庶民の芸術
2020年08月15日 ぼくの住む町に、1本の小さな川が流れている。いまはほとんど在宅で仕事をしているが、神保町まで通勤していたときは、毎朝、その川沿いの道を歩いて駅まで向かっていた。 少し前、その川縁に柵ができた。 これがその柵 等間隔に並ぶポール…
数ある我がコレクションの中でも、その執念深さと狂気の度合いで、コレクション群の頂点に立つのは、まちがいなく「街角の似顔絵描きコレクション」だろう。なにしろこのコレクション、29年前からやってるんだかんな!街角の似顔絵描きコレクション 1/8 街角…
我が国ではほとんど見かけることはないが、アメリカでは非常にポピュラーな習慣のひとつに「year-shaped glasses」というものがある。日本にない習慣だから、それに相当する日本語はないのだが、あえて和訳すれば「年号メガネ」ということになる。どういうも…
似顔絵を集めてるといっても、たったの8枚だけなんて少ないじゃないの。と言う人もいるかもしれないが、冗談じゃない。枚数は少ないけど、おれはこのコレクションを28年前からやってんだよ!1982年の1月。前年の8月に二十歳になっていたおれは、地元市民…
さらに時間をさかのぼって、1992年の作品。いまから18年前ということは、おれが31歳のときだ。当日勤めていた会社の社員旅行で日光江戸村へ行った。実際の江戸の町に似顔絵師がいたかどうかは知らないが、江戸村には着物姿の似顔絵師が出店していたので、軽…
じつは前回のサンシャイン60も、前々回の東京タワーも、どちらもまだ結婚する前の女房と遊びに行った場所だ。つまり、おれって奴は彼女とデートに出掛けておきながら、彼女そっちのけでこんなものを描いてもらっているわけだ。我ながら向こう見ずな行動に出…
1995年、10月の作品。サンシャイン60に登ったときに描いていただいた。針すなお先生、こんなところで何やってるんですか! と言いたくなるようなタッチだが、もちろん別人だ。似顔絵というのは、その本人が気にしてそうな顔のパーツを大袈裟に描いて悪目立ち…
さて、ここでちょっと変化球をご紹介しよう。いつもの似顔絵ではなく、切り絵による似顔作品だ。おれと面識のある人なら、このシルエットを見て「あ、似てる〜」と思ってもらえるだろう。ただし、1996年の冬だったので、いまよりも痩せている。おれの顎の下…
さて、今日は2001年3月の作品だ。アーサー・C・クラークが描いた2001年になっても、まだこんなことやってるとは思わなかったよ。しかも、また娘と一緒。というか、時系列をさかのぼって紹介してるので、これが娘と一緒に似顔絵を描かれた初めての作品という…
続いては2001年、8月の作品。これもまた地元の夏祭り会場にて。娘1歳とともに。べつにこのコレクションは娘の成長記録でやってるわけじゃないから、本当はおれ一人で描いてもらいたいところなんだが、せっかく絵描きさんが気をつかって「お嬢さんと一緒に…
街角の似顔絵描きには不思議な魅力がある。大勢の通行人が見ているなかで、絵のモデルとして数十分間じっとしているというのは、ちょっとした苦行だ。それでも絵を描いてもらおうとするからには、単なる思い出作りだけではない何かがある。おれなんかは顔と…
うちの娘はもう9歳(2009年当時)なので、トイレは自分でちゃんと出来るようになったが、まだオムツをしていた5歳くらいの頃は、それはもう大変な日々だった。 乳幼児というのは、みんなそういうもんなのか知らないが、とにかく常に便秘気味で、3日に1回…
先日、所沢のくすのきホールで開催された「彩の国 古本まつり」に行ってきた。毎年、春夏秋冬、年に4回もやってくれるから、古本おやじにとって季節ごとの楽しみになってるんだな。こちらのリンク先で場内の写真を見てもらうとわかるけど、神田以外の古本市…
冬の記憶といえば、炬燵(こたつ)の天板にのった折り紙のゴミ容れだ。炬燵を見るとすぐにそれを思い出す。折り紙で作られた、蓋すらない単なる四角い箱だけれど、ミカンの皮とか、落花生の殻とか、イナゴの佃煮の足とか、とにかくテレビ見ながら炬燵で飲み…
周辺でたいそう評判のいい『ヘルボーイ2:ゴールデンアーミー』がそろそろ都内での上映を終わってしまいそうだったので、観に行くことにした。が、その前に、一作目の『ヘルボーイ』もまだ観ていないことに気がついたので、ツタヤで借りてきておいたDVDを金…
オカンアートというものがいったい何かは、いまさら説明するまでもないかな。5年ぐらい前に2ちゃんねるで誰かがその概念を提唱し、以来、みんなで実家に転がっている作品群をアップしては、心暖まったり戦慄したりしている。そのへんの流れは以下のサイト…