父ちゃんコレクト、母ちゃんデストロイ

数年前に脳梗塞をやった我が家の父は、いまでも毎日、リハビリのために近所の公園まで散歩に行っている。ひとりで行って、ひとりで帰ってくるので、実際のところ何をやってるのかよく知らないんだが、たぶん公園内をぐるぐる歩行訓練してるんだろう。あと隠れてタバコ吸ったりしてるんだろう。
で、小一時間して帰ってくると、ときどき手にボールを持っていることがある。何それ? って聞くと、「落ちてたからひろってきた」なんて言うんだな。公園では、近所の子供たちや、地元のアマチュア野球チームなんかが、しょっちゅう草野球をやっている。あるいはゲートボールの老人グループや、テニスの若者なんかも来る。そういうひとたちが忘れていったボールを、このリハビリじじいという名のカラスが持って帰ってきてしまうのだ。
邪魔だからそんなもん拾ってくんな、って何度言っても、ぜんぜん言うこと聞きゃしねえ。3日に1個ぐらいのペースで増えていくから、うっかりしてると1ヶ月でこんなんなっちゃうんだ。

若い頃の父は、物に執着するということがまったくなかったひとなので、コレクションとは無縁の生活を送っていた。クルマと釣り竿以外は自分の物なんか何も持っていなかった。それが、この年になって(今年79歳)、頭も半分バカになって、闇雲にボールを集めるというのは、なんだか不思議と切ないものがある。父にもコレクターの血が、少しばかりは流れていたのだろうか。
一方、母は。
古くなったガス台を捨てるにあたって、廃品回収費を払うのが惜しいもんだから、不燃ゴミの通常回収のときに小分けで出せるようにと、自力でここまで解体した。

いったいなんだろうか。この、破れるに壊すと書いて「破壊」の衝動は。さすがに本体フレームはこれ以上小さくできずにあきらめたようだが、よく見るとヒザ蹴りを叩き込んで圧縮させようとした痕跡がある。おれのコレクトする血は母から受け継いだわけでもないような気がするのだが、“いらなくなったらズバズバ処分する性質”は、確実に母の血だ。