02 古本酒場とコピー機の悪夢とまさかの神保町

2012年4月マ日

 住居のためのアパートを借りるのとは違って、店舗用の物件は敷金・礼金がすげえ高いというイメージがある。神保町のあのメインストリートにある古本屋なんて、いったい家賃いくらなんだろう。月100万とか、200万とかするのかな。

 ぼくが店舗を借りるとして、家賃はいくらまでなら出せるだろうか。100万? 全然無理。100万の家賃を払ってもやっていけるようなビジネスモデルは、ぼくの中にはまったくない。せいぜい10万以内がいいところ。家賃と管理費込みで月に10万。その枠組みの中で、趣味の古本を売りさばいて月に20万円くらいの売り上げがあれば、なんとか店は維持していけるのではないか。自分の生活はライター業の稼ぎで賄う。これなら生きていけそうだ。

 ハナっから儲けることを諦めた事業計画だが、ぼくにできるのはその程度のことだ。家賃10万、可能ならなるべくそれより安いところを求めて、ぼくの物件探しは始まった。

 最初に内見に行ったのは、西日暮里の駅から徒歩5分ほどのところにある路面店だった。そこは家賃9万円で、駅近なのにずいぶん安いなと思ったら、内装を全部剥がしてあって、壁の骨組みとかムキ出し。ドアも電灯もシンクも全部取り外され、便器さえも無いところだった。これじゃ、いくら家賃と管理費が安くても、店として使うための内装工事で200万くらいかかってしまうだろう。それじゃダメだ。

 次に見たのは、千駄木の物件。ここは木造二階建ての建物で、上も下も使用可能で10万円。1階を店舗にして、2階を自分の仕事場にすることができるのはちょっといいなと思ったのだけど、木造というのが引っかかった。1階はともかく、2階にだって本をたくさん搬入することになるはずので、強度が心配なのだ。それに、内見したらトイレが和式だった。ぼくは和式トイレが本当に苦手なので、ここも却下となった。

 

2012年4月ニ日

 ネットでいろいろな物件を見ていたら、町屋によさそうなのを見つけた。駅からも近く、飲食店が集まるビルの地下1階。つまり、そこも飲食店用の物件なのだ。

 実は密かに、自分の店は古本酒場にするのがいいんじゃないか、と思っていた。当時、ぼくはもつ焼きにハマっていたので、それと古本を組み合わせたらおもしろいかもしれないと思ったのだ。高円寺に古本酒場「コクテイル」という店もある。

「ジュースとか甘酒とか並べてね」

「ついでに石も置いて多角経営してみようと思う」

 これは、つげ義春無能の人』の中で、主人公の助川助三がつぶやく台詞である。古本屋をやろうと決めたときから、ぼくの頭の中には何度となくこのセリフが浮遊していた。古本だけでは魅力に乏しい。ならばお酒も置いてみよう。つまみはどうしようかな。さすがにもつ焼きなんかやったら本が煙臭くなってしまう。うま~い煮込みだけならいいんじゃないか。看板には「煮込みと古本の店」と書く。ホッピーかチュウハイを飲りながら背後の本棚にある本を手にとってパラパラとめくり、気に入ったら買って帰ることもできる。うん、これは最高かもしれない。

 飲食店で修行などしたこともないくせに、そんなことを夢見ていた。まあ、夢を見るだけならいいだろうと、さっそく不動産屋に連絡を取り、町屋の物件を見に行った。

 だが、実際に内見してみると、こりゃ無理だと悟った。見に行ったのは明るい時間だから周囲の店はシャッターが降りていたが、見事に全部酒場。そのうち2軒ほどはカラオケありのスナックだった。つまり騒音問題だ。自分の店も酒場営業しているときはいいが、例えば店を閉めて原稿を書かなければいけないこともあるだろう。そんなときでも遠慮なく聞こえてくるカラオケの歌声……。気が散りやすい性格のぼくは、そんな環境ではとても原稿に集中できない。

 早々にぼくは古本酒場構想を諦めた。

 

2012年4月タ日

 物件選びの重要な条件として、ぼくは「近所にコンビニがあること」というのを決めていた。これは以前フリーライターの友達と三人で事務所を運営していたときの苦い経験に基づいている。

 いまでこそコピー機やファックスは安く買えるようになったが、1980年台半ばはまだまだ高価で、リース契約するのが一般的だった。ぼくらも事務所を開設するにあたって、大型のコピー機とファックスをリースした。コピー機が月額15,000円、ファックスが7,000円。これらは三人でお金を出し合って払うのだが、リース契約の名義は三人のうち年長だったぼくが引き受けた。これが、後々になってぼくの経済を苦しめることになる。

 三年後、それぞれが独立して仕事をするようになり事務所は解散したのだが、そのときコピー機とファックスは名義人であるぼくが引き取り、一人でお金を払い続けた。これがかなりの負担となった。毎月毎月少ない稼ぎの中から22,000円は悪夢のようだった。もう二度と自分でコピー機なんか所有するもんかと思った。

 電子メールが登場したことで、もはやファックスを使うことはなくなった。その代わり、パソコンで仕事をするようになるとプリンターが必要になる。でも、ぼくはあのプリンター業界のインクカートリッジで儲けるやり方が気にくわないので、プリンターを買うつもりもない。そこでコンビニの登場だ。

 いまの大手コンビニはコピーとプリンターが一体化した総合機が置いてある。だから、そうしたコンビニのすぐそばに自分の店(兼事務所)を構えればいいのだ。都内であればどこの町にもコンビニはあるので、この条件はそう難しいことじゃない。

 

2012年4月シ日

 世話になっている不動産屋のYさんから「水道橋にいい物件が出ました」という連絡が入った。見に行ってみると、駅から3分ほどの人通りが多い場所で、やや古いビルの4階だった。3階にはプロレスグッズの店が入居しており、マニアショップが入っているビルで古本屋をやるというのは悪くない。

 家賃は9万。部屋の広さもそれなりにあって、瞬間的に「ここだ!」と思ったのだが、問題はエレベーターがないことだ。しかも、よく見てみるとエアコンが付いていない。つまり、ここを借りた場合、自費で業務用サイズのエアコンを設置しなければならないのだ。これは悩ましいところである。

 そして決定的に「ここは無理」と感じたのは、やはりトイレが和式だったことだ。エレベーターがないことよりも、エアコン代の負担よりも、和式トイレが引き金となって、この物件も諦めざるをえなかった。

 ビルの外へ出ると、Yさんが「もう一軒あるんですけど見ます?」と言う。場所は神保町。まさか! 神保町で古本屋がやれる……? でも、どうせ古本街からは離れた裏通りなんだろうなあ。

 あまり期待しないでいると、それは神保町の交差点から白山通りを北へ30メートルほど歩いたところにある小川図書ビルの4階だった。えっ、一等地じゃん!

 このビルにもエレベータは付いていないが、実際に4階まで上がってみると、不思議と辛さを感じなかった。何度か昇り降りしてみて、その秘密がわかった。それは、このビルの階段が変則的な形をしているからだ。

 たとえば、同じ形状の階段を4階まで延々と登らされると、その変化の無さがそのまま疲労となってのしかかる。しかし、このビルの階段は1階から3階の手前までは真っ直ぐの階段で、そこから螺旋状に構造を変える。そのおかげで、4階まで上がってきたのにまだ3階までしか上がっていないような錯覚を覚えるのだ。

 また、2階には「ファンタジー」という名のアイドル写真集を専門に扱う古本屋が入居している。これも嬉しい偶然だ。ひとつのビルに古本屋が2軒あったら、お客さんにとっても好都合だろう。

 そして、いちばん嬉しかったのはトイレどころか、ユニットバスが付いていたことだ。聞けば、元はオーナーのお嬢さんが住居として住んでいたときに付けたものらしい。もちろんエアコンもある。店舗にするには若干狭いが、そもそも古本を大量に売りさばくビジネスモデルを想定してはいないので、十分な広さに感じられた。

 気になる賃料は、家賃と管理費を併せて10万円弱。もうここに決めるしかない。

 

2012年4月ヨ日

 最高の物件が見つかったので、賃貸申込書を提出しなければならない。神田にある不動産屋へ行き、小川図書ビルの賃貸申し込み用紙を記入する。

 ついでに、担当者が保証金の値下げ交渉をしてくれるという。ぼくは買い物をするときに値切るのは好きじゃないのだが、向こうが勝手にやってくれるなら大歓迎だ。保証金は家賃8ヶ月となっているところを6ヶ月にできないか、オーナーに持ちかけてくれるそうだ。なるといいね。

 さて、結果は週明けに!

 

2012年4月ボ日

 オーナーから賃貸OKの許可が出た。もうあとには引けないぞ。心が引き締まる。

 これまで書店、古書店で働いた経験はない。アルバイトではイトーヨーカ堂のインテリア売り場、塗装屋、ケンタッキーフライドチキンマツモトキヨシ、小料理屋と、いろいろな業種でバイトをしてきたが、仕入れをして接客して帳簿をつけて棚卸しをするというような、商人の基礎はまるでわかっていない。そんな自分に古本屋などつと(務)まるのだろうか?

 いや、つと(勤)めるのではないからいいのだ。自分が思うような店を作り、自分が思うように仕事をすればいい。誰も怒る上司はいない。ぼくがこの店のオーナーなのだ。

 正直いって不安感がないわけではないが、それ以上に新しい何かの始まりに、ぼくはワクワクしていた。