09 顔と名前と窓際本棚と名古屋ツアー

2012年11月マ日

 ついに開業した! 学生時代から古本屋という場所が大好きだった自分が、古本屋の主人になってしまった。それも神保町のまん真ん中で。

 小学生のとき最初に憧れた職業の落語家にはならず、漫画家にもなれず、イラストレーターにもなれなかったけれど、大人になって憧れた雑誌ライターにはなることができたし、80年代後半の花形職業であるゲームデザイナーにもなれた。そのうえ大好きな古本屋にもなれてしまうなんて!

 とはいっても古本屋という仕事には華々しいことなど何もなく、ただ一日中ぼんやりとレジの前に座ってカビ臭い本に値付けをしているだけだ。噂を聞きつけて来てくれたお客さんは多かったが、大半は二、三の言葉を交わし、レジで精算を済ませたら帰っていく。でも、それで十分。それ以上、何も望むことはない。

 フリーランス稼業が長いので、人と会う機会は多い。交換した名刺は家に山ほどある。だが、そのうち顔と名前が結びつく人は半分もいない。自分が相貌失認症だと思ったことはないが、そもそも短期記憶が弱いので、いろんなことをすぐ忘れる。

 店なんか始めたら、人と会う機会は飛躍的に増えるだろう。その一方で、これからは脳がますます老化していって、元より頼りなかった記憶力が更に衰えていくはずだ。つまり、どんどん人の顔が覚えられなくなる。覚えてもすぐ忘れる。

 だからここで言っておきたい。

 過去にぼくと会ったことがあるという皆さん! マニタ書房へ遊びに来て、ニコッと笑いかけられても、かなりの高確率でぼくはアナタの顔や名前を覚えていないはず。ぼくが「いらっしゃいませ~」といった通り一遍の挨拶しか返さなかったら、それはきっと顔と名前が一致してないだけなのだとわかってほしい。決して、あなたを拒絶しているわけではないのだ。

 

2012年11月ニ日

 本日最初のお客様が、値付け1,000円の本を買っていってくださった。これで今日も売り上げはゼロではない、ということになる。たかだか1,000円と侮るなかれ。この積み重ねが大事なのだ。

 飲みに行ったら1,000円、2,000円をパカパカ使ってしまうぼくだが、いざ、自分で店を始めてみると、千円札一枚を稼ぐのがどれだけ大変なことかがよくわかる。それを実感させられる毎日である。

 子供の頃、夢中になって見ていたドラマ『細うで繁盛記』の冒頭で、新珠美千代は次のようなナレーションを語っていた。

銭の花の色は清らかに白い。だが蕾は血がにじんだように赤く、その香りは汗の匂いがする

 マニタ書房の壁は清らかに白いが、酒びたり店主の顔はいつも赤く、屁の香りはホップの匂いがする──。

 先月末の開業以来、マニタ書房はまだ一日しか休んでいない。このままでは「不定期営業」の名がすたる。今日こそ休んでやろう! と思ったりもするのだが、前日の売り上げを銀行の口座に振り込んで、通帳に記載された残高が増えていくと喜びがじんわりと込み上げて来て、また今日も店のシャッターを開けてしまうのだ。

 開業する前は、週のうち半分くらいは休んでもいいんじゃないか、なんてことを思っていたのだが、いざ店を始めてみると、お客さんが来てくれることがとても嬉しくて、つい毎日のように店を開けしまう。当たり前といえば当たり前のことだけど、ぼくは長いこと当たり前とは無縁のところで生きてきたので、こんな当たり前の日常が新鮮に感じられる。

 

2012年11月タ日

 ネットで見つけた店舗用什器を取り扱う業者に書店用本棚3台分の見積りを頼んでおいた。

 A社「本棚代金85,000円+送料50,000円」

 B社「本棚代金130,000円+送料20,000円」

 送料が高いのは、うちはエレベーターなしの4階なので、別途人件費が上乗せされるためだ。いずれにしろ、どちらも高すぎるので却下。

 そうこうするうちに中古什器を扱うC社を見つけたので、問い合わせたところ「希望のものが在庫有り」とのこと。こちらは本棚代金60,000円+送料25,000円で、合計85,000円也。予算は10万円以内を想定していたので、ここに決まり。背面パネルのあるタイプなので、これを白山通りに面した壁一面の窓を塞ぐように設置すれば、マニタ書房の本棚は完成となる。

奥に見えるのがC社の本棚を組み立てたもの。
日当たりが一気に悪くなったが、古本屋というのはそれでいいのだ。

2012年11月シ日

 いくら神保町の真ん中といっても、エレベーターのないビルの4階なので、お客さんの来訪は途切れがちだ。いちばん多いときでも同時に3組のお客さんが重なるくらいがせいぜい。それでもちょこちょこ本が売れて、それが地道に売り上げにつながっていくのはありがたい。ときにたくさん売れれば万々歳だ。

 だが、売れていく本の数よりも、仕入れる本の数の方が少なければ、店頭在庫は痩せ細っていく。

 古書組合に入っていれば、定期的な競り市などで在庫を補充できるが、うちのような野良古書店は、自分で買取りをするか、もしくは他所の古書店からセドリをしてこない限り、在庫が増えることはない。だからブックオフ巡りをしているわけなのだが、正直言って効率は悪い。それはブックオフ巡りが悪いのではなく、わざわざ旅費をかけて北海道だの沖縄だのに行ってる自分の頭が悪いのだ。でも、それを変えるつもりもない。今後、どのようにして仕入れの量を増やしていくか。それはマニタ書房の将来のためにも、とても重要な問題なのである。

 

2012年11月ヨ日

 とかなんとか言ってるそばから、名古屋に来てしまいました!

 名古屋市内にあるブックオフ17店(当時)を、3日間ですべて回ろうという、いつもの旅である。今回は自分でマイカーを運転して、千葉県の松戸市から愛知県の名古屋市までやって来た。

 午前7時に家を出て、途中で首都高の大渋滞に引っかかってしまい、名古屋に着いたときはもう午後2時半。つまり7時間以上もかかったことになる。大急ぎで、予定していたブックオフを見て回る。

 さすがは名古屋だ。つい先日うちの店で売れたばかりの『つぼイノリオの聞けば聞くほど』を、ここに来てすでに3冊も見つけた。まあ、浮かれて3冊すべて買い漁ってもしょうがないので、とりあえず2冊だけ補充しておくことにする。

 結局、この日は首都高を抜けるのに予想外の時間がかかってしまい、当初の計画よりも2時間ほど遅れたわけだが、なんとか初日のノルマであるブックオフ6軒のうち5軒を回ることができたので、まあ上出来だ。

 その後、ホテルにチェックインして、シャワー浴びて、近場にあるもう1軒のブックオフをチェック。こうして初日の業務を終えたところで、のんびりと名古屋の夜を楽しみに出かけるのである。

 

2012年11月ボ日

 あれやこれやあって名古屋の最終日。ここまでに買った本の冊数をかぞえてみたら、14店を回って購入した本はトータルで120冊だった。今日はあと3店+古書市にも顔を出すので、このままで行くと札幌での119冊/21店を遥かに凌駕するペースだ。

 名古屋でのブックオフ巡りは主要の足がマイカーなので、荷物が重くなるとか、宅配便で送る手間とか、そういう面倒を考えなくていい。それがまた買いすぎを加速させる。あるいは。単純に愛知県という土地にはマニタ書房向きの本が多い、ということがあるのかもしれない。なんたって、つぼイノリオ先生とか、金のシャチホコとか、とりいかずよし先生とか、そういう過剰な何かを生み落としやすい土地だから。

 朝食は適当に見つけた店のカレーうどんで済ませ、名古屋古書会館の「名鯱会」(地元の古書マニア向けに開かれる古書市)にやって来た。シャッターの前には、まだかまだかとオープンを待つネズミ色の服装の老人たち。この光景は東京も名古屋も変わらない。

開場と同時に古本の山に群がる人たち。いい景色!

 そして1時間後。

 いやあ、すごかった。東京古書会館(神保町)、西部古書会館(高円寺)、南部古書会館(五反田)、反町古書会館(東神奈川)での古書市には慣れていたが、名古屋のそれはまたひと味違うものだった。開場前の老人たちの熱気も、場内の埃の量も、比べ物にならなかった。その一方で、値段は都内よりも断然安い。これは定期的に遠征して来たいと思わせる場所だった。

 1階ガレージの100円均一コーナーから11冊、2階のメイン会場で本を4冊と、ドーナツ盤を6枚ばかり購入。これにて名古屋市内のブックオフ全17店と、古書会館を制覇した。はたして帳簿的にプラスになるのか、ならないのか、そんなことは考えてもしょうがない。人生は一度きり。とにかく楽しかったんだからオール・オッケーだ。