167店を訪問済みであることがわかった。過去の日記からのピックアップ漏れがあるので、おそらく実際には175店くらいは行ってるはず。これから先、マニタ書房の仕入れという名目であちこちのブックオフへ行くことになるだろうから、この訪問数は加速度的に増えていくはずだ。実に楽しみである。

 

2013年1月ヨ日

 昼。弁当の用意がないので、店を10分だけ閉め、ダッシュで近所の蕎麦屋へ行ってイカ天そばを食う。たった一人で店を運営していると、このように食事ひとつするにも苦労する。いや、食事以上に重要なのがトイレである。

 以前、せんべろ古本トリオで国立周辺をツアーしていたときのことだ。とある古本屋の戸をガラリと開けたら、パニクった表情の店主に「すみません、トイレに行きたいので10分後にあらためて来ていただけませんか?」と言われたことがある。あのときは笑ってしまったな。せんべろ古本トリオのツアーは古本屋と酒場をハシゴする旅なので、「じゃあ、このタイミングでガソリンを入れに行こう」と、近所にある餃子の満洲に入り、ビールを飲みながら時間を潰したのだった。

 マニタ書房は、そう頻繁にお客さんが来る店ではないので、トイレに行くタイミングが取れなくて困るということは滅多にない。ただ、酒飲みの常としてぼくはお腹が緩みがちだから、お客さんがいるときに便意を催すという危険はある。いつだったか、お客さんが長居しているときにお腹がくだり始め、心の中で(買うにせよ買わないにせよ早く退店し!)と念じていた。ようやく何冊かの本をレジに差し出されたので、(やっとトイレに行ける!)と感謝しながらレジを打っていたら、トントントンと次のお客さんが階段を上がってきてしまった。万事休す。まあ、入店したばかりのお客さんはしばらく棚を眺めているだろうから、バックヤードへ本を取りに行くようなフリをしてトイレに入ってウンコしましたけど。

 

2013年1月ボ日

 マニタ書房もいちおうは実店舗なので、店の固定電話くらい引いておくべきなのでは? と思ったりもしたが、少し考えて、電話で在庫を問い合わせてくるような人はうちの客じゃないな、と思って引くのをやめた。何があるのかは店に来てからのお楽しみ。マニタ書房はそんな場所でありたい。

10 痕跡本と竹内力とマニタ書房の壁面メディア

2012年12月マ日

 古本の世界に「痕跡本」というものがある。これは愛知県で古書店「五っ葉文庫」を営んでおられる古沢和宏さんが提唱している概念だ。

 前の持ち主によって落書きなどが施された本は、一般的に「汚れ」や「キズ物」扱いとなって商品価値が下がってしまうものだが、稀に単なる汚れとして切り捨てるには惜しいものもある。それを集めて「なぜ前の持ち主はそんな落書きをしたのか?」「なぜそんな複雑な傷がついたのか?」といった理由を勝手に想像したり、考察したりするのである。古沢さんは『痕跡本のすすめ』(太田出版)、『痕跡本の世界』(ちくま文庫)といった著書で、その魅力を解説してくれている。ぼくも古沢さんの著書を書評で取り上げたり、ご本人とトークイベントをやるなどして、微力ながらそのおもしろさを広めるお手伝いをしている。

 で、ある日のことだ。ふらりとうちの店にやってきたお客様が、「あの……痕跡本ってないですか?」と言うのだ。一瞬どういうことかわからなかったが、ようするに古沢さんが著書で紹介しているようなおもしろい痕跡本が欲しいのだろう。

 いやしかし、それを店主に問い合わせますかね? 痕跡本に興味を持つ人が増えるのは同志として嬉しいことだけど、そういうものは人に教えてもらうのではなく、自分で見つけることに意味があるんです。なんなら、痕跡本の価値の半分は「発見するという行為」の方にあると言ってもいい。

 実は、帳場に座るぼくの背後には個人的に集めた痕跡本が何冊もあったのだけど、そのお客様には「うちの在庫にはないですねえ……」と応えるしかなかった。

 

2012年12月ニ日

 今日は店を開ける前に午前中から所沢へ行き、彩の国古本まつりを堪能してきた。ここは所沢駅前に立つビルの大ホールに複数の古本屋さんが集まって行われるかなり大規模な古本市で、年に3~4回は開催されている。古本屋になる前からたびたびに足を運んでいたが、いざ自分が古本屋になってみると、今度はこれがいいセドリ場所にもなってくれる。

 およそ2時間くらいかけて端から端までチェックし、マニタ書房の棚が似合いそうな珍書やバカな実用書、ムシのいい健康法の本などを数冊購入した。ここの古本市では手ぶらで帰ったことがない。それくらい自分と相性がいい。

 今回、いちばんの収穫といえるのが『竹内力セーターブック』だった。

 爽やか青春スターのイメージで売り出していた頃の竹内力が、セーターの編み方を指南する手芸本のモデルを務めている。そのこと自体にはなんの面白味もないはずなのだが、後の萬田銀次郎や岸和田のカオルちゃん役のイメージを知っていると、そのギャップのデカさがたまらない魅力となる。この時点では市場価値なんてないも同然の本だから、売値は250円だった。でも、こういうのってマニタ書房的には3,000円くらいの価値はあるだろう。

 素晴らしい収穫を抱え、店を開けるために神保町へ来たら、ドアの前でお客様が開店を待っていてくれた。いつもいつも営業時間が不規則で申し訳ないことだ。

「今日は所沢へセドリに行って来たんですよ~」などと言い訳をしながら、買ってきたばかりの『竹内力セーターブック』を見せしたら、そのお客様が爆笑して「売って欲しい」とおっしゃる。仕入れから間をおかずに売れてしまうなんて、こんな効率のいいことはないのだが、さて、いくらにしよう。さすがにセドったときの価格が書かれたままのものを3,000円で売るのは気が引ける。かといって、500円くらいでは手放す気になれない。2,000円……と言いたいところだったが、お初のお客様でもあるのでもうちょい値を下げ、1,000円でお買い上げいただいた。

これは翌年に沖縄のブックオフ仕入れたやつ。このときは105円だった。

 その後は、閉店までずっと仕入れた本の値付けと本棚の整理をして過ごす。本の配置を少し変更して、新たに「毛」「刑罰」「皇室」「ギャンブル」「政治家」「水商売」というジャンルが増えた。「毛」って。我ながら「毛」って。

 

2012年12月タ日

 本日発売の雑誌「BRUTUS 746号」は「男を知る本、女の知る本。」という特集。その中に〈個性派本屋がつくった「男棚」「女棚」〉というコーナーがあり、マニタ書房も男棚として参加させてもらっている。

 マニタ書房の男棚は「女性に読んでもらいたい、男ってバカだけどカワイイがわかる本」というテーマである。わざわざ選書しなくてもマニタ書房にはバカな男が選んだ本しか並んでいないのだから、在庫のすべてがそうだとも言えるわけだが、それじゃ収拾がつかない。なので「格闘技」「発明」「人喰い人種」「冒険家」「埋蔵金」「野球」といったジャンルから、いかにも男ってバカね~と思わせる本をセレクト。

 で、せっかくだから「BRUTUS」の発売に合わせて、誌上で紹介している本の現物を集めたコーナーを店内にも作ってみた。

清原の顔面力が目を引くコーナーができました。

2012年12月シ日

 漫画『サザエさん』にまつわるあれこれを研究した『磯野家の謎』という本がある。1992年の12月に発売されるや、たちまち初版の2万部を売り尽くし、半年後には180万部を超える大ヒットとなった。以後、続々と有名作品を研究した類書が刊行され、いわゆる「謎本」と呼ばれるジャンルが形成されていった。

 ぼく自身は、書物としての謎本にはまったく食指を動かされないのだが、その一方で「これを集めたら蒐集の遊びとしてはいいバゲームランスだろうなあ」という気持ちにもなる。そのため、ブックオフ巡りをしているときに謎本を見かけると、つい手を出してしまいそうになる。だが、もちろん集めたりはしない。マニタ書房にそんなコーナーを設けたところで、いまさら誰も買ってくれるはずがないからだ。

 マニタ書房の経営は、そんなギリギリの判断によって成立している。

 

2012年12月ヨ日

 ふと、店のブログでも始めようかと思う。仕入れた本の書影に簡単な紹介文をつけて並べる。通販はしない方針だけど、ブログで見て興味を覚えた本は、実際に店に来れば買える。これはいい販売促進になるのではないか? そう考えたのだ。

 でも、やっぱりダメかと諦める。ブログといえども、入荷情報(商品データ)を掲載すると、それは営業用のウェブサイトと見做されるので、警察にURLを届け出ないとならないのだ。通販取引のための窓口にしていなければセーフのような気もするが、ちゃんと調べるのも面倒なので、結局ブログはやらないことにした。

 古書ビビビさんがやっているように、オススメの本や新入荷した本をTwitterでつぶやく程度にしておくのが、マニタ書房にもちょうどいいのかもしれない。

 

2012年12月ボ日

 特殊古書店マニタ書房を開業して、早くも2ヶ月が経った。

 かつて根本敬が登場したとき、その独自すぎる作風で漫画ファンの間に衝撃が走った。もちろんぼくもビックリして、そして大ファンになった。やがて、根本さんは「特殊漫画大統領」を自称するようになる。プリミティブな画力で人間の因果を浮き彫りにする作風は、まさしく特殊漫画の名にふさわしい。

 世界の殺人鬼に詳しい柳下毅一郎は、あまり普通の人が手掛けないタイプの本ばかり翻訳することから「特殊翻訳家」と自称している。彼もまた特殊漫画の登場に衝撃を受けた一人なのだろう。特殊翻訳家という肩書きが、根本敬からの影響であることは想像に難くない。

 で、彼らのそんな肩書きが、ぼくはずっと羨ましかった。人から肩書きを尋ねられて「ライターです」「ゲームデザイナーです」と答えるたびに、内心では「ぼくも“特殊なんとか”って名乗りたいなあ」と思っていた。

 でも、そういうわけにはいかなかった。だって、そう名乗るには自分の書いてきた原稿は少しも特殊じゃなかったし、自分が制作に携わってきたゲームはメジャー過ぎたから。

 メジャーなことは別にイヤじゃない。むしろ、あれほどの世界的大ヒット作に関われたことを誇らしいとさえ思う。思うけれど、いまとなっては「……もういいか」という気持ちでもある。この部分は我ながら複雑な心理だ。

 まあ、とにかくそれで、メジャー感というものとはまるで正反対のところにある商売を始めることにした。それが古本屋だった。これまで好きでコツコツと集めてきた変な本専門の古本屋を。

 店を始める準備をしているときに、人から「どういうお店なんですか?」と幾度となく訊かれた。しかし、自分の店で取り扱う本のジャンルはひと言では答えようがない。だからアバウトに「サブカルがメインの古本屋ですよ」と答えることが多かった。そうすると相手は余計にわかんなくなって、みんな首をかしげていた。そんなとき、ハッと思いついたのが例の肩書きだ。

 うちは「特殊古書店」だ! いいぞいいぞ、特殊古書店は口にしたときの響きもいい。これから積極的に使っていこう。

 特殊古書店は、特殊な本を扱っている古書店でもあるが、店主である自分の特殊な趣味を手掛かりにして本が集められた場所でもある。本を集めて分類するというのは、言い換えれば「編集」だ。すなわちそれは「メディア」と言うこともできる。

 

 先日、編集者の赤田祐一さんが店に来てくれた。そう、彼こそが『磯野家の謎』を企画してベストセラーにした張本人であり、角川ホラー大賞で審査員に「不快だ」と言われて受賞を逃していた『バトルロワイヤル』を拾い上げて100万部超のベストセラーにしたり、私財を投じて雑誌「Quick Japan」を創刊したり、とにかく日本のサブカル界にこの人あり、と言われる名編集者だ。

 もちろん、ぼくも赤田さんの大ファンで、ずっとその仕事を追いかけてきた。同じ業界にいるのだからいずれ会うことがあるだろうと思ってはいたが、これまでご本人と会う機会は訪れなかった。そうしたら、ちゃんとマニタ書房という特殊な古本屋が出現したことを嗅ぎ付けて、わざわざあちらから店に足を運んでくれた。自分で言うのもなんだけど「さすが」だと思った。そして、ここには深い意味がある。

 優れた編集者は、世の中に埋もれているおもしろいものを独自の嗅覚で探し出し、それらを編集して雑誌や書籍、すなわちメディアに載せる。そこに読者は吸い寄せられる。赤田さんが編集するメディアに、ぼくも吸い寄せられてきたわけだ。

 そしてぼく自身も、日本中の古書店の棚に埋もれているおもしろい本を集めてきては、それを独自のジャンルに組み替えて、棚に並べている。つまり、マニタ書房の壁面本棚は、ぼくが編集したメディアだ。だから来店してくれるお客さんは、ぼくのメディアの読者である。そこに赤田さんが吸い寄せられてきてくれたということは、なんだか彼とぼくとの間で目に見えないリングがつながった感じがするじゃないか。

 ああ、自分は間違ってなかった、と思う。

 店が開いていない日も多い不誠実な営業スタイルで、お客様にはご不便ばかりおかけしている特殊古書店マニタ書房だけど、来年はもっと真面目に店を開けようと思う。別に本を買わなくても、棚を見に来てくださるだけでも大歓迎ですよ。

 

2012年12月ウ日

 このあいだ、電車の中でふと自分の着てるダウンジャケットの胸元を見たら、ブックオフの値札シールが張り付いていた。よく、漫画家の肘にスクリーントーンの切れ端が付いていたなんて笑い話があるけれど、マニタ書房の店主には値札シールがついていたか。

 しかし、スクリーントーンならいいけれど、ブックオフの値札だとぼく自身が「105円」みたいでなんか嫌だ。

09 顔と名前と窓際本棚と名古屋ツアー

2012年11月マ日

 ついに開業した! 学生時代から古本屋という場所が大好きだった自分が、古本屋の主人になってしまった。それも神保町のまん真ん中で。

 小学生のとき最初に憧れた職業の落語家にはならず、漫画家にもなれず、イラストレーターにもなれなかったけれど、大人になって憧れた雑誌ライターにはなることができたし、80年代後半の花形職業であるゲームデザイナーにもなれた。そのうえ大好きな古本屋にもなれてしまうなんて!

 とはいっても古本屋という仕事には華々しいことなど何もなく、ただ一日中ぼんやりとレジの前に座ってカビ臭い本に値付けをしているだけだ。噂を聞きつけて来てくれたお客さんは多かったが、大半は二、三の言葉を交わし、レジで精算を済ませたら帰っていく。でも、それで十分。それ以上、何も望むことはない。

 フリーランス稼業が長いので、人と会う機会は多い。交換した名刺は家に山ほどある。だが、そのうち顔と名前が結びつく人は半分もいない。自分が相貌失認症だと思ったことはないが、そもそも短期記憶が弱いので、いろんなことをすぐ忘れる。

 店なんか始めたら、人と会う機会は飛躍的に増えるだろう。その一方で、これからは脳がますます老化していって、元より頼りなかった記憶力が更に衰えていくはずだ。つまり、どんどん人の顔が覚えられなくなる。覚えてもすぐ忘れる。

 だからここで言っておきたい。

 過去にぼくと会ったことがあるという皆さん! マニタ書房へ遊びに来て、ニコッと笑いかけられても、かなりの高確率でぼくはアナタの顔や名前を覚えていないはず。ぼくが「いらっしゃいませ~」といった通り一遍の挨拶しか返さなかったら、それはきっと顔と名前が一致してないだけなのだとわかってほしい。決して、あなたを拒絶しているわけではないのだ。

 

2012年11月ニ日

 本日最初のお客様が、値付け1,000円の本を買っていってくださった。これで今日も売り上げはゼロではない、ということになる。たかだか1,000円と侮るなかれ。この積み重ねが大事なのだ。

 飲みに行ったら1,000円、2,000円をパカパカ使ってしまうぼくだが、いざ、自分で店を始めてみると、千円札一枚を稼ぐのがどれだけ大変なことかがよくわかる。それを実感させられる毎日である。

 子供の頃、夢中になって見ていたドラマ『細うで繁盛記』の冒頭で、新珠美千代は次のようなナレーションを語っていた。

銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする

 マニタ書房の壁は清らかに白いが、酒びたり店主の顔はいつも赤く、屁の香りはホップの匂いがする──。

 先月末の開業以来、マニタ書房はまだ一日しか休んでいない。このままでは「不定期営業」の名がすたる。今日こそ休んでやろう! と思ったりもするのだが、前日の売り上げを銀行の口座に振り込んで、通帳に記載された残高が増えていくと喜びがじんわりと込み上げて来て、また今日も店のシャッターを開けてしまうのだ。

 開業する前は、週のうち半分くらいは休んでもいいんじゃないか、なんてことを思っていたのだが、いざ店を始めてみると、お客さんが来てくれることがとても嬉しくて、つい毎日のように店を開けしまう。当たり前といえば当たり前のことだけど、ぼくは長いこと当たり前とは無縁のところで生きてきたので、こんな当たり前の日常が新鮮に感じられる。

 

2012年11月タ日

 ネットで見つけた店舗用什器を取り扱う業者に書店用本棚3台分の見積りを頼んでおいた。

 A社「本棚代金85,000円+送料50,000円」

 B社「本棚代金130,000円+送料20,000円」

 送料が高いのは、うちはエレベーターなしの4階なので、別途人件費が上乗せされるためだ。いずれにしろ、どちらも高すぎるので却下。

 そうこうするうちに中古什器を扱うC社を見つけたので、問い合わせたところ「希望のものが在庫有り」とのこと。こちらは本棚代金60,000円+送料25,000円で、合計85,000円也。予算は10万円以内を想定していたので、ここに決まり。背面パネルのあるタイプなので、これを白山通りに面した壁一面の窓を塞ぐように設置すれば、マニタ書房の本棚は完成となる。

奥に見えるのがC社の本棚を組み立てたもの。
日当たりが一気に悪くなったが、古本屋というのはそれでいいのだ。

2012年11月シ日

 いくら神保町の真ん中といっても、エレベーターのないビルの4階なので、お客さんの来訪は途切れがちだ。いちばん多いときでも同時に3組のお客さんが重なるくらいがせいぜい。それでもちょこちょこ本が売れて、それが地道に売り上げにつながっていくのはありがたい。ときにたくさん売れれば万々歳だ。

 だが、売れていく本の数よりも、仕入れる本の数の方が少なければ、店頭在庫は痩せ細っていく。

 古書組合に入っていれば、定期的な競り市などで在庫を補充できるが、うちのような野良古書店は、自分で買取りをするか、もしくは他所の古書店からセドリをしてこない限り、在庫が増えることはない。だからブックオフ巡りをしているわけなのだが、正直言って効率は悪い。それはブックオフ巡りが悪いのではなく、わざわざ旅費をかけて北海道だの沖縄だのに行ってる自分の頭が悪いのだ。でも、それを変えるつもりもない。今後、どのようにして仕入れの量を増やしていくか。それはマニタ書房の将来のためにも、とても重要な問題なのである。

 

2012年11月ヨ日

 とかなんとか言ってるそばから、名古屋に来てしまいました!

 名古屋市内にあるブックオフ17店(当時)を、3日間ですべて回ろうという、いつもの旅である。今回は自分でマイカーを運転して、千葉県の松戸市から愛知県の名古屋市までやって来た。

 午前7時に家を出て、途中で首都高の大渋滞に引っかかってしまい、名古屋に着いたときはもう午後2時半。つまり7時間以上もかかったことになる。大急ぎで、予定していたブックオフを見て回る。

 さすがは名古屋だ。つい先日うちの店で売れたばかりの『つぼイノリオの聞けば聞くほど』を、ここに来てすでに3冊も見つけた。まあ、浮かれて3冊すべて買い漁ってもしょうがないので、とりあえず2冊だけ補充しておくことにする。

 結局、この日は首都高を抜けるのに予想外の時間がかかってしまい、当初の計画よりも2時間ほど遅れたわけだが、なんとか初日のノルマであるブックオフ6軒のうち5軒を回ることができたので、まあ上出来だ。

 その後、ホテルにチェックインして、シャワー浴びて、近場にあるもう1軒のブックオフをチェック。こうして初日の業務を終えたところで、のんびりと名古屋の夜を楽しみに出かけるのである。

 

2012年11月ボ日

 あれやこれやあって名古屋の最終日。ここまでに買った本の冊数をかぞえてみたら、14店を回って購入した本はトータルで120冊だった。今日はあと3店+古書市にも顔を出すので、このままで行くと札幌での119冊/21店を遥かに凌駕するペースだ。

 名古屋でのブックオフ巡りは主要の足がマイカーなので、荷物が重くなるとか、宅配便で送る手間とか、そういう面倒を考えなくていい。それがまた買いすぎを加速させる。あるいは。単純に愛知県という土地にはマニタ書房向きの本が多い、ということがあるのかもしれない。なんたって、つぼイノリオ先生とか、金のシャチホコとか、とりいかずよし先生とか、そういう過剰な何かを生み落としやすい土地だから。

 朝食は適当に見つけた店のカレーうどんで済ませ、名古屋古書会館の「名鯱会」(地元の古書マニア向けに開かれる古書市)にやって来た。シャッターの前には、まだかまだかとオープンを待つネズミ色の服装の老人たち。この光景は東京も名古屋も変わらない。

開場と同時に古本の山に群がる人たち。いい景色!

 そして1時間後。

 いやあ、すごかった。東京古書会館(神保町)、西部古書会館(高円寺)、南部古書会館(五反田)、反町古書会館(東神奈川)での古書市には慣れていたが、名古屋のそれはまたひと味違うものだった。開場前の老人たちの熱気も、場内の埃の量も、比べ物にならなかった。その一方で、値段は都内よりも断然安い。これは定期的に遠征して来たいと思わせる場所だった。

 1階ガレージの100円均一コーナーから11冊、2階のメイン会場で本を4冊と、ドーナツ盤を6枚ばかり購入。これにて名古屋市内のブックオフ全17店と、古書会館を制覇した。はたして帳簿的にプラスになるのか、ならないのか、そんなことは考えてもしょうがない。人生は一度きり。とにかく楽しかったんだからオール・オッケーだ。