トホ散歩

朝の散歩を始めた。

第一の目的は健康増進、体力維持だけど、第二の目的というか、どちらかというとこちらの方が本当の目的じゃないの? と自分で思っているのは「本を読むため」だ。

ゲームフリークに勤務していたり、神保町でマニタ書房を経営していたときは、通勤電車の中で本が読めた。しかし、現在のように基本自宅に引きこもって原稿を書くだけの生活になってからは、とにかく本が読めなくなっていた。

べつに家にいたって、1日24時間のうち1時間でも2時間でも読書時間を設けて本を読めばいいのだけど、それができない。家にいるとやることはいっぱいあるし、ネットを見たり、映画を見たり、お酒を飲んだり、読書どころではなくなってしまうからだ。

通勤電車というのは、他にやることがないので本を読むには適している。そう、ぼくにはこの「他にやることがない」という状態が、読書のために重要なのだ。他にやることがある場所では本は読めない。

で、散歩である。

ぼくは昔から朝型で、だいたい午前4時くらいには目が覚める。そこから少しだけ仕事をしてから、6時になったら家を出る。上下ジャージで、寝ぐせ隠しのハットをかぶり、マスクをし、ポケットにはスマホを入れ、読みかけの本を持って家を出る。

そして歩きながら本を読む。歩いている最中というのは、他にやることがないので読書がはかどるのだ。これは昔からの癖。会社に勤めていたときも、家から駅まで、駅から会社までの道のりを、ぼくは歩きながら本を読んでいた。

マニタ書房をやっていたときも、新お茶の水駅を出て、店まで歩く道すがら本を読んでいたところを本の雑誌社の浜本編集長に見られて笑われたことがある。まさに『活字中毒者 地獄の味噌蔵』である。

朝の散歩は、自宅を出て、家のあるブロックをぐるりと回るだけの簡単なものだ。そんなに遠くまではいかない。一周まわって家の近くにあるセブンイレブンでコーヒーを買う。財布を持っていなくても、スマホのPaypayで決済できる。

コーヒーを買ったら、それを飲みながらさらに本を読み続け、隣のブロックまで足を伸ばす。軒下にベンチが置いてあるアパートがあるので、そこまで来たらひと休み。腰をおろしてゆっくりコーヒーを味わいながら本を読む。で、区切りのいいところまで来たら帰るのだ。

歩き読書の天敵は雨だ。これからの季節、雨降りが多くなるのが憂鬱だ。

『藝人春秋2』と『藝人春秋3』

2021年03月18日

 文春文庫から刊行された水道橋博士の新刊『藝人春秋2』と『藝人春秋3』を読んだ。

 元は『週刊文春』に連載された人物評の形をとったエッセイである。2012年に刊行された単行本『藝人春秋』に続いて、その続編となる『藝人春秋2』が2017年に上下巻で刊行されたが、本書はこのたび文庫化されるに合わせて、その『上巻、下巻』のタイトルを『2巻、3巻』と改めたものだ。

 文庫でも1冊あたり420頁オーバーなので、決して薄い本ではない。それが2冊。しかも『藝人春秋』(すなわち1巻)を読んだときから、簡単には読み飛ばせない内容であるのを知っていたので、こりゃ手強いぞと覚悟していたが、2冊同時に購入し、ひとたびページを開いたが最後、一気に読み終えてしまった。それくらい夢中にさせる力があった。

 

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「愛」と「死」

 博士は、自らを「芸能界に潜入したルポライター」と標榜するだけあって、取り上げる人物の下調べは周到だ。それを切り裂く筆は鋭く、洒落や伏線や見立てなど、文章のあらゆるところに仕掛けを施している。2巻の解説を担当したダースレイダーは、こうした博士の文体を「韻を踏んでいる」と表現した。これは浅草キッドの漫才にも通底する手法だ。

 ご存知のように、ぼくは水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン『メルマ旬報』の執筆陣の一人でもある。ひとつ前に連載していた『レコード越しの戦後史』は、連載終了後に単行本として刊行されたが、この連載が決まる前、どのようなタイトルにするかで悩んでいた時期がある。

 その時代ごとに発売された流行歌を振り返ることで日本の戦後史を語るという企画であるから、着想段階では『流行歌で振り返る日本戦後史』とか、『歌謡曲と戦後の日本人』とか、あるいは書名には数字を入れるといいという意見を踏まえて『99枚のレコードで振り返る戦後歌謡史』とか、そんなことを考えていた。

 だが、連載する媒体が水道橋博士の『メルマ旬報』に決まったときに、他の筆者たちの連載タイトルを見渡して、ああそうかと思った。博士は芸人だから、ついダジャレを考える。ラッパー的に言えば韻を踏む。

 硬派なノンフォクションの世界では、ダジャレなどレトリックの技法としては一段低く見られるものかもしれないが、この場所はそれが許される。むしろ積極的にやっていい。元より、ぼくはダジャレが大好きだ。それであれこれ頭をひねった末に、『レコード越しの戦後史(レコードごしの戦ごし)』というタイトルを思いついた。これは、いま振り返ってもいいタイトルだったと思う。『メルマ旬報』に参加しなければ、きっと思いつけなかった。

 話が大きく逸れた。

 本書はタイトルが『藝人春秋』といように、元々は文壇スキャンダル雑誌だった『文藝春秋』のパロディである。つまり『藝人春秋』は、様々な芸人たちの生態をおもしろおかしくレポートするのが当初の動機だったのだと思う。実際、『藝人春秋』では、そのまんま東石倉三郎古舘伊知郎、三又又三、テリー伊藤爆笑問題……と、芸人や芸能界で活動する奇異なる人々の生態を追いかけている。

 ところが、今回の2巻、3巻では、少しばかり様相が変わってくる。1巻では「芸能界に潜入したルポライター」という立場であったものが、2巻以降では芸能界にとどまらず、この社会全体に潜む“悪”を暴く「ジェームズ・ボンドのごとき諜報員」という体で、書き進められているからだ。

 そうなると、登場する人選も変わってくる。2巻のトップバッターは大阪維新の会を立ち上げた橋下徹だ。2万パーセント国政への出馬はないと言い切った弁護士の欺瞞を、博士は自身の自爆的な降板ギャグを絡めて追求する。

 その後、タモリリリー・フランキー、三又又三(どんだけ好きなんだ)、デーブ・スペクター、江頭2:50など芸人や芸能人を中心にして話が進んでいくが、3巻に突入するとその空気感はサッと変わる。

 最初こそ武井壮と寺門ジモンのクソどうでもいいじゃれ合いが綴られるが、気がつけば博士のペン(剣)は元都知事である猪瀬直樹の首筋に迫り、医療界の風雲児・徳田虎雄の眼球をえぐる。そして、やしきたかじんを経て、その背後にいるであろう黒幕の存在にまで迫る。芸能界の中にいて、このことに触れるのはかなりのリスクというか、相当な覚悟がいると思うが、博士の筆に迷いはない。

 その決意が、3巻のサブタイトルにもなっている「死ぬのは奴らだ」だ。

 博士がたびたび取り上げる橋下徹も、石原慎太郎も、やしきたかじんも、ぼくはことごとく苦手な存在で、顔も見るだけでも嫌な気持ちになってしまうのだが、悔しいことに彼らの章に限って抜群におもしろいのだ。なんとも皮肉なことですよ。

 3巻の最後。海老名家の次女、泰葉がある落語の大師匠(金髪豚野郎じゃないですよ)とデートをする場面がある。博士とサンキュータツオも同席する。そこで語られるエピソードがまた素晴らしい。その大師匠、あらゆる落語家の中でぼくがもっとも苦手な人物だから、ああイヤだイヤだと思いながら読んでいたのだが、泰葉の口から「……いいよ、師匠、死んじゃえ!」のくだりが出てきた瞬間はさすがに胸が詰まった。ものを作ってきた人、何かを表現してきた人の、極限の姿を見せられた気がした。

 その愚かな行動を笑い飛ばしたり、欺瞞に満ちた振る舞いを舌鋒鋭く追求したり、容赦のない800ページ超ではある。けれど、その根底にはやはり顔と名前を晒して戦っている人間への愛が感じられる。そういう意味で、この本に書かれていることはとても誠実だ。対象への優しさに溢れている。愛情すら感じられる。

 そして、その愛はぼくにはないものだ。

 

映画『あの頃。』を見て

2021年02月19日

 劔幹人さんの原作を映画化した『あの頃。』を公開初日に観てきた。とてもいい映画でした。

 ぼく自身は劔さんより18歳年上で、この映画で描かれているアイドルオタクたちよりはかなり古い世代になる。ただ、アイドルを好きになる衝動は不変のものなので、そこはとても共感できた。

 以前にもツイッターでつぶやいたことだが、ぼくの初現場は1979年の相本久美子『チャイナタウンでよろめいて』の新曲発表会だ。生歌を聴き、レコードを買って、列に並んでサイン色紙をもらい、握手をした。ガッチガチに緊張して、満足に会話もできなかった。まるで劇中の松坂桃李のように。

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そのとき親父のカメラを借りていって撮った写真

 その後、ぼくは1983年に手にしたミニコミ『よい子の歌謡曲 8号』で、アイドルを必要以上に追いかけている人たちと出会い、その編集部に入り浸るようになる。これは劔さんが松浦亜弥きっかけでハロプロのヲタクたちと出会い、深い入りしていく過程とよく似てる。

『よい子の歌謡曲』のメンバーとして過ごした日々は楽しくてたまらなかったが、実はその一方で居心地の悪さも感じていた。これは言いにくいことだが、周囲の目がすごく気になっていたのだ。ぼくは、自分がアイドルファン(いまのニュアンスで言えばヲタ)として見られることに抵抗があった。

 だって(身も蓋もないことを言ってしまえば)モテないんだもん。アイドルファンの平均的な生活様式やファッションや言動は、どう考えても女の子が恋愛対象にはしない種類のものだった。それは『あの頃。』の登場人物を見ればわかるよね。

 ぼくはモテたくて仕方なかったのだ。アイドルは好きだけど、手の届かないアイドルよりも、現実の彼女が欲しかったし、キスしたかったし、セックスもしたかった。そっちの方が優先順位が上だった。アイドルファンとしては失格だよね。全然気合が入ってない。それは素直に認める。

 だから、ぼくは自分がアイドルファンであることに耐えられなくなり(具体的にはおニャン子クラブのファンが苦手で)、1987年に『よい子の歌謡曲』から離脱し、アイドルファンであることをやめる。

 それから約10年後にハロプロが登場し、さらにその7年後にAKB48がスタートするまで、ぼくはアイドルというものから離れて暮らすことになる。その間は歌謡曲もほとんど聴いておらず、集めていたレコードは全部物置に突っ込んでいた。

 それでライブハウスに行ったり、ブランド服を着たり、スポーツ観戦したり、ナンパしたり、いろいろとリア充っぽいことをやってみるのだが、イマイチうまくいかない。それは仕方がないね、元々オスとしてのスペックが低いんだから。

 それでも、幾度かの失恋を経たのちに出会った女性と恋愛し、結婚をして、子供も生まれた。この人生には満足している。けれど、これこそが正しい人生だったかと言えば、それはわからない。ぼくは自分の歩んだ以外の人生を見下すつもりはないし、羨むつもりもないからだ。

 あの頃。以降の劔さんは、犬山紙子さんという素晴らしい伴侶と出会ったし、ロビさんもとても楽しく生きているようにぼくには見える。早逝したコズミンさんとはお会いしたことがないので、実際にはどういう人だったかは分からないが、映画を見る限り、彼は彼なりに精一杯生きたのだろう。

 その人の人生の価値はその人の中にしか生まれない。アイドルを追いかけ、ミニカーを盗み、獄中生活を送る人生が間違っているとは、誰にも言い切れないのだ(いや、さすがにそれはどうかな)。

 ぼくは現実主義であり、死後の世界なんてないと思っている。だから、生きているうちがすべて。これは「今」がすべて、という意味じゃない。過去も現在も「生きているうち」だ。

 そういう意味で、『あの頃。』は単なるノスタルジーの物語ではないと感じる。過去に輝いていた時間は、現在の幸せ(あるいは不幸)な時間と、同じように価値があるのだ。

酒エッセイ「マニタ酒房」やってます

 ぼくは2014年から2015年にかけて、セガ社が運営していた会員制SNS「it-tells」に酒エッセイ「酔ってるス」を連載していた。「it-tells」終了後、その酒エッセイが読まれない状態にあるのは惜しいので、当時の責任者に許可をいただき、多少の加筆訂正を加えたものをnoteで無料公開している。

 

 で、この「酔ってるス」の第2シーズンに相当する新たな酒エッセイ「マニタ酒房」を、年明けから週イチで書き始めている。こちらも無料なので、ぜひ皆さんに読んでいただきたい。「酔ってるス」同様に全50回を予定しているので、毎週土曜のお楽しみにどうぞ。

とみさわの酒エッセイについて、連載依頼、書籍化などのお申し出は随時受け付けております。メールでもSNSのメッセージでも、お気軽にご連絡ください(電話はNG)。

 

2020年に見た映画

 今年見た映画(新旧問わず)を一覧にしてみた。全部で116本。いまは仕事で映画評などを書く機会がほとんどないので、あくまでも趣味で一年間に見た本数としては、まあまあ多い方だろう。

 ぼくは劇場のスクリーンで映画を見ることにこだわらないし、コロナの影響もあって自宅で過ごす時間も長く、Netflixで配信されているものばかり見ていた。今年は本当にNetflixにお世話になった。

 また、ここには入れなかったが、今年はドラマもたくさん見ている。『ブラック・ミラー』『刑務所のルールブック』『梨泰院クラス』『クイーンズ・ギャンビッド』など、どれも良かった。ただ、ドラマは長いから時間を取られてしまうのがちょっと困り者ではある。

 あと、今年は何と言ってもVシネの『日本統一』にドハマりした年でもあった。Vシネは映画扱いでいいと思うのだが、これも下記のリストでは省略している。なんせ30作以上あるうえ、各作品に副題がありませんのでね。まあ、自分の覚書だからそれでいい。

0118 スペクトル@Netflix

0111 ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT@Netflix

0112 ワイルド・スピード MAXNetflix

0113 ワイルド・スピード MEGA MAXNetflix

0115 ワイルドスピード EURO MISSION@Netflix

0121 Giri / Haji@Netflix

0122 ジャックは一体何をした?@Netflix

0123 男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花@Netflix

0126 男はつらいよ 寅次郎かもめの歌@Netflix

0127 オクジャ@Netflix

0128 男はつらいよ 浪速の恋の寅次郎@Netflix

0129 ボーン・アイデンティティーNetflix

0201 ボーン・スプレマシーNetflix

0201 男はつらいよ 寅次郎紙風船Netflix

0203 男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋@Netflix

0205 男はつらいよ 花も嵐も寅次郎@Netflix

0209 男はつらいよ 旅と女と寅次郎@Netflix

0211 純平、考え直せNetflix

0211 男はつらいよ 口笛を吹く寅次郎@Netflix

0212 岸和田少年愚連隊Netflix

0213 男はつらいよ 夜霧にむせぶ寅次郎Netflix

0214 パラサイト 半地下の家族@TOHOおおたかの森

0216 男はつらいよ 寅次郎真実一路@Netflix

0228 日本やくざ抗争史@Netflix

0229 セントラル・インテリジェンスNetflix

0229 CONFLICT ~最大の抗争~ 第一章 勃発編@Netflix

0301 CONFLICT ~最大の抗争~ 第二章 終結編@Netflix

0301 男はつらいよ 寅次郎恋愛塾@Netflix

0308 ザ・タウン@Netflix

0311 ゼニガタNetflix

0312 新宿パンチ@Netflix

0313 男はつらいよ 柴又より愛をこめて@Netflix

0319 ゴーカーツ@Netflix鑑賞

0327 男はつらいよ 幸せの青い鳥@Netflix

0401 男はつらいよ 知床慕情@Netflix

0405 AKIRANetflix

0414 新感染 ファイナルエクスプレス@Netflix

0416 ビー・バップ・ハイスクールNetflix

0417 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎哀歌@Netflix

0419 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎行進曲@Netflix

0421 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎狂騒曲@Netflix

0423 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎音頭@Netflix

0425 ビー・バップ・ハイスクール 高校与太郎完結編@Netflix

0427 タイラー・レイク -命の奪還-@Netflix

0429 狩りの時間@Netflix

0503 目指せ!スーパースター@Netflix

0504 カメラを止めるな! リモート大作戦@Youtube

0507 男はつらいよ 寅次郎サラダ記念日@Netflix

0510 TOKYO!Netflix

0521 男はつらいよ次郎物語Netflix

0522 1922@Netflix

0525 男はつらいよ 寅次郎心の旅路@Netflix

0526 男はつらいよ ぼくの伯父さん@Netflix

0606 男はつらいよ 寅次郎の休日@Netflix

0610 男はつらいよ 寅次郎の告白@Netflix

0612 男はつらいよ 寅次郎の青春@Netflix

0618 男はつらいよ 寅次郎の縁談@Netflix

0620 デッド・ドント・ダイ@シネクイント

0622 男はつらいよ 拝啓車寅次郎様@Netflix

0624 男はつらいよ 寅次郎紅の花@Netflix

0627 ランボー 最後の戦場Netflix

0629 26年@Netflix

0701 ランボー ラストブラッド@TOHOシネマズおおたかの森

0705 パンドラ@Netflix

0711 ザ・ファイブ・ブラッズ@Netflix

0723 悪人伝@MOVIX柏の葉

0730 海底47m 古代マヤの死の迷宮@MOVIX柏の葉

0807 フォードvsフェラーリ@DVD

0821 三度目の殺人@Netflix

0904 JAWSNetflix

0914 ミッドウェイ@TOHOシネマズおおたかの森

0925 HOMIE KEI チカーノになった日本人@Netflix

0924 CONFLICT 〜最大の抗争〜 第三章 壊滅編@Netflix

0924 CONFLICT 〜最大の抗争〜 第四章 逆襲編@Netflix

0928 ベストキッド@Netflix

1004 クリーピー 偽りの隣人@Netflix

1005 日本沈没(1973)@Netflix

1006 The Witch/魔女@Netflix

1007 闇金ドッグス@Netflix

1008 闇金ドッグス2@Netflix

1010 ハードロマンチッカー@Netflix

1010 狐狼の血@Netflix

1011 グラスホッパーNetflix

1012 極道の妻たちNetflix

1013 止められるか、俺たちをNetflix

1014 闇金ドッグス3@Netflix

1015 生きている@Netflix

1017 陽はまた昇る@Netflix

1020 砂の城Netflix

1028 セル@Netflix

1101 タイタン@Netflix

1104 鬼滅の刃 無限列車編@TOHOシネマズおおたかの森

1106 ヒメアノ~ル@Netflix

1107 リーサル・ウエポン@Netflix

1109 スーパー8@Netflix

1116 斬@Netflix

1125 WOOD JOB!@Netflix

1126 カイジ 人生逆転ゲームNetflix

1126 カイジ2 人生奪回ゲーム@Netflix

1127 CURE@Netflix

1127 GO@Netflix

1128 闇金ドッグス4@Netflix

1129 闇金ドッグス5@Netflix

1201 ティアーズ・オブ・ザ・サンNetflix

1203 遠い空の向こうにNetflix

1208 トレジャーハンタークミコ@Netflix

1212 無頼@池袋シネマロサ

1215 魔女がいっぱい@MOVIX柏の葉

1217 アイ・アム・レジェンドNetflix

1219 ジェミニマン@Netflix

1226 スパイダーマン:スパイダーバース@Netflix

1226 闇金ドッグス6@Netflix

1229 クローズ ZERO@Netflix

1230 関東無宿Netflix

1230 闇金ドッグス7@Netflix

1231 (秘)色情めす市場@DVD

 各作品の感想はとくに書かないが、サブスクで映画を見るようになると、つまんない映画は気軽に視聴を中止できる。だから、ここに上がっているのはどれも最後まで楽しく見られたものと言っていい。なんの参考にもならないでしょうけれど、一応そのことを書き添えておく。

さらば宅八郎

2020年12月3日

 宅八郎の訃報を知った。ご家族の話ではどうやら8月に脳出血で倒れ、そのまま還らぬ人となったらしい。

 彼はミニコミ『東京おとなクラブ』のスタッフだった人で、本名を矢野守啓という。ぼくは同時期に刊行されていた歌謡曲ミニコミ『よい子の歌謡曲』のスタッフだった関係で、『東京おとなクラブ』の編集部にも出入りしていた。時期を考えると彼と知り合ったのは1985年くらいのはずだが、直接会って話をしたような記憶はない。

 やがてぼくはフリーライターになって、下北沢に仕事場用のアパートを借りた。ある日、仕事もなく部屋でゴロゴロしていたら、彼から電話がかかってきた。そのとき彼は「覚えてますか、矢野です」と言い、ぼくは少し考えたのち「ああ、おとなクラブの!」と言った記憶がある。ということはやはり一度は会っているのだろう。

 電話の要件は仕事の依頼だった。その頃の彼は『週刊SPA!』で仕事をしていて、まだ宅八郎にはなっていなかったはず。いまから30年以上も前の話だ。

 矢野くん曰く「今度SPA!で “おたく特集” をやるので、そこに珍レコードおたくとして出て欲しい」との依頼だった。ほとんど無名のフリーライターだったぼくは、メジャー雑誌に顔と名前が出せる機会を逃すまいと、二つ返事で承諾した。そのときに掲載された写真がこれ。

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週刊SPA! 1990年3月7日号「特集『おたく』が日本を動かす」より

 特集タイトル「『おたく』が日本を動かす」とあるように、この記事で矢野守啓はおたく評論家「宅八郎」として華々しくデビューする。いや華々しいかどうかはわからない。おたくのイメージを悪化させたので、人によっては憎々しいと感じたかもしれない。

 「宅八郎」として売り出した彼は、その風貌や言動の奇異さもあいまって、またたく間に時代の寵児となった。良くも悪くもその「仕事」に手を抜かない人間なので、いろいろとトラブルを起こしたし、毀誉褒貶もあったが、最後まで彼なりのスジは貫いていて、ぼくは嫌いになれなかった。近しい場所から出てきた仲間、という意識も少しはあった。

 だからといって、宅さんのあの過激な言動を正しいと思っていたわけではない。より正確に言うと、たとえば「週刊プレイボーイ」編集者である小峯隆生さんとの事件では、宅さんに対して小峯さんが「プレイボーイ軍団」の力を背後にチラつかせて恫喝してみせた、そのマチズモっぽさに嫌悪感を抱いた。だからその反動で宅さんにシンパシーを感じたのだろう。

 どちらかというと、趣味的な部分で言えばぼくは小峯さんのミリタリー趣味に共感を持っていたし、逆におたく的な感性を自分の中からは排除するよう努めていた。

 そういえば、ぼくが『スコラ』でファミコン攻略ページを書いていた頃のこと。連載ページの一部に「ファミコン野球帝国からの挑戦状」という囲み記事が載ったことがある。

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スコラ 1986年4月10日号より

 簡単に言うと、当時『月刊PLAYBOY』に掲載された「ファミコン野球日本一」という記事に対して、『スコラ』でのゲーム担当だった我々が「どちらが日本一か『ベースボール』(ファミコンソフト)で戦って決めようじゃないか」と挑戦状を叩きつけたのだ。これに対して、当の記事の主筆だった糸井重里氏は受けて立ち、かくして『月刊PLAYBOY』チームと『スコラ』チームで本当に対抗試合をすることになった。

 この挑戦状は、『スコラ』の担当編集がホンのお遊びで入れたもののように記憶している。ご存知のように、誰かと競ったり争ったりすることを好まない性格のぼくは、そのとき「挑戦状なんて嫌だなあ」と思ったが、学生時代に憧れていた糸井さんに会えるかもしれないと、微かな期待を抱いたりもした。

 試合は、神保町にあった集英社の会議室で行われた。雑誌対抗のファミコン試合なんて、ものすごく業界っぽい! と浮かれ気分でドアを開けたが、その場の空気は恐ろしくヒリヒリしていた。糸井さん、アシスタントの石井さん、『月刊PLAYBOY』の編集さんらがジロリとこちらを見る。当時、『ベースボール』に本気で取り組んでいた糸井さんはお遊び気分ではなく、自分に挑戦状を叩きつけてきた生意気な奴らを返り討ちにするべく、ぜってぇ殺すモードに突入していたのだ。

 で、なんで宅八郎と関係のないこんな話を書いているかというと、この試合の場に、噂を聞きつけた小峯さんが見物に来たからだ。ぼくが小峯さんと顔を合わせたのはそのとき一回きり。

 結局、我々は惨敗した。試合が終わって空気は殺伐としたままで、「記念写真を撮りましょう」みたいな雰囲気には全然ならず、「そっちが喧嘩売ってきて負けたんだから謝罪記事は出して当然だよね」と冷たく言われる始末。まったくカッコワルイったらありゃしない。

 この出来事は、宅八郎VS小峯隆生のバトルが勃発するより4年も前のことだけど、このときにも『週刊プレイボーイ』および『月刊PLAYBOY』周辺からマチズモの匂いが感じられたという話だ。

 先にも書いたように、ぼくは学生時代は糸井さんに憧れていたし、小峯さんの趣味にも共感していた。そんな人たちからこの試合をきっかけに全力で突っぱねられたような気がして、非常に複雑な気持ちで帰路についたことを覚えている。いまよりずっと若い頃の話だ。

 というわけで、そういうあれやこれやを清算する機会もないままに(清算する必要もないのかもしれないけれど)、宅さんはあの世へ旅立ってしまった。小峯さんのことを本当はどう思っていたのか、いつかちゃんと会って聞いてみたかったけど、叶わないまま終わってしまったな。あの世では変なコスプレして鬼を相手にバトルを挑んでいるかもしれない。そんなことはもういいから、どうぞ安らかに。

 

番号は謎

2020年09月29日

 数字と番号は違う。ぼくは数字を見ると頭痛がしてくるタイプだが、番号だけは昔から大好きだった。初めて買ってもらったミニカーのボンネットに、大きな白い丸と黒い数字で「09」なんて番号が書いてあると、いつまでもそれを指でなぞっていた。このクルマの前に8台あって、このクルマの後には何台あるんだろう。

 ぼくをコレクターにしたのは番号かもしれない。子供の頃から何かを集めるのが好きで、ミニカーだの、映画のチラシだの、カップ麺のフタだのと、手当たり次第にいろんな物を集めてきたが、それで大きなコレクションを築くまでには至らなかった。なんというか、コレクションの全体像がぼんやりしていて、どうにも集めていて興奮しないのだ。

 なぜ興奮しないかというと、それらには番号がなかったからだ。

 のちに、トレーディングカードを集めるようになって、番号の重要さを実感した。番号があることによって、自分の手にしているアイテムが、コレクション全体のどの位置にあるかがわかる。それは、とりもなおさず、そのコレクションにおける自分自身の立ち位置を示すことにもなる。

 ぼくにとってのコレクションとは、好きな物を集めることではない。“集めたら楽しそうな物を集める”のが、ぼくのコレクションスタイルだ。だから、集めてゆく途中で楽しさを感じられなくなったら、あっさり集めることを放棄する。優先順位が「愛着」より「楽しさ」のほうが上なので、未練はない。そして、その楽しさを下支えしてくれるのが番号だ。

 『番号は謎』という本を読んだ。電話番号、郵便番号、国道番号、背番号、原子番号など、世の中の様々なものに秩序を与えている番号というものが持つ不思議な側面にスポットを当てた本だ。

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 試しに「郵便番号」の項を開いてみると、「電話の市外局番に比べて、郵便番号はどうにも不可解な順序に並んでいるのだ。郵便番号の上二桁を見ると、00の札幌市から始まり、01が秋田、02が岩手、03が青森だが、04から09は北海道へ戻る。そして10番台は、いきなり東京へと飛ぶ」なんて刺激的な話が展開されている。ぼくは郵趣オタでも鉄オタでもないけれど、こうした話にはやはり興奮を覚えてしまう。

 国民全員に固有の識別番号を付与する考え方、いわゆる「国民総背番号制」というものがある。ぼくだってオーウェルの『1984』くらい読んでいるので、国家が国民を番号で管理する個人監視システムの危険性はよくわかっている。ましてや、その政府が信用のならない人間ばかりで構成されているなら、なおのことだ。

 すでに、日本では年金手帳や健康保険証、住民票、運転免許証など、個人を識別するための番号はいくらでもある。住基カードなんてものもあった。満を持してマイナンバーカードも登場した。「マイ・ナンバー」つまり「わたしの番号」だと愛着を感じさせんとする姑息なネーミングだが、個人監視システムへの第一歩であるのは明白だ。おまけに、それを銀行口座と紐付けようとしてくるのだから、油断も隙もあったもんじゃない。

 だが、その一方で、自分がトレカの1枚のように管理されることへの(コレクター的)憧れもある。我ながら変な感情だ。まったくもって番号は謎である。