数あるレコードコレクションのなかで、自分がもっとも力を入れて集めているのが、いわゆる“覆面歌手”のレコードだ。このブログでもすでに何枚か紹介してきた。ただ、これまでは覆面歌手といってもちょっと亜流っぽいものばかり紹介してきたので、ここらで王道というか覆面歌手のルーツについて、きちんと紹介しておきたいと思う。
自分の知る限り、日本最古の覆面歌手といえるのが「金色仮面(ゴールデンマスク)」である。
1910年、北海道小樽生まれで、本名を小林千代子という。彼女は1931年(昭和6年)に東洋音楽学校を首席で卒業すると、松竹少女歌劇団に入団。と同時に日本ビクター蓄音機に入社し、同年「金色仮面」としてデビューする。代表曲には『アリラン』『涙の渡り鳥』などがある。ペリー・コモのカヴァー『パパはマンボがお好き』では、高島忠夫とデュエットもしている*1。
デビュー年を見てもわかる通り、金色仮面が活躍したのはおもに日中戦争以前のこと。戦前ーーすなわち各家庭にテレビなど普及していない時代だから、歌手がその存在を庶民にアピールできるのはラジオぐらいしかない。したがって覆面歌手といっても、顔を隠す意味はほとんどなかったはずだ。ということは、「金色仮面」などという芸名もせいぜい話題作りのために名前を伏せてデビューした、という程度の意味しかなかったのだろう。実際、デビューしてからわりとすぐに本名での活動に切り替えたようだし……。
と、ごく最近まで思っていたのだけど、先日やっと手に入れた『アリラン』のSP盤に付いていた歌詞カードを見ておどろいた。
ちゃんと覆面してるーーーー!!!!
その後、彼女はポリドールへ移籍し、さらに世界的オペラ歌手の三浦環に師事してクラシックへ転向したり、芸名を小林伸江に変えたりしながら活動を続けていく。1946年に三浦環が亡くなると、その意志を継いで三浦環顕彰会ーー後のマダムバタフライインターナショナル(MBI)を設立した。現在、MBIで理事長をつとめる小林裕子氏は、小林伸江の姪なのだそうだ。
小林伸江、いや金色仮面は、1976年、膵臓壊死によってこの世を去った。享年66歳であった。