人を喰うならバランスよく

『さらば文明人 ニューギニア食人種紀行/西丸震哉』(1969/講談社

 日本には、過去に何度も“ニューギニア・ブーム”が起こってきた。まあ、ブームっていうほどのこともないんだが、誰かが言い出したらそういうことになるのがブームってもんだ。
 人々がニューギニアへ行く理由は、民俗学文化人類学の調査旅行であったり、水木しげる的“異形への憧れ”であったり、奥崎謙三的“戦争への落とし前”であったり、その理由はいろいろある。いろいろあるってことは、なんでもいいってことで、ようするに日本人はニューギニアが好きなんだよね。だから定期的にニューギニア・ブームが起こる。
 で、この本を開くと、やっぱり最初の1行目に「このところ、日本はニューギニアブームといわれるくらい、いろんな人がいろんな目的ででかけている」なんて書かれている。この著者の場合は、サブタイトルに「ニューギニア食人種紀行」とあることからもわかるように、ニューギイアへの興味は、イコール、人食い人種への興味だと考えていいだろう。なーんだ、おれと一緒じゃん。

 本書は、著者が「未接触の食人種をさがし出すことに重点を置い」た、ニューギニアの旅行記である。プロフィールを見ると、東京水産大学卒業、農林省食料研究所主任研究官、とある。食料研究を突き詰めていくうちに食人族の調査まで! と、思わず戦慄しそうになるが、もちろん、ここでいう食料ってのは“人間”じゃない。職業とは関係なく、単なる個人的な興味でニューギニアへ出掛けていったようだ。
 この著者は、ニューギニア石器時代のままの暮らしを続ける原始人食い族を心から慈しんでいる。彼らを野蛮人だと思ったら大間違いだ! と憤慨する。彼らは、彼らなりのルールに従って生活しているだけであって、好き勝手に人を殺して食ってるわけじゃない。原始人と野蛮人を混同してはいけない、と言う。

人食い人種だって、人を食べるというだけのことで、凶暴な野蛮人なんかでは決してなかった。人を食べた経験者の数からいったら、太平洋戦争をやった文明諸国民のほうが、よほど絶対数は多いかもしれない。人を食うことが悪いことなら、それを悪いと知って食べた連中のほうが悪くて野蛮であって、悪事とは考えていない食人種は、別な観念を持っているだけのはなしだから罪がないではないか。(P18より)

 いや、これ逆じゃないかなあ。タブーである共食いを意識的にするのが“罪”であって、無意識に共食いをするのは、それこそ“野蛮”なんじゃなかろうか。まあ、だから野蛮が悪いとは、おれも思わないけどね。

 それはともかく、こうした人食い人種への過剰なシンパシーが、この本をおもしろくしているのもまた事実だ。カリムイ高原の住民は1960年代初頭まで文明社会からの影響をまったく受けていなかったので、青年以上のほとんどの住民は人間を食べた経験があるという。しかし、空気の読めない宣教師が入り込んできて「人食いは悪いこと」と教え込んで以来、人食いについて取材しようとしても、なかなか口を割ってくれなくなってしまったらしい。だから、著者は「おれも別の部落の人食い人種なんだよねー」とかなんとか言って、心を開かせているという。まるで根本敬の取材方法のようだ。
 人食い人種の取材中に、著者はライ病にかかった患者とたくさん遭遇する。おれも土人本をあれこれ読んでいるけど、たしかにいろんな本にライ病患者が登場する。だからといって、人肉食とライ病の間には何も因果関係がないのは周知の事実だ。本来は感染力も低い病気だが、未開の地では適切な治療薬がないために、患者が減らないのだ。ニューギニアでライ病に罹った不幸な患者は、手や足や鼻が落ちたまま不自由な暮らしを続けている。日本では、明治時代に妻のライ病を治したくて生きている子供の肉を切り取って食べさせた事件があったという。もちろん、そんなことで治るわけがない。無知というのはどこの国でも悲しい。ニューギニアのデゲという部落では、ライ病患者は必要以上に毛嫌いされている。病人が出ると川へ連れて行き、首に縄をつけて水中に引きずり込んで殺してしまうという。こうして処理された結果、いまのところデゲでは病人がゼロだそうだ。まったく乱暴な話だ。

 東ハイランド州カイナンツ近郊の人食い人種は、人間の脳を生で食べる習慣がある。ブレンズ刺しってやつかい? 通だねえ……などといってる場合じゃない。この地区に限って「クル」という風土病が発祥し、顔の筋肉が突っ張って始終笑っているように見えることから笑い病とも言われる。生の脳を食べるのが原因だとされている。ビタミンDの欠乏で発生する「くる病」と関係があるのかどうかはわからない。まあ、人間の脳を生で食わなくても、豚のもつ焼きばかり食ってりゃ通風になったり糖尿になったりするわけだから、人間、栄養のバランスを考えて食事をしましょうね、ってことだ。