満員御礼・ヒッポンエイジス

ヒッポンエイジス、おかげ様で満員御礼となりました。ご来場いただいたヒッポン読者の皆さん、来たくてもいろんな事情で来れなかった皆さん、全員ありがとうございます。以下、当日の感想や語りきれなかったことなどを記しておきます。

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このイベントをすることになった経緯は、じつはおれ自身はよくわかっていない。たしか熱心なヒッポン読者だった方々と成沢大輔(ヒッポン執筆者)がツイッターで会話しているうちに、出てきたアイデアだったと思う。で、それに賛同した平林久和(ヒッポン編集者)と元宮秀介(同じく)とおれらで正式なイベントとして立ち上げていったんだな。

最初は、読者側からの「かつてのヒッポン関係者をお呼びして当時の裏話を聞きたい」という要望だったのだけど、編集者の中でいちばん個性的だったヒラ坊と、ライター陣でいちばんエバってたナリちゃんが本気になったことで、あれよあれよという間に阿佐ヶ谷ロフトAでのトークイベントとなった。

メインの4人だけでもたぶんお客さんはそこそこ来てくれるだろう……とは思いつつ、25年も前の雑誌のイベントなんか誰も来ないんじゃねーの? という心配もあって、ゲストを呼ぶことにした。どうせ呼ぶなら、これ1回こっきりで終わっても心残りがないように、かつての主要な関係者は可能な限り呼んじゃおーぜ、と考えた。結果的には、呼び過ぎちゃったためにステージぎゅうぎゅう詰めで、ひとりひとりにはあんまりお話が聞けなかったな。これはちょっとこちらの計画不足だった。

でも、おかげで満員御礼となり、お客樣方からは「ぜひ第2回も開催して!」というありがたい声を聞かせてもらった。ロフトさんからも次回開催の打診をいただいているので、これはきっと第2回ヒッポンエイジスもあると思っていい。主催の4人がギャラの分配で揉めて仲間割れしない限りは開催するはず。

さて、当日。自宅の蛍光灯の掃除なんかしていて、やや遅刻気味に楽屋入りしたおれ。他のスタッフはすでに集まっていた。ステージでPCのセッティングなどしているうちにゲストの皆さんも楽屋入りしてくる。
ここ数年、自分は何度も阿佐ヶ谷ロフトAに出させてもらっているから慣れてるけど、ゲストの皆さんは緊張気味。いつも講演仕事で大勢の前に立って話すことには慣れているはずのヒラ坊まで緊張していたのはおかしかった。それだけ本気で取り組んでるってことだよね。

ロフトのステージは土足OKにもかかわらず、楽屋からステージに上がるところで出演者の皆さん、靴をお脱ぎになってらっしゃる。こういうところからもメンバーの緊張が伝わるかと思う。ゆうぎさん、ナイス激写。

開演までちょっと時間が空いたので、おれはひとりで近くのブックオフをのぞきに行く。ヒッポン時代の攻略本とか発掘できたらいい話のタネになったんだけど、そんな都合のいい収穫はなし。

とかなんとかやってるうちに開演。

まずは主催の4人が壇上にあがり、続いてゲストの皆さんを順次呼び込み、自己紹介とともに軽いトークなど。その後、『ファミコン必勝本』創刊時のエピソードを語る。

すでに皆さんがつぶやいたりしているように、とにかくヒラ坊が飛ばす飛ばす。自分の人生の中で、いわゆる“口角泡を飛ばしてしゃべる”人というのを現実に見たのは彼が最初だったけど、当時から変わってない。彼は編集部での打ち合わせでもずっとああいう調子だった。とにかく熱い。この熱さがスタートダッシュとなり、その後のイベントの温度を何割か上昇させてくれたように思う。

イベントでは時間がなくて話せなかったけど、自分のゲームライター歴を振り返ってみると、ざっとこんな感じになる。

1986〜1987年 『スコラ』※ゲーム雑誌ではないが、ファミコンの攻略記事を連載していた。
1986〜1988年 『ファミコン通信
1988〜1989年 『少年ジャンプ』※ご存知「ファミコン神拳
1989〜1993年 『ファミコン必勝本』『HiPPON SUPER!』
1992〜1994年 『ファミリーコンピュータマガジン』『PCエンジンFAN』『メガドライブFAN』
1995〜1997年 『The スーパーファミコン』『ハイパープレイステーション

この他に、『ハイスコア』『マル勝ファミコン』『覇王』『じゅげむ』などなど、記名無記名を問わず単発で寄稿したことのある雑誌も加えると、かなりの数のゲーム雑誌を渡り歩いてきたことになる。
そんな中でも、やはり『ファミコン必勝本』と『HiPPON SUPER!』(合わせてヒッポン!)に関わっていた5年間は、自分にとって格別な意味のあるものだった。ゲームを紹介する文章を書くだけだった自分が、ゲームについて“語る”ことの意味とその意義について意識的になれたのは、ヒッポンでの仕事を通じてだった。

ヒラ坊からは、目の前の原稿用紙を埋めるのではなく、その先にあるものを見据えて文章を書くことの重要性を学んだ。ナリちゃんをはじめとする執筆陣たちからは、ゲームに向かって本気で対峙する姿勢を見習わせてもらった。自分はヒッポンで仕事をすることで、原稿料だけではないたくさんの何かを手に入れたのだ。

いまでこそ、飲み友達として仲良しの鈴木みそだが、お互いヒッポンに関わっていた時期が微妙にずれているので、当時の彼とはほとんど接触をしてない。もしかしたらひと言の会話すら交わしていなかったかもしれない。だから、今回のトークライブで鈴木みそが語るヒッポンは、おれの知らないヒッポンとしてとても新鮮に感じられた。『メタルスレイダー・グローリー』の作者、☆よしみるさんとも初めてお会いすることができた。絵のイメージとは少し違って、物腰の柔らかい紳士だった。忍者根本とは20年ぶりに再会した。ブルースギターの腕前に驚かされた。お客さんの中にも懐かしい顔がたくさん見えた。ゲイムマンは相変わらず覆面をしていなかった。

イベントの中身についても少しは書いておいた方がいいか。

第1部では「テレビゲーム80'」と題して、メインの4人がそれぞれヒッポンとの関わりを話す……はずだったのだが、すでに書いたようにほとんどヒラ坊の独演会。しかし、それもまた良しだ。ここでいきなり時間が押し気味で、手塚一郎直筆の「時間押してます」フリップが出てきて観客の笑いを誘っていた。

休憩をはさんでの第2部は「ウィザードリィスペシャル」。ベニー松山&高橋政輝の両名を迎えて、ゲーム小説の金字塔ともいえる『隣り合わせの灰と青春』の誕生秘話を語ってもらった。ウィズ10周年イベント『WIZ91』のときのビデオも上映。このイベント、脚本がベニー松山で、演出は無名時代の古川日出男なんだよね。よくこんなビデオ残してあったなー。

第3部は「読者投稿&バグボーイクラブ&4大RPGファンページ&フリートーク」。これがいちばんグダグダだったかもしれない。とにかく時間が押せ押せで、駆け足のトークになってしまった。野暮用で今回の参加を断念した常連投稿人の星、ジョッカーアキラさんから届いたビデオメッセージは、バカ風味満点で素晴らしい仕上がりのものだった。釘バットがよく似合う大人に成長していたね。

おれは先月末に女房を亡くして、この十数年間をすべて失ったような気持ちになっていたが、ヒッポンエイジスのおかげで一気に20年前に巻き戻された気がした。ヒッポンエイジスは過去を懐かしがるだけのイベントじゃない。“あの頃”を振り返って、自分たちが熱かった時代の思いを取り戻し、これからの人生に活かすためのイベントだったのだ。だから、第2回、第3回と今後も続けていく必要がある。おれたちはやるよ!

今回、集まってくれたみんなに感謝したい。企画に賛同して力を貸してくれた人たちに感謝したい。そして、こうしたイベントを開催するきっかけを与えてくれた@hopalongcarrotくんには最大の感謝を贈りたい。ありがとう。


※写真提供:kin_nekoさん、yuhgiさん、mokkoriseijinさん、mannonさん