らくがおエディ

中古レコード店でインパクト大な落書き付きレコードが販売される→拡散されてTwitter上で売れていく案件が発生

ねとらぼで勝手にニュース扱いにされたが(べつに怒ってない)、こんなもん出てきたらそりゃ買うっつーの。おれはこういうのすぐ買っちゃう前科あるしな!

ツイッターでの反応とか見てたら、「誰かと思ったらやっぱりとみさわw」みたいなコメントがあって笑った。おれのパブリックイメージってやっぱりそういう人なのか。まあしょうがないネ。

中身はエディ・ハンティントンの『Meet My Friend』。80年代後期のディスコでやたらとかかっていた、ひたすら軽いノリの曲。今後DJやってていまいちウケが悪いなと思ったらこれを取り出そう。卑怯な飛び道具として。

イクときは一緒だよ

2月7日、阿佐ヶ谷ロフトAにて「珍書ビブリオバトル」なるイベントが開催された。

ビブリオバトルとは「知的書評合戦」とも呼ばれるゲームで、数人の出場者が自らセレクトした本を携えて順番に登壇し、5分の持ち時間内でその本を紹介する。原則として、スライドやレジュメなど、事前に資料を用意してはいけない。出場者のトークによるアピールだけでその本の魅力を伝えるというわけだ。

その後、お客さんとの質疑応答を交わし、次の出場者にバトンタッチする。こうして、すべての出場者が本のアピールを終えたら、どの本がいちばん読みたくなったか、全員の挙手で決定する。「珍書ビブリオバトル」とは、読んで字の如く、その珍書編である。

第1部は、一般からの出場者4名が戦う。続いて第2部は、第1部での勝者に珍書四天王を加えた5名が戦って、そこから総合チャンピオンを決定する。

さらりと「珍書四天王」なんて書いたが、社会評論社でヘンな本ばっかり作ってる珍書プロデューサーのハマザキカク氏、洋書の珍書(略して洋チン)を専門に販売する千駄木どどいつ文庫の店主イトー氏、円周率が延々と100万桁印刷されているだけの本で有名な暗黒通信団のひだまい氏、そして人喰い人種と飲尿療法の本の品揃えなら日本一というマニタ書房店主とみさわ昭仁の4人のことだ。おれも入ってるのかー。

で、結論から言うと、わたくしが優勝してしまった。自分がいちばん驚いている。


▲優勝賞品の人参焼酎『珍』。お酒をもらってとてもうれしそうなおれ(写真提供:Tokyo Biblio)。

はっきり言って、勝てるなんてこれっぽっちも思っていなかった。なにしろ相手が手強すぎる。トークもあんまり得意じゃない。なによりアドリブが苦手だ。どうすりゃいいの。とりあえず笑ってもらおう。勝ち負けのことは考えず、ただお客さんにウケさえすればそれでいいや。そう考えてエントリーする本を決めた。このあいだ読んでゲラゲラ笑ったこの本を──。


■『よーいドン! スターター30年/佐々木吉蔵』(1966年/報知新聞社

特殊な職業、特殊な立場の人が書いた伝記が好きだ。牛を育てて80年の人とか、山口組三代目田岡組長のお嬢さんとか、ニット界の貴公子とか……。これらの本を読むと、普通に暮らしているだけでは絶対に知るはずのないことを知ることができ、おおいに好奇心が満たされる。

ある日の古書市で見かけたこの本も、そのタイトルを見て心奪われた。『よーいドン! スターター30年』。すなわち、陸上競技のスタートラインでピストルを空に向け、ドンと号砲を鳴らす役目。あれを30年もやってきた人の自伝なのだ。どう考えてもおもしろいに決まってる!

著者の佐々木吉蔵は大正元年秋田県北部の片田舎で生まれた。小さい頃から虚弱体質だったが、父の勧めで運動に目を向けるようになり、やがて陸上競技を始めるようになった。

吉蔵は通学のために毎日駅まで走り、冬も深い雪道を走った。中学を卒業後は花岡鉱山に就職したが、そこでも坑内に通じている150段ある階段を毎日駆け上がり、駆け下りた。こうした生活は自然と吉蔵の足腰を強くしていった。

その甲斐あって、昭和4年の青年陸上競技明治神宮大会に出場すると、100メートル走で11秒1という記録を出す。翌日、吉蔵の名前は新聞の活字になった。

着実に実績を上げていった吉蔵は、昭和11年、ついにベルリンオリンピックへの出場権を勝ち取る。だが、そこで吉蔵はとてもショッキングな光景を見た。

自分は、いつものようにスターティングラインの手前に手をついているのに、他国の選手たちは石灰で引かれた白線の上に手を置いていたのだ。なかには、ピストルが鳴るのを待つ間にじわじわとラインより前へ指をせり出しているヤツもいる。これはいったいどうしたことか!

不信感を胸に抱いたまま走り出し、結果として2位でゴールすることはできたものの、この一件は吉蔵の心に深く刻まれた。それ以来、彼は走ることよりもスタート時の公平性に強いこだわりを持つようになり、選手生活を続けながらも、並行して審判員の活動に取り組むようになるのだった。

審判合図員、つまりスターターになった吉蔵は、最終的には陸上競技連盟の常務理事になり、審判部長にまで登り詰めた。スターターとしては最高の舞台、昭和39年の東京オリンピック「男子100メートル決勝」のスターターを務めたのも、この吉蔵なのだ。

本書の冒頭には、そのときの様子が吉蔵自身の筆で描写されている。これがまったくもって見事な文章なので、以下に引用してみよう。

「ヨーイ」
 そして八人の選手の動きを同時に見た。
 腰がゆっくり上がってゆく。一秒四たって八人のすべてがとまった。微動もしない。私は右手をいったん全部伸ばし、徐々に下げはじめた。人さし指が引き金にふれる。
 ──私はいつ撃ってもよいのだ
 なにかが私を誘惑した。
 ──しかし、待つのだ
 さらに十分の一秒が過ぎ、私の指は引き金にずるずると引きずられそうになった。もう少し待たなければ完全な出発はできない。
 ──もう少し……
 長かった二度目の十分の一秒。もうだめだった。私の脳髄に「撃て!」という指令が怒濤のように襲いかかった。そして私の指はこれ以上待てなかった。
(中略)
 台を降りた瞬間、体内から燃えるような熱気が生じ、私の体をあっという間に汗びっしょりにしてしまった

この筆致、まるで官能小説!

さあ、いかがだったでしょうか、この本をいちばん読んでみたいと思った方は、「はてなスター」で挙手をお願いしまーす!

父との戦い

年が明け、1月7日に父が亡くなった。享年84。

ずいぶん前に脳梗塞で倒れてから、とりあえず復活はしたものの、最近はかなり恍惚の人状態だったので、そろそろ秒読みだと覚悟はしていた。昼間、ひとりで風呂に入って湯船に浸かった途端に心不全を起こし、そのままポックリ、ということらしい。16日(金)に通夜、17日(土)に葬儀を済ませた。両親の親戚だけを呼んで、あくまでも控え目に。

亡くなったのが7日(水)だから、最初はその週末が葬儀の日程になるだろうと思った。おれは1月14日から16日まで岡山出張を予定していたので、9日(金)か10日(土)に葬儀を済ませれば、出張には行けるはず。予約したホテルもレンタカーもキャンセルせずに済むだろう。

そう楽観していたら、どうも正月に人がたくさん死んだようで、地元の火葬場ではズラリと死人が焼かれるのを待っている状態だという。我が家の仏さんは早くても15日にならないと焼かれねえ、と言われてしまった。そうなると出張を取り止めにしないといけない。それだけは避けたかったので、あえて、さらに1日遅らせてもらって、10日も先の17日が葬儀となった次第だ。

父の死に、母と姉はショックを受けていたようだが、おれは親父が死んだことを知らされても、正直なんの感情もわかなかった。3年前に女房を失くしたとき、これより悲しいことはもうない、と思った。あるとすれば、娘にもしものことがあったときぐらいだろう。だから、冷たくなった親父の顔に触れても、焼き上がったお骨を見ても、涙は一滴も出なかった。

涙の枯れた理由は、親父が高齢だったから、あるいは女房の死を経て覚悟が出来ていたから、ということだけじゃない。

おれは子供の頃から親父のことが嫌いだった。それで反発ばかりしていた。親父は政治家や市会議員、会社経営者など、いわゆる権力者を憎んでいた。左翼思想の持ち主、というわけではない。なぜその人物に腹を立てているのか? と訊ねてみても、まともな答えが返ってきたためしがない。親父は10代で福島から出てきて、定年するまでずっと人に雇われてきたせいか、成功者に対する劣等感が強かったのだ。

それでも、政治家に腹を立てるぐらいなら、珍しくはない。情けない話だが、うちの親父がとくに嫌っていたのは芸能人だった。

夕飯時、テレビを点けて派手に着飾った芸能人が映ると、画面に向かって悪態をついた。「こんな奴、死んじまえばいいんだ」とまで言うこともあった。人に雇われ続け、出世とも無縁で、とにかく与えられた仕事を真面目にこなすだけで、それ以外の愉しみを持たなかった親父のような人からすると、ラクして遊んで大金を稼いでいる(ように見える)芸能人が、妬ましくて仕方なかったのだろう。芸能界がそんなに甘い世界じゃないことぐらい、子供のおれにだってわかるのに。

親父は酒と煙草をやるぐらいで、ギャンブルも女遊びもしなかった。少しだけ磯釣りに夢中になっていた時期もあるが、それも定年する前にやめてしまった。亡くなったあとに遺品を整理したが、私物らしい私物は何も残っていなかった。おもしろそうなことには片っ端から首を突っ込み、身の回りには本やビデオやレコードが溢れ返っているおれとは、まったく正反対の人間だ。

親父が嫌い、というより、軽蔑していたと表現するほうが正確だろう。親父を見るたび、「こうはなりたくない」と思って生きてきた。おれがいろんな趣味に手を出すのは、生まれながらの好奇心もあるのだろうけれど、根っ子のところには親父への反発があるはずだ。

いまも家族で住んでいる松戸の家は、親父が無駄遣いを一切しない人だったから建てることができた。そのことと、おれをこの世に送り出してくれたことには感謝している。だが、それ以外の部分は本当に嫌だった。おれは20代後半から40歳になるまで松戸の家を出ていたが、それは親から自立するというよりも、単に親父から離れたかったのだ。

一緒に暮らしていると、親父と似ている自分に気づかされてしまうのが嫌だった。それを認めたくなかった。

ライターとしてデビューした頃、同業の仲間はみんな立派な大学を出ていて、高卒*1のおれは肩身が狭かった。編集部で雑談をしていて、学生時代の話になると身を小さくしていた。同期のライターが新連載を始めると、焦りの気持ちが渦巻いた。友人たちが名前を連ねている雑誌に自分が載っていないと、嫉妬の火が燃え上がった。「おれに声をかけないなんて、あんな雑誌ダメだよ」。誰に言うわけでもないが、心の底でそう思うことが何度もあった。

そのたびに親父の血が自分の中に流れているのを感じて、恐ろしくなった。

ある友人の親父さんは、現役時代に演劇方面で随分と立派な仕事をされた方だったという。謙遜しながらも誇らしげに親父さんの話をするときの彼の表情はとてもいいものだったが、おれには手の届かないものだ。ある友人の親父さんは、音楽方面でたくさんのファンから親しまれた人だった。亡くなったときの彼の落胆は見ていて痛ましいほどだったが、それほどに喪失の悲しみを感じさせてくれる親父がいることに、おれは激しく嫉妬した。

なぜ、うちの親父はそうじゃないんだろう。心から尊敬できる親父の下に生まれたかった。小さい頃から、何度も何度もそんなことを考えた。そして皮肉なことに、そう考える自分の気持ちは、間違いなく当の親父から受け継いだものなのだ。

おれは一生この呪いから逃れられないのか。これまでの人生、少なくとも物書きになってからの30年間は、他人を羨む気持ちと、それを打ち消そうとする気持ちとの戦いだった。それはすなわち、父との戦いでもあった。

親父が死んで、その呪いから解放されたとは思わない。ただ、こうしてここに書きつけているように、ある程度、自分を客観的に見られるようになったのが救いではある。

父への別れの言葉はここに書かないが、願わくば、今後は自分自身が娘から尊敬される父でいられように、他人を羨やんだり、妬んだり、蔑んだりしない生き方をしていこう。

*1:製図の専門学校を出ているが、1年制なので資格的には短大卒にもならない。

去年は終わり! ようこそ今年!

毎度おなじみ、昨年を振り返るエントリーです。

●執筆業
フリーライターとしては、大好きな『本の雑誌』に何度も登場させてもらったり、敬愛する北尾トロさんの『レポ』に参加させてもらったり、畑違いの文芸誌『群像』にエッセイを書いたり、いろいろおもしろい仕事ができた年だった。『BRUTUS』のコレクター特集では、ハーブ&ドロシーのドロシーさんと立花隆さんに挟まれてエッセイを書くことになるという幸運にも恵まれた。

自著は一冊も出せなかったが、自費で作っている『蒐集原人』の第5号を出すことはできた。それと、ゲームフリーク時代の盟友・杉森建の初のイラスト集『杉森建の仕事』を作る手伝いができたのもうれしかったな。社員編集者だったときに企画しながら、結局、刊行するまでに至らなかった『クインティ』の書籍化も、このイラスト集の中で実現できた。

連載というか、レギュラー仕事は「古本珍生相談」「古本三角ベース」「one,two,three!」の3本をやっていて、その他に12月からセガが運営するコミュニティサイト「it-tells」内で、酒に関するエッセイの「酔ってるス」がスタートした。これは週刊連載だけど、約30年飲み続けてくるなかで考えたアレやコレやを吐き出す場なので、当分はネタに困らないだろう。単行本にしてくれる版元さんは常に募集中。

●ゲーム制作業
某社でなんとなーく進めているが、まだ何も言える段階ではない。

●イベント出演業
昨年出演したイベントは、全部で16本。いろいろやったなー。

  • 04/09 DOMMUNEヤバ歌謡特集へのゲスト出演
  • 05/05 第18回文学フリマ東京流通センター
  • 05/31 ジャンクの花園in関西@ロフトプラスワン・ウエス
  • 06/01 蒐集100万年大阪@ロフトプラスワン・ウエス
  • 06/22 DJ14人全員異ジャンル30分一本勝負@Bar Shifty
  • 07/20 セガJOYJOYナイト@阿佐ヶ谷ロフトA
  • 07/22 昭和歌謡祭〜シャワランビューティ@荒木町・鯨人
  • 10/15 DJ泣かせの名曲ナイト
  • 10/24 マンガ家たちの岩手ボランティアツアー
  • 11/02 マニタ書房3周年パーティー
  • 11/05 たのしいたべもの@なんば紅鶴
  • 11/14 Ingressトークライブ@お台場カルチャーカルチャー
  • 11/24 第19回文学フリマ東京流通センター
  • 12/10 デコナイト@高円寺薬酒Bar
  • 12/20 CLUB HOLLYWOOD@高円寺薬酒Bar
  • 12/21 帰ってきた!セガJOYJOYナイト2@阿佐ヶ谷ロフトA

まさかのDOMMUNE出演に自分でも驚いたし、大阪から度々イベントに呼んでもらえるようになったのはありがたかった。
DJに関しては始めたばかりで未熟極まりないものだけど、これから出番をどんどん増やして、もっとお客さんに楽しんでもらえるようになりたい。

●古本屋業
前半は相変わらずの「いつ開いてるかよくわかんないわがまま営業」をしていたんだけど、後半になって突然「このままじゃいけない!!」と思い直しましてー、わりとちゃんと店を開けるようにした。おかげで、売上げも少しは上昇してきた感じ。
実際は、原稿依頼が増えたことで必然的に店(=事務所)に籠っている時間が長くなり、ついでに店を開けるようになった、ということなのね。以前は締め切りがあるときはお客さんの相手をしたくないので店を閉めたりしていたけど、最近は古本屋家業にも慣れてきて、お客さんがいるときでも原稿を書けるようになってきた、というのも大きいかな。

ブックオフめぐり
年頭に掲げた「450店舗踏破」という目標は、昨年の9月10日に「ブックオフPLUS大宮ラクーン」を訪問した時点で達成。その後、11月13日に訪問した横浜ビブレ店で453店となり、自己記録を更新している。来年は「500店舗突破!」……と言いたいところだが、これはさすがに無理だろうな。

●その他
仕事以外で昨年とくに印象深かったのは、30年来のファンであるダニー・エルフマンの歌声を生で聴けたこと。事務所にDJシステムを揃えたこと。天久聖一さんと知り合えたこと。などなどあるが、いちばんエキサイティングだったのは、もうこれしか考えられない。


■2014-08-15 第三のスカジャン「ナスカジャン」いよいよ発売!

なにしろ14年前から形にするのを思い描いていたからね。それが実現できただけでも最高の年だった。おかげ様でたくさんの方にご購入いただき、現在、ほぼ完売。追加生産するのか、第2弾的な何かを作るのか、まだ何も決まってない。でも、何かまたびっくりするようなことはやりたいな。

今年は、小さいもの、大きいもの、すでにいくつか決まっている仕事はいくつかあるけれど、それもまだどうなるかはわからない。とりあえず、目の前のものからコツコツやっていこうかと。

では、本年もとみさわ昭仁とマニタ書房を、どうぞよろしくお願いします。

Bootleg未掲載原稿

先の文学フリマで頒布された映画評同人誌Bootlegの新刊『Bootleg CATALOG』のために書いたけれど、〆切りに間に合わず未掲載となった『ノーマッズ』のレビューを以下に掲載します。
ジョン・マクティアナン監督には、『プレデター』を筆頭に『ダイ・ハード』や『レッド・オクトーバーを追え』といったアクション映画の大傑作がある一方で、『ラスト・アクション・ヒーロー』みたいにトホホな作品もあります。そんなところも含めてぼくは大好きな監督なんですが、なかでも思い入れのあるのが、この『ノーマッズ』です。VHSとレーザーディスクにはなったのですが、DVDにはなっていないので、これも中古ビデオを探すしか見る手段がないんですよね。『ダイ・ハード』の監督なのに!


見えない脅威を描き続けるマクティアナンの原点
 これは『ダイ・ハード』で一躍スター監督の仲間入りをしたジョン・マクティアナンのデビュー作だ。原案、脚本ともに自ら手掛けている。

 舞台はロサンゼルス。海辺で発見された血塗れの男(ピアース・ブロスナン)が、病院に運び込まれてくる。担当医のアイリーン・フラックスは事情をきこうと問いかけるが、男は問いかけに応えず、わずかな言葉だけをつぶやくと、いきなり叫び声を上げ、そのまま絶命してしまう。

 その日から、アイリーンは不思議な幻覚を見るようになる。どこともわからない景色。名前も知らない女性。街を徘徊するパンクファッションの若者たち。それらは、死んだ男──人類学者のジョシュアが見てきた光景であり、アイリーンは、彼が死に至るまでの数日間の行動をジョシュアの視覚を通じて追体験しているのだった。

 近頃ではノマドワーカーなどという言葉もあるが、ノマドとは本来、遊牧民という意味だ。そして、この映画におけるノーマッズとは、惨劇のあった土地に棲みつく亡霊のことを指す。ジョシュアが目撃し、彼の命を奪ったのもノーマッズたちだ。

 普通の人間には見えないノーマッズが、なぜジョシュアにだけは見えるようになったのか? その視覚がなぜアイリーンにも伝染したのか? それらのことについて何も説明されない。

 このように脚本的には穴だらけの作品なので、これまで高い評価は得られていないが、ジョシュアが見た過去の光景とアイリーンが存在している現在の光景とがたびたび交錯する様子をさりげなく見せる構成のうまさは、後の成功の萌芽を十分に感じさせる。

 ノーマッズのリーダーを演じているのは、アダム・ジ・アンツの解散後ソロ活動期間中のアダム・アントだ。しかし、セリフはひと言もなく、ピアース・ブロスナンバールのようなものでボコスカ殴られるなど、少しもいいところがない。プリンス・チャーミングも形無しである。

 ところでこの映画は、ジョン・マクティアナンがデビュー以来描き続けてきたテーマの原点としても、重要な作品に位置づけられる。

 それは「見えない存在による脅威」とでも言うべきもので、本作ではノーマッズたちがズバリそのテーマをあらわしているし、次作『プレデター』が見えない脅威の凄玉だったのは皆さんご存知の通り。

 出世作ダイ・ハード』では、ビルの中にいるはずのない警官がテロリストにとっての脅威となっていた。『レッド・オクトーバーを追え!』に登場するソビエト原子力潜水艦レッド・オクトーバー号は、無音推進装置「キャタピラー・ドライブ」を搭載しており、これをオンにした瞬間、他の船のソナーからは“見えなくなる”。『ラスト・アクション・ヒーロー』で派手に失敗して以降は道を見失っているようだったが、『閉ざされた森』でふたたび「見えない存在」テーマを扱っていたので、これが再起への狼煙となるか? と安心したのも束の間、FBIへの虚偽証言事件なんぞを起こして刑務所入りときたもんだ。本人も辛かろうが、ファンにとってもまったくマクティア難である。


▲ビルの屋上からノーマッズを突き落とす場面の構図は、のちに『ダイハード』でも採用されている。

11月24日は文学フリマの日

いよいよ明後日は文学フリマの日!

会場は東京流通センター・第二展示場
浜松町から東京モノレール区間快速か普通に乗り(空港快速に乗ったら停まらないよ!)、流通センター駅で下車。東京流通センター 第二展示場(入場無料)が文学フリマの場所。一階は主に小説などの文芸サークルが中心。とみさわ(マニタ書房)は評論分野なので二階に上がってちょうだいな。二階の会場に入ってすぐの「カ-2」にいます。カニブースと覚えよう!

開場は11:00、終了は17:00。

今回は新刊『蒐集原人5号』を頒布します。価格はいつもと同じ700円。表紙は吉田戦車先生で、プリケツ原人が皆様をお待ちしております。90冊ぐらい持っていくので、そんなに朝イチから慌てて来なくても大丈夫よ。
他にも『1号』から『4号』までのバックナンバーと、『覆面音楽祭』、土屋遊さんの『イカ・タコ』本も少しだけ持っていくつもり。バックナンバーは在庫が売り切れたらもう増刷しないと思うので、この機会に全号揃えよう!

そしてもうひとつ。カニブースのおとなり「カ-1」ブースは、映画評論同人サークルBootlegです。

こちらも久しぶりの最新号『Bootleg CATALOG』が出ます。今回はテーマを「あなたの知らない映画カタログ」と銘打っていて、ようするに隠れた名作や、おもしろいのに見られるチャンスのない作品をカタログのようにいろいろ紹介していこうという試み。

とみさわも、渡瀬恒彦主演の魂まで震える(寒さで)感動蕎麦屋巨編『一杯のかけそば』とか、ジョン・マクティアナンの幻のデビュー作とか、ソニック・ザ・ヘッジホッグの元ネタ映画『マイク・ザ・ウィザード』などをレビューしています。

他にも、特集にからめて「映画をあつめるということ」について6000文字ほどのコラムを書いてます。集めるったって、ビデオコレクションとかそういうことじゃないです。どんな内容かは読んでのお楽しみ。

文学フリマが終わったあとは、JR大森駅近辺で「映画系文学フリマの集い」という打ち上げをやります。これは『Bootleg』または『蒐集原人』を買ってくださったお客さんなら誰でも参加可能な飲み会です。ただし、当日いきなり参加表明されても幹事さんがパニクるので、こちらから参加表明を頼ンます。
いつも言ってるけど、ナスカジャン着て来てくれた人には1杯おごるよ!(打ち上げは会費制の割り勘なので、1杯のかわりに500円あげるね)。

では、当日! 埋め立て地で会おう!(BGMはゼルダ

11/2 マニタ書房3周年パーティーのお知らせ

2014年10月27日で、マニタ書房はめでたく3周年を迎えました。しょっちゅう店主が古本仕入れ旅に出掛けて休業してばかりいる古本屋をここまで続けてこれたのは、入店ハードルの高さにめげずにご来店くださるお客樣方と、バカ店主に原稿依頼をしてくださる出版関係社様方のおかげです。

というわけで、ツイッターではちょこちょこつぶやいておりましたが、明日(いきなりだね)、3周年祝賀パーティーのようなものをやります。パーティーったって店に集まってもらってダラダラ飲むだけですけどね。パーティーには、このエントリーを読んでいる方ならどなたでも参加していただけます。とみさわの友人知人でなくてもOKです。


しかし、店内の片付けをするのが精一杯で、おつまみの手配などが全然出来ておりません。渇きものオンリーになりそうです。なので、みんな各自で好きなものを持ち込んでください。お酒はビールとかワインとかある程度は用意しますが、これも自分で飲みたいの持ってきてもらってもいいです。お酒のカンパは大歓迎。

さて、ここが重要なところなのですが、例年は参加費無料のかわりに、「古本」のカンパをお願いしていましたが、今年からは古本のカンパはご無用です! 持ってこないで! なぜかというと、店内の商品濃度をさらに上げていくために、マニタ書房は今年度から買い取りを中止して、店主とみさわが探してきた「これは!」という本しか置かないようにするからです。買い取りをしない古本屋! 斬新! とにかく、古本の差し入れはどうぞおかまいなく。むしろ、なんか1冊でも買っていってくださるほうがうれしいな〜。

パーティーの時刻というか、明日の開店は12時からです。店主は準備で午前11時にはいるはずなので、そのぐらいに来ていただいても大丈夫。閉店は午後6時を予定しています。

そしてなんと、今年はマニタ書房にDJブースが出来ます! CDJ? PCDJ? いやいや、年がら年中ドーナツ盤ばかり買ってるわたくしですからね、アナログ・ターンテーブルが2台ですよ!(今日セッティングするの) 。そいでもって、あのDJフクタケさんがレコードかけ係をやってくださいます! クラブと違って防音ではない店ですので、大きな音は出せません。だから踊るというよりは、聴いて笑えるおもしろい曲が中心になるでしょう。店主自身も手の空いたときにはレコード回します。

あ、最後にいちばん大事なことを。

なにしろ狭い店ですので、来てくださった方全員が12時から6時までベタでいると大変なことになります。ですから、ご都合のいいタイミングで来ていただいて、数時間顔を出して去る、みたいな粋な感じがありがたいです。あるいは神保町古本まつりもやってますので、中抜けしてそっちを見に行って、またしばらくしたら戻ってくるとか、そんな感じで出たり入ったりしてもらってもいいですね。

それでは明日、皆さんのお越しをお待ちしております。

ヤバ歌謡 SUPER NONSTOP MIX~MIXED BY DJフクタケ

ヤバ歌謡 SUPER NONSTOP MIX~MIXED BY DJフクタケ