牛を育て、牛に育てられた男

ある道を極めた人物について、その業績を綴った本はいつもハズレがない。自分の知らなかった世界を知ることができるのは刺激的だ。特殊な世界であればあるほど、その刺激は強くなる。銀行業界よりも植木職人の世界の方が興味深く、植木職人よりも野菜の種ひも製造業の世界の方が興味深い。

そんなわけで『牛づくり八十年』である。


『牛づくり八十年/蝦名賢造』(1963年 毎日新聞社

おれはいつもそうなんだけど、この本も見た瞬間に買った。そりゃそうだよ、なんたって牛を作って80年だもん。たかだか古本集めて35年のおれが勝てる相手じゃない。

本書の主役は、北海道江別市で牧場を経営する町村敬貴さん。アーネスト・ボーグナインを温和にしたような、でも温和にしたらそんなのボーグナインじゃないよ!的なナイスなお顔立ちがいい。ここでぐっと引き込まれる。これで81歳なんだよ!

町村さん曰く、

私になにか若返り方法があるんだろうと聞かれても、どうも答えようがないわけです。けれども、私は家におりますと、牛乳を大変な量飲んでいるんです。いままで牛の面倒をみてきたんだから、こんどは牛が私を養ってくれるんだと冗談をいいながら。ほんとうに、牛に半分養われているような食生活になってしまっています (14頁より)

牛を育ててきたつもりが、いつの間にか牛に育てられていた! いきなり名言炸裂の町村さんは、お肌プルプルでとても81歳には見えない。アメリカではここ20年くらい、成長ホルモンを投与された牛の牛乳を飲んだ少女たちの巨乳化が問題視されているというけど、この町村さんの時代にはそんな成長ホルモンは使ってないと思うんだよね。
アメリカの牧場で牧夫の修行をしていた頃(1951〜1961)から牛乳との相性が良過ぎて、人一倍手が大きくなったりもしたそうだ。

町村敬貴さんは、畜産業界では“牛の神様”と呼ばれているらしい。現在(といってもこの本は昭和38年のものだけど)、日本国内におけるホルスタイン種の血統のうち9割は町村さんが手掛けたもので、町村牧場生産牛の血統を引いているのだという。これはもう牛の神様どころか、町村さん、ほぼ牛だ。