01 実店舗へのこだわりと値付け方法と蟲文庫

2012年3月マ日

 正確な日付までは覚えていないが、3月のある日、唐突に古本屋を開業することを思いついた。昔から古本屋が好きだったぼくが、自ら、古本屋に、なるのだ。

 最初に古本屋という場所に足を踏み入れたのは、いつ、どこの、何という店だっただろう。さすがに覚えてはいないが、ひとたびその魅力を知ってからは、神保町を皮切りにあらゆるところへ行った。

 古本(というか古本屋)が好きな人間は、だいたい一度は古本屋になることを夢見る。ぼくも例外ではない。だが、実際になってしまう人はほとんどいない。客として訪れるのが楽しいからといって、そこで働くことまで楽しいとは限らないからだ。それに、古本屋稼業は重労働であることも、古本マニアなら知っている。そのくせ賃金は安い。もっと言えば、昭和の時代ならいざ知らず、いまや古本屋なんて社会から消滅しつつある業界だ。明るい未来なんて見えそうにない。

 ぼくは長いことゲーム業界で働いてきた。こちらは古本屋とは正反対で、常に未来を見据えていく業界だった。幸いなことに、ぼくは『ポケットモンスター』シリーズという、数多あるゲームコンテンツの中でも特大級のヒット作に関わることができた。自分の人生の意味のうち、半分くらいはそれで成し遂げたような気がしている。

 そんなぼくも、もう50歳(当時)だ。そろそろ人生でやり残したことをやってもいいんじゃないのか。昨年、妻と死別した。少額ながらも保険金が下り、手元に多少の資金はある。

 蕎麦打ちでも始めてみる?

 いや、ぼくは江戸っ子だけど蕎麦ッ食いじゃない。

 ゴルフはどう?

 スポーツ全般ぜーんぜん興味ないね。

 世界一周クルーズの旅とかは?

 妻と一緒だったらいいんだけどねえ……。

 というわけで、若い頃にちょっと夢見た古本屋を開業するというのが、自然な選択肢として浮上してきた。

 古本屋をやるには、店舗を借りなければならない。いまはネット通販をメインにしたオンライン古書店という方法もあるが、それは最初から選択肢になかった。やるからには実店舗を構える。店の棚に、ぼくが自分の審美眼でセレクトした本だけを並べ、それを直接お客様に見ていただいて、対面販売する。それがぼくにとっての古本屋だ。

 

2012年3月ニ日

 鬼子母神通りの「みちくさ市」へ遊びに行った。ここで一箱古本市をやっているのだ。一箱古本市というのは、業者による古本市とは違って、一般の参加者が自分の読み終えた古本を箱に詰め、各自で適当に値段を付けて即売する古本のフリーマーケットのようなものだ。だから、意外にいい本が格安で並んでいたりして、掘り出し物と出会えることがあるのが魅力だ。

 これまでも、デパートの古本市や、こうした一箱古本市に顔を出したりはしてきたが、いざ自分で古本屋を開業することを決めると、ちょっと見る目が変わる。

 たとえば並べ方。

 畳一帖くらいの敷物を地べたの上にひろげ、その上に無造作に本を並べている人。まさしくフリーマーケット感覚だ。あるいは、旅行用のスーツケースに本を詰めてきて、それをパカっと全オープンにしている人もいる。ごろごろ引っ張ってきて、開けるだけでそのまま店になる。なるほどなあ。

 小さめの折りたたみテーブルを組み立て、その上に本を並べるスタイルはとてもスマートだ。お客さんも屈まずに本が選べるので、腰に優しい。ただ、ご近所さんか車で来れる人じゃなければテーブルを持ち込むのは難しい。

 売り物の本は、数が少なければ表紙が見えるように並べればいいけれど、数が多くあるなら並べ方にも工夫がいる。瓦屋根のように半分ずつ重ねて並べるか、あるいはブックエンドを持ってきて立てて並べるか。プラケースや木箱に入れて並べている人もいるが、これは業者の古本市でもよく見かけるやり方だ。

 値段の付け方はどうだろう。栞サイズの紙に値段を書いて本の中ほどに挟み込むスタイル。本の最終ページに鉛筆で値段を書き込むスタイル。バイト先のものを借りたのか、ラベラーで値段シールを打ち出して貼り付けている人もいる。まあいちばん手っ取り早いのは鉛筆書きだから、ぼくが自分で店をやるときはその方法をとることになるだろう。

 どこに店を出すかはまだ決めていないが、この一箱古本市を見終えたら、帰りに根津~西日暮里の不動産屋で店舗用物件でも探してみようか。あのあたりの、いわゆる谷根千エリアにはいま古本屋が多く存在するからそのグループに混ぜてもらうのもいいし、千代田線の乗り換えなしで家にも帰れる。いいことづくめじゃないか。

 

2012年3月タ日

ブックオフ池袋サンシャイン60通り店」へ行き、大量に仕入れ(セドリ)をする。いままでは、古本屋やブックオフに行っても買うのは自分が読みたい本だけだったけれど、もういまは完全に仕入れ目線で本を見ている。もちろん「自分好みの本だけを置く」というのがぼくの店の基本コンセプトだから、自分が読みたい本、という部分から大きく外れはしないんだが、それだけじゃない要素もある。お客さんはみんながみんな濃いマニアとは限らないので、そこそこの本も置いておかなければならない。濃い本ばかりだと疲れてしまうでしょう? 緩めの本もそれなりにあって、その中に『私の父は食人種』みたいな狂った本が混じっているから、店の個性が光を放つのだ。

 ブッックオフにこうした人喰い人種系の本が並んでいることはまずないが、それを引き立てるようなやや緩めの変な本ならたくさんある。それがどういうものかはうまく言えないし、仮に言語化できたとしてもそれは企業秘密である。

 池袋から根津へ出て「Booksアイ根津店」を訪問。町によくある漫画や雑貨に力を入れた店で、ぼくにはあまり用のない感じの品揃えだった(※2015年に閉店)。

 このあと仕事の打ち合わせが一件あるので、千代田線に乗って下北沢へ。約束より少し早めに着いたので「ほん吉」さんを訪問。ここは品揃えのいい店で、値付けもそれなりだからセドリには向かないが、来るたびに勉強になる。店頭に本棚が出してあり、そこにもうじゃーっと本が詰まってるのは本当にいいビジュアルで真似してみたいが、こういう物件を借りられるかどうかはわからない。路面店なんて家賃高いんだろうなあ。本腰入れて古本屋をやるならこれもありだが、ぼくはフリーライターと兼業でやろうとしてるので、あまり古本の売上げを重視した経営はできそうにない。

 打ち合わせは次に出す本のことで、担当は酒友でもあるモギさん。なので打ち合わせは会社の会議室とかではなく、酒場で、飲みながら。

 

2012年3月シ日

 一箱古本市では、みんな適当に値付けをしていた。そりゃそうだ。自分が読み終えた本を手放すことが目的の人が大半なので、儲けなんか度外視してる。なんならタダでもいいから持って行ってくれ、という気分の人もいるだろう。たいていの人は定価の半額。あるいは100円均一。レジがあるわけでもないし、こうした一箱古本市では釣り銭の手間を考えたら500円均一、100円均一というのが適しているのだろう。

 自分が店をやるとしたら、その辺も考慮したい。さすがにレジは置くと思うが、とにかく数字が苦手なので、値付けはすべて100円単位にしておきたい。10円以下は切り捨て。消費税も計算がめんどくさいので取るつもりはない。だって古本屋の値付けなんて店主の懐ひとつで決まるんだから、消費税なんて面倒なものを取るくらいなら、最初から「込み」で値付けをすればいい。

 ぼくの店でもっとも多い商品の価格帯は600円~800円ってところかな。珍本、変な本をメインに置くといっても、レア本という意味ではないのだ。古書的な価値はないけれど、そこらの本屋ではあんまり見かけない本。何でもない本にとみさわが意味付けすることによって急に変な本に思えてくるもの。そういう本を並べたい。

 これは誰かに習ったわけではなくて、何となく感覚的に考えた方法だけど、ぼくは「三分の一理論」で仕入れをし、値付けをする。どういうことかというと、例えばぼくの店のラインナップにぜひとも加えたい本を、ある古本屋で見つけたとする。もしそれを仕入れたら、うちの店ではいくらなら売れるだろうか? 400円? いや600円でも売れるかも。ならば、その3分の1の価格なら仕入れとして買ってもいい。で、売値をチラッと見ると200円。よし、買い! ということだ。

 なかなか普通の古本屋では200円の本でぼくが欲しいものはないのだけど、それが頻繁に起こるのがブックオフだ。あそこの105円コーナー(この当時はまだ消費税は5%でした)のおかげで、ぼくの古本屋計画は実行可能になったと言ってもいい。

 

2012年3月ヨ日

 エキサイトレビューに、倉敷で「蟲文庫」という古本屋を営む田中美穂さんの著書『わたしの小さな古本屋』の書評を書いた。ぼくは古本屋さんが書いた本というのも大好物で、これもその一環で読んだ本だ。

 田中さんは若干21歳のときに突然、古本屋を開業した。それまでどこの古本屋でも修行したことがなく、なけなしの貯金100万円を資金にしてのスタートだ。不動産屋をまわり、格安の物件を見つけ、古物商の資格をとり、本棚を自作して、開業にこぎつけた。古書組合に加入するほどの予算は残っていなかったので、店頭には自分の蔵書を並べ、仕入れはお客様からの買取りをメインにする。この状況は自分が置かれている立場とも非常に似ていて、とても参考になる。

 古書組合に入れば何かと都合がいいんだろうけれど、入会金が高いみたいだし、そもそも自分がやろうとしている店のことを考えると、メリットがあまりないような気もする。ま、店を始めて儲かって儲かって仕方ない、ってなことになったら、そのときにまた考えればいいだろう。