01 実店舗へのこだわりと値付け方法と蟲文庫

2012年3月マ日

 正確な日付までは覚えていないが、3月のある日、唐突に古本屋を開業することを思いついた。昔から古本屋が好きだったぼくが、自ら、古本屋に、なるのだ。

 最初に古本屋という場所に足を踏み入れたのは、いつ、どこの、何という店だっただろう。さすがに覚えてはいないが、ひとたびその魅力を知ってからは、神保町を皮切りにあらゆるところへ行った。

 古本(というか古本屋)が好きな人間は、だいたい一度は古本屋になることを夢見る。ぼくも例外ではない。だが、実際になってしまう人はほとんどいない。客として訪れるのが楽しいからといって、そこで働くことまで楽しいとは限らないからだ。それに、古本屋稼業は重労働であることも、古本マニアなら知っている。そのくせ賃金は安い。もっと言えば、昭和の時代ならいざ知らず、いまや古本屋なんて社会から消滅しつつある業界だ。明るい未来なんて見えそうにない。

 ぼくは長いことゲーム業界で働いてきた。こちらは古本屋とは正反対で、常に未来を見据えていく業界だった。幸いなことに、ぼくは『ポケットモンスター』シリーズという、数多あるゲームコンテンツの中でも特大級のヒット作に関わることができた。自分の人生の意味のうち、半分くらいはそれで成し遂げたような気がしている。

 そんなぼくも、もう50歳(当時)だ。そろそろ人生でやり残したことをやってもいいんじゃないのか。昨年、妻と死別した。少額ながらも保険金が下り、手元に多少の資金はある。

 蕎麦打ちでも始めてみる?

 いや、ぼくは江戸っ子だけど蕎麦ッ食いじゃない。

 ゴルフはどう?

 スポーツ全般ぜーんぜん興味ないね。

 世界一周クルーズの旅とかは?

 妻と一緒だったらいいんだけどねえ……。

 というわけで、若い頃にちょっと夢見た古本屋を開業するというのが、自然な選択肢として浮上してきた。

 古本屋をやるには、店舗を借りなければならない。いまはネット通販をメインにしたオンライン古書店という方法もあるが、それは最初から選択肢になかった。やるからには実店舗を構える。店の棚に、ぼくが自分の審美眼でセレクトした本だけを並べ、それを直接お客様に見ていただいて、対面販売する。それがぼくにとっての古本屋だ。

 

2012年3月ニ日

 鬼子母神通りの「みちくさ市」へ遊びに行った。ここで一箱古本市をやっているのだ。一箱古本市というのは、業者による古本市とは違って、一般の参加者が自分の読み終えた古本を箱に詰め、各自で適当に値段を付けて即売する古本のフリーマーケットのようなものだ。だから、意外にいい本が格安で並んでいたりして、掘り出し物と出会えることがあるのが魅力だ。

 これまでも、デパートの古本市や、こうした一箱古本市に顔を出したりはしてきたが、いざ自分で古本屋を開業することを決めると、ちょっと見る目が変わる。

 たとえば並べ方。

 畳一帖くらいの敷物を地べたの上にひろげ、その上に無造作に本を並べている人。まさしくフリーマーケット感覚だ。あるいは、旅行用のスーツケースに本を詰めてきて、それをパカっと全オープンにしている人もいる。ごろごろ引っ張ってきて、開けるだけでそのまま店になる。なるほどなあ。

 小さめの折りたたみテーブルを組み立て、その上に本を並べるスタイルはとてもスマートだ。お客さんも屈まずに本が選べるので、腰に優しい。ただ、ご近所さんか車で来れる人じゃなければテーブルを持ち込むのは難しい。

 売り物の本は、数が少なければ表紙が見えるように並べればいいけれど、数が多くあるなら並べ方にも工夫がいる。瓦屋根のように半分ずつ重ねて並べるか、あるいはブックエンドを持ってきて立てて並べるか。プラケースや木箱に入れて並べている人もいるが、これは業者の古本市でもよく見かけるやり方だ。

 値段の付け方はどうだろう。栞サイズの紙に値段を書いて本の中ほどに挟み込むスタイル。本の最終ページに鉛筆で値段を書き込むスタイル。バイト先のものを借りたのか、ラベラーで値段シールを打ち出して貼り付けている人もいる。まあいちばん手っ取り早いのは鉛筆書きだから、ぼくが自分で店をやるときはその方法をとることになるだろう。

 どこに店を出すかはまだ決めていないが、この一箱古本市を見終えたら、帰りに根津~西日暮里の不動産屋で店舗用物件でも探してみようか。あのあたりの、いわゆる谷根千エリアにはいま古本屋が多く存在するからそのグループに混ぜてもらうのもいいし、千代田線の乗り換えなしで家にも帰れる。いいことづくめじゃないか。

 

2012年3月タ日

ブックオフ池袋サンシャイン60通り店」へ行き、大量に仕入れ(セドリ)をする。いままでは、古本屋やブックオフに行っても買うのは自分が読みたい本だけだったけれど、もういまは完全に仕入れ目線で本を見ている。もちろん「自分好みの本だけを置く」というのがぼくの店の基本コンセプトだから、自分が読みたい本、という部分から大きく外れはしないんだが、それだけじゃない要素もある。お客さんはみんながみんな濃いマニアとは限らないので、そこそこの本も置いておかなければならない。濃い本ばかりだと疲れてしまうでしょう? 緩めの本もそれなりにあって、その中に『私の父は食人種』みたいな狂った本が混じっているから、店の個性が光を放つのだ。

 ブッックオフにこうした人喰い人種系の本が並んでいることはまずないが、それを引き立てるようなやや緩めの変な本ならたくさんある。それがどういうものかはうまく言えないし、仮に言語化できたとしてもそれは企業秘密である。

 池袋から根津へ出て「Booksアイ根津店」を訪問。町によくある漫画や雑貨に力を入れた店で、ぼくにはあまり用のない感じの品揃えだった(※2015年に閉店)。

 このあと仕事の打ち合わせが一件あるので、千代田線に乗って下北沢へ。約束より少し早めに着いたので「ほん吉」さんを訪問。ここは品揃えのいい店で、値付けもそれなりだからセドリには向かないが、来るたびに勉強になる。店頭に本棚が出してあり、そこにもうじゃーっと本が詰まってるのは本当にいいビジュアルで真似してみたいが、こういう物件を借りられるかどうかはわからない。路面店なんて家賃高いんだろうなあ。本腰入れて古本屋をやるならこれもありだが、ぼくはフリーライターと兼業でやろうとしてるので、あまり古本の売上げを重視した経営はできそうにない。

 打ち合わせは次に出す本のことで、担当は酒友でもあるモギさん。なので打ち合わせは会社の会議室とかではなく、酒場で、飲みながら。

 

2012年3月シ日

 一箱古本市では、みんな適当に値付けをしていた。そりゃそうだ。自分が読み終えた本を手放すことが目的の人が大半なので、儲けなんか度外視してる。なんならタダでもいいから持って行ってくれ、という気分の人もいるだろう。たいていの人は定価の半額。あるいは100円均一。レジがあるわけでもないし、こうした一箱古本市では釣り銭の手間を考えたら500円均一、100円均一というのが適しているのだろう。

 自分が店をやるとしたら、その辺も考慮したい。さすがにレジは置くと思うが、とにかく数字が苦手なので、値付けはすべて100円単位にしておきたい。10円以下は切り捨て。消費税も計算がめんどくさいので取るつもりはない。だって古本屋の値付けなんて店主の懐ひとつで決まるんだから、消費税なんて面倒なものを取るくらいなら、最初から「込み」で値付けをすればいい。

 ぼくの店でもっとも多い商品の価格帯は600円~800円ってところかな。珍本、変な本をメインに置くといっても、レア本という意味ではないのだ。古書的な価値はないけれど、そこらの本屋ではあんまり見かけない本。何でもない本にとみさわが意味付けすることによって急に変な本に思えてくるもの。そういう本を並べたい。

 これは誰かに習ったわけではなくて、何となく感覚的に考えた方法だけど、ぼくは「三分の一理論」で仕入れをし、値付けをする。どういうことかというと、例えばぼくの店のラインナップにぜひとも加えたい本を、ある古本屋で見つけたとする。もしそれを仕入れたら、うちの店ではいくらなら売れるだろうか? 400円? いや600円でも売れるかも。ならば、その3分の1の価格なら仕入れとして買ってもいい。で、売値をチラッと見ると200円。よし、買い! ということだ。

 なかなか普通の古本屋では200円の本でぼくが欲しいものはないのだけど、それが頻繁に起こるのがブックオフだ。あそこの105円コーナー(この当時はまだ消費税は5%でした)のおかげで、ぼくの古本屋計画は実行可能になったと言ってもいい。

 

2012年3月ヨ日

 エキサイトレビューに、倉敷で「蟲文庫」という古本屋を営む田中美穂さんの著書『わたしの小さな古本屋』の書評を書いた。ぼくは古本屋さんが書いた本というのも大好物で、これもその一環で読んだ本だ。

 田中さんは若干21歳のときに突然、古本屋を開業した。それまでどこの古本屋でも修行したことがなく、なけなしの貯金100万円を資金にしてのスタートだ。不動産屋をまわり、格安の物件を見つけ、古物商の資格をとり、本棚を自作して、開業にこぎつけた。古書組合に加入するほどの予算は残っていなかったので、店頭には自分の蔵書を並べ、仕入れはお客様からの買取りをメインにする。この状況は自分が置かれている立場とも非常に似ていて、とても参考になる。

 古書組合に入れば何かと都合がいいんだろうけれど、入会金が高いみたいだし、そもそも自分がやろうとしている店のことを考えると、メリットがあまりないような気もする。ま、店を始めて儲かって儲かって仕方ない、ってなことになったら、そのときにまた考えればいいだろう。

00 少し長いまえがき

『マニタ書房閉店日記』とは、2012年の10月から2019年の4月まで、およそ7年弱の間だけ神保町に存在した「特殊古書店マニタ書房」という風変わりな古本屋の記録である。

 ぼくは2011年の10月に、かねてより闘病中だった妻に先立たれた。後に残されたのは、小学5年生の一人娘と、いくばくかの生命保険。それを開業資金として始めたのが、マニタ書房だ。

 フリーライターという本業はあったが、折からの出版不況で雑誌というものが激減し、仕事は減るばかり。妻の保険金で当分は食いつないでいくこともできるが、まだしばらくは子育てをしなければいけないし、将来的に進学するであろう娘の学費も確保しておかなければならない。それで、古本屋の開業を思いついた。

 フリーライターと古本屋。どちらの商売も「将来性が希薄」という点では大差ない気もするが、そのときに自分にできること、自分がやりたいことを考えたら、それしかないという結論に達した。それに、古本屋だったらフリーライターを辞めなくとも兼業できる。むしろ、たくさんの本に触れること、たくさんの本好きと出会えることは、ライターの仕事にもプラスになる点は多いだろう。

 元々、フリーライターなんて職業を選択するくらいなので、子供の頃から本は好きだった。いや、ここは誤解されそうなので、もう少し説明が必要だ。

 ぼくは「本」が好きだったのであって、「読書」が好きだったわけではない。そう、子供の頃のぼくは、あくまでも書物というアイテムが好きなのであって、あまり本を読む子ではなかった。むしろ読書は苦手で、国語の授業で読書感想文なんて宿題を出されると、絶望感に襲われたものだ。

 でも、本そのものは好きだった。書物というアイテムが好きなのだ。漫画を読むのは普通に大好きだったから、その延長に「本」がある。本がたくさん並んでいる光景が好きだった。だから、買いもしないのに本屋にはよく遊びに行っていた。漫画のコーナーはもちろんのこと、読みもしないのに小説のコーナーもうろついて、いろんな本を眺めていた。それだけでどんどん時間は経っていく。

 なぜ、それほどまでに本が好きになったのか。それには、まだ小学校へ上がるより前に見た、遠い記憶にある三つの本棚が影響している。

 一つめは、「社長の息子の本棚」。

 うちの母は洋裁をする人で、福島の女学校を卒業後に上京し、両国にあった縫製屋に就職する。そこで働くうち、近所の運送会社に勤めるトラック運転手が同郷だということで見合いをして結婚。その運送会社の社長宅に隣接している木造の平家を新居にする。

 やがてぼくが生まれるわけだが、自宅は狭いので、いつも社長宅に行って遊んでいた。社長の奥様とうちの両親は遠いながらも親戚関係で遠慮がいらなかったということもあるし、少し年は離れているけどお兄さんお姉さん(社長の子供たち)が遊んでくれるので、自分の家よりも楽しかったのだ。

 そのお兄さんたちの部屋には、壁一面の大きな本棚があった。それが最初の本棚体験だ。中にどんな本が詰まっていたのかは覚えていないが、ただ「すげー! 本がいっぱいある!」と驚いたことをよく覚えている。

 二つめは、「シライさんの本棚」。

 母が勤める縫製屋は「シライさん」と呼ばれていた。おそらく社長の名前が白井とでも言うのだろう。まだ幼稚園に行く前のぼくを、母はよくシライさんに連れて行った。高度成長期、共働きする女性従業員たちのために、職場が託児所的な役割も果たしてくれていたのだ。

 母が布地の裁断などをしている間、ぼくは別室で絵本や漫画を読んで過ごす。シライさんにはやはり大きな本棚があって、様々な本が詰まっていた。連れてこられた子供たちが退屈しないために用意されていたのだろう。これもまた、大きな本棚をありがたいものと感じるようになった初期の記憶だ。

 三つめは、「みっこんつぁの本棚」。

 みっこんつぁというのは、福島の母の実家の近くに住むおじさんで、名前をミツオ(表記は知らない)という。「おじさん」は福島の訛りで「おんつぁま」だ。つまり「ミツオおんつぁま」がさらに訛って「みっこんつぁ」となるわけだ。

 そのみっこんつぁの家に行くと、やはりものすごく大きな本棚があって、漫画がびっしり詰まっていた。おんつぁまの大学生の息子さんが集めていたものだ。どれでも自由に読んでよいと言われていたので、夏休みなど母が帰省するときはよくおんつぁまのところに連れていってもらった。本棚好きで、かつ漫画好きになったのは、ここの本棚の影響が大きい。

 中学生になったあたりから、ぼくは漫画の蒐集に手を出す。最初は『トイレット博士』が大好きで、ギャグ系のコミックスを買うくらいだったが、同級生の小島くんに借りた『ワイルド7』に衝撃を受けたのをきっかけに、望月三起也作品を本格的に集め始める。

 両国で借家住まいをしていたときは、姉と共有の勉強部屋で、狭い家の生活スペースに漫画を溜め込んでいて迷惑がられた。しかし、高校に入学するとき、父は千葉県の松戸市に二階建ての一軒家を新築する。家が一気に広くなるのだ。それはすなわち自分の部屋が持てるということでもある。

 自分だけの部屋ができ、始めのうちは既成品の本棚やカラーボックスを並べて、そこに集めた漫画を収納していたが、いつかは壁一面の本棚を作りたいと夢見るようになった。

 そして高校を卒業し、製図の専門学校に通っていたとき、ついにそれを実行する。拙著『無限の本棚』(ちくま文庫)にそのときのことを書いているので、引用する。

 

「壁面本棚が作りたい!」

 蔵書家なら誰もが夢見る、壁一面を覆いつくす本棚が、欲しくてたまらなくなってしまった。

 思い込むと止まらなくなるのがぼくの悪い癖だ。このときぼくは機械製図の専門学校に通っていたので、図面を引くことなど朝メシ前だった。巻き尺で壁面の寸法を測り、そこを埋め尽くすような本棚の設計図を作成した。上のほうには文庫を並べ、中段には漫画のコミックスを並べる。最下段にはLPレコードや写真集がぴったり収納できるようにする。最下段は奥行きも深くして、本棚の補強と転倒防止を兼ねることも忘れない。

 図面が完成したら、必要なパーツ数を割り出し、ホームセンターへ材料を買い出しにいく。木材を切り出して作るのは作業難度が高いと予想できたから、ユニット式の棚材を利用することにした。もちろん設計段階でその判断をしていたので、市販の棚材に合わせた寸法配分で棚を分割してある。材料費は、時給の高い割烹料理屋でアルバイトをすることで賄った。

 購入した材料が届いたら、さっそく組み立てる。といっても、ユニット家具なので図面通りに棚材を組み合わせて、ブリキ製のブラケットをはめ込んで釘で留めていくだけだ。完成までに二日もかからなかった。

 

 気持ちよかったねえ~、壁面本棚。壁一面を覆い尽くす本棚に自分の好きなものだけが詰まっている。それを眺めているだけで、幸せな感情で心が満たされた。自分の本棚が好き過ぎて、意味もなく本棚に登ってみたりもした。

 そうやって、しばらくは幸せな日々が続いたのだが、数年後に本棚が満杯になった頃、その重みで家が歪み始め、親父に怒鳴られて本棚は解体せざるを得なくなる。一箇所に集中して本を置くと本棚はおろか、家さえも壊れかねないので、また本を分散して収納することになった。鉄骨の入っていない木造家屋では仕方のないことだ。

 自宅では、そうやって騙し騙し本を集めていたが、その後、フリーライターになって都内に仕事場を借りた際には、スチール製の本棚を何台も導入して、壁面本棚を実現していった。仕事のために必要なのだという大義名分もあるが、本心は子供の頃に見た三つの本棚を再現したいという気持ちの方が強かった。

 さて、そんな本棚好きのぼくが、ついに古本屋を始めるのだ。壁面どころか、部屋中を本棚にしていいのだ。本棚に囲まれた生活。想像するだけで最高じゃないか。古本屋なら、本棚がいっぱいになってしまうことを気にしなくていい。売れるそばから本を補充しなければならないから、いくらでも本が買える。買った本を読むとか、そんなことを考えなくていい。買って並べて、買って並べて、買って並べて、を繰り返す生活。まさしく「無限の本棚」だ。

 そんなわけで、ぼくは2012年の3月に古本屋の開業を決意するのである。もしろん、そのときは7年後に閉店することなど考えてもいないわけで、理想の生活(老後)が手に入ることに胸踊らせる日々が始まった。そこから、家庭の事情で閉店を余儀なくされる2019年の5月までの記録を、これから「マニタ書房閉店日記」として、ゆるゆると書き連ねていくのだ──。

メルマ旬報の終刊に寄せて

 既報の通り「水道橋博士のメルマ旬報」は、2022年9月末で終刊となります。それにともない、現在ぼくが連載中の「マニタ書房閉店日記」も、前号での更新(2012年8月 第6回「暴走族本とせんべろ古本トリオと委託販売」)をもって終了となります。今後は、とりあえずこのブログ「蒐集原人 Pithecanthropus Collectus」に掲載の場を移しつつ、あらためて連載を引き受けてくれる媒体を探そうかと思います。

 ぼくが「メルマ旬報」で連載を開始したのは、2018年8月20日(Vol.147)からでした。当時、構想していた「流行歌を通じて日本の戦後史を語る」という企画を、できれば単行本の書き下ろしではなく、どこかの媒体で連載したいと思っていたところ、縁あって「メルマ旬報」にその場を設けてもらうことができました。

 おかげさまで19回にわたる連載を経て、2019年に『レコード越しの戦後史』(P-VINE)として書籍化されました。その後も、自身のゲーム遍歴を綴った「1978~2008 ☆ ぼくのゲーム30年史」を連載し、これも2021年に『勇者と戦車とモンスター 1978~2018☆ぼくのゲーム40年史』(駒草出版)と改題のうえ、書籍化することができました。

 水道橋博士、そして「メルマ旬報」との出会いがなければ、これら2冊の本は世に出ていなかったかもしれません。あらためて博士とメルマ旬報関係者、そして読者の皆さんにお礼を申し上げます。応援ありがとうございました。

 3つ目の連載となった「マニタ書房閉店日記」は、2012年から2019年までの7年間、ぼくが神保町で経営していた「特殊古書店マニタ書房」の記録です。これまでの連載を見てもわかるように、ぼくは異常なほどの記録魔なので、古本屋として日々遭遇するおもしろい出来事は、すべてメモに残してあります。それをエッセイ仕立ての日記にしたものです。

土佐日記」や「蜻蛉日記」まで遡るまでもなく、日記文学というのは読み物の一形態として、様々な名作が残されてきました。古書店の日常を記録した日記本にもおもしろいものがたくさんあります。古本屋の主人というのは、ぼくみたいに記録魔が多いのでしょう。戸川昌士さんの『猟盤日記』シリーズ、北尾トロさんの『ぼくはオンライン古本屋のおやじさん』、須賀章雅さんの『貧乏暇あり 札幌古本屋日記』などなど、挙げていったらキリがないです。

「マニタ書房閉店日記」も、それらの諸作群に負けないものになるよう、奮闘しているつもりです。これから先、どこかの媒体で連載が再開できるのか、行くアテもなくブログで書き続けることになるのか、それはまだわかりませんが、どうぞこれからも応援していただければ幸いです。

 まずは明日から一週間ほどかけて、これまで「メルマ旬報」に掲載してきた分を順次こちらのブログでも読めるように転載していきます。どうぞ「無料」でお楽しみください。

これまで書いたり編集したりしてきたゲームの本

 2022年3月5日から4月24日にかけて、小樽文学館で「雑誌・攻略本・同人誌ゲームの本 展」という展示があるという。見に行きたいね。でも北海道か。ちょっといまは行けない。仕事はあるのにお金はないし、北海道のすぐ上にある国は戦争をやってる。

 ぼくはこれまでどれくらい「ゲームの本」を作ってきただろうか? こういうことが気になり始めると仕事どころではなくなる性格なので、リストアップしてみた。雑誌を入れるとキリがないので、書籍形式のものだけだ。これらのうち半分くらいはもうぼくの手元にもない。もしかしたら、仕事をしたことすらすっかり忘れているものもあるかもしれない。

 

■1987

 ゲームフリーク Vol.23 ダライアスゲームフリーク/マップイラスト)

 新明解ナム語辞典ソフトバンク/編集)

 

■1988

 キャプテン翼 栄光へのスーパーシュート!!(ホーム社/編集・共著)

 魁!!男塾 疾風1号生 光芒一閃!! 奥義の書(ホーム社/編集・共著)

 聖闘士星矢 黄金伝説・完結編(ホーム社/編集・共著)

 ドラゴンボール大魔王復活 必勝!! 奥義の書!!(ホーム社/編集・共著)

 桃太郎伝説 日本一周すちゃらかトレイン 大出世!!虎の巻(ホーム社/編集・共著)

 

■1989

 ファミコンジャンプ英雄列伝 夢の大決戦!!(ホーム社/編集・共著)

 ゲームブック 妖怪道中記 たろすけの大冒険(電波新聞社/執筆)

 コミック版 妖怪道中記電波新聞社/原作)

 イース グローバル・ガイドブック(冬樹社/寄稿)

 スーパーマリオブラザーズ3のすべて 完全必勝本PART2(JICC出版局/編集協力)

 

■1991

 ウィザードリィ友の会 総集編 4コマまんがスペシャル(JICC出版局/マンガ

 ファイナルファンタジー竜騎士JICC出版局/編集)

 

1993

 ファイナルファンタジー竜騎士団2JICC出版局/編集)

 ジェリーボーイ徳間書店/杉森建/読み物ページの構成)

 メタルマックス2 サバイバルマニュアルJICC出版局/編集・座談会構成)

 SFC ブレスオブファイア ~竜の戦士~ 完全攻略本(徳間書店/編集)

 マイティファイナルファイト完全攻略本(徳間書店/編集)

 ミッキーのマジカルアドベンチャー 完全攻略本(徳間書店/編集)

 任天堂公式ガイドブック マリオとワリオ 目指せ!5冠王(小学館/編集)

 

■1994

 ごくらくゲーム業界(KOEI/インタビュー掲載)

 ほんとうに面白いゲームソフト(1)スーパーファミコン(ぴあ/寄稿)

 ほんとうに面白いゲームソフト(2)ファミコン(ぴあ/寄稿)

 相原コージのゲームデザイナーへの道双葉社/編集)

 電視遊戯時代(ヴィレッジセンター出版局/編集・寄稿)

 ザ・ナムコ・グラフィティ1 NG総集編&特別編集号(ソフトバンク/寄稿)

 

■1995

 メタルマックス リターンズ ─鋼鉄の掟─ 覇王スペシャル36(講談社/寄稿)

 

■1996

 ポケットモンスター図鑑アスキー/コラム執筆・座談会構成)

 

■1998

 ダイナマイトサッカー98 公式テクニカルガイド(アスペクト/構成)

 別冊宝島359 このゲームがすごい! 任天堂編(宝島社/寄稿)

 

■2000

 ゲームフリーク 遊びの世界標準を塗り替えるクリエイティブ集団(メディアファクトリー/執筆)

 

■2013

 TVドラマ「ノーコン・キッド」から見るゲーム30年史徳間書店/共著)

 

■2014

 杉森建の仕事徳間書店/取材・構成)

 

■2015

 セガ・アーケードヒストリー 復刻版(アンビット/執筆)

 

■2016

 ゲームってなんでおもしろい?角川アスキー総合研究所/寄稿)

 週刊少年ジャンプ秘録!! ファミコン神拳!!!集英社/編集・執筆)

 

■2018

 ゲームドット絵の匠 ピクセルアートのプロフェッショナルたち(ホーム社/執筆)

 

■2020

 こちゲー こち亀とゲーム 上巻ホーム社/執筆)

 こちゲー こち亀とゲーム 下巻ホーム社/執筆)

 

■2021

 勇者と戦車とモンスター 1978~2018☆僕のゲーム40年史(駒草出版/執筆)

 

 41冊あった。ゲームの攻略本をメインに執筆している人からすればそう多くはないかもしれないが、音楽や古本などテーマを横断してあっちこっちに執筆していたり、途中で執筆業から離れてゲーム開発に集中していた時期もあることを考えれば、これはなかなかの数ではないだろうか。

 2000年以降の仕事に関しては、元ファミマガ編集長・山本直人氏のお力添えがあったことが大きい。そのほとんどは彼と一緒に作った本ばかりだ。あらためて御礼を申し上げたい。

新刊『勇者と戦車とモンスター』まもなく発売

12月20日にとみさわの新刊『勇者と戦車とモンスター 1978~2018 ☆ ぼくのゲーム40年史』が駒草出版より発売となります。そのプロモーションのひとつとして、本文中に登場する主な固有名詞をリストアップしてみました。これらがどのような文脈で登場するのか。以下の名前にピンときた人は、ぜひ手に取ってみてください。

 

序章 凝縮された40年

 ・田尻智宮本茂ポール・マッカートニー

 

第1章 ゲームとの出会い

 ・スペースインベーダーマーブルマッドネス

 ・バンカース、ダイヤブロックモノポリー

 リバーパトロール

 ・望月三起也原哲夫フランク・フラゼッタ

 ・エンドウユイチ、中森明夫石丸元章宅八郎

 ・青山正明、高護

 ・小形克宏加藤秀樹

 ・銀四郎(プリンスのそっくりさん)

 ・KENZI&トリップス、有頂天ケラ

 ・内山田洋とクールファイブ

 

2章 ゲーム生活の始まり

 ・ファミリーコンピュータ

 ・スーパーマリオブラザーズ、フィールドコンバット

 ・Dang Dang 気になる

 ・スコラ、ファミマガファミ通

 ・森川幸人、野々村文宏

 ・龍馬くん。がんこ職人

 ・バードウィークエアロビスタジオ

 ・ドラゴンクエスト頭脳戦艦ガル

 ・ザナドゥレリクス蒼天の白き神の座 GREAT PEAK

 

第3章 ゲームとサブカル

 ・小島ファミ隆、東府屋ファミ坊、バカK

 ・ホエホエ新井、ガスコン金矢、伊藤ガビンスタパ齋藤

 ・水谷麻里山瀬まみ佐野量子畠田理恵後藤久美子

 ・粕川由紀、板橋雅弘えのきどいちろう杉森昌武

 ・新明解ナム語辞典

 ・妖怪道中記ジャンピューター、ゼビウス

 ・田尻智杉森建石原恒和遠藤雅伸

 ・VG2連合、Tampa、ゲームフリーク

 ・フリークス、ピンクフラミンゴ

 ・ディヴァイン、飯田和敏

 ・デヴィッド・リンチデレク・ジャーマンケネス・アンガー

 ・マーク・ポーリン、ズビグニュー・リプチンスキー

 ・少年ナイフケン・ラッセルアウトラン

 ・ミサイルコマンド、ドラゴンスピリット

 

第4章 ゲーム雑誌の日々

 ・大堀康祐、アサロー(山根朝郎、山根ともお)、渡辺浩弐

 ・Gアクション

 ・島野浩二、高橋信之、インドマン、塚本晋也

 ・香山リカドクター前田

 ・タジリプロ、澁澤龍彦、丸山傑規

 ・ゆう帝、ミヤ王、キム皇、てつ麿、コマル大王

 ・さくまあきら土居孝幸横山智佐榎本一夫どんちゃん

 ・鳥嶋和彦糸井重里平林久和(ヒラ坊)、ウッディ・アレン

 ・石埜三千穂、手塚一郎、成澤大輔、野安ゆきおベニー松山山下章

 ・メタルマックス桝田省治

 

第5章 株式会社ゲームフリーク

 ・クインティヨッシーのたまごマリオとワリオ

 ・僕たちゲーセン野郎、セガ・アーケード・ヒストリー、FF竜騎士

 ・ジェリーボーイ、ヨッシーのたまごまじかる☆タルるートくん

 ・マリオとワリオパルスマン

 ・爆笑問題

 ・ダービースタリオン、ガンプル、アコンカグア

 ・クリックメディック、スクリューブレイカー

 ・中川いさみ平信一(電ファミニコゲーマー)

 ・ポケモン ルビー・サファイア

 

第6章 最後の悪あがき

 ・桃太郎伝説桃太郎電鉄

 ・小池一夫

 ・米光一成アライユキコ

 ・ポケモン ソード・シールド

 ・杉中克考、川瀬陽太

 ・スティーヴン・スピルバーグサム・ライミ

トホ散歩

朝の散歩を始めた。

第一の目的は健康増進、体力維持だけど、第二の目的というか、どちらかというとこちらの方が本当の目的じゃないの? と自分で思っているのは「本を読むため」だ。

ゲームフリークに勤務していたり、神保町でマニタ書房を経営していたときは、通勤電車の中で本が読めた。しかし、現在のように基本自宅に引きこもって原稿を書くだけの生活になってからは、とにかく本が読めなくなっていた。

べつに家にいたって、1日24時間のうち1時間でも2時間でも読書時間を設けて本を読めばいいのだけど、それができない。家にいるとやることはいっぱいあるし、ネットを見たり、映画を見たり、お酒を飲んだり、読書どころではなくなってしまうからだ。

通勤電車というのは、他にやることがないので本を読むには適している。そう、ぼくにはこの「他にやることがない」という状態が、読書のために重要なのだ。他にやることがある場所では本は読めない。

で、散歩である。

ぼくは昔から朝型で、だいたい午前4時くらいには目が覚める。そこから少しだけ仕事をしてから、6時になったら家を出る。上下ジャージで、寝ぐせ隠しのハットをかぶり、マスクをし、ポケットにはスマホを入れ、読みかけの本を持って家を出る。

そして歩きながら本を読む。歩いている最中というのは、他にやることがないので読書がはかどるのだ。これは昔からの癖。会社に勤めていたときも、家から駅まで、駅から会社までの道のりを、ぼくは歩きながら本を読んでいた。

マニタ書房をやっていたときも、新お茶の水駅を出て、店まで歩く道すがら本を読んでいたところを本の雑誌社の浜本編集長に見られて笑われたことがある。まさに『活字中毒者 地獄の味噌蔵』である。

朝の散歩は、自宅を出て、家のあるブロックをぐるりと回るだけの簡単なものだ。そんなに遠くまではいかない。一周まわって家の近くにあるセブンイレブンでコーヒーを買う。財布を持っていなくても、スマホのPaypayで決済できる。

コーヒーを買ったら、それを飲みながらさらに本を読み続け、隣のブロックまで足を伸ばす。軒下にベンチが置いてあるアパートがあるので、そこまで来たらひと休み。腰をおろしてゆっくりコーヒーを味わいながら本を読む。で、区切りのいいところまで来たら帰るのだ。

歩き読書の天敵は雨だ。これからの季節、雨降りが多くなるのが憂鬱だ。

『藝人春秋2』と『藝人春秋3』

2021年03月18日

 文春文庫から刊行された水道橋博士の新刊『藝人春秋2』と『藝人春秋3』を読んだ。

 元は『週刊文春』に連載された人物評の形をとったエッセイである。2012年に刊行された単行本『藝人春秋』に続いて、その続編となる『藝人春秋2』が2017年に上下巻で刊行されたが、本書はこのたび文庫化されるに合わせて、その『上巻、下巻』のタイトルを『2巻、3巻』と改めたものだ。

 文庫でも1冊あたり420頁オーバーなので、決して薄い本ではない。それが2冊。しかも『藝人春秋』(すなわち1巻)を読んだときから、簡単には読み飛ばせない内容であるのを知っていたので、こりゃ手強いぞと覚悟していたが、2冊同時に購入し、ひとたびページを開いたが最後、一気に読み終えてしまった。それくらい夢中にさせる力があった。

 

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「愛」と「死」

 博士は、自らを「芸能界に潜入したルポライター」と標榜するだけあって、取り上げる人物の下調べは周到だ。それを切り裂く筆は鋭く、洒落や伏線や見立てなど、文章のあらゆるところに仕掛けを施している。2巻の解説を担当したダースレイダーは、こうした博士の文体を「韻を踏んでいる」と表現した。これは浅草キッドの漫才にも通底する手法だ。

 ご存知のように、ぼくは水道橋博士が編集長を務めるメールマガジン『メルマ旬報』の執筆陣の一人でもある。ひとつ前に連載していた『レコード越しの戦後史』は、連載終了後に単行本として刊行されたが、この連載が決まる前、どのようなタイトルにするかで悩んでいた時期がある。

 その時代ごとに発売された流行歌を振り返ることで日本の戦後史を語るという企画であるから、着想段階では『流行歌で振り返る日本戦後史』とか、『歌謡曲と戦後の日本人』とか、あるいは書名には数字を入れるといいという意見を踏まえて『99枚のレコードで振り返る戦後歌謡史』とか、そんなことを考えていた。

 だが、連載する媒体が水道橋博士の『メルマ旬報』に決まったときに、他の筆者たちの連載タイトルを見渡して、ああそうかと思った。博士は芸人だから、ついダジャレを考える。ラッパー的に言えば韻を踏む。

 硬派なノンフォクションの世界では、ダジャレなどレトリックの技法としては一段低く見られるものかもしれないが、この場所はそれが許される。むしろ積極的にやっていい。元より、ぼくはダジャレが大好きだ。それであれこれ頭をひねった末に、『レコード越しの戦後史(レコードごしの戦ごし)』というタイトルを思いついた。これは、いま振り返ってもいいタイトルだったと思う。『メルマ旬報』に参加しなければ、きっと思いつけなかった。

 話が大きく逸れた。

 本書はタイトルが『藝人春秋』といように、元々は文壇スキャンダル雑誌だった『文藝春秋』のパロディである。つまり『藝人春秋』は、様々な芸人たちの生態をおもしろおかしくレポートするのが当初の動機だったのだと思う。実際、『藝人春秋』では、そのまんま東石倉三郎古舘伊知郎、三又又三、テリー伊藤爆笑問題……と、芸人や芸能界で活動する奇異なる人々の生態を追いかけている。

 ところが、今回の2巻、3巻では、少しばかり様相が変わってくる。1巻では「芸能界に潜入したルポライター」という立場であったものが、2巻以降では芸能界にとどまらず、この社会全体に潜む“悪”を暴く「ジェームズ・ボンドのごとき諜報員」という体で、書き進められているからだ。

 そうなると、登場する人選も変わってくる。2巻のトップバッターは大阪維新の会を立ち上げた橋下徹だ。2万パーセント国政への出馬はないと言い切った弁護士の欺瞞を、博士は自身の自爆的な降板ギャグを絡めて追求する。

 その後、タモリリリー・フランキー、三又又三(どんだけ好きなんだ)、デーブ・スペクター、江頭2:50など芸人や芸能人を中心にして話が進んでいくが、3巻に突入するとその空気感はサッと変わる。

 最初こそ武井壮と寺門ジモンのクソどうでもいいじゃれ合いが綴られるが、気がつけば博士のペン(剣)は元都知事である猪瀬直樹の首筋に迫り、医療界の風雲児・徳田虎雄の眼球をえぐる。そして、やしきたかじんを経て、その背後にいるであろう黒幕の存在にまで迫る。芸能界の中にいて、このことに触れるのはかなりのリスクというか、相当な覚悟がいると思うが、博士の筆に迷いはない。

 その決意が、3巻のサブタイトルにもなっている「死ぬのは奴らだ」だ。

 博士がたびたび取り上げる橋下徹も、石原慎太郎も、やしきたかじんも、ぼくはことごとく苦手な存在で、顔も見るだけでも嫌な気持ちになってしまうのだが、悔しいことに彼らの章に限って抜群におもしろいのだ。なんとも皮肉なことですよ。

 3巻の最後。海老名家の次女、泰葉がある落語の大師匠(金髪豚野郎じゃないですよ)とデートをする場面がある。博士とサンキュータツオも同席する。そこで語られるエピソードがまた素晴らしい。その大師匠、あらゆる落語家の中でぼくがもっとも苦手な人物だから、ああイヤだイヤだと思いながら読んでいたのだが、泰葉の口から「……いいよ、師匠、死んじゃえ!」のくだりが出てきた瞬間はさすがに胸が詰まった。ものを作ってきた人、何かを表現してきた人の、極限の姿を見せられた気がした。

 その愚かな行動を笑い飛ばしたり、欺瞞に満ちた振る舞いを舌鋒鋭く追求したり、容赦のない800ページ超ではある。けれど、その根底にはやはり顔と名前を晒して戦っている人間への愛が感じられる。そういう意味で、この本に書かれていることはとても誠実だ。対象への優しさに溢れている。愛情すら感じられる。

 そして、その愛はぼくにはないものだ。