ブックオフ大学ぶらぶら学部

2020年08月08日

ブックオフ大学ぶらぶら学部』(岬書店)を読んだ。ブックオフ好きな8人による偏愛エッセイ、および漫画である。

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表4にある値札のデザインが素晴らしい

 えーっ、おれも呼んでよー! というのは正直あるが、そんなことを言ってるとキリがないので、自分が含まれていなくても別にかまわない。むしろ、自分以外の方々がどのようにブックオフを好きで、どのように接しているかを読めるのはとても楽しい。

 知ってる話もあり、まったく知らなかった話もあり、何しろ大好きなブックオフのことだけで1冊が編まれているので、本を読むのが遅いぼくでも半日ほどで読めてしまった。皆さん楽しそうで、この本に参加された皆さんがつくづく羨ましいと思った。

 トップバッターの武田砂鉄さんはプロなだけあって、さすがの書き出しに爆笑。ぼくが武田さんの書くものに常々感じている「いじわるな視線(悪口ではなくて、評論家に必要なものです)」は、ここでも発揮されていて愉快。あと、武田さん『BURRN!』の愛読者だったのが、意外。

 山下賢二さんの項は、編者・島田潤一郎さんによるインタビュー。ブックオフでの収穫について「古書的価値のいいものではなくて、自分的価値のいいもの」という考えに共感する。すでに価値の知られた宝を狙おうとするとブックオフはつまらなくなるが、自分だけの価値観を持っていれば、ブックオフは宝の山になるのだ。

 で、ブックオフでの宝探しの喜びを見事に描かれているのが、BOOKS青いカバの小国貴司さん。絵本コーナーでのテンションの上がりっぷりなど愉快愉快。

 ……と、全員について触れているとこれまたキリがないので省略するが、いちばん驚いたのは東京野球ブックフェアで何度かご一緒したことのある佐藤晋さんだ。ドジブックスというオンライン古書店をやっていることは知っていたが、とにかく文章がうまい。次々と話題が飛躍していく感じがおもしろくて、ぐいぐい読ませる。熱くなりすぎず、一歩引いた視線のバランスもいい。このレベルのエッセイを量産できたらプロになれる。アナタ、いったい何者なんですか。

 

港のヨーコの港

2020年07月18日

 ぼくはレコードコレクターだが、集めているのは原則として7インチ(いわゆるシングル盤)だけ。

 なぜ、7インチを偏愛しているかというと、それがもっとも「好きな曲を所有している感じ」がするからだ。この気持ち、わかってもらえるだろうか。

 たとえば、坂本慎太郎に『ナマで踊ろう』という曲がある。ぼくはこれが大好きなんだけど、この曲は同タイトルのアルバムの表題曲で、7インチではリリースされていない。だから、否応なしにアルバムを買ったのだが、いまいちうれしくない。アルバムでは、他にたくさんの曲が入っている中の1曲という扱いで、所有感が薄れてしまうのだ。

 じゃあ、ダウンロード販売ではどうかいうと、そんなの問題外。デジタルデータを買ったところで、所有感なんか1ビットも感じられない。やはり、溝の刻まれた盤で、ジャケットがついてなければ。物体としての手応えが欲しい。針を落としてクルクル回したい。

 7インチ、すなわちシングル盤は、好きな曲そのものだ。厳密にはA、B面あるから2曲ということになるのだが、まあ細かいことは言わない。好きな曲のタイトルがデカデカと印刷されたジャケットがあって、好きな曲の溝が刻まれた盤が入っている。これほどまでに好きな曲を「所有した」と感じさせてくれる物体はないだろう。

 だが、例外もある。

 先日、四谷アウトブレイクの無観客生配信で披露(2020年06月13日を参照)したように、ぼくにはいくつか集めているジャンルがある。好きな「曲」かどうかではなく、好きな「ジャンル」だ。その場合も、7インチで集められれば言うことないのだが、世の中そううまくはいかない。ある「ジャンル」を集めていくうえで、絶対に手に入れておかなければならない曲が、アルバムにしか収録されていなければ、そのアルバムを買うしかない。

 我ながら何とメンドクサイ性格だろうか!

 というわけで、最近買ったアルバムをご紹介する。もったいぶっても字数の無駄なのでズバッとお見せするが、西城秀樹のライブ盤『ヒデキ・オン・ツアー』である。

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辛さにこだわるジャワ原人

 ぼくはダウンタウンブギウギバンド(DTBWB)の『港のヨーコ・ヨコスカ・ヨコハマ』という曲が大好きで、DTBWBのオリジナルはもちろん、それのパロディーやカヴァー曲、パクリ曲を集めている。つまり「港のヨーコ歌謡」というジャンルである。そして、この『ヒデキ・オン・ツアー』には、ライブで秀樹が『港のヨーコ~』をパロッた音源が入っているのだ。もちろん、そんなものがシングルカットされているはずがないから、アルバムで手に入れるしかないわけだ。

 中古を安く手に入れたから、経済的な負担は軽い。だが、2枚組なので20曲も入っている。そして、ぼくが欲しかったのは、その中のたった1曲だけ。非常に効率が悪いけれど仕方ない。鬼にならなければコレクターは続けられない。

 

娘との20年

2020年07月16日

 娘が二十歳になった。

 2011年に女房を亡くしたとき、娘はまだ小学5年生だった。それからぼくが男手ひとつで……と言えばかっこいいのだろうけれど、幸いなことに母も姉も同居していて子育てを助けてくれたし、遠方に住む義理の姉と妹、妻の親友も何かと力を貸してくれた。おかげで娘はたくさんの愛情に囲まれて育つことができた。

 男親にとって女の子はひときわ可愛いものだが、ぼくとて例外ではない。娘が好きなものはなるべく買い与えてきた。おもちゃ、絵本、ゲーム。だけど、うちの子は自分から何かを欲しがることはほとんどなかった。誕生日プレゼントやお年玉をやれば喜んでくれるが、自分から要求することはしない。

 絵を描くことが大好きで、休みの日は外にも出かけず、家で黙々と漫画やイラストを描いている(二十歳になったいまでもだ)。小学生のときには、ぼくが編集者となって一緒に同人誌を作ったりもした。

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娘と父の同人誌『ぶっくらんど』より

 プロ・コレクターを自称する者として、気になるのは娘に“蒐集癖”があるのか、ないのか? ということだ。

 ぼく自身は、これまであちこちに書いてきたように、子供の頃から酒瓶のフタだの、ミニカーだの、漫画本だの、映画チラシだの、集めて楽しそうなものには片っ端から手を出してきた。しかし、娘を見ているとそういう気配はまったく感じられない。

 一般に、コレクターは男が多いと言われるが、女性にだって様々なコレクターは存在する。岡崎友紀スヌーピー黒柳徹子がパンダ、楠田枝里子が消しゴムのコレクターだというのは有名だ(いちいち例えが古くて伝わりにくい)。いまだって、コミケワンフェス、文フリ、マニアフェスタといったマニアの集まりに行けば、その半数くらいは女性が占めている。

 まあ、娘にコレクター気質がなくてよかったと思うべきなのだろう。ぼくと違ってまったく無駄遣いをしない性格で、我が家でいちばん貯金を持ってるのは娘かもしれない。将来、お金でトラブルを起こすことはなさそうだ。

ぼくのアメコミはどこから

2020年07月04日

ツイッターで「#あなたのアメコミはどこから」というハッシュタグがまわってきて、自分のアメコミへの興味は何から始まったのだろうか? と考えた。はい、嘘書いた。考えるまでもなく、1978年創刊の『月刊スーパーマン』であることはわかっている。

月刊スーパーマン』は、スーパーマンを中心とするDCコミック──いわゆる“アメコミ”を日本語訳した定期刊行物だ。ちょうどこの年にリチャード・ドナー版の実写映画『スーパーマン』が公開されているので、その話題性を当て込んで創刊されたものと思われる。

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手放してしまった号をコツコツ買い戻している

 表紙にもバッチリ「DC」のマークが印刷されいることからわかるように、アメコミもう一方の雄であるマーベルのキャラクターは取り上げられていない。なのに、なぜかこの本の発行元は「マーベリック出版」という名前だったりする。これをぼくは創刊号から、最終号である24号まで欠かさず買い続けた。

 ぼくがスーパーマンバットマンはもちろん、ブラックライトニングみたいな超マイナーキャラまで大好きなくせに、スパイダーマンX-MEN、アイアンマンといったマーベルキャラにいまいち食指が動かないのは、高校時代にこの雑誌を通じてDCコミックを読みふけったせいなのは間違いない。

月刊スーパーマン』には読者のイラスト投稿コーナーがあって、ぼくはそこの常連投稿者だった。当時17~18歳。すでに漫画家になる夢は挫折していたけれど、イラストレーターになりたいと方針転換していたので、絵を描くことは続けていた。何より、好きなヒーローの絵を模写するのは単純に楽しかった。

 途中からイラスト投稿コーナーは「ミスターパレットのイラストコーナー」というタイトルになった。ミスターパレットというのは審査員の名前。「パレット賞」が最優秀賞で、毎号1人が選出される。その次が「優秀賞」で2人。以下、テクニック賞、レイアウト賞、ムード賞、パワー賞、ユニーク賞など細かい賞が並ぶ。ぼくの投稿が最初に掲載されたのは「パワー賞」だったかな。以後、絵を送るたびに載るようになって、優秀賞には2回ほど選ばれた。

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名前を間違えられるのはよくあること

 このコーナーでは、入賞するとアメコミが1冊もらえた。アメコミなんてどこで買えるのかわからなかった70年代の高校生にとって、これは賞金をもらうよりも嬉しかった。優秀賞に選ばれるともらえるアメコミは3冊になり、パレット賞は5冊ももらえた。結局、最後までパレット賞は獲れなかったが、商品のアメコミはなんだかんだで10冊ほどになった。

 で、これはツイッターでつぶやいたら軽くバズったのだが、常連投稿者の中には、当時18歳(同い年)の原哲夫くんがいた。ぼくは自分のデッサン力が未熟なのは自覚していたので、緻密な点描とか絵のアイデアで勝負をしていたが、原くん、いや若き日の原先生は、シンプルな描線ながらデッサンは正確で、この頃からすでに才能がにじみ出ているのがわかる。

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原哲夫先生の絵が載ってる18号では隣のページにぼくの絵も載っている



新型コロナ音頭

2020年07月03日

 拙著『レコード越しの戦後史』でも書いたことだが、日本人というやつは何か歴史的な出来事や事件があると、すぐにそれをレコード(CD)にする。オリンピック、万博、東京タワー。ぼくは珍盤コレクターなので、そうしたレコードやCDは手当たり次第に買ってきた。東京スカイツリーができたときなんか、次から次へとCDが出るので、忙しくて仕方なかった。

 いまは、新型コロナウィルスが猛威を振るっている。百年に一度(てきとう)の疫病災害である。となれば、当然のことながら日本人はコロナを題材にした流行歌を作るはずなのだが、いまのところその兆しはない。流石にリアルタイムで死者が出ている状況で、それは不謹慎だと思われるのだろうか。別に亡くなった方を笑うわけでなく、コロナをヨイショするわけでもないのなら、曲くらい作ってもかまわないと思うのだけどな。

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まだパッケージは開けていない

 いちおう、『コロナ撃退 免疫力を高めるヒーリング音楽』なるCDを見つけたので、さっそく入手しておいた。まだ聴いてはいないのだが、ヒーリングミュージックなので、聴くまでもなかろう。これが昭和だったら、絶対すぐに『新型コロナ音頭』とか作られていたはずだ。♪ドンドン、ドンと鳴った、コロナだドン。B面はムード歌謡で『ふたりのソーシャルディスタンス』かな。

 なーんてことをツイッターでつぶやいたら、旧知の作曲家の福田裕彦さんが「曲つけるよ!」とノッてくれて、あれよあれよという間にぼくが作詞をすることになってしまった。

 福田さんは、井口昇監督の映画の劇伴を主に手がけている人だが、珍レコードマニアには架空アイドル芳賀ゆい『星空のパスポート』(1990年)の作曲者だと言えば、その存在感が伝わるだろうか。ちなみに、この曲は芳賀ゆいのための書き下ろしではなく、福田さんが生方則孝さんと組んでいたユニット「生福」のアルバム『内容の無い音楽会』(1988年)に収録されていたアイドルソング『酸素でルルル』の改題である。

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きみは誰なんだ

 それにしても作詞か。もう何年もやってないな。いまから35年くらい前、内山田洋とクールファイブのアルバム曲の作詞コンペに参加したことがあって、焼肉屋を舞台にした失恋ソングを書いたのが初体験だった(当然のことながらボツ)。あとは友人が撮った短編映画『スケ番ハンター 地獄の決闘』で、劇中歌の作詞をしたくらい。こちらはサントラにも収録されている。


 でも、『新型コロナ音頭』。実現したらおもしろいので、なんとか形になるまではやってみようかと思う。

東京のご当地麺とは?

2020年06月26日

 日本人は麺好きで、うどん、そば、ラーメンを初めとして、全国各地に「ご当地麺」と呼ばれるものがある。何かにつけてコレクター的アプローチをしてしまうぼくは、好物の麺類においても例外ではない。これらのご当地麺をリストアップして、エクセルで管理しているのだ。

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北海道4大ラーメンだけでも制覇したい

 リストに記入しているのは、

  A:都道府県分類
  B:実食チェック
  C:一般名称
  D:発祥の店 or 現存する最古の店(その店でのメニュー名)
  E:店の住所
  F:麺の特徴
  G:定休日
  H:営業時間
  I:備考欄(駐車場の有無など)

 という9項目。

 店の住所と定休日を入れていることからわかるように、いつか自分が食べにいくことを前提にこのリストは作られている。

 ご当地麺の難しいところは、その定義である。とりあえずご当地麺を簡単に定義するなら、「その土地の名物として知られる麺料理」ということになるのだが、名物か否かの線引きが難しい。例えば東京都を例にとると、ラーメン二郎は熱心なファンがたくさんいる東京の名物ラーメンだが、では、東京を離れて地方からそれを見た場合、あれを東京のご当地麺と言っていいのかというと、それは違うと思うのだ。

 ここで、ご当地麺におけるもうひとつ重要な要素が見えてくる。それは「どこかの企業もしくは個人が独占していないこと」だ。喜多方ラーメンなどを思い浮かべればわかるだろう。あれは、あくまでも喜多方地方のラーメンであって、どこかの店の商標ではない。その点を照らし合わせてみても、ラーメン二郎は定義からは外れる。

 と言いながらも、ぼくの「ご当地麺リスト」は、あくまでもぼくが趣味でやっていることなので、二郎も東京を代表する有名ラーメンということで、いちおうリストには入れてある。その辺の運用はゆるくしている。大事なのは「自分が楽しめるかどうか」だから。

 では、本当の意味での東京のご当地麺ってなんだろう? というのは非常に難しい問題だ。

 昔ながらの醤油ラーメン?(正油って書いたほうが“らしい”かも)、あるいは江戸前の蕎麦?(ぼくは蕎麦っ食いじゃないのでピンとこない)、刻みタマネギが特徴の八王子ラーメンは東京のご当地麺に入れてもいいよね、等々……。

あと、これも個人的な好き嫌いなので恐縮だが、コシのあるうどんが昔から苦手なので、香川県讃岐うどんはリストに加えないでいた。とはいえ、ちゃんと食べたこともないのに除外するのは失礼な話なので、いつかは香川へうどんの食べ歩きをしに行かなければならないのではないかと、最近は考え始めている。

 こういうことを考えたり、Google検索を駆使してチェックリストを埋めたりしているだけで、ぼくはいくらでも時間をツブせる。わざわざ現地まで食べに行かなくても、こうやってあれこれ考えているだけでも十分に楽しいので、老後も安心だ。

ブックオフをたちよみ!

2020年06月23日

 2019年の4月いっぱいでマニタ書房を閉めてから、近頃とんとブックオフには行かなくなってしまった。そりゃそうだ。なにせ本を仕入れる必要がなくなってしまったから。

 個人的にはいまも古本を集めるのは好きだし、ブックオフという場所にも愛着はあるので、今後も行くことは行く。だが、綿密にスケジュールを組んで、朝から未踏のブックオフを10軒ハシゴする、みたいな狂った旅をすることはもうないだろう。

 ……と、思っていたら、ブックオフから仕事が来た。ブックオフが公式で運営するサイト「ブックオフをたちよみ!」で、ブックオフ愛についてのエッセイを書いてほしいという依頼だ。そのエッセイはすでに掲載されているので興味のある方は読んでみていただきたいが、そのことを境にまた自分の中でブックオフ愛が再燃した。より正確に言うならば、「スタンプラリーとしてのブックオフ全店巡りへの意欲」が再燃してしまったのだ。

 ブックオフの全店リストは、公式サイトの店舗データからコピペして、独自のものをエクセルで作ってある。しばらくはそのリストを頼りにしていたが、いかんせん作成してからそれなりの時間が経っていて、データが古くなっている。ブックオフは生き物なのだ。売り上げの芳しくない店舗は閉店し、かわりに新しい店舗として統合されたりする。全体的にはトータルの支店数は減っているが、もし新しい支店が都内にできているのなら、それほどの時間と交通費をかけずに踏破数を増やすことができそうだ。

 調べてみると、東京都内に6店舗ほどの新しい支店が出来ていることがわかった。それらは従来の支店とは少し形式の違う「総合買取窓口」と呼ばれる店舗で、名称の通りお客様からの買取のための窓口が主な業務だ。それだけだったら、ぼくのブックオフ巡りに組み込む必要はないのだが、どの窓口も50冊から100冊ばかりの古本を置いている。それがブックオフとしてのアイデンティティなのだろう。

 たとえ少量でも、古本を置いているのなら、それはブックオフだ。ぼくが行かない理由はない。

 締め切りの谷間にポッカリあいた暇な日を利用して、「代々木上原駅前店」「経堂農大通り店」「用賀駅北口店」「中目黒店」「恵比寿南店」「広尾店」と6軒の「総合買取窓口」をまわってみた。これらの店の本棚をひと通りチェックてみて思うことは、「ぼくが欲しいと思うような本はない」ということだ。でも、それは無理もない。総合買取窓口は、あくまでも買取のための窓口なので、店頭の本棚に並んでいるのは小綺麗な写真集だったり、売れ筋のビジネス書だったり、ベストセラーになった文庫本といったものを中心に構成されている。つまり、店の雰囲気を盛り上げるインテリアなのだ。

 それでも古本である限り、その本が値段を付けられて、買える商品として並べられている限り、そこは古本屋であり、ブックオフであるのだから、ぼくは行かなければならない。冒頭では「近頃とんとブックオフには行かなくなってしまった」なんて言っておきながら、いつのまにか「行かなければならない」なんて言ってしまってるよ。懲りない男だおれは。

 ひとつびっくりしたのは、そんなお飾り本しか並んでいないはずのブックオフ買取窓口だったはずなのに、恵比寿南店に行ったら1冊だけ異質な本があったことだ。

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セドラー垂涎の1冊が定価の半額で!

 刊行後、即、絶版になってしまった村田らむさんのマボロシ本『こじき大百科』が、まさかブックオフで拾えるとは! やはり、古本屋に行かない理由なんて、ないのだ。