さよなら柴尾くん

以下の文は、メルマ旬報 vol.153のために書いたものですが、ぼくと柴尾くんの共通の友人でメルマ旬報を購読していない人にも読んでもらえるよう、ブログにも掲載します。

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柴尾英令くんが逝ってしまった。
水道橋博士は彼のことを“映画の友”と呼んでいたが、
ぼくにとって彼は何の友だったのだろう。

彼と初めて会ったのは1998年の11月5日だった。
お互いフリーランスのゲームデザイナーで、
メタルマックス3』というゲームの開発スタッフとして出会った。
(このゲームは幾度か改題した後、メーカーの事情で開発中止となった)

柴尾くんの最初の印象は「幅広い教養を持った人」というものだった。
ロール・プレイング・ゲームを作るために必要な
西洋の歴史や地理、民族、宗教といったものに対する造詣が深く、
それなりに語学も堪能だった。
SF小説が好きで、ファンタジー的なものも含めて
かなりの読書量を誇っていた。

そうした知識が背景にあるので、
話題の映画(おもに洋画)を一緒に見たあとに彼の解説を聞くと、
ぼくにはわからなかったところも理解できるようになり、
より一層その映画を楽しめるようになった。

柴尾くんが「メルマ旬報」で続けていた連載を見ればわかるように、
彼はあらゆる娯楽の中でもっとも映画を愛していた。
ゲームより映画だった。
柴尾くんとゲームの話をしたことはほとんどないが、
映画の話は数え切れないほどした。

彼はよく、あまり自分の趣味じゃなさそうな映画を見にいっては、
SNSで酷評し、それが人々の反感を買うこともあった。
彼ほどたくさんの映画を見ていれば、
それが自分の趣味に合うかどうかわかりそうなもんなのに、
なぜわざわざそんなものを見に行くのだろうと、
ぼくは常々不思議に思っていた。

でも、それが柴尾くんらしいとも思っていた。

彼は自分の目で見るまでは、どんな映画をも差別しない。
まずは見ないと話が始まらないのだ。
見てつまんなければ文句も言うし、悪口だって言う。
そういう意味で、彼は映画に対して平等だった。

ぼくがある映画を試写で見て、その感想をチラッとツイートしたら、
「ネタバレは勘弁してくれ!」と怒られたことがあった。
実話の映画化だったし、ぼくは少しもネタバレではないと思ったが、
彼は、ぼくの呟いたことを「自分で見て知りたかった」という。
彼の性格を知ってるし、彼の言うことにも一理はあるが、
どうにも釈然としない気持ちがあって、
それ以来、彼とは少しだけ距離をおいていた。

それが氷解したのは、他ならぬ「メルマ旬報」だった。
縁あってぼくも「メルマ旬報」の執筆陣に加わることになり、
そのことをいちばん喜んでくれたのが柴尾くんだった。

ぼくの連載が始まったとき、彼はこんなツイートをしてくれた。

ぼくは柴尾くんの博識ぶりに憧れていただけに、
こんな身に余るほどの言葉を寄せてもらえて、本当に嬉しかった。
それからは、またふたりで飲むようになった。

ゴールデン街へ行くと、どこかの店には柴尾くんがいたので、
今年になってからも何度か顔を見かけていたような気がしたのだが、
日記を見返したら最後に会ったのは2017年の7月27日だった。
もっと、もっと、一緒に飲んで話をしたかったな。

さようなら、酒の友よ、柴尾くん。
20年、ぼくと友達でいてくれてありがとう。
きみのおかげでぼくの人生はずいぶん豊かだった。

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