22 古本ライターとやくざ者と浅田真央

2013年12月マ日

 いまから4年前。復職して10年ほど勤めたゲームフリーク社との契約を解除して、またぼくはフリーランスに戻った。自ら進んでやったことではあるけれど、50歳を目前にしての再出発は難しい。ましてやおりからの出版不況で雑誌は激減し、ぼくに声をかけてくれる媒体はゼロに近かった。

 いい歳した大人が毎日な~んにもやることがないのって、マジできついね。朝起きて、ハローワークに行く時間まで、ジグソーパズルくらいしかやることがない。脳内空っぽ。虚無。

 そんなとき、唯一の心の支えになってくれたのがブログでやっていた『人喰い映画祭』だった。1日1本、人が喰われる映画を見ては、ブログにそのショートレビューを書く。各作品には「アリ」「クマ」「サメ」「ワニ」などのカテゴリーをつけて分類する。

 世の中、怪獣映画に詳しい人はたくさんいるけれど、モンスターパニック映画──なかでも人が喰われることだけに特化した映画評論家はいないので、この分野なら日本一になれるだろう。そう思って始めたブログである。

 企画には自信があったので、ブログを始めたらすぐに書籍化の声がかかるだろうと思っていたが、2年間続けていもどこの出版社からも声はかからなかった。だから、暇にあかせて自費出版で本にすることにした。

『人喰い映画祭』自費出版バージョン

 ちょうどこの『人喰い映画祭』の執筆・編集作業を進めているときに、友達の侍功夫くんが映画同人誌『Bootleg』を始めると言い出した。その執筆メンバーとしてぼくにも声をかけてくれたので、一も二もなく参加した。商業誌も同人誌も関係ない。映画について書かせてもらえる場があることが嬉しかった。

 やがて『人喰い映画祭』と『Bootleg』は完成し、当時、話題を集め始めていた文学フリマに合同でブース出店した。自費出版物でありながら、深町秋生さん、真魚八重子さん、速水健朗さんと言った著名な書き手がメンバーにいることもあって、『Bootleg』のブースには文フリ史上最高の行列ができて、飛ぶように売れた。その余波で『人喰い映画祭』も完売した。文フリ後も注文が殺到し、増刷を繰り返してトータルでは600部を売り切った。

 それでも、出版社から「これを書籍化しましょう!」という声はかからなかった。

 やっぱり企画として弱いのかな。ぼくが書籍化を諦めかけた頃に、ようやく声をかけてくれたのが辰巳出版だ。その陰で尽力してくれたのは、『Bootleg』でイラストを描いている永岡ひとみさんだった。彼女が取引のある辰巳出版に企画を持ち込んでくれたのだ。

 当時のぼくにとって、『人喰い映画祭』は唯一のアイデンティティだった。そのアイデンティティさえも消えかけていたときに、それをつないでくれた。

 自費出版では174本の人喰い映画を掲載していたが、商業出版での書籍化にあたっては大量に増補するべきだと考え、キリ良い数字で300本を掲載してタイトルも『人喰い映画祭【満腹版】』と改めた。そのおかげか、出版以降は各所から映画に関する原稿依頼が来るようになった。雑誌「映画秘宝」の執筆陣にも混ぜてもらえたし、人喰いワニ映画『マンイーター』の公開時には、映画パンフに寄稿させてもらうこともできた。

 仕事が全然なくて「自分は世の中から必要とされていないんじゃないか?」と絶望していたときに声を変えてくれた侍功夫氏は親友であり、それを仕事につなげてくれた永岡さんは命の恩人と言ってもいい。

 こうして4年前もの話をなぜ長々と振り返っているかというと、いまは「古本」というジャンルについて考えているからだ。すぐには仕事につながらなくても、日々そのことについて考え、こだわり、思いついたことを文章として残す。やがてそれが自分の得意分野として仕事の幅を広げてくれるだろう。商売として古書店を営んでいることは、エッセイの題材に「古本」を取り上げる際に大きなアドバンテージをぼくに与えてくれるはずだ。

 打倒、岡崎武志! 荻原魚雷! 南陀楼綾繁! ……いや別に倒す必要はないんだけど、ぼくも彼らのように活躍したいなと、殊勝な気持ちでおるわけです。

 

2013年12月ニ日

 地元とか都内ターミナル駅ブックオフは何度も来ているし、いつでも来れるので、あらたまって外観写真を撮るようなことはしていなかったのだが、そろそろ自分はそういう店もきちんと写真に収めておくべきステージに来たのではないかと感じている。ステージて。

 

2013年12月タ日

 一度でもマニタ書房に来たことがある方なら、様々に分類された本のジャンルのひとつに「やくざ」というコーナーがあるのをご存知だろう。お客様のニーズに応えるという理由があるのははもちろんのことながら、それよりも、まず店主であるぼく自身が極道者に対してひとかたならぬ興味をもっているからあんなコーナーを設けているわけだ。自分の好きな本だけを売る。それがマニタ書房の基本姿勢でございます。

 先日、こんな本を仕入れてきた。ブックオフではない。場所は忘れたけれど、都内のどこかで開催された古書市での収穫の1冊だった。

『関東やくざ者/藤田五郎』(1971年/徳間書店

 仕入れてきた本をすべて読むなんてことは不可能なので、この本もしばらくは適当に積んでおいた。そしてあるとき、気まぐれで中をパラパラめくっていて、本文のある箇所が極太マッキーで黒々と塗りつぶされているのに気がついた。分量にして3行。ここはなぜ塗りつぶされているのか? 何が書かれているのか? それを知ろうとして裏側を見ても、マジックのインキが染み込んでいて読むことはできない。

▲これ、気になるでしょー? なにしろやくざの本だしね。


 塗りつぶしの前後の文章を読むと、舞台は刑務所だということがわかる。収監されている石川という男が看守を呼び止め、寝冷えがするので布団を干したいと懇願する場面だ。そして3行がまるまる塗りつぶされ、その直後の文章を目で追うと……衝撃的なことが書いてあった。

〈石川は地恵子の命日に、まるで地恵子を追うように自殺したのである。〉

 こ、これはひょっとして……!

 あわてて最終ページをめくってみると、何やら紙を剥がしたような跡があった。

▲図書館の蔵書に貼ってある管理ラベルの跡?

 図書館で役目を終えた本が大量に破棄されて、古書市場に流れてくるというのはよくある話。だから、この本もそういうルートで流れてきたのではないだろうか。でも、普通の図書館の蔵書が検閲でスミ塗りされているなんて話は聞いたことがない。

 ならば……これは一般の図書館ではなく、刑務所内にある図書室の蔵書だったというのはどうか? 

 刑務所だからといって、健全な本ばかりが置かれているわけじゃない。やくざ者の本だって希望すれば読むことができると聞いたことがある。ただし、具体的な犯罪の方法が書かれているようなものは許可されないらしい。そりゃそうだ。

 と、ここで閃いた。「同じ本をもう1冊探せば、塗りつぶした箇所が読めるじゃん!」と。幸いなことに、この徳間書店のドキュメントシリーズはベストセラーなので、あちこちの古書市で見かける。

 ぼくはさほど苦労することもなく、同じ本を入手することに成功した。

 早速、該当の箇所を読んでみる。

 

〈石川は、その日の朝、看守を呼んだ。担当の看守は、かねて懲役人仲間でも評判の悪い冷酷な男であった。

「なんだ、石川」

「担当。寝冷えで、蒲団を屋上に干すから出してくれ。それにおまえの手柄になるようないいものをついでに見せてやる」

 不覚にも、看守はその言葉につられた。石川は屋上で蒲団を干すとみせかけ、毛布を自分の顔にぐるぐる巻きつけたかと思うと、アッというまに十五メートル下の地上へ身をおどらせていた。石川の体は、マンホールの鋼鉄の蓋の上に叩きつけられた。即死であった。

 石川は地恵子の命日に、まるで地恵子を追うように自殺したのである。〉

 

 ある程度予想はしていたが、塗りつぶされた箇所には、具体的な自殺の方法が書かれていたのだった──。

 これが本当にどこかの刑務所に所蔵されていたものだったのか、そうではないのか、その真偽については、実のところどうでもいいと思っている。古本の痕跡からそういうストーリーを勝手に読み解いて、あり得るかもしれないドラマを楽しむ。それが、古本という世界の奥深さだ。

 

2013年12月シ日

 コヨーテは猫を食うのかー。しかも、その猫はスカンクを食うらしい。

 ※生物の捕食に関する本を読んでいる。

 

2013年12月ヨ日

 埼玉県は所沢駅の正面、くすのきホールというところで「彩の国古本まつり」という古書市が年に4回ほど開催されている。ギリギリで年末進行を脱出したので、明日が最終日のところを滑り込みで見に行ってきた。

 なんだかんだで収穫はあり、それなりに満足はしたのだが、一冊、心に引っかかる本があった。

 浅田真央の本である。

 著者はノンフィクション作家の宇都宮直子さん。表紙の真央ちゃん、可愛らしいねえ。まだ15歳だよ。こんな若い子が銀盤の上で大人顔負けの演技を見せるのだから、たいしたもんだよトリプルアクセル

 でも、ぼくはとくに浅田真央ファンというわけではないし、フィギュアスケートにもことさら興味はない。さらに珍本でもないからマニタ書房の仕入れにも必要ない。だからそのまま本をワゴンに戻した。

 彩の国古本まつりはとにかく広い。本を見ながら会場内をしばらく歩いていたら、また浅田真央の本があった。

 あれ? さっきも同じようなタイトルじゃなかった? でも表紙の写真はぜんぜん違うね。よく見たら『16歳』だ。版元はさっきと同じく文藝春秋社で、著者も宇都宮直子さん。

 ……ということは?

 ……ひょっとして?

 ……ありました。

 育ってる! 着実に育ってるー!

 これはまさか、ぼくに集めろと言ってるのではないだろうか。

 勘弁してくれ! そりゃ人間生きていれば18歳にもなるよ。そして翌年は19歳になるだろうし、その次は20歳になるんだよ! その都度、本を出そうっていうのか宇都宮さんよ!

 出なかった。『浅田真央、19歳』は出なかった。

 でも、『20歳』が出た。ほれ。

 ちょっと変化球で来た。「20歳への階段」ということは、実質はまだ19歳ってことだな。

 じゃあ、このあとに正式な意味での『浅田真央、20歳』が出たのかというと、それはなかった。そして、真央ちゃん本人は2013年の時点で23歳になるわけだけど、結局、シリーズの出版はこれっきりだった。さすがに版元&著者さんもマンネリだと感じたのだろうか。

 これ、まったく違う版元、まったく違う著者が競合して『浅田真央、○○歳』シリーズになっちゃっていたら、間違いなくぼくは集めてただろう。でも、そうじゃなかった。そうじゃなくてよかったね、というお話でした。

 

2013年12月ボ日

 年末の押し詰まったときに衝撃的なニュースが入ってきた。大瀧詠一さん急死の報である。

 ぼくはハードロックとパンクロックに夢中な青春時代を過ごした人間なので、はっぴいえんど的なる音楽に興味を持ったことはないが、歌謡曲に名曲をたくさん残した人として大滝さんは好きだった。傑作アルバム『ロングバケイション』も当然買った。

 大瀧さんからは音楽的な影響というよりも、趣味人というか、物事を面白がる視点的な意味では確実に影響を受けているだろうと思う。

 ぼくがいま52歳ということは、青春時代に影響を受けた作家、ミュージシャン、アーティストたちは自分より少し歳上か、ひと回りくらい上の世代が多い。つまり彼ら彼女らもすでに60代から70代になっているはずだ。そりゃいつ死んでもおかしくない。これから先、こういう訃報を聞く機会が増えていくのだろう。歳をとるというのはそういうことだ。