集めきられん『江戸川乱歩全集』の思ひ出

自分が最初にコンプリート、すなわち“完集”という概念を意識したのは、1978年に講談社より刊行された『江戸川乱歩全集』(函入り、全25冊)だった。

当時17歳。好きな漫画の単行本を買い集めるために、バイトしては本屋に通いはじめた頃。たしか書店の店頭にあった何かの雑誌で、この全集が刊行開始されたことを知った。多くの人がそうであるように、乱歩作品は小学生時代にポプラ社の「少年探偵団シリーズ」で親しんでおり、その大人向け作品の全集ということで興味を惹かれた。

といっても、小遣いの大半は漫画とプラモを買うために費やしているような小僧だったので、こんな函入りのお高い全集をすべて買いそろえることはできなかった。それでも、最初の3冊くらいまでを必死に買っていたのにはワケがある。

外函がこんな装丁だったからだ。


※以下、写真はネットで拾ってきたやつ。

こんな具合に連続したデザインになっていて、1巻から番号順に並べていくと一枚の絵になっていくのが、ぐっとコレクター心をそそるのだ。こうしたデザインの遊びは、アートディレクターにとってけっこうな誘惑があるようで、他の出版物でもたまに見かけることがある。

たとえば、'80年代の『ロッキンオン』は背表紙がこんな風になっていたり。

鳥山明の『ドラゴンボール』も、コミックスを並べるとこんなふうになる。

話を乱歩全集に戻す。

他の作家でもそうだが、こういう「全集」というのは、第1回配本から順番に1巻、2巻、3巻……と配本されていくわけではない。第1回配本では3巻を、続く第2回配本では16巻を、というように、なぜかバラバラに配本されていく。おそらく、そうした方がすべてをきちんと揃えたい、という気持ちが持続されるからかもしれない。

しかし、こちとら高校生だ。そんな全巻揃うまで買い続けるのは経済的に無理がある。そのうえ、なまじ背表紙が連続したデザインになっているもんだから、配本される順に買っていったところで、まるで装丁画なんかつながりゃしない。それで3巻まで買ったところで集めるのをやめてしまったわけだ。ただ、「あの装丁よかったよなー」という気持ちだけが中途半端な形で心に残り、自分の中に“コンプリート”という概念を強く植えつけたのだろう。

それから数年後、大人になって古本屋通いをするようになり、経済的にも本代くらいは好きに使えるようになって、件の『江戸川乱歩全集』を古本でまた集めはじめた。ただ、二度目に集めはじめたときの理由はまた少し違う。
この本はあまり売れなかったのか、古本屋で見かけることはそう多くない。かといって、猛烈に希少価値があるわけでもない。そんな中途半端なレア感が、コレクションの対象として絶妙なゲームバランスを醸しているからだ。

最終的に10数冊ばかり集めたところで、今度は場所をとりすぎるのがイヤになって、また手放してしまった。どうにも根性がないね。いまでは、古書店で見かけるたびに心の古傷をちくちく刺激する、ヘンな思い出のアイテムとなっている。